天国への階段
ビルの屋上のドアが開く。若い女性が現れ、無表情なまま手すりに近寄り、それをのり越えて屋上のへりに立ってぼんやりと空を眺めている。下では人々がざわめきはじめる。
「おい、飛び降り自殺じゃないか?」
「若い女じゃないか・・・」
野次馬は次第にその数を増し口々に勝手なことを言っている。
女性はまるで初めからそこにあった立像のように身じろぎもしない。
次第に見物人たちは焦れて来た様子で、心無いヤジを飛ばすものも増えてきた。
ふとそこに一陣の強風が吹き屋上の女はたちまち空に舞い上がり、糸の切れた凧のように見る間に遥か雲の彼方へ姿を消した。
野次馬たちは呆気に取られてその様子を眺めていた。
風に乗って女を小脇に抱えているのは人間そっくりな小柄な男だった。
彼は女性に声をかけた「なに、どうせ天国へ行くんならわざわざ下まで降りてまた昇るなんていう面倒を省いてやっただけさ。フフフ」
しばらくたって、また同じビルで飛び降りをしようとした男性がやはり空に舞い上がって消えたということがあった。
やがて人々の間で妙な噂が立ち始めた。あのビルから飛び降りようとすると、どこからともなく不思議な風が吹いてそのまま天国へと舞い上がってゆくのだ。といったものだった。
いつしかビルは「飛び昇り自殺」の名所となった。
恐怖も苦痛もなく天国へ行きたいという人間たちが列をなした。
ビルの内部の階段に人の列が出来、そこで働く者の上り下りの妨げになるというので、
ビルのオーナーと業者は鼻をつき合わせて相談し、建物の外側から屋上へと一直線につながる階段を設け、そこで天国への通行料を徴収するということを考え付いた。
列をなしているのは病気や貧困に悩まされている者たちではなく、
地上にいるよりももっといい思いをしたいという人間たちばかりだった。
中には汚職や横領で手が後ろに回りそうな人間たちも混じっていた。
同じ高跳びをするならいっそのこと天国へ。というわけだ。
だから彼らは高額の通行料を払ってでも天国への階段を上りたがる。
貧しく生活に追われ疲れた人たちには無縁の場所だった。
その頃「悪魔株式会社」では近頃目覚ましい成績を上げている悪魔S氏に対する論功行賞が正に行われようとしていた。
上司の悪魔から一言
「ええ、みんなも知っての通り、最近のSくんの成績には眼を見張るものがある。地獄の大魔王もたいへんお喜びだ。ここでSくんにひとこと挨拶をしてもらおうと思う」
みんなから拍手が沸き起こった。
「ありがとうございます。ええ、わたしたちの仕事は人間を地獄へ送ることです。先日わたしはひとりの若い女性を天国へ送り届けました。その次にやはり今度は初老の男性を。
これはたまたまのことで、実際今度のことはわたしにとっても思いもかけぬことでした。
欲にまみれた人間たちは「飛び降り」の恐怖も痛みも感じずに天国へ行けるのだと信じ込みました。実際わたしは彼らを天国の門まで運んでゆくのですが、美味い酒に美女・・・といった、イージーなイメージを持ち、単にいい思いをしたいというだけの理由でやってくる者、或いは悪事が露見することを怖れて極楽へ逃げ込もうとしたものたちを閻魔大王が見過ごすわけがありません。わたしは改めて大魔王から正式な「地獄行き」の証明書をもらって彼らを地獄へ送り込むのです。最初は天に昇る資格のあるものがいったん落ちてからまた昇る、という手間を省いたという、ただそれだけのことでしたが、本来地へ行くべき人間を、いったん天上へ運び上げるというひと手間をかけると、じつに多くの人間がこのように地獄をにぎわしてくれるわけです・・・」