3節 砂が落ちるのが、止まることなどございません。
ゆるふわ回です。
気分転換になれば、と思った。染野は何か、嫌なことがあったらしい。それがなんであるかは分からない。いや、彼女の振る舞いから凡そ、このような事だろう、と見当はついても、その想定が最悪すぎて本人に問い掛けるのは躊躇われた、から。
このマンションには託児所がついている。保育園、では無く託児所、あるいは学童。料金は予め申請することで家賃とともに引き落とされるシステムで、кривはそこで職員をしている。
バイト、とは言ったが金銭は発生しない。昼食と夕食、それから児童とともに食べるおやつが金銭の代わりとして支払われる報酬だ。形式としては染野は、「遊びに来る」形になる。金銭を支払うとなると、手続きとかもろもろが厄介で、気軽に来てはもらえない。
染野はあれで、子供、特に女の子受けがいいし、なにより子供のパワーに振り回されるというのは、ほかの余力を失うということに他ならないから、無理矢理でも嫌なことから意識が離れるだろう。
「おはようございます」
「おはよう、染野ちゃん」
「えっ、今日染野ちゃん来てくれるの??助かるわ~。」
朝7時、普段は午後からだが、休日は例外的に朝からである。託児所を訪れた染野に、крив同様職員である葛西が歓声をあげる。30代前半の、活動的な印象の、アッシュブラウンに染めた髪が特徴の女性。
「えへへ、кривさんに誘われたので。あ、もちろんいつもの持ってきましたよ!」
そう言って染野が取り出したのは色とりどりのヘアゴムやヘアピン、子供の好きそうなはっきりした色味で、キラキラした大きな飾りがついているものも多いが、殆どは髪用の輪ゴム的な、あれだ。
「さっすが染野ちゃん!わかってる!!」
葛西の子供に合わせて無意味に高いテンションは普段は少し鬱陶しいが、こういう時ばかりは助かる、染野を伺うが、昨日の顔色の悪さも震えも見当たらないことに安心した。
朝7時半、親の仕事が早い子供たちが来はじめる、早速、女の子に見つかった染野はものの見事にその子に捕獲され、ドレッサーの前に連れていかれる。
(三時までにあの子、解放してもらえるのかな……)
とにかく染野は女の子に人気だ、幼い少女達にとって染野の美しい容姿は憧れのお姫様であり。
「ビビデ、バビデ、ブゥ」
染野の柔らかい、落ち着いた声が女の子に合図する。染野に言われる通り両手で目隠ししていた女の子がその合図でぱっと手を離し、鏡に映った自分を見て嬉しそうに表情をほころばせる。
「いかがですか、お姫様?」
「すっごくかわいい!!」
自分たちをお姫様にしてくれるフェアリーゴットマザーであるらしい。1人の「お姫様」に魔法をかけている間に、続々とほかのシンデレラ達が染野の周りに集まる。
染野は一人一人違う、簡単な髪型を丁寧にゆっくり結い上げる。ほかの子供達はじっとそれを観察して、大体は翌日、自分で試行錯誤した髪型で現れる。
「やっぱり女の子の『綺麗になりたい』って、国も歳も関係ないんですね。」
「そりゃそうよ、女の子はいつだって白馬の王子様と、それにふさわしい自分に夢見るもんよ」
「葛西さんもですか?」
「いや、もう旦那がいるから王子様はいいかな。」
朝のおやつの準備をしながら呟いたкривの独り言を、葛西が拾う。旦那さんがいるのに、という非難を込めて水を向けてみるとサラリとかわされる、どうにもこの女性には、というか「母」という生き物には適う気がしない。
「ていうか染野ちゃんノンストップだけど大丈夫ですかね。」
「…………もう少しでおやつだから、そのついでに1回休憩に引っ込めましょ。」
