12節 秘密の味は如何様でしょうか。
戦闘シーンって、難しいですね。
サンビームヘビ、もといレイモンドの水槽を覗いてみると、目のあたりが白濁していた。これは別に、病であるとかではなく、今まで使っていた表皮が体から離れていっている。つまり脱皮の兆候である。
しばらくは構わないで置いた方がいいだろう。寂しいような気持ちで水槽の前から離れる。水槽も早く掃除したいのだが。
こつ、こつ、と硬いものがぶつかる音がして、ふと顔を上げる。すると相変わらず窓を、雀が叩いていた。首を傾げる、真っ黒な目の小さな生き物。
ばさ。と背後で大きな羽音がした。
「動くぞ、染野。」
大きなベッドに重なる男女の影、方や、その背から己の身の丈の2倍はあろうかという翼を生やし、その、翼の生えた男の体にすがりつくのはたおやかな女の腕。
「っぅ、ふ……」
「紗舞、息を」
「して、い、るよ」
じろ、と紗舞は目の前の整いすぎた男の顔を睨む。男は対して、嬉しそうに目を細めるだけだった。
こつ、こつ、と寝室の窓を叩く音に、その、甘やかな行為は中断される。
「まったく、間の悪い。」
говорникは忌々しげに呟いた。紗舞は、単に口の端を持ち上げただけであったのに対して。
маршалに抱えられて運ばれたのは、以前と同じ、山の中腹の広場だった。
「また同じ場所なんですね」
「舗装された地面の上では、あまり大規模に結界を貼れないからな、向こうは。」
「そういうものなんですか?」
「終わったら解説してやる、ロザリオを」
染野が大人しく差し出したロザリオに、またмаршалは額をつける。
「転換措置を要請します。」
『承認、転換措置を行います。』
以前と同じ、事務的な、ここにはいない誰かとの会話。そしてやはり、脳を焼切るような極彩色の光が視界を包む。それが晴れれば、以前と同じ、ミュシャの絵画の女性を思わせる、柔らかい装いが現れた。
「また、この衣装なんですね。」
「魔法少女の衣装はアズラエル様が素体に最も似合いの服を……おま、また!!」
染野はその服の、足にまとわりつく長い布を、握りしめて引きちぎる。今回はついでに、魚の鰭のように広がり、ヒラヒラと風になびく袖も。
「邪魔なんですよ。」
「その意見には同意だねぇ」
とす、と軽い音を立てて、染野とмаршалの傍らに着地する、少女。黒い、ベスト状の腰のラインを強調する上着に、いくつも太いベルトをまいて、ふわりと広がるスカートをまとい、厚底のブーツを履いた彼女は、ねぇ、と首をかしげて人懐っこく笑った。
「染野ちゃんの服、綺麗だけどすっごく動きにくそう。」
「麻祇先輩の服はいくらか動きやすそうですね。」
「でもやっぱすっごい邪魔!」
「ですよね……」
人の警戒心を解く快活な笑顔は、どこまでも無邪気故に辛辣だ。
「ところで、君の天使はいつまでいるの?」
紗舞は紫と瞳をつい、とмаршалに向ける。そう言えば、彼女も彼女の天使に運ばれてきたのだろうか、にしては彼女の天使は見当たらない。
「天使がいては戦えないだろう。こんな所までついてくるのは迷惑だ。」
「……すまなかったな。」
ばさ、と猛禽の翼を広げてмаршалが飛び立つ。すぐにその姿は森の木々にさえぎられて見えなくなった。
「あの、敵は見当たりませんけど。」
「そりゃあ、向こうは紳士だからね、天使がいる間は出てこないよ。」
ひとつ、瞬きをして紗舞は染野に背を向けた。
「まぁこの間みたいな連中じゃなければ遅れはとらないよ、染野ちゃんはそこで見ておいでなさいな。」
「はぁ……」
そうは言うが、маршалが「評価のあまり高い娘ではない」と言ったのを思い出す、前回だって、зимаに気づいたら踏みつけられていたような。そう思いながら紗舞の視線の先を追う。
ヒトガタではあるけれど、妙に歪な、人の姿によく似た……表面は木に見えるが、腕は翼に見える、言葉の上ではクリーチャーとしか言い様がないが、その実、それは酷く柔らかい印象を持っていた。顔立ちは、柔和な老人のそれだ。
「木、かぁ……」
紗舞が1歩、1歩とそれに歩み寄る。その度に、彼女の周囲の光量が増えていく。1歩ごとに火球を生み出し纏う彼女に、ばさ、ばさ、とそのクリーチャーは翼をふるわせた。
染野は足元の異変に気づいた。紗舞の足元には、無数の木の根のような何がが蠢いている。しかしそれらは、紗舞の足を絡めとる前に火球によって焼き潰される。
クリーチャーは空中で絶叫した。女の歌声にも、ガラスを擦り合わせる音にも似た、甲高い、攻撃的な絶叫に染野は咄嗟に耳を塞いだ。次の瞬間、何かの熱量に染野は包まれる。
表皮から水分を奪うその熱は、紛れもなく、紗舞の生み出した火球に由来している。
ひとつずつ、紗舞は弾丸のようにそれを飛ばす、空中でクリーチャーはそれを避ける、そして、何かを飛ばしているようだが、それらは紗舞の炎によって焼き落とされる。
紗舞の火球は無限に湧きだし、周囲の水分を奪いながらクリーチャーを殺そうと飛んでいく。
そこで、染野は違和感を覚えた。
果たして彼女は本当に、「評価の低い魔法少女」なのか?たった一度、爆弾を作ったに過ぎないが、それでも、その1度でわかる。魔法とは疲弊するのだ。あの程度であれば大したことは無いが、あの、無垢で、由来のない熱量の塊を次々産むなど、正気の沙汰ではない。
「あぁもう!いい加減焼け落ちろ!」
紗舞の絶叫と共に、巨大な火柱が地面から天を貫く。その炎に風切羽を焼かれたクリーチャーは地面に落下した。
「何故」
「何故あなたが」
「何故あなたのような方が」
「どうして!」
ささやき声のような、可憐で姦しいそれが、そのクリーチャーの最後の言葉だった。再び上がった火柱に、それは焼き尽くされたのだ。
「この程度の低脳なら、こんなもんだよ、染野ちゃん。」
紗舞は染野に向き直り、あの、人懐っこい笑顔をまた見せた。
不自然なほど澄んだ紫の瞳が、何故かとても恐ろしい。