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 翌日。

 孝太郎と孝子の二人は、くだんの石段をのぼり詰めた先にある神社の境内にいた。

 戻るための相談だ。木々が鬱蒼としているこの場所なら、人目にもつかず好都合であった。

 放課後になるなり二人は、別々にここへ向かった。

 学校を出たのは孝子のほうが圧倒的に早かったが、先に着いたのは孝太郎だった。

 歩幅に大きな差があった。

 孝太郎の身長は高一になったばかりの現時点で、一八〇をわずかに上回っている。対する孝子の身長は、一六〇の直前ですでに止まっていた。

 理由はそれだけではなかった。

「もう少し堂々とふるまって」

 孝子はスカートを気にするあまり、極端に歩幅が狭まっていた。遅くなった歩調を時折小走りなどでごまかすのだが、その姿は本来の市村孝子とは大きくかけ離れていた。タカコが一言言いたくなるのも、当然といえば当然だった。

「それはそうと、昨日は大丈夫だった? 時間」

「う、うん。なんとか」

「……母からうるさく言われたでしょ」

 孝子はしばらく言い淀んでいたが、

「言われた、かな」

 苦笑しつつ答えた。

 大きくため息をついた孝太郎は、それからしばらく愚痴をこぼした。母への文句といったほうがより正確かもしれない。間に合ったのにうるさい、だの、いつもネチネチネチネチ気が滅入る、だの、顔を合わせば小言ばかり、だの、まさしく立て板に水だ。

「きっと、それだけ心配なんだよ」

「あれは目の敵にしてるって言うの」

 孝子は何も言い返せなかった。

「孝太郎君のところはいいね。何も言わないし」

 孝太郎の声からは、先ほどまであったトゲトゲしさが抜けていた。

「そ、そうかな。多分ほったらかしてるだけだよ」

「違うよ。孝太郎君を信じてくれてるんだよ」

「あ、あはは……。だと、いいけど」

 孝子は満更でもないといった表情をしていた。

 閑話休題、と、二人はようやく、元に戻る方法について話し合った。

 しかし、約一日の時間があっても、二人分の知恵を絞っても、これだ、という案は出てこなかった。

 可能性があるとして残ったのは結局、至極ありきたりな方法だけだった。

 入れ替わる直前の出来事を再現する。

 二人は境内から石段を、そして、自分たちが激突した石畳を見下ろした。

「……孝太郎君さ、よくあそこから飛び出せたね」

 言った孝太郎は自身の肩を抱き、

「ハ、ハハ……。あ、あのときは、必死だったから」

 答えた孝子の腰は引けていた。

 かなり高い地点から落ちたのは昨日の時点でわかっていた。だが、落ちるつもりで改めて確認すると、とてもではないが実行に移せるような高さではない。

 命がけになる。二人はそう感じた。

 途方に暮れるよりほかになかった。辺りは、赤く色つきはじめた。

「市村さんのせいじゃないよ」

 うつむきがちに歯噛みしていた孝太郎に、孝子が言った。続けざまに、

「入れ替わったことくらい僕なら平気だし、責任なんて感じないで。というか、すぐに気づけなくてごめんね。ほら、僕って察しが悪いから」

 まくし立てる。

 孝太郎はしゃがみ込んだ。顔は伏せており、孝子からは表情を窺うことができなかった。

「やっぱり私のせいだと思ってるんだ」

「えっ……あっ! ち、ちがっ、そ、そうじゃなくて……」

 孝子が慌てふためく。しかしどう否定を試みたところで、早合点したとしか思えない先ほどの言葉は、やはりそのようにしか受け取れないだろう。

「ごめんなさいっ」

「……冗談だよ」

 その瞬間、孝子は固まった。

「もう、孝太郎君てば慌てすぎ。緊張感がなくなっちゃう」

 顔を上げつつ、孝太郎は目元をぬぐった。

「あはは……。おかしくて涙が出ちゃった」

「……冗談?」

「そうだよ。むしろ心を読まれたのかと思ってびっくりしちゃった」

「なんだぁー」

 孝子はうな垂れた。

 時間も時間だからと、身の振り方を考えるのは明日あすへ持ち越すことになった。


 待ち合わせたのは昨日と同じ神社の境内だった。

 誰にも相談はできなかった。よしんばできたとしても、入れ替わってしまったなどという荒唐無稽な話を信じる者はいないだろう。

 頼れるのは、お互いのみなのだ。

「そういえばさ、孝太郎君って脱ぐとすごいね」

 出し抜けの爆弾発言だった。孝子は何か返そうとしていたようだったが、口をパクパクさせるばかりで肝心の声は出ていなかった。

 一橋孝太郎の体は別段、筋肉質というわけではない。体重の割には細身で、服を着ていれば目立ちもしない。印象としてはせいぜい、全身が無駄なく引き締まっているといった程度だ。けれどその分、体幹部に関しては、幼少の時分からやっているテニスの影響か、成長途中の体にもかかわらず見事なものだった。

