四話
アルタが学園の校門前にたどり着いた瞬間には、教会の鐘が予鈴を響かせていた。アルタは吸い込んだ息で痛んだ肺付近を押さえながら、浅く繰り返される息を整えてうんざりとした表情をみせた。
このアルタが通う学園は、生徒の授業外評価をポイント制で行い、遅刻は勿論減点対象だった。これが溜まれば奉仕活動と、山のように同じ事を書かされる反省文が待っている。
アルタはもう諦め始めたのか、のろのろとここまで酷使した足を引きずり歩き出した。
最近運が無い。そう思いながら。
ふと、横を過ぎ去ってゆく生徒に気がついてアルタは俯いていた頭を上げて、遅刻仲間であろう少年を見上げた。必死になって駆けていった少年は、どういうことか何もない場所で盛大に転んでアルタの目の前に倒れこんだ。どうやら自分のスラックスの裾に足を巻き込んだようで、すりむいたおでこが痛々しい。
アルタは歩いていた為、転がってきた少年を思わず蹴ってしまいそうになって立ち止まる。
少年は放心状態、といった風に仰向けで空を見つめていた。
「お、おい。大丈夫か?」
少年―といってもアルタほどの年だと思われるが―はアルタの存在にようやく気づいたのか、赤面した顔で立ち上がると、体中の砂埃を叩いてアルタに向き合う。ぴん、と跳ねた両側の癖っ毛が特徴的な少年だった。
「ああ、あのっ、ここはクレシール魔術学園で合ってますか?」
「そうだけど…転校生か?」
「は、はい。そうです!今回魔術・召喚クラス第10学年に転校してまいりましたシータ・エーベルリンといいます!」
アルタはいきなり自己紹介をし、礼儀正しくお辞儀をしたシータに戸惑い、自分もするべきかと悩んだ。しかし、シータはそのままお辞儀から体を起こすと機械のようなぎこちない動きで踵を返し、再び走り出した。アルタは彼が怪我をしている為、呼び止めたが、転校早々遅刻して混乱しているのか彼は振り返らずそのまま走り去っていった。
アルタは何だか不思議なシータの姿に笑んで、彼を見習い、走り出すのだった。
アルタは案の定、三点減点という痛手を負って教室に一限目は入室さえさせてもらえず、職員室で反省文を書いていた。今回は一枚で済んだものの、遅刻して申しわけありませんでした。自覚が足りませんでした。…から一向に進まない。アルタの監視を果せつかされた化学の教師、マイリーは困ったようにおろおろと職員室を見渡していた。
「マクベインくん…最後の行まで書かないと駄目よ…そうじゃないと先生が怒られちゃうから…」
子犬のような大きな瞳に、可憐な姿。男子生徒に尤も人気が高い女教師として有名なマイリーを前にしても、アルタは気が乗らない。側にしっかりと待機するリエイも退屈そうに尻尾を上げ下げしてアルタを見上げていた。
アルタは申し訳ないことと、どうして遅刻をしてしまうのかという自分の批判を引き伸ばして書きながら、職員室を見渡す。遅刻仲間のシータはもう教室に合流できたのだろうか。また会ったら話がしたい。そう思った。
「余所見しないで、いいから紙を見つめて」
甘いマイリーの声で我に返ったアルタは、言われた通り紙を見つめる。
少し気になったが、何だか職員室の雰囲気が変だ。妙にそわそわとしていて、それでいて不穏さを感じた。そして何より、担任ではなく、自分と何の関係もないマイリーが監督をしているのもなんだか不自然だった。他の教師は忙しいが、マイリーがたまたまあいていた。そんな風だ。
だが実施試験も近かった為、こんな雰囲気なのだろうと片付けてアルタは反省文を提出し、教室に戻った。
教室では一時間いなかったアルタのことでもちきりだったのか、アルタが入った瞬間、しん、と教室が冷え切り、アルタは顔をしかめる。たった一時間遅刻したぐらいでこんな冷たい視線を浴びせられたのは始めてだった。アルタは動揺して、クラスメイトを見つめた。
何かが異様であることは分かるのだが、その原因が何か分からない。不気味だとすら感じる。アルタは突き刺さるような視線を浴びながら、自分の座席へと移動し、階段をのぼる。するとすれ違った生徒からこんな言葉を突きつけられた。
「人殺し」
アルタは目を見開いてその場に縫い付けられた。何の話だ?アルタが振り返る。
冷酷な多数の両目がアルタを注視し、アルタはいたたまれなさから手のひらに汗が滲んでゆくのを感じた。
「何の話だ…?」
誰も答えない。アルタのすぐ側にいたリエイは唸り声を上げてクラスメイトを威嚇する。
ぽつん、とどこからともなく返事が遅れて返ってきた。
「しらばっくれやがって…ダックフォーズ、お前が殺したんだろ?」
ダックフォーズ。その聞きなれた苗字にアルタは眉根を寄せる。ダックフォーズというのは、ウルリアの性だ。殺した?誰が?俺が?
アルタは全く何を言っているのか分からず、ただ立ち尽くす。
すると椅子の音をわざと高く鳴らしたヘティーが、ううん、と咳払いするとアルタを見下ろした。
「彼、行方不明なんですって。アンタ、最後に会っていたんですってね」
アルタは耳を疑った。ウルリアが行方不明?この痛いほどの視線は、仲が良かった自分が何らかの関連があると疑われているから。そう理解した途端には、アルタは荷物を放り出して隣のクラスに駆け込んでいた。あの日。保健室から出て最後に会ったウルリアはどこかいつもと違った。
何かあったら相談して欲しいと言ったそばからこんなことになるなんて。そうアルタは自分の無力さを悔やんだ。何か事故や事件に巻き込まれていたら。いっそ今聞いたことが全て悪い冗談であって欲しいと願うアルタは、隣のクラスの教室を開け放った。
もちろん、そこにあったのは望んだ現実ではなかったのだが…。