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時を少しさかのぼった中学時代。市村孝子の学校生活は孤独なものだった。
茶目っ気があって気さくな孝子は元々は友達も多く、男子はもとより女子からも人気があった。
変化が訪れたのは、入学からしばらくが過ぎたころだ。
色気づきはじめた男子たちが、こぞって孝子に好意を抱くようになった。何気ない行為のことごとくがカン違いを引き起こしていた。
女子からすれば、理由はどうあれ男どもを取られた気がして面白くない。
しかも悪いことに魅了された男子が多すぎたため、大半の女子が、孝子に対して妬みを持った。
以来、孝子へ向けた女子たちの中傷がはじまった。
「市村孝子は男好き」「市村孝子は他人の彼氏を奪うのが生きがい」あげくの果てには、「市村孝子はヤリマン」とまで。
すべて、タチの悪い言いがかりだった。孝子が何か言おうものなら、それをとことんまでねじ曲げ、捏造し、徒党を組んで責め立てた。
数の暴力だといえた。不満を持つ者が一部だけであったなら、こうはならなかっただろう。
中傷を真に受けた多くの男子は離れていった。
離れなかった者は、だからといって孝子の潔白さを信じたわけではなかった。
むしろ、孤立した彼女に付け入って、どうにかなってしまおうとする者ばかり。貼られたレッテルのせいで、貞操の危機さえ何度かあった。
孝子は口をつぐみ、心を閉ざした。
少しでも目立たずにすむよう形は野暮ったくなり、髪や肌を痛めつける一歩手前まで追い詰められた。
あるとき、弱々しくなっていた孝子の態度は一変した。
姿かたちには華やかさがよみがえり、毅然とした立ち居振る舞いはあくまでも堂々と、ともすればその存在感はこれまでを凌駕していた。
逆効果とも思えた挑発的な行動ではあったが、彼らの劣等感や劣情は尻尾を巻いて逃げ出した。
勝ち得た平穏は、高校に入ってひと月が経った現在も続いていた。
市村孝子と一橋孝太郎が初めて出会ったのは小六のころだったが、小・中ともに別々の学校だった。
通う学校が同じというのは孝太郎にとって念願であり、クラスまで同じであったことに運命すら感じたほどだが、入れ替わる前も後も、二人が校内で言葉を交わすことはなかった。
孝子は、孝太郎と友人のままいられたのは、校外の関係のみだったおかげだと思っていた。
その孝子は高校では、「高嶺の花」と謳われている。うかつに近づこうものなら、ほかの男子から袋叩きにあうだろう。
無論、孝太郎の理由はそこにあったわけではない。彼にも、トラウマがあるのだ。
容姿に優れているとはいえ性格的に地味で、身長も人並みだった孝太郎は、中三を境に急激に背が伸び出した。
一度目に付いてしまえば、そこは運動神経も抜群な孝太郎のこと。夏休みを過ぎたころには、女子の視線を独り占めするほどまでになっていた。
孝太郎にはそれ以前からの女友達が一人だけいた。
中学入学後にできたその相手は、同性には言い辛い悩みを打ち明けられる間柄でもあった。
三年生でクラスが別れた彼女は、孝太郎の知らぬ間に不登校になっていた。
孝太郎を狙うようになった女子が結託し、陰で彼女をイジメていたのだ。孝太郎がその理由を知ることができたのは、彼女の転校後だった。
以来、孝太郎は人前で女子と話せなくなった。
それは今に至るまで改善の兆しすらなく、「ヘタレ」と揶揄されて久しかった。
校内で会話ができなくとも、孝太郎に不満はなかった。
これまでとは違い、毎日のように孝子と会うことができる。
顔を見る。
それだけのことで、十分すぎるほど満ち足りていた。
それが今では――。
コウタロウは鏡の前に立っていた。
目に映るのは、市村孝子の体だ。
望むなら、いつでもどこでも、どんな姿でさえも見ることが可能である。にもかかわらず、自分が彼女になってからというもの、心からあふれてしまうような幸福感は不思議と得られなくなっていた。
今でも姿を見れば、鼓動は早まる。
触れようものなら、それがたとえ髪を整えるだけであったとしても、心臓が破裂しそうなほどに暴れだす始末だ。
手入れの行き届いたセミロングのストレートは、自身の短髪とは異なりとてつもなく触り心地がいい。男の劣情をかき立てるのは、それのみで事足りるほどに。
耐えるだけでも一苦労。
心苦しいばかりになったコウタロウの日常は、本来の体に会うことで安らぎを覚えるまでになっていた。




