第9章 分水嶺を見誤った者たちへ
小欅サムエです。事件の概要を喋る回ですが、それと同時に物語の中核へ突き進んでいく、そんな分水嶺となる回でもあります。彼らが望む事件の形とは一体何でしょうか。
「それ、本当なの!?」
ガタッと席を立つ岬。宮尾と胡桃は呆然と俺を見ているだけだった。俺の話した事実を受け入れていないような、そんな表情だった。
カフェ・レストリア。俺は彼女たちをここへ呼んだ。あの女……東京総合国際病院の監視カメラ越しに観た、あの女性が目の前に現れたこと、そして奥村……俺たちが最初に発見した死体、それがアパートの大家と知り合いだったこと、それらを詳細に話すためだった。
しかし、予想外の客人がそこにいた。胡桃と岬の横の席に、仏頂面の男と、胡桃のサインを愛おしく眺めている男……そう、米村と森谷がいた。
それは遡ること30分ほど前、16時10分……俺がレストリアに現れるよりも早く、三人は集合していた。いつもは遅刻する岬でさえ、いつもの高島と様子が違うことに気づき集まっていた。
「昨日遊んだばっかだってのに、ハルってば何の用かな? 昨日言えばよかったのに」
少しむくれている岬。気を利かせて遊びに誘った翌日に、高島から召集の依頼があったのだ。折角いろいろと考え抜いてプランを練ったのにも関わらず、また会うとなれば感動は激減だ。それに対し、岬を宥めるように胡桃は言う。
「で、でもさ、事件に関係のあることだったら、私は聞きたいけど……」
「そう言われちゃあ、ウチは黙っているけどさ。それにしても待たせるね、寝坊でもしてるのかな?」
悪びれる様子もなく言い放つ岬に対し、寝すぎでしょ、と軽くツッコむ胡桃。それを見て宮尾は、少し笑みを浮かべながら言った。
「ふふ、いつもと逆だねぇ。あ、噂をすれば」
おーい、と近づいてくる影に手を振る宮尾だったが、俺の様子を見て固まった。他の二人も、只ならぬ様子に言葉を失っているようだった。右腕に包帯、そして死にそうな目つき。昨晩、何が起こったのか想像に難くなかった。
「え、春来くん……?」
胡桃が心配そうに声をかける。しかし、そんな言葉を遮るように俺は言った。
「ごめん、とにかく中に入ってくれ。話はそれからだ」
もたれかかるようにして、カフェのドアを開ける俺。慌てた様子で岬、宮尾、胡桃も俺の後に続いた。
カランコロン
客の入店を告げるベルが鳴る。すると、皿を拭いていたマスターの大野がこちらに気づき、声を掛けてきた。
「おや、いらっしゃいませ。今日はうちに来ていただいて……」
大野はそこまで言い終わると、俺の表情から何かを察したのか、それ以上何も言わなかった。寡黙なことも良いマスターたる条件、とも言うが、大野はそれを体現しているかのようだった。
その態度に俺は安堵した。余計な気を回さずに済む……そう考えていた。しかし、宮尾は店内のある異変に気が付いた。
「あれ、あそこの席の人……」
全員が同じ方向を見る。無表情な男が、同じように俺たちの方を見ている。
あれは、どう見ても米村だった。顔に似合わないお洒落なティーカップを傾けながら、静かに、しかし固まった様子でこちらを見ている。
「よ、米村さん? どうしたんですか一人で……」
胡桃はそう言いかけて口を噤んだ。よく見れば、米村の向かい合わせにコーヒーカップが置かれている。一人でカフェに入り、飲み物を二杯も注文するほど暇な刑事ではないということは知っている。ということはつまり、誰か先客がいる、もしくは、いたのだと推察されるのだ。
「奇遇だな、というべきだろうか……うん? どうしたんだ高島くん、その腕は!?」
米村は平静を装うつもりだったのだろうが、俺の様子に気づき慌てた様子で訊ねた。無理もない、つい先日まで警察を尾行するくらいに元気だった若者が、ボロボロな様子で、死んだような目つきで立っていたのだ。まるで、彼と最初に会ったとき……両親が惨殺された後の彼のようだった。
