第八章覚醒
絵に描いたような仏頂面をぶら下げた男が豪奢な廊下を歩いていた。
やがて廊下は行き止まりになり、大きな扉が一枚あるのみ。男は躊躇なくその扉を開いた。
扉の向こうは少し開けたホールになっていた。白で統一された部屋には男より早く到着していた数人の男女が一斉に入ってきた男を注視した。
「やあ、アスピヴァーラさん今調度面白い話をしていましてね」
男、ニコデムスに気がついた一人の初老の男が愉快げに声を掛けてきたが、ニコデムスはすっとその男を無視して側を過ぎ去る。
ホールの中央に申し訳なさ程度に設置されていた小さな大理石のテーブルと椅子に腰掛け、一人チェスを楽しむ男の側まで歩いてゆく。そして何を言うでもなく、ニコデムスはそのままそのチェス盤を手で大きく払いのけて男を睨みつけた。
「何のつもりだ、ヨハン」
特に驚いた様子もなく、ヨハンと呼ばれた男はにんまりと笑みを浮かべた。
「そりゃこっちの台詞でしょうがー、何、一人で遊んでたのに邪魔するなんて変態?アハッ」
「変態は貴様だろうが。聞いた話だが…貴様、グラウンドキングダムの四本柱でありながら…冥府と取引して収賄している…とかな」
ホールがざわつく。突然現れて問題発言を飛び出させたニコデムスに何を思うでもなく、奇跡的に倒れなかった花瓶から一本薔薇を抜いてヨハンはそれを手のひらで遊び始めた。
「ふふっ、突然戻ってきて何を言うかと思えば…白には黒がつきまとう。分かるー?つまりね、何にもしていなくったって、僕様たちはどうしたって囁かれる色んな情報があるわけさ。それこそー、エーオース統括のアスピヴァーラ・ニコデムス様だって何を囁かれているのやら…」
「はぐらかすな、貴様ならやりかねん話だ…貴様のような奴がこの世界の秩序を乱す…美しい世界には貴様のような人間は必要は…ない!」
張り詰めた雰囲気がホールに漂い、何の関連もなくしてその場にいた数名はおどおどと険悪な二人の様子を見つめているしかなかった。
ヨハンは薔薇を投げ捨てパチン、と指を鳴らす。
するとたちまち薔薇は炎のに包まれ、薔薇は灰となって地面へ散った。
「ピリピリしないでよ。アンタが僕様を気に入ってないのは知っているよ。だからはい、退散ー退散!」
ヨハンは最初にニコデムスに話掛けていた初老の男の背中を押しながら部屋を出た。
巻き添えを食った男は戸惑いながらも険悪な雰囲気から脱出したかったのか、押されるままに部屋をでた。
「アハッ、言い忘れてたけど…僕様もアンタなんか好きじゃないよ、じゃあねー!」
パタン、とドアを閉め本当に出て行ったヨハンの姿をその髪の毛の先が見えなくなるまで見つめ、ニコデムスは大きく息をついた。グラウンドキングダムの四本柱。王、オネイロス、エーオース、ウーラノス。その内の一つであるエーオース統括であるニコデムスは、オネイロス統括であるヨハンの行動に疑惑を抱いていた。
先ほどわざわざ公言した冥府との不正な取引もそうだが、彼は何か裏で操って事を起こしているように思えてならないニコデムスは吐き捨てるように呟いた。
「何を考えてる…マッドサイエティニスト…」
アルタが落ちていったことが気がかりだったリエイは、病み上がりだったこともあり、苦戦を強いられていた。自分の存在が脅かされてない以上、アルタは無事だったのだろうが、やはり気がかりでならない。ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返していたが、スーツ姿の男達はどういうわけか全く傷を負っても倒れない。いい加減体力の限界に到達したリエイは大きく身構え、後ずさりをした。
(一体こいつらは何だ…?!ご主人…!)
「あーあーあー」
ふと背後から幼い声が響く。リエイが振り返るとそこには真っ白なスーツに身を包んだ男が一人。そしてその男に抱えられていた少年がつまらなさそうにくたびれた様子のリエイを見下ろしていた。
「馬鹿だねお前達。こいつはアルタ・…何だっけ?」
「アルタ・マクベイン…ですジノ様」
「そう、そいつじゃない。そいつを痛めつけたって無意味だ。退け」
少年が命令すると、スーツ姿の男達は一斉に姿勢を正し、ただの壁のように敬礼して廊下に立ち尽くした。リエイはかすんできた両目で男に抱えられている少年を見上げる。もしやクロードではとしっかりと目をこすったが、全く別人の少年だった。
「でもお前…アルタ・マクベインと一緒に居たな?何だお前、あいつの従者か?」
「ぼ…僕は…!」
「フン、どうでもいいや。でもさ、僕いいこと考えた。お前を人質にして、アルタ・マクベインを呼び出そう」
「………!」
「ねえ、いい考えだと思わない?アルファ?」
少年を抱えた男はただ頷く。
リエイはもう一度拳を握って男と少年を見据える。
少年、ジノは楽しげな声を一声上げ、舌なめずりをした。
「まだ抵抗しようなんて本当に馬鹿で間抜けで愚劣だなあ…まあいいよ。楽しいからさ、さあアルファ。やっつけちゃおう、僕達の未来のために…ね」
「御意」
「出来るだけ抵抗して、痛がって命乞いをするんだねそうしたら殺しちゃうか人質にするかどうか…考えてやるよ」
残忍な笑みを浮かべたジノが手をかざす。
リエイは真っ赤な三つ編みを揺らして体を低くし、アルファに飛び掛った。
まるでその姿は犬。本来の能力をかみ締めるように、リエイは爪を振り上げたのだった。