星空へ
今年も、この季節が訪れました。
夏のホラー、参戦です。
「秀ちゃん、知ってる?」
いつものように、愛咲実がまとわりついて来た。
夏だというのに透けるような色白で、ほっそりとした腕は少し冷たくて。まとわりつかれて不快というわけではないが、年頃の男子にはやや照れくさい。いつものように邪険に腕を外すと、ぶうたれた貌が前に回って来た。
「何だよ?」
愛咲実は幼なじみで、それこそおむつを当てていた頃からの付き合いだ。幼稚園、小学校も一緒だった。だが、さすがに中学生になると、「秀ちゃん」「愛咲実ちゃん」と呼び合うのはいかがなものかと思うし、彼女でもない女子と腕を組むのも抵抗がある。――彼女が居る居ないは、別にして。
「なーんだか、じじくさい。ひとりだけ大人になったような振りしてさあ。一回限りの人生だよ? 周りの事とか気にしていたら、損するよ」
「はぁ? お前が言ってる事のほうが、よっぽどじじくさいわ」
愛咲実が、くすんと笑った。くりんくりんのくせ毛が、ふわりと揺れる。おれは、慌てて目を逸らした。
愛咲実が、おれの事をどう思っているのかは知らない。だが、周りの誰もが愛咲実を見てどう思うかは、おれだって知っている。
可愛い、愛咲実。くりんくりんのくせ毛に、白い肌。零れ落ちそうに大きな眼。小さな頃から可愛い可愛いと言われ続けて来た幼なじみは、少し地味ではあるものの、まぁ、普通に可愛い。こっちが意識しないようにしているっていうのに、この無自覚女は昔のままの気安さでおれにじゃれ付いて来るのだ。おれに彼女が出来ない原因のひとつは、きっとこいつの存在だろう。
「で、秀ちゃん。知ってる? 『裏野ワンダーランド』、8月中は平日もナイター営業してるらしいよ」
満面の笑顔が、物語っていた。つまり、行きたいんだな。
『裏野ワンダーランド』は、私鉄に乗って二駅先にある。地元に根付いた遊園地で、このあたりの子どもは多分、一生のうち10回や20回は連れて行かれてるんじゃないかって思う。実際、季節のイベント毎に割引券が回って来て、小学生の頃はよく連れて行かれた。
「いつでも行ける場所に、わざわざ夜に行くのか?」
「わざわざ、夜にやってくれているんだから、行かなきゃ。ね、行こう」
「行こうよ、行こう」と、おれの右手を両手で掴んでぶんぶんと振りながらねだる、愛咲実。お前は、子どもか。
断る理由はないので、一般論を口にする。
「朝からだったら、一日楽しめるだろ?」
だが。
「えええ? 『裏野ワンダーランド』だよ? ディズニーじゃないんだよ。一日、楽しめるわけないじゃん。それに、行くなら夜でしょ? 真昼の、くそ暑い遊園地とか、ありえないし」
身も蓋もない言葉が返って来た。
だったら、そのディズニーに行くか? 頭に浮かんだ言葉を、飲み込む。
おれと愛咲実は、ただの幼なじみ。近場のマイナー遊園地がお似合いなのかも知れない、と。
17時に最寄駅で待ち合わせた。まだまだ陽は高くて、早速腕をからめてくる愛咲実を振り払う。手なんか繋がなくても、おれが愛咲実を見失うわけがないのだから。
チケットを購入し、ゲートをくぐる時、なんだか背筋が冷えた気がした。
――引き返せ。今なら、間に合う。
頭の奥で、そんな言葉が反芻する。
だが。
「ほら、秀ちゃん。行くよ!」
立ち止まったおれの手を、愛咲実が強く引いた。そのまま、駆け出す。
なし崩しにゲートを越えた目の前に、LEDの光が飛び込んで来た。
赤、青、黄色、緑、紫、白。
まだ陽は残っているが、それよりも明るい明滅が、おれたちを迎え入れてくれる。いつものそこにある遊園地が、それだけでいつも以上に輝いて見えた。
愛咲実がナイターにこだわった理由が、解った気がする。祭りの前の、わくわく感。これを、味わいたかったのだろう、と。
「最初は、やっぱりアクアツアーかなぁ」
「妥当だな」
アクアツアーは、陽が沈む前に営業が終了する。今の時間なら、行列が出来ていない限り、間に合う。勿論、行列が出来ているわけがないと思って行ってみると、多少は並んでいるものの、数分後には無事にカヌーに乗って浮かんでいる。四~六人乗りのカヌーは、混んでいたら相席が必須だが、中学生デートの邪魔をする輩は居なかった。
「謎の生物ってのは、デマだな」
