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孝子は寝返りを打った。
照明の明るさに目を細めつつ、ぼんやりと天井を見つめる。後頭部からは、枕に落ちた涙の痕を感じた。
辛くはないが、辟易するほどのノルマはかろうじて終わらせてあった。塾がなかったおかげで、コウタロウでも若干のヒマを作ることができていた。
孝子はため息をついた。
勉強のやりすぎで、頭がクラクラしている。
市村孝子と一橋孝太郎の間には元々、いかんともしがたい学力の差があった。
試験等では相手の名前、つまりは本来の自分の名前を用紙に書くことで、どうにかこうにか乗り切っていた。
懸命に市村孝子として日々をこなしていることもあってか、コウタロウの学力向上は目覚ましかった。
それでも、一橋孝太郎として勉強とは縁遠い生活を行っているタカコには、まるで手が届かない。授業をまともに受けず、試験ですらいい加減な武人にも、遠く及ばなかった。
重くなってきたまぶたを、孝子はついつい閉じた。
半ばまどろんだ状態のまま、深呼吸を繰り返す。目をつぶると意識が体へと向かうのは、もはやコウタロウに染み付いた『くせ』であった。
これまでとは根本的に異なる市村孝子の体。
胸からは、確かな重みを感じた。当然ながら、股ぐらには元の体についているようなものはない。
心細さでも感じるのか、知らず知らずのうちに孝子は太ももをすり合わせた。
ミニスカートを穿いていた。
何も、今日に限った話ではなかった。毎日のことだった。
というのも、市村孝子の部屋着には、パンツの類が一切なかったのだ。持っているものといえばスカート。しかもそのほとんどは短かった。
コウタロウはテニスに打ち込んでいることもあってか、足をさらすこと自体は抵抗がない。市村孝子としての生活も、早二ヶ月が過ぎようとしていた。
それでも、スカートには慣れなかった。
何も穿いていないような感覚はなんとも頼りなく、また落ち着かないものであった。
「ん……」
一瞬の間ののち、孝子は跳ね起きた。
口元を、両手で力いっぱい押さえつけていた。顔は、茹で上がったタコのごとく赤かった。
平常時よりも高くなった体温のせいもあってか、肌はわずかばかり汗ばんでいる。心臓が早鐘を打っているのは、何も動揺だけが原因ではなかった。
「はぁ……はぁ……」
孝子の息はなおも荒い。体は正直に、続きを求めていた。
コウタロウはそれにあらがった。体からの欲求をはねのけようとした。身をもだえさせながら、火照りが静まるまでの間、必死に耐え続けた。
市村孝子の性欲は、決して強いと言えるものではなかった。
弱い。
むしろ、あるのかどうかさえ疑わしかった。
現に市村孝子として生きてきた間、そういった欲求をもよおすことは一度たりともなかった。だからこそ、一橋孝太郎としての日々は、タカコに未知なる衝撃と少なからぬショックを与えた。
何よりも驚かされたのは、孝太郎の体が持つポテンシャルの高さだった。
孝太郎がテニスをやっていることは、タカコも本人から聞いてはいた。
けれども実力までは知らなかった。
孝太郎は自らの才能をひけらかしたり、実績などを吹いて回るようなマネはしたことがない。
何よりもタカコ自身が己のことで一杯一杯で、当人にたずねてみる余裕も、テレビなどで目にするだけのヒマもなかった。
入れ替わった当初は右も左もわからず、ただついていくのがやっとだった。
わかってきたのはつい最近。テニスのことが段々と理解できるようになってからであった。




