24
まず目を覚ましたのは孝太郎だった。
したたかに打ちつけた全身が、悲鳴を上げている。
ともに感じる確かな重み。仰向けに倒れている彼は、ゆっくりと頭を持ち上げた。
腕の中には、市村孝子の姿があった。
「……え?」
孝太郎は驚いていた。
右手でべたべたと顔を触る。髪にも触れた。
短い髪だ。
手はそこで止まった。体は、触らなかった。
「戻って、る?」
思わず歓喜の声を上げようとする孝太郎。しかし、それが実際に発せられることはなかった。
しばらくの間、彼は放心していた。我に返ったのは、
「く、苦しい」
という、孝子の声が聞こえたからであった。
孝太郎の左手は、いまだ孝子の頭を押さえている。彼女は手足を自由に動かせるが、抵抗するそぶりは見せなかった。
「ごっ、ごめんっ」
左手はすぐに離された。
息を整えつつ上体を起こした孝子は、孝太郎の顔を目にするなり、
「やった、成功だよ。願いが届いたんだ」
声をはずませた。
緩慢な動きではあったが、孝太郎も上体を起こす。孝子は、彼の足の間にちょこんと座った。
「体は大丈夫? けがはない?」
「うん。大事無いよ」
返答を聞いた孝子は、心の底から安堵した。胸元で握りしめていた手からも力が抜ける。
「市村さんこそ平気? 痛むところはない?」
そこでようやく、孝子は体がまったく痛くないことに気づいた。
彼女は転落する際、一橋孝太郎の体が被るであろうダメージを少しでも軽減できるよう、腕の力を緩めた。
市村孝子、元に戻った自身の体に肩代わりさせるためだ。
しかし結果を見るに、効果はなかった。
以前と同じく彼だけが被害を受けた。原理は不明だが、かばわれていたのは明白だった。
孝太郎は、答えない孝子を心配そうに見つめていた。
彼女はこくんとうなずいた。
「よかったぁ」
危険極まりない行為を責めることなく、理由を問い詰めるでもなく、孝太郎は心からの笑みを浮かべた。
孝子は身を委ねるようにして、孝太郎の胸に顔をうずめた。虚をつかれはしたものの、彼はとっさに彼女の肩へ手を添えた。
「ずるいよ、孝太郎君は」
「え?」
「私ばっかり、幸せになってる」
「そんなこと――」
「私だって孝太郎君を幸せにしたい。孝太郎君を支えたい。何より、孝太郎君に見合う人になりたいの」
孝子の言葉はなおも止まらない。あふれる想い、そのことごとくを吐露した。
孝太郎の腕は、彼女の背中へ回っていた。
「僕は幸せだよ。世界中の誰よりもそうだって、言い切れる」
「……だいすき」
「僕も、市村さんがだいすきだよ」
孝太郎の腕に、一層力がこもった。
お互い微動だにせぬまま、時だけが過ぎ去った。太陽は没し、辺りには仄かな明るさが残るばかり。
孝子の体が、やっとのことで孝太郎から離れる。しかしその手は、彼が着ているカーディガンを離そうとはしなかった。
「名前で呼んで……」
「孝子さん」
照れも迷いも存在しない、はっきりとした声だった。
「『孝子』なんて、エゴの塊みたいな名前だと思ってたけど、この名前で、よかったな」
孝太郎へと向けた笑顔には屈託がない。熱を帯びた孝子の瞳は、やがてまぶたで覆われた。
暗がりの中、二人のシルエットは再度一つに重なった。




