空人形、壊れる
「ねえ、満月?」
『うん? 何だい深緋?』
「今更だけど、あなた、何で私を選んだの? この役目は私じゃなくても良かったんじゃないの?」
あなたの力を借りなければ、こうして動くこともできない私じゃなくても良かったんじゃないの?
『まあ、同調する相手は誰彼無しにって訳じゃないから選択肢は少なかったけど、そうだね。確かにこの近くでアタシとこうして同調できる人間は深緋の他にもう一人いたよ。君の妹さんさ』
「なら、どうしてあの子を選ばなかったの? 言いたくはないけれど、あの子は良い子よ。明るいし、気配りは出来るし」
それに、私なんかのために会いに来てくれる子だし。
そう、縹がそういう子だということは誰よりも私が知っている。
あの子は私の世話を焼くことで罪を贖おうとしているのだ。
あの事故は私のせいなのに。
私が眼と脚を失ったのは私のせいなのに。
在りもしない罪を背負っている。
だからきっと病室で私が怒鳴ってしまったのは、単に彼女が自由に歩けることに嫉妬しただけでなく、あまりにも白く綺麗な縹に劣等感を抱いていたからなのだろう。
なんて――。
白く。
清廉で。
汚れを知らない。
私の妹。
『あっはっは、アタシとの同調適性が君の方が高かったからね。より禍渦破壊の成功率を上げたかったのさ』
「……そう、合理的ね」
『……ま、それは建前でアタシは君たち二人とも救いたかったんだよ』
「満月?」
『いや、なんでもないさ』
「?」
『ほらほら、ぼうっとしてないで。そろそろ構えておいた方が良い』
確かに満月の言うとおりだ。雲を抜けると眼下に辛うじて禍渦を捉えることができた。
いま、私と満月がいるのは禍渦の直上六百メートル付近。
満月の力の使い方を理解した私は直後、屋上から全力で(ちなみにこのとき脚は一度壊れた)雨雲を突き抜ける高さまで跳んだ。
そして重力に引かれ今度はそのまま禍渦に向けて落下を開始し、いまに至る。
これが、満月の力の正しい使い方。
自身の身体が壊れることを前提として攻撃を行い、禍渦を破壊する。
壊れることを恐れてはならない。
それは無意味なことだから。
どれだけ肉体が損傷しようと瞬時に再生するのだから。
――禍渦をはっきりと眼で捉える。
はっきり言って自分の身体が壊れるのは怖い。
――私は拳を突き出す。
私は一度壊れてしまっただけにその恐怖はきっと普通の人より強いのだろう。
――衝突が数秒後に迫る。
でも、その恐怖と引き換えに私は世界に存在できるのだ。世界を見、踏みしめることができる。もうあの病室で人形を演じなくて済む。
それなら私は――。
様々な思いが私の心に溢れるなか、遂に私は禍渦と衝突する。
吹き荒れる暴風。
耳障りな轟音。
そして自分の身体が壊れる感触。
私は意識が途切れる前に小さく呟いた。
「ねえ、世界。私はここにいるでしょう?」
当然返答はない。
それでも私は爆発に飲み込まれる瞬間、七年ぶりに心穏やかに笑うことができた。