四話
落ち着いたのか、涙で腫れた目を洗ってアルタは改めてシモンと向き合っていた。シモンは鈍ってゆく感覚を取り戻そうと、肘あたりを自らつねって眠くなるのを耐えている様子だった。
アルタは手を見つめて、ため息をついた。
「ウルリアが何を考えていたのか。それを共有してあげられていたら、俺は死なずにすんだのかな」
「…まだ、諦めてはいけない。私も呪術というのには教養がないから解いてあげたくてもできなくて、すまないね、アルタ」
「なあ、この呪いで死ぬのはいつなんだ?」
「その中心の花びらが全て散ったら…死んでしまうだろうね」
なんともロマンチックな…とアルタは冷ややかに思った。薔薇が散る頃、自分の命も同等に散るとういのはまるでおとぎ話のようで、全く現実味がない。いつでも一緒にいた以上、手を下すチャンスはいつだってあっただろうに。アルタは考えるのをやめて首を振る。
シモンはアルタの手から視線を逸らし、彼が抱きしめていた原稿を見つめてふっと笑んだ。
「それは…もう必要ないのに」
「…そう、だろうとは思ったけど…来週は取りに来るかもしれないだろ。今週の掲載を休んでさ」
「…どうかね」
アルタは原稿用紙をシモンに返し、何を言うべきかと迷った。
実はもう学校に行きたくない。その代わりに働いて魔法商業を任せて貰えるまで勉強する。そう言いたかった。だがそれは十年間学費を払っていたシモンを裏切るのではないかと思いとどまる。学校に行きたくないのはあくまで私情なのだ。アルタが黙っていると、シモンは静かに牽制した。
「学園は、通わなくては駄目だよ」
アルタは返事に詰まってシモンを見上げる。
シモンはゆるく笑って原稿用紙を床において、アルタの肩をたたいた。
「今は、ウルリアがこんなことになって、辛いのは確かに分かるよ。でもそれじゃあ解決にならない。僕はそんな意思の弱い子に、家を渡すわけにはいかないからね」
「分かって…いるけど」
「大丈夫、アルタ。君はいい子だ。きっと君のよさを分かってくれる唯一無二の親友が現れるはずだ」
アルタは軽く頷いて、視線を下げたまま、告げた。
「すごいな…シモンは。俺の心を読んじゃうんだからさ」
「まあ、叔父としては当然、かな」
アルタは笑んだ。
心にはまだ、引っかかることがいくつもあった。
何故父は命を狙われていて、この自分の命まで狙われるのか。ウルリアが自分を始末したい本当の理由と彼の所在。そして、叔父や、リエイが揃って何故叔父の真相を隠しているのか。
アルタは拳を握った。勿論これで負けてやるような軟な気持ちで生きていない。父と母が居なかった十六年。その真相を自らの手で暴く為、アルタは立ち上がり、見上げたシモンに先ほどより元気な笑顔をみせた。
「俺、言っておくけど。父さんや母さんのこと、知りたいから。調べる」
「…アルタ」
「けど、シモンには迷惑かけねえし、俺も死んでやるつもりはない」
シモンは不安げな表情を見せていたが、やがて頷いた。
「うん、それでこそ兄さんの子供だね。けれど私は忠告はした。二度はないからね、用心しなさい」
アルタもそれに力強く頷いて踵を返し、退室した。
リエイはアルタが帰ってきたのを確認して立ち上がった。アルタはリエイに見向きもせず、一直線に机へと向かうと、先ほど自分がばら撒いた教科書を引っつかんでノートを適当に開いた。何があったのか長い間姿が見えなかった主人をそれなりに心配していたリエイは拍子抜けして言葉を掛けるタイミングを失い、少しおどおどと部屋を見渡してアルタを見つめた。
「あの、ご主人?」
「わりぃ、時間ないんだ。明日実地試験なんだよ。召喚の。お前を召喚することになるから高等召喚術をおさらいしておきたくて」
「その、実施試験について、実はお話があって…」
アルタはインクがボタ落ちしたノートを見つめ、面倒そうにリエイへと振り返る。申し訳なさそうな情けない表情を浮かべたリエイは、アルタの側に近づいて床に座る。
「前に、神の試練への参加を促していたのを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、天界に招待できるほどの召喚師や魔法使いを選ぶとかいう…」
「あの、予選があなた様がお通いになっている学園で秘密裏に開催されます」
「何だって?」
アルタは顔をしかめた。そこまで大規模な大会ならば、学生とわずその存在を知り、自分の能力を信じた者が現れるのだろう。となれば学生と呼ぶにふさわしくない年齢の数十名が集まれば、不自然ではないかとアルタは想像し、リエイを見つめる。
リエイも言いたいことが分かったのか、更に続けた。
「秘密裏といってもごく一部に開催されることを知っている生徒もいるでしょう。僕はこの大会についてはオーヴァン様に予め聞いておいたのでそのことを伝えたく思います。また長い話になるのですが」
「はあ、まあいいよ。父さんの遺言なら仕方ねえよな。参加するぐらいなら俺にも出来そうだし」
「では」