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 孝太郎と孝子は時間一杯デートを堪能した。

 帰りの電車は、行きとは異なり相当に混雑していた。

 無防備極まりない孝子のかたわらで、孝太郎は周囲の男性に睨みを利かせていた。

 心身を満たす余韻などはおくびにも出さない。あくまでも、『偶然出会ったクラスメイト』の盾というていであった。

 一橋孝太郎の留学まであとわずか。そのかんを繕うくらいなら十分にできると判断しての行動だった。

 結果としては誰に見られることもなく、杞憂ですんだ。

 だが、話はここで終わってはくれなかった。

 翌日。

 登校した孝子は、昇降口で女子の一団に取り囲まれた。

 突きつけられたスマホの画面には、インターネット上にアップロードされているという一枚の写真。

 写っているのは、ウィンドウショッピングを楽しむ孝太郎と孝子の姿だった。

「てめぇ、孝太郎くんと付き合ってんのかよ」

 すごんだリーダー格の女子生徒だけではない。一団の女子は、もれなく殺気立っていた。写真の中で笑い合う二人とは正反対の感情に取り憑かれているようであった。

 目を閉じて深呼吸をし、心を落ち着かせた孝子は、

「付き合ってるよ」

 罵りの言葉は無視し、彼女らを見据えて答えた。

 たったの一言。

 強気に出ていた女子の一団はたじろいだ。孝子の毅然とした態度が、入学当初の市村孝子、他校に知れ渡るほどの強烈な存在感を思い起こさせたのだ。

 その隙を突いて孝子は走り出した。わき目も振らずに階段を駆け上がり、教室へと入った。

 案の定、孝太郎は男子の群れに問い詰められていた。

 想定外のことに加え、眼前には血走った目をした男子。犯されかけた日の出来事がフラッシュバックした孝太郎は、恐慌状態に陥っていた。

 孝子は間に割って入った。乱れた呼吸を整えようともせず、

「孝太郎君はワタシの恋人。文句があるならワタシに言って」

 周囲に向けて言い放った。

 その事実は写真とともに、瞬く間に全校生徒へと広まった。詰め寄ってくるような過激な生徒は、もうあらわれなかった。

 話はかわって。

 許可なく撮った上に晒しまで行った投稿者は報いを受けた。

 二人とは縁もゆかりもないその投稿者は、第三者からの忠告に耳を貸さず、いきがってばかりいた。写真の出来映えを、「最高の素材のこれ以上ない瞬間を切り取った」などと自画自賛までする始末だ。