「え、ああ、その……大丈夫です、ちょっと転んで……」
米村の剣幕に、咄嗟に嘘を吐いた。しかし、もともと宮尾達に事の顛末を伝える予定だったのだ、ここで嘘を吐くと、米村が退席するまで真実が話せなくなってしまう。
「……いえ、すみません。実は……」
「おー!!! 神は俺を見捨てていなかった!!!」
急な叫び声に、俺たちは飛び上がった。ガシャン、と店の奥から瀬戸物の割れる音が聞こえた。性懲りもなく、大野は皿を落としたようだ。
叫び声の主は、その大きな物音や驚く俺たちには目もくれず、胡桃へ一直線に近づいてゆく。
「約束!! 忘れてないよね!!」
「え? え?」
興奮する男と困惑する胡桃。状況が状況なら、米村はこの男を真っ先に拘束すべきだろう。しかし、俺はその男の顔に見覚えがあった。それは米村も同様であるようで、静かにその様子を見つめている。
「森谷、さん?」
困惑しながらも胡桃はその名前を口にした。そう、森谷 亨。この前、病院で俺たちを現場まで案内してくれた変人……もとい、医者だ。
「名前、憶えてくれたんだ……嬉しいよ、俺。そう、それはそうとサイン! この前約束したのに忘れて帰っちゃったから、俺、悲しくて……」
この男、そこまでしてサインが欲しかったのか……本物が目の前にいるというのに。呆然とする俺たちだったが、一連のコントのような流れによって自然と笑いが込み上げてきた。緊張感のある空気が、一変したのを肌で感じる。
「おい、いい加減座ってくれ。俺も時間が惜しいんだ」
少しイラついたような声を出す米村。さすがに空気を読んだのか、森谷は大人しく席に着いた。しかしキラキラした視線を胡桃に向けたままだ。
「あ、あの、すみませんサインですね、ちょっと待っててください……」
胡桃は自分のバッグから手帳を取り出した。小学生の自由帳くらいに大きめな手帳、それに胡桃はペンを走らせる。
「はい、これでいいですか?」
胡桃はその手帳のページを丁寧に破り取り、森谷に手渡した。あそこまで欲していたサインが、随分と簡素なもので渡されたのだ、さぞかしガッカリすることだろう。そう考えていた俺の思考は、やはり凡人のそれだった。なんと、森谷は狂喜乱舞したのだった。
「落ち着け」
冷ややかな視線を送る米村。しかし彼の言葉は耳に届いていないようだった。そんな彼の態度に愛想を尽かしたのか、ため息交じりに俺たちに話しかけた。
「少し話が反れたが……それで、君はどうしてそんな傷を負ったのか、話せるか?」
これが、カフェに着いてからの顛末だった。入店した時よりも、森谷の様子によって気が楽になった俺だったが、昨日の出来事を話すうちにまた暗い表情へと変わっていることに気付いた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて、ちーちゃん。……でもそれって、ハルが狙われていたってこと……?」
宮尾は岬を制しながらこちらに尋ねた。そう、俺が一番疑問に思っていることを、宮尾は口にしてくれた。
「そういうことになるのかな……あの女が俺に向かって言った言葉……あれは、監視カメラに向かって話していたことと一致するんだ」
静かに平静を装っているものの、余裕などは一切ない。昨日のことだというのに、未だに脚が震えてくる。そんな脚に拳を叩きつけ、自身を落ち着かせようと躍起になる。
「しかし、妙だな。君はあの女に会い、殺されそうになったということは、腕の様子から見ても良くわかる。でも、君の言っていた管……恐らくカテーテルのことだと思うが、あれで人を殺すのは難しいのではないか?」
真剣な表情で、俺の話の疑問点をぶつける米村。いつの間にか正気に戻っていた森谷も、同意するように頷く。臨床現場にいる人間が難しいと思う、ということは、そういうことなのだろう。しかし、俺は襲われ、負傷したのだ。それは紛れもない事実なのだ。
