河童と相撲
少しでも涼しくなっていただければ幸いです。
「あ、そうだ。相撲を取りに行かなきゃ。」
その日、一緒に宅飲みをしていた仲間の一人が突然言い出した。
そいつの名は御浜零士。
自称ミュージシャンのシケメンだ。
作曲は上手いが作詞はできず、ギターの腕は十人並み。歌は小説家の俺と同じぐらいには上手い。そういう救いがたいバカだった。
しかし、突然相撲を取りに行くとは、なんのことだ?
「おい、こんな夜中にどこに相撲を取りに行くんだよ。それに、お前この頃、調子悪そうじゃないか。今も、顔色少し悪いぞ。」
「そうだぞー自称ミュージシャン!」
そうやって茶化すのは金田一。中々のイケメンで刑事をやっている。
二人とも、高校からの付き合いだ。
就職してからは、お互いの職業名が渾名になった。
「サッカ、ケイジ。良かったら、俺の勇姿を見にこいよ。この間、河原でカッパに会ってな。相撲で勝ったら良いもんくれたんだ。」
「なんだなんだ良いもんてのは?金か?酒か?」
「へっ!カッパの宝つったら、尻子玉じゃねーの?」
「お!さすがケイジ。鋭いな。」
「は?本当に尻子玉か?そんなもののどこが良いもんなんだ?」
「まぁまぁ。と、そろそろ行かなくちゃ。ついて来ないんだったら、ちょっと待っててくれ。20分位で戻る。」
「なぁ、ケイジ。俺ついてって良いか?」
「おぉ!やっぱ、ホラー作家の血が騒ぐか?まぁ、一人で残るのもつまらんし、俺もついていくか。」
そんな訳で、俺たちはレイジについていくことにした。
レイジの家から、相撲をとる河原に移動しているとき、
「なぁ、俺もいい加減、ミュージシャンって呼んでくれよ。」
と、レイジが言ってきた。
「レイジは、ミュージシャンとして売れるまでは、レイジな。」
「ケイジは厳しいな。俺はちゃんと呼んでやるぞ。ジショウってな。」
「えー。」
俺達にとって何時ものやりとり。日常だった。河原でそいつを見るまでは。
「さあ!ついたぞ!さあ!相撲だ!」
「「え?!」」
そこには、丸々と太ったカッパとしか言えない生き物が、四股を踏みながら待っていた。
街頭から遠く、暗い川辺でも、頭の上の皿と背中の甲羅、そして口元の嘴ははっきりとわかってしまった。
「はっけよい!」と、レイジが声をあげ、カッパと組み合う。
しかし、それほど体格が良いわけではないレイジは、あっけなく投げられ負けてしまう。
「いやー。また負けちまった。」
悔しがるわけでもなくむ敗けを認める。
「そう言えば、河童さん。今回で最後だよな?」
レイジにゆっくり近づきながら、頷く河童。
「それは残念だが、仕方ない。もう少し売れたかったが、このまま続けても未来は見えないしな。」
「おいおい、レイジ。まるで今から死ぬ見たいじゃないか。止めてくれよ。」
その不吉な物言いに、茫然と事態を見ていた俺はつい声をあげてしまう。
「ああ。河童さんとの約束でな。相撲に勝たねば、駄目だったんだ。」
そこで、河童が腰の入った良いボディーブローをレイジに見舞う。
すると、レイジの口からスーパーボールぐらいの、白い玉が出てくる。そして、レイジはそのまま意識を失った。
「おい!河童!俺達の友達に何する気だ!」
そう、威勢良く言うのは、正義感の強いケイジ。
対して、普段家に籠りきりの俺は、河童に対して何も言えない。
「グルル、約束、勝った方が負けた方から尻子玉、取る。こいつ、尻子玉抜かれ過ぎて死ぬ。死んだら、こいついただく。」
「まだ、息があるじゃないか!返せよ!」
「ゲッゲッゲッ!なら、相撲だ。勝ったら尻子玉、やる。こいつ、尻子玉飲めば、まだ助かる。」
