空人形、理解する
「本当にあれが禍渦なの? あの木は私がここに運ばれてくる前からあったけれど、いままで別にこんなことは起こらなかったわよ?」
『だろうね。だってあれが禍渦に変質したのはついさっきだから』
「……答えになってないわ」
『まあ、順を追って説明するから聞いておくれよ。えっとね、禍渦っていうモノは伝説や伝承、小さい規模なら噂程度でも構わないんだけど、兎に角そういったものを核としてこの世に顕現するんだ。だからその姿は一定じゃなく、動物、植物、鉱物なんでもアリってこと』
ふうん、そして今回は植物だっただけという訳ね。
『そして、変質したタイミングについてだけど。深緋、言い方は悪いけどこれは君のせいだよ』
「私のせい?」
『ああ、禍渦はね、人の負の感情が栄養なんだ。勿論全部が全部君のせいではないけれど、さっき病室で七年分の感情を爆発させたろ? あれがトリガーになったのさ』
「あら、そうなの。なら私とあなたは共犯ね」
『うん? どうしてだい?』
心底疑問に思ったような声で満月は私に問いかける。
やれやれ、そんなこともわからないの? しょうがないわね。
「あなたが私の目の前に現れなければ私は人形でいることを我慢できていたもの」
私の心を揺さぶったのは満月。
満月の揺さぶりに耐えられなかったのは私。
……あなただけを主犯にしない私の寛大さに惚れなさいな。
『あっはっは、そういうことにしておくよ。じゃあ、深緋とアタシ二人で後始末をしないとね』
さあ、馬鹿な会話はここでお終い。
あれが災いの権化だというのならここで壊してしまいましょう。
そうして私は、いいえ、私と満月は禍渦に向けて跳んだ。
二度目になるかもしれないが、操られた人間や死体との戦いで私はある程度、満月のくれた力を掴みつつあった。
どの程度の力を出せば自分の身体が壊れてしまうのか。
どの程度の速度で壊れた身体は再生するのか。
そのようなことは既に把握している。
だが。
「一体どうしたらコレを壊せるっていうの!?」
未だに私は禍渦を壊し尽くせずにいた。
勿論、禍渦の根元に辿り着いた瞬間、破壊を始めた。
太い幹を蹴りで抉り、枝を片っ端から払い落し、力強く地面にしがみつく根を引き千切っていった。
そこに容赦がなかったことはここに明言しておこう。七年間私と共に日向ぼっこをしていたからといって私は一切手加減などしない。
その――筈だ。
なのに私の目の前には禍渦の本体である大樹が聳え立っている。
『あっはっは、アタシに勝るとも劣らない再生力だねえ』
そう、満月の言うように私の破壊を阻んでいるものはそれだ。
私がどれだけ幹を、枝を、根を壊そうと、この禍渦はそれを直ぐに再生してしまう。その再生速度たるや、瞬き一回分の時間よりも速いかもしれない。
「笑ってないでどうしたら良いか考えなさいよ……」
あちらから全く攻撃をしかけてくる様子がないということは助かるが、私の心は焦燥に駆られる。
こうしている間にも病院内の人間と死体は操られているのだ。もしかしたら、そのうちここにも現れるかもしれない。早急に片づけなければ……。
『いやいや、どうにも面白くってね』
「あらあら、一体全体何が面白いって言うのかしら?」
私は何一つ面白くないのだけれど。
『君がだよ、深緋。まったく力に慣れるのは早かったけれど理解は牛の歩みよりも遅いね。それとも力の使い方を履き違えているのかな?』
あなたのくれた力を履き違えている?
「何を言っているの? この通り傷一つないじゃない」
上手く力を調節して自分に傷を負わないようにすることができている。これ以上どうしろと言うのか、私にはわからない。
だが、満月は私の言葉に深いため息をつきながら答える。
『それが履き違えていると言っているのさ。良いかい、深緋? アタシの力は「再生」なんだよ? 君の頭が吹き飛ばされようが、上半身が消失しようが、細胞の一つでも残っていれば完全に再生できるんだ。なのに傷一つつかないでどうするっていうんだい?』
傷一つつかないで……?
「あなたの再生能力が凄いなんてこととっくに――」
そこまで言って彼女の真意を理解する。
ああ、そういうこと。
そういうことなのね、満月?
だとしたらあなたの能力は余りにも――。
私にとって余りにも――。
残酷ね。
それでも私はそれを受け入れて、禍渦を壊すために行動する。それが私に眼と脚をくれた彼女に対する精一杯の誠意だと思うから。
そして私は再び屋上を目指して跳ぶ。
迷うことなく。
力強く。