「針の先に毒薬を塗ったりしたら、刺すだけでも殺せるんじゃないですか?」
岬が確認をする。確かに針先に毒液を塗る、というのは古典的暗殺手法としては存在するが、それはありえないだろう。
「無いな。それなら彼は今頃、病院のベッドの上にいたことだろう。現に、彼の腕はその針によって負傷したのだから」
岬と宮尾は、あー、と納得した様子だった。毒殺ではなく、単純に刺殺目的だったとしても、やはり得物に問題がある。そもそも、あの手の道具は人をなるべく傷つけないように作られている。冷静になればなるほど、あの女性の行動はおかしなことだらけだったことに気づいた。
「……あくまで仮設の一つとして、だが。君があの病院の現場を目撃し、さらに監視カメラの映像を観た、ということが前提にあったからこそ、事件になったのではないか?」
米村の持論に、俺の中で怒りの炎が点った。それはつまり、俺の被害妄想が産んだ事件だ、ということを暗に示しているのだ。
「ちょっと待ってください、それだと、俺は特に危害を与えるつもりがなかった人物を殴って逃走した……そういうことになりますよね。そんな訳、ないです。何せ、あの女は俺の喉元に針を突き付けた。あんな針でも、喉に刺せば致命傷でしょう?」
少し興奮気味な俺を気遣うように、胡桃が話し始める。
「うん、いくら被害妄想と言っても怪我をしていることは事実ですし、何より、あの映像と同じようなことを言う、そんな格好の人がいたら、それだけでパニックになりますよ。私だったら、その場で泣き叫んでいたかもしれません」
キッ、と胡桃は米村を睨み付ける。対する米村は、ボリボリと頭を掻いている。
「いや、そういう意味で言ったんじゃない。君が、あの現場にいたことを利用しようとしたとしたら、と考えたんだ。言葉が足りず申し訳ない」
軽く頭を下げる米村。
俺があの現場、つまり病院の事件現場にいたことを利用するなんて、それこそ意味の分からない行動だが……辻褄は合う。それこそ、あんなもので成人男性を殺そうと目論むよりは、よっぽど筋が通っているように思える。
「でも、俺をそんな風に思考誘導してまでやりたいことって、一体なんですか?」
俺は特に大きな怨恨など抱えたつもりはないし、事件に首を突っ込んでいるとはいえ、何か大きな証拠を掴んだわけでもない。犯人の動機が、全くもって不明なのだ。
「それは……今は止そう。推測の域を全く出ていない」
そう言うと米村は考え始めた。もしかしたら、重要な捜査情報だったのかもしれないし、これ以上米村に迷惑をかけることは止めよう。そう考え、俺は次に起こった出来事について話し始めた。
奥村のこと、大家のこと、そして霊身教のこと。
「霊身教、ってあの事件を起こした? 奥村って人、あれに入ってたの?」
岬がこの話に食いつく。昨日の大家の話からすれば、そういうことになる。過去に重大な事件を起こした新興宗教団体に所属している、それだけで奥村の存在は一層際立ったものになる。裏で大きな組織が動いているとなれば、一連の事件について何か手掛かりになると思われるからだ。
「ほほー、偶然とはいえ、学生の身でここまで割り出すなんて、なかなか出来ないですよね? 俺たちもその話をしに、ここへ来たんだ」
何も隠す様子もなく話し始めた森谷に、米村は慌て始めた。
「おい、勝手に捜査情報を漏らさないでくれ!」
そんな彼の言葉を無視し、森谷はまた続けた。
「あの栄養ドリンク、何て言ったかな、そう、エンドルパワーってやつから、奥村が霊身教の信徒だっていうのを発見したんだ」
「エンドルパワー? あの、どこにも売ってないという?」
