二話
帰宅したアルタは、シモンに見つかる前に自室に閉じこもり、大きくため息を吐き出した。
そして扉を閉めてすぐにへたり込むと心配そうな表情でアルタを見つめていた。アルタはそんなリエイの顔を真っ直ぐ見つめて、自嘲するように笑ってみせた。
「なあ、リエイ。俺が今何考えているか分かるか?」
「いえ…存じ上げません」
「…いっそ、面倒だからこの命くれてやるよって、一瞬思ったよ」
「…ご主人…自暴自棄になってはいけませんよ…」
「わーってるっての。一瞬だよ、いっしゅん!」
アルタはそのまま背中をドアに預けてずるずると倒れこんだ。埃っぽい床が鼻を刺激してむずむずとした。視界はぼんやりとしていて、体はどうしてかだるかった。
ウルリアはこんなことする人間じゃないはずだ。そう言う自分と、ウルリアはついに自分を捨てたんだ。と言う自分とが小競り合いを起こしている。それは暫く止みそうにもなかった。
アルタはゆっくりと起き上がり、鞄を開いて真っ逆さまに振る。中から教科書と自主勉強用に買った魔導書が雪崩れ込んできた。アルタはそこから一冊の本を取り出した。
「心を落ち着けたいとき、俺はいつもこれを読むんだ」
「聖書…ですか」
「ああ。だけど中身は違う」
アルタは聖書、と書かれた質素な作りの本を裏返してカバーをめくった。カバーの下から取り出されたのは綺麗な字で日記、と書かれた皮張りのノートだった。
リエイは人間の文字が読めないため首を傾げてその厚い日記帳を見遣る。アルタはぺらぺらとめくりながら分からない様子のリエイに説明を加えた。
「シモンがくれたんだ。父さんの日記…らしい。最初は事故だって言われてたから真剣に読んだこともないし、文字は古代文字だからよく分からない」
「日記…。今までのことを記した記録ですね。」
「多分シモンも分からないだろうからって、渡してくれたんだと思う。今でも読めない…けど」
アルタは日記をじっと食い入るように見つめて唾を飲み込んだ。
「今ではちょっと分かるんだ。数文字が片言に読める…」
「……それは、本当ですか?」
「ああ、前にお前には言ってなかったけど、最初に手に異常があった時読めたんだ」
リエイは困ったように唸っていたが、アルタはすぐに日記から顔を上げて、先ほどより明るい笑顔でリエイを見つめた。
「おいおい、大丈夫だって。読めても数文字って言ったろ。意味なんて分かんないって」
「そ、それなら安心致しました…」
「これが読めて父さんが思っていたこと全部知れたってフェアじゃないだろ」
アルタは日記を閉じて目を閉じた。父が書き記し、父が生きていたという証に触れるだけで、すこし心が和らいだ気がした。アルタは立ち上がり、シモンの部屋を目指す。
「俺、シモンに話してくる」
「ご主人…」
「悪いけど、お前はここにいてくれ。すぐ戻るから」
アルタはルーペルトが頑丈に巻いた包帯を解いてドアを開いてリエイに振りかえった。
気絶してしまったときは、もう立ち直れないのでは。と心配していたリエイは、そのしっかりとしたアルタの表情を見て、安心する。
(オーヴァン様…あなた様のご子息はご立派であらせられますよ)
彼の強さに関心しながら、リエイは窓の外を見遣った。
十五年前。アルタに引き渡される数時間前のこと。リエイはあの瞬間覚悟を決めて力強く頷いたオーヴァンの姿と今のアルタが重なって見えたのを感じた。
自分が信じた二人目の主人は間違っていなかったのだ。そう思ってリエイは身を低くし、アルタの帰りを待つべくドアをずっと見つめるのだった。