「わかった!」
「おい!ケイジ!あいつらの言うことを聞く必要があるのか!?」
「お前、ホラー作家だろう?こういう時は怪物の言う通りにしないと、ダメなんじゃないのか?」
ケイジは、単純に考え決めたようだ。
作家の自分からすれば、あんなものは読者の恐怖心と、お約束を出すことである意味安心感を演出するための手法だ。現実にそんな状況に陥ったら、怪物の言うことなんか聞かない方が、安心できる。
頭では、結論が出ているのに、いざ今の状況になってみると、レイジから出た尻子玉らしい白い玉の存在が、俺の頭を鈍らせる。
そう、色々考えているが、結論が出せずにいる俺の顔をケイジがちらりと見て、その直後にレイジのほうに視線を一瞬送る。…そういうことか。
「ググッ!やるのか?どうする?」
「ああ!やるさ!土俵はどうするんだ?」
「ゲゲゲッ。土俵、ない。倒す、勝ち。さあ、かかってこい。」
「わかった!はっけよい!」
先ほどのレイジに影響されてか、一声あげて河童に向かっていく。
ケイジはそのままの勢いで、河童の片足を持ち、腰のあたりを抱え込み、河童を倒そうとする。
それに対し、河童はケイジの両脇から手を入れ、持ち上げ投げようとしているようだ。
両者の力は拮抗しているらしく、そのまま一瞬止まると、河童が上手く体を回し、ケイジを引き離す。
そうして、ケイジが河童の気を引いているうちに、倒れているレイジの方に近寄る。レイジの状態を確かめてみると、呼吸も鼓動も今にも止まりそうに弱々しく、今も少しずつ弱まっている気さえする。
俺はまずいと思い、レイジを抱え逃げようとする。だが、その瞬間俺は気づいてしまった。初めに河童が出てきた下水道の口から、無数の視線がこちらを注目していることに。そして、俺が逃げようとすると、まるで飢えた獣が餌を取り上げられた時のような、物騒な気配をこちらに向けてくることに。
もちろん、俺はそんなものに抵抗できるわけがなく、今にも死にそうなレイジを抱えて、一歩も動けなくなってしまった。
俺が、恐怖と戦っていると、相撲の決着がついたようだった。
しかし、俺が抱えているレイジはもう呼吸も鼓動も止まってしまい、体温もすっかり感じることができなくなってしまった。
「はー。はー。おい、河童。勝ったぞ。尻子玉を寄こせ。」
「ゲッゲッゲ!お前強いな。ほら、やる。」
そう言って、ケイジに対して尻子玉を放る。
「ググゥ。息、してれば間に合う。飲ませれば、元気。」
「!!ケイジ…。こいつはもう、息をしていないし、心臓も…。」
「!サッカ!どけ!」
ケイジは俺を横にどかすと、すぐに人工呼吸と心臓マッサージを施し始める。
「グル…。一度止まる、もう動くことはない。気がすんだら、もらってく。」
ケイジは懸命に蘇生を繰り返し、効果がないことに気づくと、口の中に尻子玉を突っ込み、無理やり飲ませようとしている。
だが、嚥下の反射も起きないようだ。それにも気づいてしまうと、途方に暮れ茫然としてしまった。
そんなか、俺は変わらず、下水道の口から漏れ出てくる圧力により身動きが取れない。息苦しいほどの圧力を受けていたせいか、次第に意識が遠のき、その場で倒れてしまった。
最後に見た光景は、河童がケイジに近寄り、何やら話している所だった。
目が覚めた。
朝になっていた。
どうやら自分は、飲み会をやっていたまま寝てしまったようだ。
ちゃぶ台の上には食べ散らかした後、空いた缶ビール達。寝ぼけて霞がかった頭で、めんどくさいなと考えつつ、顔を洗いに洗面に向かう。