全く考えもしていなかった情報に、俺は驚いた。『エンドルパワー』が『霊身教』とつながっている……だとすれば、あれは普通の栄養ドリンクではない、とでも言うのだろうか。
「そう、あれは霊身教の健康食品部門の会社が作っているんだ。俺も独自に調べて分かったんだが、あれは信徒たち専用に売られているもので、市販してないんだそうだ。ちなみに、渡辺先生もこれを持っていた。でも、あの先生は貰い物って言ってたらしいからね……信徒じゃないと思うんだけど」
そこまで森谷が喋ったところで、米村は一つ大きなため息を吐く。そして、何か諦めたような表情で俺たちに話しかけた。
「もうこの際だ、君たちの意見も聞こうじゃないか。……今さら事件を追うのを諦めるなんてしないだろうし、こっちとしても協力者でいてくれた方が、暴走されないで済みそうだ」
そこまで話すと、米村はカバンに手を入れ、何かを探し始めた。
すると、大野がいそいそと店の奥から出てきた。そしてエプロンを外すと、徐に店の出口へと向かって行く。突然の行動に戸惑う俺たちだったが、彼は振り返り、こちらに話しかけた。
「……すみませんお客さん、ちょっと豆を切らしてしまってね。少しの間、留守にしたいのですが、店番の方宜しいですか? 入り口はクローズをかけておきますので」
こちらに向けて申し訳なさそうに、しかし微笑みながら問いかける。意図を理解した米村は、コクリと頷いた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
カランコロン
大野はそのまま店を出て、入り口の看板を裏返しにし、そして、店の前から姿を消した。
……なるほど、どこまでも出来る人だ。警察官が事件の話をしようというのだ、特に関係のない人間はその場にいてはいけない。あの気の弱さがなければ、彼は最高の人間と称されるべきだろう。
「……気を遣わせてしまったな。では、ここまでの捜査情報を話すが、もちろん他言無用でお願いしたい。うっかり口を滑らせれば、恐らくここにいる全員、無事では済まなくなる。それを覚えていてほしい」
古い手帳を手に取り、こちらを尋問するかのように見つめる米村。その様子に、俺たちは息を飲んだ。少しの静寂を破るように、エアコンの鈍い音が響く。
「あ、ちょっと寒いから冷房の温度上げてきてもいいですか?」
そんな重苦しい空気の中、宮尾は立ち上がる。鈍感なのか、肝が据わっているのか……しかし、確かにカフェの中は寒いくらいに冷房が効いている。でも、万が一、コーヒー豆の管理のための温度設定だとすればマズい。そう思い、宮尾を制止しようとしたが、米村は意外にもそれを許可した。
「ああ、地球環境的にもそっちの方がいいだろう。暑ければ俺も上着を脱ぐよ」
地球って、いやそういう問題なのだろうか……このタイミングでそんなことを気にするとは、意外とこの男、抜けているのかもしれない。
宮尾は、奥にあるエアコンの操作パネルを弄り、なんとか設定温度を上げることに成功したようだ。エアコンの音が静かになっていく。そして、一仕事終えた彼女が戻ったところで、米村が話を再開する。
「では、改めて。まず一連の事件、君たちは恐らく、安藤 理佐、奥村 保昌、渡辺 淳一の事件を一連と考えているのではないか?」
俺たちは頷いた。そう、彼らの事件で一致しているのが、猟奇性。安藤と奥村については、脳の萎縮というものまで一致している。それというのも以前、米村から得た情報であったのだが。
「それで今回の渡辺については、検査の結果、脳の萎縮は認められた。つまり、彼らの事件には関連性がある。そして、恐らくだが、君たちは関連付けていないかもしれないが……松山 幸一、という名を聞いたことはあるか?」
松山 幸一……どこかで聞いたような、そう思っていたが、先生の質問に答えるように胡桃が挙手した。