「惚れ惚れしちゃう体躯だよ。うらやましいくらい」

「あ、ああ……そっちか」

 その呟きを聞いて首をかしげた孝太郎に、孝子は、

「なんでもない」

 両手を左右に振った。体にこもった熱は引いてきていた。

「でも、どうして急にそんなことを」

「孝太郎君だって見たでしょ? 私の」

 再度の爆弾発言。今回は自爆だったとも言えるが、治まったばかりの孝子の体の火照りは、一瞬にしてぶり返すはめになった。

 意地の悪い問いかけではあった。

 体を見ずに生活をすることは、不可能ではないだろう。しかし今の孝子は言うなれば、意識の抜けた少女の体に思春期真っ盛りな少年の意識の二人連れ。見とがめる者のいない、絶好の機会だ。

 まして市村孝子の体は華奢でこそあるが、出るところは出てスタイルもよく、非常に魅惑的。きめ細かい白い肌とつややかな黒髪のコントラストは、一目見た者を釘付けにすることしきりであった。理性でどうこうするなど、土台無理な話だ。

 にもかかわらず、まじまじと全身を観察したタカコとは異なり、コウタロウが見たと言い切れるのは、鏡越しに見た背中くらいのものだった。

 反応の時点で肯定したも同然だが、孝子はうなずいた。気の毒に思えるくらい、縮こまっていた。

「お肌のケア、ちゃんとしてくれた?」

 孝子の体を眺めていた孝太郎が口を開いた。身の振り方を考える上で、うやむやにはしておけないことがあった。

「く、首から上と手は、一応」

 案の定の返答に、孝太郎の口からは安堵からくるため息がもれた。かと思えば次の瞬間には大きくかぶりを振り、しまいには天を仰いでうーうーうなった。

 孝子はうろたえるばかりであった。

 やがて孝太郎は孝子の手を乱暴につかむと、社殿へと引っ張り込んだ。

 無言のまま孝太郎がブレザーを脱がす。

 体にさわれない孝子は抵抗もできず、上着を次々とむかれていった。ブラジャー一枚きりにされた孝子は、心細そうに身をすくめた。

「そうだよねぇ、やっぱり」

 一人納得した孝太郎は、何を思ったかブラジャーの中に手を突っ込んだ。

「いい? ブラっていうのは――ッ」

 突如、孝子の体が力なく崩れ落ちる。孝太郎は間一髪、抱きとめた。

 孝子に意識はなかった。

 本来の体が市村孝子の胸を直に触れるというのは、コウタロウにとってそれほどまでに衝撃的だった。それ以前の時点で一杯一杯だったというのも、原因の一つではあっただろう。

 孝太郎は孝太郎で、己のしでかした行為のため、悲鳴を上げた。

 正気に戻った孝太郎が、大きく長く息を吐いた。自身の愚行については、忘れることにした。

 入れ替わった相手が一橋孝太郎だったのは不幸中の幸いなのかもしれないと、タカコは感じていた。

 なまじ同年代の女子が相手だった場合、戻るのを拒まれるか、戻れたとしても、やっかみや嫉妬、どうせ他人の体だからとほとんどケアもしてもらえず、ボロボロにされてしまっていただろう。

 欲望丸出しの男子などはもってのほかだ。

 コウタロウがそれらの者とまるで違うのは、タカコにとって明白であった。

 しかし、それでも一抹の不安はあった。

 元に戻るメドが立たない以上、そのかんは体のすべてを相手に委ねなければならない。滅茶苦茶にされる心配はないとしても、きちんと状態を維持できるかどうか。

 体を触られることには腹をくくった。あとは、あれで卒倒したコウタロウを説得できるかにかかっていた。

 しばらくして、孝子が目覚めた。引っぺがされた制服は、ネクタイを含めきれいに正されていた。

 孝太郎はさっそく説得に入ったのだが、意外にも孝子はあっさりと覚悟を決めた。よほど、最前の出来事がこたえたのだろう。

 その後孝太郎は、

「私はもう、触っちゃったりしてるんだけど」

「い、いいよ。それは」

 ちゃっかり、事後承諾を得ていた。

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