空人形、掴む
『うわあ……、まさか深緋がここまでしてくれるとは思わなかったよ。普通はもっとこう抵抗があると思ってたんだけど』
満月が若干引いている。そんなにやりすぎたかしら? 確かに壊すのに容赦はしなかったけれど。
でも
「彼らはただの屍人形よ。どうやって動かされてるのかは知らないけれど、死んでいる以上もう一度眠らせてあげるのが情けってものじゃないかしら。それに満月が予め教えてくれてたから人間は壊してないでしょう?」
『人間を壊してないのは知ってるけど……、これはねえ……。後始末が大変そうだよ』
そう言われて汚れ一つない金の髪をなびかせ、これまで通ってきた道を振り返る。途中、誤って蛍光灯を傷つけてしまったため、廊下はその明滅する灯りで白と黒に染められていた。
そして、両の赤眼で私が作った光景をしかと見た。
床と壁に飛び散る赤黒い飛沫。
床に伏せる気を失った人間たち。
私の手によって肉塊に変えられた屍たち。
それを私は眼に、脳に焼き付けた。
ごめんなさい。
痛かったわよね。
怖かったわよね。
あなたたちは悪くないのにそんな思いをさせてしまってごめんなさい。
心の中で彼らへ謝意を述べる。
『まったく、ここまでする必要あったのかい、深緋? これじゃあアタシたちが悪者みたじゃないか』
「ここまでやる必要があったのよ。生きている人間は気絶させれば済むようだけれど、死んでいる人間が気絶なんかすると思う?」
『ああ、成程。そういえばそうだね』
納得、納得と満月が満足げに呟き、再び口を開く。
『じゃ、それはもう良いや。それに深緋が走り回ってくれたおかげで禍渦の居場所の目星はついたからね。頑張ってもらってるとこ悪いけど早いとこ確認しに行こうか』
それは吉報だわ。私はこれ以上死者殺しをしなくて済むのだから。代わりに禍渦を壊せるのなら文句などない。
「そう、それでどこ行けば良いのかしら」
『うん、まずは屋上に行こう。多分それで確認できる』
「わかったわ」
そう言って私はすぐ傍の壁を軽く押す。すると、壁はまるで煎餅で出来ていたかのように易々と破壊された。
屍相手に戦っているうちに、いまの身体がどこまで耐えることができるのかは既に把握している。この程度なら全く問題はない。
『……何も壁壊すことないじゃん』
「早く終わらせたいのよ。それに階段を使えば嫌でも傷つけなくちゃいけないでしょう?」
崩壊した壁から外へと脱出する。そして空を仰ぎ見ると未だに雨は降り続いていた。
夜になったいまでも降り続く夏の雨は私の身体を濡らすとともに、独特のにおいで鼻腔をくすぐる。
『で? 外に出てどうするつもりだい? アタシたちが目指してるのは屋上な訳なんだけど』
「こうするのよ」
私がとった行動は至極単純なものだった。
屋上へ向けて跳ぶ。
外観から考えて七階はあろうかという病院の屋上へと、特に何の苦労することなく跳ぶ。
『あれ、もうこんなに慣れたの? あっはっは、早いねえ。つくづく自分の慧眼に驚かされるよ』
「お世辞は良いわ。それで屋上に着いたのだけれど?」
『世辞じゃないのになあ……。ま、良いや、それじゃ中庭をご覧』
屋上から見ると一目瞭然だが、この病院はロの字型に建てられており、中庭は建物に囲われるような形で存在している。
そしてその中央には私が習慣的に日向ぼっこをさせられているベンチと大木、縹が摘んできた花も見える。
だが他には特筆すべきものは何もない。禍渦がどのような姿をしているのかはわからないが、おかしなものはない筈だ。
…………ここまで来て何もないってことはないでしょうけど、満月は何を見せたいのかしら。
そう訝しみながらも私は中庭を観察し続ける。
『あっはっは、わからないかい? あんなに堂々と中庭に陣取っているのに』
「真ん中? 真ん中ってまさか……」
『そう、あれが禍渦なんだよ』
彼女は私の視線の先にある馴染み深いモノを指して言う。
……………………ああ、うん。
木ね。