そんな事を言い出したのは、前に並んでいたグループの女性たちがきゃらきゃらと笑いながらしゃべっていたのを聞いていたせいだ。
なんでも、アクアツアーには謎の生物が居るらしい。でも、そんな話は今も昔も聞いたことがない。
そんな事を思っていると。
「あら、秀ちゃん、知らない? 裏野ワンダーランドの七不思議」
くすっと、愛咲実が笑う。上目使いの、挑戦的な眼がおれを捉えていた。
「いろいろ、あるんだよ。ひとつが、アクアツアーの謎の生物。後は、ミラーハウスから出て来た人が別人みたいになっていたとか、ドリームキャッスルに秘密の拷問部屋があるとか。後は、何だったかなぁ。観覧車とか、メリーゴーラウンドとか、そのあたり」
七不思議とか言いながら、その説明のずさんさが、まあ、愛咲実なんだ。こういう時は、深くは追及すまい。絶対に望んだ答えは得られないから。
最終的には、「もう、しつこい男は嫌われちゃんだよ」とか言われておしまいだ。
「あ、もう一つ思い出した」
ゆったりと動くカヌーから手を出し、水をかき回していた愛咲実が、ふっとおれを見る。えらく真剣なおもてが、そこに在った。
「実は、『裏野ワンダーランド』は、とっくに廃園しているんだって。知ってた?」
「はぁ? 馬鹿か?」
だったら、おれたちが今いるここは、一体どこなんだ?
そう続けようとした、丁度その時。
「きゃぁぁぁ!」
前方のカヌーから、けたたましい女の悲鳴が聞こえて来た。
「なんだ?」
ここは、湖に住む鳥たちが歓迎してくれるエリア。絶叫ポイントはまだまだ先だ。
「居たのかもね。謎の生物とやらが」
愛咲実が、にかっと笑いながら肩をすくめた。一瞬だけ見せた、あの表情は何だったのか。多分、突飛な事を言い出して、からかっただけなんだろうが。
なんて思う間に、カヌーは最大の絶叫ポイント。その名もベタな『ナイアガラの滝』に到着。
ずぶ濡れになってから、最初のアトラクションがこれであった事を後悔した。
その後は、愛咲実に導かれるままに、ミラーハウスやらドリームキャッスル、3Dダンジョンで目を回し。――このあたりは、ナイターである意味がないと思う。
やっと服が渇いて来たところで、メリーゴーラウンドを「気恥ずかしい」の一点で拒否して、観覧車に向かう。
「あのね」
ゴンドラに乗って間もなく、愛咲実が口を開いた。
「本当はね。今日、秀ちゃんとデートしてるのは、美羽ちゃんの筈だったの」
神妙な顔で語る、愛咲実。
何故だろう。最初から、その告白を聞く事が解っていたような気がした。
岡崎美羽。学区が違うから、出会ったのは中学に入ってからだ。愛咲実が地味だけど可愛いタイプなら、岡崎はクールビューティ。あまり、色恋沙汰には興味がなさそうなタイプだと思っていたのだが。
「美羽ちゃん、秀くんの事が好きなんだって」
いろんな意味で優等生の岡崎は、誰にでも親切だ。だから男子にも、女子にも人気がある。男子にだけ人気がある愛咲実とは、そこが違う。
ハブかれがちな愛咲実を、庇っていたのが岡崎だと言う事も、おれは知っている。
「私にね、真剣な顔で聞いて来たの。秀ちゃんと付き合ってるのかって。だから、私、違うよって言った。ただの幼なじみだよって」
「だから?」
自然と、声が低くなる。
「岡崎さんが、お前に言ったのか? 代わりに、想いを伝えてくれって?」
愛咲実は、小さく笑った。首を振ると、ふわふわの髪が広がる。
「美羽ちゃんは、そんな事は言わない。私の代わりに、秀ちゃんとデートしておいでって言っても、そんな事、出来ないって。嘘なんかつきたくないって」
ひどく、寂しそうな顔で、愛咲実が告げる。
「私が、勝手に仕込んだの。もしも、美羽ちゃんと付き合う気があるのなら、観覧車から降りた後にメリーゴーラウンド乗り場に行って。20時にメリーゴーラウンド前。ちょっと、遅れても美羽ちゃんは怒らないと思うから」
時計は、今、20時を回った。観覧車の速度と距離を考えると、普通に、十分以上の遅刻になる計算だ。それが、愛咲実らしくないと思った。
相手は、おれの事を好きだと言う。そして、20時にメリーゴーラウンドの前で待っていると。そこにおれが来たら、カップル成立なのだろう。
わざと遅れるように、観覧車に誘った愛咲実の真実は、どこにある?