「はい、焼死体となって発見された画家、でしたよね。彼の絵、『火刑』にそっくりな様子で死んでいたとか。その影響もあってか、『火刑』への関心が高まっているようで、物好きな人が高額で買い取りたいと言っているそうですね。ネットでは、『家計の助けになったね』とか揶揄されていましたけど……」
匿名の世界ではなんでも言えてしまうのだから、そういった心無い言葉も思いつくのかもしれないが……それにしても不謹慎だろうに。これでは、死んだ松山も浮かばれまい。
「そう、その事件も、この一連のものと関わりがある可能性が高い」
松山 幸一の事件が、今回の一連の事件と関わりがある……つまり、彼の脳も萎縮していた、とでもいうのだろうか。
そんな俺の思考を読み取ったかのように、米村は話を続ける。
「残念ながら……いや、こういう表現は良くないな。……不幸なことに、彼は随分としっかり焼かれていたようでね。脳どころか、内臓ですらまともに形を成していなかったそうだ。だからこそ今まで気づかれなかったのだが、彼には脳の萎縮以外に共通点があった」
「脳の萎縮以外……というと、まさか?」
胡桃は息を飲んだ。俺も、何となく察しがつき背筋が凍る。一方の岬と宮尾は、何が何だか、という顔で互いに見合わせている。
「そう、彼は霊身教の信徒だった。偶然、奥村の映っていた写真に彼が映り込んでいたおかげで分かったことだったが……後で調べてみると、彼の自宅にもエンドルパワーの瓶があったようだ。現場の写真に、それらしいものが映っていた」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
胡桃が慌てて話を遮った。胡桃も、先ほどの大きめな手帳を手に取り、パラパラとページをめくっている。そして、あるページでその指の動きが止まった。
「……私の姉の事件でも、その空き瓶が発見されています。でも、確かファンからの差し入れだったと聞いていましたが……もしかして、これ、犯人が……?」
言葉を紡ぎながらも、震える様子の胡桃。そこへ米村が言葉を付け加える。
「その可能性が高い。ファンレターの送り主については、マネージャーの伊藤が自分で捏造したものだと証言している。やる気を出させるため、とか言っていたな。しかし、その栄養ドリンクについては、事務所に届いていたものを持って行ったのだそうだ。その送り主については、全く分からないのだそうだ」
つまり、送り主どころか誰のものかも分からないものを安藤に渡した、そういうことか。どこまでもひどいマネージャーだ、危機管理能力というものが欠如しているに違いない。
「それで……一応聞いておくが、君の姉は霊身教に入信していたか?」
米村は、無いと分かっていることをあえて聞いているようだった。挑発とも取れる彼の発言に、胡桃は首を横に振る。
しかし、今まで黙っていた宮尾が突然口を開いた。
「え、でも前に出てなかった? その、霊身教のCMに」
「なんだって?」
米村が聞き返した。
いや、俺も確かに記憶にある。宗教団体のCMといえば、胡散臭くて何が言いたいのか分からないものが多い。しかし、そのCMは、当時まだバッシングされる前の安藤が、自然と共に生きましょう、と高らかに宣言する……それだけのものだった。ある意味でインパクトが強く、それをきっかけに、まだ事件を起こす前の霊身教を知った人も多かった。
「そうだ……確かに、あのインパクトのあるCMに出ていた。ということは、その時点で入信していた可能性は考えられる、ということになる」
「で、でもお姉ちゃんはそんなのに入信なんてしてないです! そもそも、こんなことを言うのは嫌だけど……美容整形をした人が入信するなんて、ちょっと変じゃないですか。霊身教って、確か医療行為は拒否する教えだって聞いています……」
整形していたのか、安藤は。美容整形が医療行為になるかどうかは微妙なところだが、確かに霊身教側としては誘いにくいだろう。人工的な施術を受けることを容認することになるからだ。