顔を洗い、頭を少しすっきりさせたところで、昨日の出来事を思い起こしてしまった。
慌てて部屋に戻り、ケイジの奴が同じように横たわっていることに気づくと、叩き起こし昨日のことを確認する。自分一人では、嫌な夢を見たと結論付け、小説の題材にしてしまいそうだった。
「おい!ケイジ。昨日のことって、夢じゃないよな。いや、夢であって欲しいんだが、夢と思い込もうとするには現実味がありすぎる。」
俺が、そう早口にまくし立てると、ケイジはぼうっとした顔をしながら、夢でない証拠、尻子玉を見せてくれた。
「現実だよ。サッカ。レイジは連れてかれちまった。」
「警察のお前に言うのもなんだが、警察に言った方が良いんじゃないか?」
「はっ!バカなこと。昨日のことを誰が信じてくれるっていうんだよ。良くて笑い者。悪くて病院行きだ。」
「それはそうだろうが…。」
「なんなら、小説でも書いてみたらどうだ?それで、夜の川辺に対する恐怖心を持ってもらえれば、あの川辺にも近づかなくなるだろうよ。」
「う…ん。だけど、レイジの敵は取りたくないのか?」
すると、こちらに怒気を向けられたわけでもないのに、ぞっとしてしまうくらいの怒りを顔に浮かべながら、
「それは、俺がやる。」
と、一言言うのであった。
そこに踏み込んでいくことは、俺にできるはずもなく、その日はそのままうやむやに解散となった。
それから三週間。自分でも不思議だが、なぜかあの日感じた恐怖も薄れてきた。そんな時、ケイジの奴から連絡が入り、会うことになった。
指定の喫茶店に行くと、すでにケイジらしき人影が席についていた。
薄暗い落ち着いた雰囲気の喫茶店の、あまり光の入っていない席。普段、強烈な明かりばかりを見ている現代人には優しい席かもしれない。
「どうしたんだ?ケイジ。急に呼び出したりして。」
「ああ。サッカか。」
「んん?お前、風邪でも引いてるのか?声ガラガラだぞ。」
久しぶりに会ったケイジは、マスクをしていた。薄暗い席と相まって、かろうじてケイジであると認識できる程度だ。そして、その声はひどくしゃがれていて、聞き取りにくかった。
「そうだ。風邪をひいてしまって。そんなことより、今日はお前に一つ言わなきゃいけないことができてな。」
「なんだ?」
「今度、転勤になってな。遠くに行ってしまうんだ。」
「お。そうか。どこに行くんだ?いつからだ?」
「警視庁。東京だ。明日にゃ引っ越しちまう。」
「おー。急だな。じゃ、東京案内してくれよ。俺だけで行くと、おのぼりさんになっちまうからな。」
「ははっ。そうだな。じゃ、これ。住所だ。連絡先は携帯にかけてくれれば良いから。」
「落ち着いた頃に連絡くれよ。そっち押しかけるからな。」
「おぅ。ま、今日はこれだけだ。俺は、引っ越し準備があるからこれで帰るな。」
その日は、そこで別れることになった。
それから一週間後、落ち着いた頃かと思い、電話をかけてみると、なぜか携帯の契約が切られているようだった。その時、なぜかふと、レイジがいなくなってしまったあの夜の恐怖を思い出し、居てもたってもいられなくなり、東京行きの切符を買っていた。
ところが、渡された住所に行ってみても、そこには雑居ビルがあるだけ。人が住んでいる気配など、欠片も無い建物だった。
ケイジの奴はどこに行ってしまったのか。ますます不安が大きくなってきた俺は、地元に帰り、地元の警察署に向かった。
そこで、顔見知りのケイジの上司にケイジの行方を尋ねる。しかし、返答は俺の欲しかった答えとは全く違った。なんと、二週間前に突然辞表を出し、居なくなったというのだ。
