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 夏休みの直前。

 もはや馴染みといっていい神社。その社殿の中で孝子は、いまだ姿を見せぬ孝太郎を待っていた。

 二人が最後に話したのは、ひと月以上も前のことだった。

 孝子は何度も時間を作って会おうと努力していた。だが、孝太郎の側に都合がつかないとのことで、いずれも実現はしなかった。

 今回は「大切な話がある」として、半ば強引に取りつけたものであった。

 孝子のことを、孝太郎は避けていた。

 一橋孝太郎の恵まれた境遇に、タカコは安らぎを覚えた。日を重ねるごとに、うらやましさと塵ほどの妬ましさが心に積もっていった。

 気がつけば、元に戻りたくないと考えるまでになっていた。

 その後ろ暗い願いは、唯一信頼しているといっても過言ではないコウタロウを遠ざけるに十分なものだった。

 うつむいていた孝子が顔を上げる。砂利を踏みしめる音が聞こえたのだ。

 ほどなく、制服姿の孝太郎があらわれた。

「ごめんね。待たせて」

「ううん、全然待ってないよ」

 孝太郎は少しだけ距離を取り、わざわざ孝子の真横に座った。

「うそ」

 すげない言葉だった。

 孝太郎は正面を向いたまま、顔を合わせようとしない。

 下手に否定もできず、孝子は口ごもった。

「知ってるよ。見てたから」

「えっ、い、いつから?」

「入るところからずっと」

 孝子はうろたえた。

「えっと、ごめん。なんていうか……」

「どうして、責めないの」

「え?」

「一時間以上も待たせてたのに」

 わずかな間のあと、

「安心、したからかな」

「安心?」

「うん。来てくれないんじゃないかって、不安だったから」

「不安……」

 知らず知らず、孝太郎は唇を噛んだ。

「幻めつ……あ、いや、えっと……嫌われたのかなって、思ってて」

「私からは嫌わないよ。絶対」

「……ありがとう」

 孝子は少し、涙ぐんでいた。

 うつむく孝太郎に何も言わず、孝子はその場で、ただ寄り添うかのようにたたずんでいた。二人の間にしばし、沈黙のとばりが下りる。

「……ごめんね」

 意を決して発せられた孝太郎の声は、消え入りそうなほど小さかった。

「いいよ、気にしてないから」

「違うの。さっきのことじゃないの」

 とつとつと、孝太郎は語った。孝子を不安にさせた理由を一切合切、包み隠すことなく。

「ごめんね」

 繰り返しの謝罪は、声が震えていた。

「そっか」

 孝子は目をつぶった。ゆっくりと息を吸い、大きく息を吐いた。

 孝太郎の体がかすかにすくむ。耳には、板のきしむ音が入ってきた。

「孝太郎君、気にしなくてもいいよ」

 孝太郎は首を横に振った。

「ねえ、覚えてる? ワタシが『大切な話がある』って言って呼び出したの」

 今度は首を縦に振る。

「あれね、本当だよ」

 孝太郎は顔を上げた。目の前には、優しくほほ笑む孝子の姿があった。

「実を言うとね、ワタシがしようとした話も同じようなことなんだ。だから、苦しまなくてもいいんだよ」

「うそ」

「ホントだよ」

「だってそんなの、信じられない」

「ワタシ……僕、のほうがいいかな。僕ってさ、みんなからヘタレだって言われてるでしょ」

 孝太郎は肯定しなかった。

「実際その通りだと思うから、気にはしてないんだ。本当だよ」

 孝子は目を閉じ、深呼吸をした。

「でもね、市村さんの姿だと、誰もそんなことを言わないんだ。なんていうかさ、それが結構心地よくて」

 孝太郎は何も言わない。

「それに、もし戻らなくてもすむなら、色々と気兼ねする必要もなくなるでしょ? 今のまま生きるなら、お互い、すごく楽になるんじゃないかと思うんだ。そもそも、戻れるあてもないしね。……えっと、どうかな?」

「本当に、孝太郎君はそれでいいの?」

「僕のほうからお願いしてるんだよ」

 しばらくの逡巡ののち、孝太郎は、

「好きな子がいるんでしょ? その子のことはいいの?」

 おずおずとたずねた。

「えっ! ど、どど、どうして市村さんがそのことをっ?」

「佐々コーチから聞いたの」

「ええっ、い、言ってないのに」

 顔のみならず体中、手足の末端に至るまで真っ赤になった孝子は、自前の体温でのぼせてしまったかのようにフラフラしていた。

「あきらめきれないんでしょ? やっぱり」

「ち、ちがっ……う、ぐ……げほっ、げほっ」

 慌てて否定をしようとした結果、孝子はせき込んだ。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 孝太郎は孝子の背中をさすった。

 一旦は落ち着いたかに見えた孝子であったが、すぐにまた、今度は過呼吸状態に陥った。密着しているといっていいほどに、孝太郎は体を近づけていた。

 ずいぶんと時間が経ってから、孝子はようやく平静さを取り戻した。

 何も言いはしなかったが、孝太郎は明らかに答えを待っている。目を閉じた孝子は、ひときわ大きな深呼吸をした。

「信じてくれないかもしれないけど、その子がずっと笑顔でいてくれるのなら、隣にいるのが自分じゃなくてもいいと思うんだ」

 孝子の頬に、ほんのり赤みが差した。

「こんなだから、ヘタレなんて言われるのかな」

 あはは、と孝子は力なく笑った。

 孝太郎はかぶりを振った。

「孝太郎君らしくて素敵だよ」

「あ、ありがとう」

 二人は孝子の提案どおり、入れ替わった状態のまま生きていくことに決めた。

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