「……そのCMの返礼として、ギャランティに加えて何かしらの製品を送っていた、という線もある。いずれにしろ、彼女は霊身教と関わりがあったことには変わりない」
強引に結論付け、米村はさらに続ける。まだ何か言いたそうに、口をもごもごと動かす胡桃だったが、そのまま黙り込んだ。
「奥村はあの街宣車を所持していた。いや、登記があっただけで実際に運転していたかどうかは定かではないが……少なくとも、彼はエンドルパワーの宣伝に関わっている。ついでに、例の代々木の商業ビルの屋上に、あの空き瓶が置いてあったのも確認済みだ」
あの街宣車、つまりうるさくエンドルパワーを宣伝していた、あの車のことか。それの所有者が、奥村だという。
「奥村って、牛丼屋の店長ですよね。そんな人が街宣車を買えるんですか?」
「資金は、他から徴収できただろう。実際、飲み友達と称する仲間がかなりいたようだからな。それに、君のアパートの大家もその仲間なんだろう? あり得ないことはないだろう。法的にも何も問題はない」
あの人の好さそうな大家だ、金を貸すことなど普通にあっただろう。その上、狂信的なことで知られている宗教だ、考えられないことはない。
すると、森谷が口を開いた。
「渡辺先生は、そういうの全く信じてないですけどね。というか医者ですから、彼らの教義に反する立場の人間だったはずです。そこはどう片付けるつもりなのか……俺はそれが疑問で、さっき米村さんに聞いていたんですよ」
確かに、松山、安藤、奥村の三人は入信しているか、もしくは何か見返りを受ける立場にあった人物だと分かった。しかし、医者である渡辺が、医療行為を拒否している宗教団体と何か関わりがある、というのは不可解だ。
「……エンドルパワーをもらっていたことは間違いない、それは確かですよね」
俺は確認のため質問をした。強引に渡された可能性も考えてみたからだったが、米村と森谷は頷いた。強引に渡されたのではない、ということはつまり、渡辺は意図して受け取っていたということになる。
「……これは、森谷さんの話から推測したことなんだが……」
妙に歯切れの悪い米村。森谷も、うーん、と唸っている。驚愕の事実を、いくつも俺たちに突きつけてきた彼らだ、今さら何を言い淀むのだろう。彼らの態度に、俺たちは困惑した。
「10年ほど前の、臨床試験中に亡くなった15人の被験者……彼らが今回の事件の被害者たちの特徴と一致している、その事実は前に聞いたな?」
俺たちは頷いた。その情報は、あの病院の事件現場で、うっかり米村が口を滑らせたものだ。脳の萎縮が認められた、と聞いたことを覚えている。
「彼らの死が、もし、意図的なものだったとしたらどうなる?」
「……は?」
俺は米村の言葉に耳を疑った。15人の被験者が同時に死亡した、その事件が意図的だった……つまり、殺人だったとしたら。そう言っているのだ。
「な、なにを言っているのかさっぱり分からないんですけど……」
岬は頭を抱えている。元からこういった難しい話にはついてこれない彼女が、今の今までついてこれていたことに驚いた。宮尾は、表情を見るに何もわかっていなさそうだ。
「……補足すると」
森谷がまた口を開く。
「当時、被験者に投与されていたのは『エンドラーゼ』という鎮痛薬でした。薬効とか色々聞いたことはあるが、神の薬か、ってくらいにヤバいやつでしたね。安全で、しかも強力に全身の痛みを取る、魔法のような薬。もちろん、がん自体を消滅させるような薬ではないが、それでも緩和医療の世界が一変するような、それくらいに注目の薬だったんですよ」
「安全って……実際に15人死んでいるじゃないですか。治験患者だったのなら、殺さなくても死んだ人もいたんじゃないですか?」