 その不遜な振る舞いが呼び水となって、事態は二人のあずかり知らぬところで祭りへと発展した。

 最終的に投稿者は、己の個人情報の一切を暴露されてしまったのだ。

 二人の睦まじい姿がおさめられた写真も有名になった。

 幸い、身元までは暴かれなかった。一橋孝太郎が世界に羽ばたき、市村孝子との関係が万人に知れ渡るそのときまでは。


 この日の放課後。二人は神社で待ち合わせた。

 先に話を持ちかけたのは孝子だった。

 なりゆきに関係なく、無理を言ってでも連れ出すつもりでいた孝太郎は、二つ返事で誘いに乗った。

 神社へは普段以上に用心してやって来た。

 心落ち着ける二人だけの聖域。ここでのひと時だけは、絶対に侵されたくなかったのだ。

「ごめんなさい。勝手にばらしたりして」

 顔を合わせるなり、孝子は謝罪した。

 返答までには、若干の間があった。

「うん。あれは、本当に反則だった」

 言いつつ、孝太郎は座るよううながした。

 孝子は彼の前で正座をし、神妙にした。

「市村さん、かっこよすぎだよ」

「へ?」

「惚れ直しちゃった」

「あ、あり、ありがとう」

 みるみるうちに、孝子の顔は赤くなった。無邪気に笑う仮面の下で、孝太郎の心臓は激しく鼓動していた。

 ややあって。

 体の熱がようやく引き、平静を取り戻した孝子は、一つ深呼吸をしてから、

「付き合ってることを、ワタシの両親にも伝えようと思う」

 本題を切り出した。

「ずっと、考えてたことなんだ」

 答えは、すぐには返ってこなかった。

 孝子は急かすことなく言葉を待った。

「どうして」

 やがて孝太郎は、ぽつりと言った。

 孝子は目をつぶり、胸元に手を近づけた。もちろん、触れはしない。

「仲良く、したいんだ」

「無理だよ」

「そんなことない」

 目を開けた孝子は、孝太郎をまっすぐに見た。

「好きな人を生んでくれた人たちだもん」

 優しい声。

 孝太郎は顔を伏せた。

「市村さんは単純だね」

「そうかな」

「そうだよ」

「単純ついでに、もう一個だけいいかな」

 孝太郎はうなずいた。

「勘違いだったら謝るけど、無理して縁を切ったりはしてほしくないんだ」

 返事はなかった。すするような音だけが、社殿の中で小さく響いていた。

 無言の時間はしばらく続いた。

「市村さんの言葉は、他人の万言よりも心にしみるね」

 孝太郎は顔を上げ、晴れ晴れと笑った。ぐちゃぐちゃしたネガティブな感情は、きれいさっぱり消えうせたようであった。


 日の暮れ時分、市村家のインターホンが鳴った。

 美貴みたかはちょうど、夕飯の支度をしていた。

 今日は亮介の帰りが遅い。作っていたのは、孝子の分だけであった。

 切り上げて確認したモニターには面識がない少年、孝太郎が映っていた。一歩後ろにはスカートの長さを正した孝子が控えている。

 美貴はインターホンに出た。

 孝太郎はまず、突然の訪問を謝罪した。

 続けて名を告げようとしたところ、美貴は言葉を制した。彼女は手早くエプロン等を外すと、わざわざ二人の待つ門前まで出てきた。

 うやうやしく一礼し、孝太郎は名乗った。それからいきさつを丁寧かつ簡潔に説明し、今度は深々と頭を下げた。

「そう。ご苦労様」

 美貴は、値踏みするような目で孝太郎を見ていた。

「失礼します」

 会釈をした孝太郎は、さりげなく孝子に目配せしてから、久しぶりに見た本来の生家をあとにした。

 大切なことを相談していたら暗くなってしまったので送った。

 孝太郎がした説明を要約すればこうだ。

 うそは言っていなかった。

 ただし遅くなったのは境内に生えた雑草をむしり、掃き清めていたから。話していたのも、単なるよもやま話だ。説き伏せる相談などは、ものの数分でまとまった。

 孝子の案はご覧の通り、単純明快なものであった。

 聡明なはずの孝太郎にはない発想だった。

 立ち位置は変わっても本質的には当事者。故にその目は曇っていたのだろう。

「どんな子なの。彼は」

 二人になったとたん、美貴はそうたずねた。雰囲気からして、お叱りを受ける心配はなさそうだ。

 孝子は語った。一橋孝太郎ではなく、市村孝子のことを。

 彼女が持つ内面の魅力を余すところなく、言葉を尽くし、込められるだけの情感を込めた。

 そのさまは、理路整然と話す本来の孝子とは似ても似つかない。強すぎる想いに満ちた口ぶりはもはや、のろけとしか言いようがなかった。

 交際については正直に打ち明けた。

 美貴は何も言わなかった。

 一橋孝太郎、つまりは自分自身の成績も伝えた。

 直近の試験ではとうとう武人の得点を抜き、二番手に浮上した。効果覿面(てきめん)だからと、孝太郎が入れ知恵をしたのだ。

 そして立て続けに、「彼は来年の頭、アメリカへ留学する」と伝えた。

 何のためかまでは口にしなかった。これも、孝太郎の差し金だった。

「勉強をおろそかにはしません」

 美貴は大きく息を吐いた。

「亮介さんには、黙っておきなさい」

 話はそこで、強制的に打ち切られた。

 結局、公認までは得られなかった。道のりは果てしないのだと、改めて思い知った。

 それでも孝子は、小躍りせんばかりに喜んだ。

 孝太郎が、厳格な母のお眼鏡に適った。この事実は、今後の苦労、その一切を忘れさせてくれた。

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