ゆっくりと、観覧車が降りて行く。おれは、外の景色を見る事も忘れて、色んなことを考えていた。
岡崎美羽。とても魅力的な女子だと思う。その女子に好きだと言われたなら、いつもなら舞い上がっていた筈なのに。
何故だろう。彼女に対して、まったく心が騒がない。
それどころか。
――間に合う。今なら。
おれの中で、何かが告げる。
――間違えるな、今度は。
ゆっくりと、ゴンドラが地表に着く。
ドアが開かれると、愛咲実は逃げるように駆け出す。
その手を、掴んだ。
「おれは、愛咲実が好きだ」
愛咲実の動きが、止まった。驚いたように肩を揺らし、それからゆっくりと振り返る。
涙ぐんだ目は零れ落ちそうなぐらい見開かれている。
「おれは、愛咲実の事が好きだ。ずっと、好きだった」
「だって、だって、秀ちゃん。幼なじみだって。いつだって、そっけないし」
「好きだ」
愛咲実が、おれの胸に飛び込んで来る。それを、しっかりと受けとめた。
待っている筈の岡崎の事がちらりと頭をかすめたが、促されるままに、おれと愛咲実はコースターに向かう。
『裏野ワンダーランド』の一番人気は、三十年も前からずっと、このジェットコースターだと決まっているらしい。最新式のものとは比べものにもならないが、そもそも、誰もそれを『裏野ワンダーランド』には求めない。
ここは、地域密着型の昔からある遊園地だから。
LEDの光を纏ったコースターは、『輝く湖』をかすめ、急上昇。そして、星空に向かって大きくダイブした。
隣に座る愛咲実は、ずっと笑っていた。眼の玉がこぼれそうなぐらいに大きな目を、更に見開いて。キラキラと輝く笑顔を見せていた。
「あなた、お父さん!」
妻の声が、おれを呼び戻した。
機械音と自分の吐気が、えらく耳触りだ。身体が、重い。
「あなた、気が付いたのね」
妻――美羽が、おれの手を握っている。この世界に留め置こうとしているように。
枕元では、娘の声が聞こえる。
でも、おれに残された時間は、少ない。
「愛咲実が、待ってる」
おれの手を握った力が、強まる。
「今まで、ありがとう」
最後に目にしたのは、美羽の絶望に似た顔だった。
---------
「最後に取り返しに来たんだ」
山根美羽は、人気の少ない公園内の池にそっと花を捧げた。
夫の山根秀は、享年四十五歳。死因は、肝臓がんだった。
濁った池のある、そこはかつて、『裏野ワンダーランド』と、呼ばれていた遊園地跡地。今では大規模な商業施設となっている。
三十年ほど前、『裏野ワンダーランド』のジェットコースターが事故を起こした。
事故で死者は出なかったが、池に落ちたとされている一人の少女が今も行方不明のまま。
遊園地は、遊具の老朽化を理由に、閉鎖。だが、今でも、たまに幼い男女の笑い声がどこかで聞こえると言う。
<了>