俺は率直な意見を口にする。今まで知られていなかったような副作用が、実際の患者に投与してみたら出てきた、なんてことは有り得ると思ったからだ。
「残念だけど、それは有り得ない。何故なら、『エンドラーゼ』は第三相試験の最中だったんですよ。つまり、安全性とか、その辺の基準はすでにクリアして、実際にどれくらい効くのかをテストしていた段階だったんです。だから、その時点で15人もいきなり死ぬなんておかしい。いや、おかしすぎる」
森谷の言葉に頷く米村と、固まる俺。胡桃は、何かを考えているようで、小さくブツブツと何か呟いている。
「しかし、ですよ。それを『エンドラーゼ』……神にも等しい新薬のせいにして、開発を阻止した張本人が、渡辺先生なんですよ」
新薬の開発を阻止した、しかも、聞く限り医療の世界が変わるレベルの新薬の開発を、だ。それはつまり、医療行為の発展を阻止する意図がある。特に、緩和の世界へ大きく貢献する薬の……。
「つ、つまり……がんの痛みも感じないくらいになるような薬が出ると、自分たちの教義に大きく影響する、そう考えた人たちがいた、ということ、ですか……?」
自然に生きて、死ぬことを善とする霊身教だ。痛みもなく、副作用もほとんどない薬が世に出てしまったとすれば、医療行為を受けないという教義に疑問を持つ信徒が出てしまう可能性が高い。それは、霊身教にとって明らかな脅威だった。
「そうだ、俺はそう仮説を立て、それを彼に話していたところだった。霊身教の信徒たちが渡辺に接触し、試験を中止させたとしたら? そして、その被害者たちの遺族が、今回の事件を起こしていたとしたら?」
「……辻褄が、合うんですね。動機も、そして15人もの被害者の遺族ですから、ある程度組織立った行動が可能。そうなれば、あれだけの猟奇性のある殺人も、遺族の心理を考えれば……」
胡桃が話をまとめた。さらに米村は付け加える。
「もっと分かりやすいメッセージがあった。渡辺の遺体に挿入されていた多数のカテーテルだが、全部で15本。そして、そのほとんどすべてが、素人同然の刺し方だった。つまり、医療行為でも何でもなく、ただ彼の体を被害者の人数分、突き刺そうとした……そういう意図があったのだろう」
凍り付く俺と岬。胡桃はまた考え込み始めた。すると、宮尾が口を開いた。
「それじゃ、なんであの女の人がハルを襲ったんですか? それに、あの監視カメラは何の意味があったんですか?」
「……」
急に黙り込む米村。そんなこと俺は知らないぞ、という顔で森谷は米村を見ている。そうだ、そもそも俺が狙われたことへの説明がつかない。偶然にしてはおかしいし、何よりあの監視カメラに映った女性……あれが被害者遺族の一人だというであれば、俺は彼女たちに何か危害を加えるようなことをした覚えなどない。
「ど、どうなんですか……俺はそれが一番知りたいです」
身を乗り出すように、米村へと問い質す。俺の剣幕に退く様子もなく、ただじっと、米村は俺の目を見る。
「……いいんだな?」
ここまできて何を躊躇う必要がある、と叫びたい気持ちを抑え、大きく頷いて見せる。
「……『エンドラーゼ』の承認申請書、あれを却下した人物がいた。その人は事件の異常性を知っていて、それでも『エンドラーゼ』の副作用と断定したんだ。つまり、俺の推測通りであれば、彼も15人の殺人に関与している、ということになる」
「そ、それが何か関係が?」
米村の言葉の意味が分からず、聞き返す俺。承認申請……それが俺に何の関係があるというのか。すると、ふぅ、と一つため息を吐き、米村は俺をじっと見て言った。
「よく聞いてくれ。その人の名は、吉岡 拓馬。君の父親だよ、吉岡 春来くん」
衝撃はないように、しかし背筋に氷を落とすかのように、そんなイメージで書き上げました。少し、彼らの気持ちになってくれたら嬉しかったり。