かれこれ2時間以上、染野は女の子に代わる代わる「魔法」をかけて行く。しかし、時間経過とともに児童数が増えるわけで、お姫様、がとだえる気配がない。
午前十時、朝のおやつの時間。
お姫様たちは染野の袖を引いて、私たちの机で食べよう、とそれぞれ誘う、どの子に答えても他の子の反感を買うことは瞭然で、染野は助けを求めるような視線をкривに寄越した。あんまり微笑ましくて少し笑ってしまった。
「はいはいお姫様たち、おやつの時間は染野ちゃんは僕らと食べます。」
職員たちと自分たちの間に子供というのは、存外はっきり線を引いている。染野を職員が連れていく、といえば不平を零しながら彼女の側から離れて、お菓子を受け取る列に並ぶ。
1人だけ、その塊に参加せずに2人をじっと見る少女がいた、癖の強い黒い髪に、褐色の肌、この子の名前は、メアリーだ。
「クリヴは、そめのの王子様なの?」
「えっ!」
「え?」
じっ、と灰色がかった瞳で二人を見ながら、メアリーはいった。
思わず声をうわずらせる染野と、кривを見ながらメアリーは改めて言う。
「そめのとクリヴはけっこんするの?」
そう、見えてしまったかとкривは頭を抱えた。染野をちらりと見れば、顔を林檎のように真っ赤にしてメアリーとкривを交互に見る。ませた子供の関心の先にされて恥ずかしいのだろうか。
「結婚しないよ、メアリー。僕にはもうお嫁さんがいるからね、染野ちゃんは別の王子様と結婚するんだよ。」
メアリーの前にしゃがみこみ、視線を合わせて言い聞かせる。メアリーはいまいち感情の読めない表情で「そっか」と呟きお菓子を受け取る列に混ざった。
「さて、染野ちゃんは30分休憩、子供たちに見つからないように職員室でね。」
「は、はい……」
緊張の糸が溶けて疲れが表面化したのだろう、虚脱したような染野はそのまま職員室に消えた。
嘘はついていない。кривには妻と定めた人がいて、その人との間に子供すらいるのだから。
午後1時、紗舞は日用品の買い出しに出ていた。本当ならговорникも来るはずだったのだが、「気が乗らない」と断られてしまった。紗舞に対して砂糖菓子よりも甘いとはいえ、元々気分屋なところのある男であったし、残念、以上の感情は持たないことにした。
その道すがらに教会がある、紗舞自身は別にそうではないが、この街には熱心なクリスチャンが多い分、教会も普通の都市よりは多い。別にその教会に特段、気になるものがあった訳では無いが、その教会の門の前で、子供がぼんやりそこを見ていたのだ。その子供の、目立つこと。
銀を紡いだような銀色の髪と、横から見てくっきり分かる長いまつ毛、年の頃は13、14くらいか、太陽の光に触れていていいのか不安になるほど白い肌に、細い手足。一見して性別はよく分からない。少年にも、少女にも見える。
その子供が、紗舞が見ているのに気づいたのか、こちらを向いた。
「ここの教会に用事か?」
「え、いや別に」
不審がられてしまっただろうか、子供は少し早足に紗舞に近づく。
「名前は」
「え?」
「お前の名前は?」
ほんの2歩ほどの距離まで子供は近づいてきて、赤にも金にも、紫も混ざっているような瞳で紗舞をじっと見上げた。
「麻祇紗舞だけど……」
「しゃま」
「糸偏に少ないで「紗」、踊りとかの舞で紗舞」
「……そうか、良い名だな」
張り詰めたような表情だった子供は、それだけの会話でふっ、と表情をゆるめる。表情ひとつで、周囲の空気ごと変えてしまうような、光り輝くような美しい顔の子供。
「私はウー」
「ウー……くん、ちゃん?」
「ウーだ、それだけでいい。」
子供は、上機嫌に紗舞の手を掴む。
「紗舞、暇だったら話を聞いていかないか?今日の司祭は話し上手だ。」