4節 痛みとは必要だから存在するのです
3話があまりにボリューミーなので分割しました。
「今回は見学だ。まだ準備が出来ていない可能性がある。」
「見学?」
「この地域にはお前以外にもうひとりいるらしいからな、それを眺めておこう…………あまり、評価の高い娘ではないのだが。」
「そうですか……あの場所も今は、ほかの人たちには意識できないようになっているの?」
「そうだ、理解が早くて助かる。」
じっと目を凝らすと、3人、人影が見えた。恐らくмаршал同様、日本人と言うにはしっかりした体躯の青年が2人、それから、少女が一人、あちらが魔法少女か。
「あまり、彼女は合理的に戦っているとはいえませんね。」
遠目だからこそ目立つが、その少女は火柱を立てたり、火球を飛ばしてみたりと、魔法少女らしい単調な大技ばかりを見せている。対する青年達は、魔法のようなものを扱う様子はない。が、それらを受け流し、避け、淡々と対処している。
「あの娘も運のない、いつもの精霊レベルならあれで十分だが、今相手にしてる奴はさっき説明した、所謂神だ、……まして、方や蛇だな。」
「蛇?」
「エデンでイヴを唆した、『叡智の蛇』の裔だ。」
「つまり?」
「人を平等に嫌っている。そして、魔法少女を効率よく壊す。」
「……」
少し目を離してмаршалと会話している隙に、その魔法少女は苦戦を通り越して敗北の気配を見せていた。
「まるしゃーる、私はまだあれになれないんですか?」
「……助けに入るのか?」
「見ていられないだけ、それに、見てて、あの二人……ええと、二柱?を一掃する方法が思いつきました。」
「そうか、では、ロザリオを貸せ」
「魔法の使い方はどうすればいいか先に教えて貰えますか、複雑だったら前提が瓦解するので。」
「簡単だ、成したい結果の、過程を丁寧に想像すればいい。炎を作りたいならマッチに火がつく様を。というように。城が作りたければ設計図だな。」
「そう、では、お願いします。」
маршалは差し出されたロザリオに額をつける。
「転換措置を要請します。」
『承認、転換措置を行います。』
маршалの言葉に対応して、何か、音が、言葉が、染野の頭の中に直接響く。それに困惑する暇もなく、染野の視界は極彩色に覆い尽くされる。
脳を焼き切るような光が失せた後、染野がまず見たのは、妙に、普段見ているそれより遥かに明瞭で、そして遠くを見てもぼやけない世界。
「さすがアズラエル様。仕事が早い。」
魔法少女の、便宜上『変身』と呼ばれるシステムは、正しくは『転換』と言われると既に契約条項で確認がすんでいる。
即ち、天界において創られた、魔法の行使できる代替の肉体と現実の肉体を入れ替えることで、いかに危険な戦闘においても現実の肉体に損傷を与えない措置である。
染野は自分の体を見下ろす。体格はいつも通りだが、身につけているものが違う。先程までの学生服とは服としての格がまるで違う、そう、ミュシャの絵画の女性のような、柔らかで、裾を引くようなゆったりとした服を身に纏っていた。
「……」
ため息を、ひとつ。その服の、太もものあたりの布を両手で掴んで、染野は思い切り引きちぎった。
「お前ぇぇぇぇぇぇ!?!アズラエル様が作ってくださった服に何を……」
「有難いし恐れ多いとは思いますが、動きにくいことは瞭然です。それに、この布は別の目的に使います。」
ちら、と随分広くなった視界で改めて見ると、件の魔法少女は既に随分ボロボロで、それを、片方の青年が酷くつまらなそうに踏みつけていた。
確実に、素早く、『それ』の構造を思い浮かべる。ものの数秒で、目的のものは出来上がっていた。
「それは」
「今にわかります。」
一抱えあるそれは、持ってみると想定より軽く感じた。おそらく本来の染野よりもこの体は筋力に優れているのだろう。それを、先程ちぎった布で包んで腹のあたりに巻き付けた。
とん、と一度その場でジャンプする、足元に空気の塊を置くイメージをすると、自ずから、そこで染野の体は落下をやめた。続いて、それを破裂させるイメージをする、すると、染野の体は高く飛ぶ。
空中で、また、同じことをする。今度は方向に目的をもって、あの、山の広場に。その間に、腹に仕込んだそれに、然るべき措置を行う。
数秒で近づく、2人の青年と、少女。
少女を踏みつける青年の方がより早く、染野に気づいた。
黒い髪の、端正な面差しの青年である。
金色の目が、妙に目立つ。
その、瞳が真っ直ぐ染野を見て、見開かれた。驚愕よりも何か、もっと強い情動を持て余したように、青年は静止する。
その様に行動を変えるべきかと思案しかけたが、既に遅し。染野は、確実を期すために両手を伸ばして、その青年の首に抱きつこうとした、瞬間。
「下がれ!!!」
青年が叫んだ。
彼の右腕が閃いた。
「爆弾や!!」
青年は、染野が腹に仕込んだ『それ』を、腹の肉ごと抉りとって吹き飛ばした。
想像を絶する痛みが、筋肉が、血管が、内臓がちぎれる音が体内から響く、それがとても耳障りだった。それでも、『それ』が炸裂さえすれば、自分の使い捨ての体諸共その青年達を吹き飛ばすことが出来るはずだ。
筈だった。
視線だけで探したそれは、いつの間にか水に包まれて、完全に破壊されていた。そもそも水に包まれたあの状態では、仮に爆発に成功しても、周囲に被害は及ぼせまい。作戦はあっさり失敗した。それも、単純な、そして閾値を超える寸前の苦痛という形で。
黒髪の青年は、足蹴にしていた魔法少女への関心を失ったかのように、染野に歩み寄り、その傍らに膝を着いた。
そして、辛うじて意識が残るばかりの染野の、その腹にゆっくり手伸ばす。
「……ぅ、ぁ、ぐ、あああぁっ」
「あったかい……」
どこかうっとりした声色で、青年は自身の抉りとった腹の中に指を突っ込む。臓物の間をまさぐり、血や、それ以外の零れた液体に指を浸して瞳を僅かに細めた。
臓物を引きちぎられ、まさぐられた衝撃で、むせ返りながら染野は血を吐いた。可憐な容貌を汚す血に、青年は、そこで改めて染野の顔を見る。
金色の瞳には、不思議な程に敵意がない。いっそ幼げな表情の、端正な顔立ちが近づいたと思うと、口元に湿った柔らかい感触があった。
その感触は何度も何度も、染野の口元を這い回る。その間も、腹の中をまさぐるては止まらない、何度か血を吐き、叫ぶ余力はとうに失われていた。
「可愛ええなぁ……」
死が近づき、かろうじて残った聴覚で捉えたのは、西の訛りのある青年の声だった。