22
直前になってゆらいだ香苗が、孝太郎と初めて接触したのはその前日。金曜日の放課後だ。
同日、同時刻。
人の気配もまばらな校内。屋上へと通じる扉の前で孝子は、武人に会っていた。
「おまたせ。タケト」
孝子は、武人の隣に腰を下ろした。スカートで座るのも、だいぶ板についてきたようだった。
武人はスマホをいじっていた。自分が無理を言って誘ったくせに、画面から目を離すそぶりは見せない。
けれども孝子に、気分を害した様子はなかった。
「こんなところで話って、いったいどうしたの?」
ようやく、武人はスマホから目を離した。
「タカ、アイツと付き合ってるんだってな」
「えっ」
一瞬にして、孝子の顔は青ざめた。
「今日、コウ本人から聞かされた」
「な、なんだ、そうだったの。てっきり、バレたのかと思ったよ」
安心した孝子は、ほっと胸をなで下ろした。かと思えば、彼女は小さく悲鳴を上げた。
「どうした」
「さ、さわ、触っちゃった」
「その体、もうタカのもんじゃないか。何を気兼ねする必要がある」
「それは、そうなんだけど」
言いつつ、孝子は呼吸を落ち着ける。
「タカがどう扱おうと、アイツに、文句を言う筋合いはないだろ」
「そんなことないよ、恋人だもん。それに――」
「今の状態でいることを望んだのは自分のほうだから、とでも言いたいのか」
「ど、どうしてそれを」
「そのくらいは、わかるさ。本意ではないこともな」
孝子は頭を振った。
「ワタシの、本心から出た願いだよ」
「だったら、その体をもっと楽しむはずだろう」
「できないよ。そんなひどいこと」
「コウは、『タカ』になら何をされても構わないと言っていたぞ」
「え……」
思わず知らず、孝子は生唾を飲み込んだ。
とたんに堰を切った煩悩の波。市村孝子の体は、引っ張られるようにして熱を帯びた。
「ちぐはぐだな。タカは」
孝子は押し黙り、うつむいた。興奮とは別の恥ずかしさ、不甲斐なさで、顔は一層赤くなった。
すべては武人の掌の上。意図した通りに事が運んだ。
ここから一気に畳み掛け、心にたまった澱を吐かせる。そういう筋書きだった。
しかし、武人は何も言わなかった。
孝子は身を縮こまらせている。押し寄せる男の性に、必死で耐えていた。
理由はともかく、その姿は、はたから見ると少しばかり痛ましいものであった。
最終的に武人の口から出てきたのは、
「戻りたいと思わないのか?」
という、人並みな言葉だけだった。
孝子は即座にうなずいた。
発言までにかなりの間があったことで、気持ちはいくらか落ち着いていた。目をつぶり、何度か深呼吸をしたあと、ようやく顔を上げた。
見つめられた武人は、視線をスマホに移した。
「後悔はしてないよ。自分で選んだことだから」
今一度、孝子は深呼吸をした。
「テニスができなくても、どんなに苦しくったって、後悔をすることだけは絶対にない」
「そうか」
あきらめたように、武人は大きなため息をついた。スマホをしまうと、
「最後に一つ、聞いてもいいか?」
「うん。いいよ」
多少の間のあと、武人が口にしたのは、
「アイツとさ、よく付き合えるな。元は自分の体なのに」
今さらでしかない、普通の感性さえ持っていれば誰でも抱くであろう疑問だった。
しばし、孝子は考え込んだ。
「なんていうのかな。たしかに、姿かたちは『僕』なんだけど、表情や所作、声の感じとかって全然違うよね? タケトもそう感じない?」
「まあ、そうだな」
武人は、しげしげと孝子を眺めていた。
「だよね。だからさ、僕には、『僕』が市村さんにしか見えないんだと思う。……えっと、答えになってるかな」
孝子は少々不安げに、上目遣いに彼を見た。
「なってるよ」
ようやくの返事。孝子の顔に、ぱあっと笑みが広がった。
「どこぞで聞いたセリフだったけどな」
「へ?」
武人はくつくつと笑った。
「タカがアイツと付き合ってて、ホントによかったよ」
「えへへ、ありがとう」
照れくさそうに、孝子は頬を染めた。