一体何が起こっている。まさか、現実と虚構の区別がつかなくなってしまったのか。
まるで、自分の書いている小説の中に入ってしまったような気分だ。
二人いた親友の一人は、悪夢のような状況で奪われ、残った一人は突然行方不明に。性質の悪い冗談にしか思えない。だが、背骨をなで回されるような不安と、ケイジの身を案ずる焦燥感から、心当たりの知り合い全てに端から尋ねて回った。
…その全てが外れだった。
最後の心当たりを尋ね、最後の希望を絶たれたその日。途方にくれながら歩いていると、河童の出てきた下水道の口あたりに来ていることに気づいた。
…そして、何者かが相撲を取っている声が聞こえてくることにも気づいてしまった。さらに、その声は最後に聞いたケイジの声にそっくりなことにも気づいてしまったのだ。
この時、俺は何も考えられずに、声のする方に駆け寄っていた。
「ケイジ!!」
俺が駆けつけた時は誰もいなかった。ただ、下水道の奥に何かを引きずる音だけが僅かに聞こえた。
「ケイジ!いるんだろ!」
それでも俺は、最後につながった希望の光に縋り付くように、下水道の口に向かって声をかけた。…現れた光が、希望の光ではないことには気づかずに。
そのまま何度か問いかけていると、なんと返事があった。
「サッカか。」「ケイジ!」
その声は紛れもなくケイジの声だった。最後に聞いた時のようにしゃがれてはいたが。
「ケイジ。まだ、声が治ってないぞ。そんな所に入ってたら、治る風邪も治らん!早く出てきて、帰ろう!」
すると、最後に会った日のようにマスクをして、ケイジが出てきた。暗い川辺のせいで、良く見えてないからなのか、口の部分が前に出ている気がする。そう、ここで会った河童のように。
「お前も相撲が取りたいんだな。」
「…ケイジ?何を言っているんだ?相撲なんてどうでも良いから、帰ろう。色んな人が心配しているぞ。」
「ゲッゲッゲ!俺の心配より、自分の心配をした方が良いんじゃないか。」
そう言いながら、少しずつこちら近づいて来る。少しずつ、光の元へと…。
「な…何を言っているんだ。…そうだ!河童はどうしたんだ?敵は取ったのか?」
「ああ。それはもういいんだよ。」
もう隠しようがない。その頭の上にある皿も、背中にある甲羅も、マスクの奥にあるであろう嘴も。
そのことに気づいてしまえば、何が起きてしまったか、今どういう状況なのか。ホラー作家としての頭が、もっとも受け入れがたい結論を導き出し、全身が小刻みに震えだす。
かつてケイジだった河童は、俺の耳元に嘴を近づけると言った。
「相撲取ろうぜ。」
それから、二週間。
夜になると、突然相撲を取りたい衝動に駆られ、どの様な手段をもってしても耐え切れずに、衝動のまま相撲を取ってしまっていた。
俺の前には尻子玉が五つある。なんとか五回は勝てたということだ。だが、残りは負け、九つ抜き取られてしまった。
今なら、実感をもって確信出来る。後、二つ三つ抜かれたら死んでしまうだろう。そして、あの日河童が言ったように、尻子玉を飲んで補充すれば生きられるのだろう。
しかし、ホラー作家としての頭が導き出した結論によると、尻子玉を飲みすぎると河童になってしまうはずだ。何個で変化しだすかは、不明。
奴らの仲間入りをして生き続けるか、それとも人間のまま死に奴らに連れ去られるか…。
結論の出ないまま、日が暮れる。部屋の隅で小さくなりながら、時よ止まれと時計を睨みつける。
カチッカチッカチ。
「あ、そうだ。相撲を取りに行かなきゃ。」
読んでいただきありがとうございます。
実はTRPG用に自作したシナリオを一部改編した物です。