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 まず目を覚ましたのは孝太郎だった。

 したたかに打ちつけた全身が、悲鳴を上げている。

 ともに感じる確かな重み。仰向けに倒れている彼は、ゆっくりと頭を持ち上げた。

 腕の中には、市村孝子の姿があった。

「……え?」

 孝太郎は驚いていた。

 右手でべたべたと顔を触る。髪にも触れた。

 短い髪だ。

 手はそこで止まった。体は、触らなかった。

「戻って、る?」

 思わず歓喜の声を上げようとする孝太郎。しかし、それが実際に発せられることはなかった。

 しばらくの間、彼は放心していた。我に返ったのは、

「く、苦しい」

 という、孝子の声が聞こえたからであった。

 孝太郎の左手は、いまだ孝子の頭を押さえている。彼女は手足を自由に動かせるが、抵抗するそぶりは見せなかった。

「ごっ、ごめんっ」

 左手はすぐに離された。

 息を整えつつ上体を起こした孝子は、孝太郎の顔を目にするなり、

「やった、成功だよ。願いが届いたんだ」

 声をはずませた。

 緩慢な動きではあったが、孝太郎も上体を起こす。孝子は、彼の足の間にちょこんと座った。

「体は大丈夫? けがはない?」

「うん。大事無いよ」

 返答を聞いた孝子は、心の底から安堵した。胸元で握りしめていた手からも力が抜ける。

「市村さんこそ平気? 痛むところはない?」

 そこでようやく、孝子は体がまったく痛くないことに気づいた。

 彼女は転落する際、一橋孝太郎の体がこうむるであろうダメージを少しでも軽減できるよう、腕の力を緩めた。

 市村孝子、元に戻った自身の体に肩代わりさせるためだ。

 しかし結果を見るに、効果はなかった。

 以前と同じく彼だけが被害を受けた。原理は不明だが、かばわれていたのは明白だった。

 孝太郎は、答えない孝子を心配そうに見つめていた。

 彼女はこくんとうなずいた。

「よかったぁ」

 危険極まりない行為を責めることなく、理由を問い詰めるでもなく、孝太郎は心からの笑みを浮かべた。

 孝子は身を委ねるようにして、孝太郎の胸に顔をうずめた。虚をつかれはしたものの、彼はとっさに彼女の肩へ手を添えた。

「ずるいよ、孝太郎君は」

「え?」

「私ばっかり、幸せになってる」

「そんなこと――」

「私だって孝太郎君を幸せにしたい。孝太郎君を支えたい。何より、孝太郎君に見合う人になりたいの」

 孝子の言葉はなおも止まらない。あふれる想い、そのことごとくを吐露した。

 孝太郎の腕は、彼女の背中へ回っていた。

「僕は幸せだよ。世界中の誰よりもそうだって、言い切れる」

「……だいすき」

「僕も、市村さんがだいすきだよ」

 孝太郎の腕に、一層力がこもった。

 お互い微動だにせぬまま、時だけが過ぎ去った。太陽は没し、辺りには仄かな明るさが残るばかり。

 孝子の体が、やっとのことで孝太郎から離れる。しかしその手は、彼が着ているカーディガンを離そうとはしなかった。

「名前で呼んで……」

「孝子さん」

 照れも迷いも存在しない、はっきりとした声だった。

「『孝子こうし』なんて、エゴの塊みたいな名前だと思ってたけど、この名前で、よかったな」

 孝太郎へと向けた笑顔には屈託がない。熱を帯びた孝子の瞳は、やがてまぶたで覆われた。

 暗がりの中、二人のシルエットは再度一つに重なった。

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