二話
アルタは、自分が夢を見ていることを悟っていた。ふわふわと安定した感覚に、視界は自分目線に広がっている。ただの空間で何もなく、世界の大半が黒かった。夢だ。即座に理解した。
そしてその空間にぽつん、と一人の少年が座っている。背を向いているので顔もよく見えないが、この暗い中とても明るいその髪色が目を引いた。
燃えるような真っ赤な赤毛。その美しい赤毛はぶらりと三つに編みこまれて背中に垂れていた。そして異国の衣装を身に纏い、誰かを待っているかのようにただ上を見上げている。
声が出なかった。恐らく自分はこの世界の主観者でありながら傍観者で、イレギュラーな存在であることもすぐに悟った。その証拠に体は動かず、ただ目だけがその様を追っている。
少年はやがて立ち上がって、誰もいない空間と話を始めた。
それはきっと誰かがいるのだろうが、イレギュラーであるアルタには話し相手が見えない。少年だけが、この世界の全てだった。
やがて話していた相手と口論となったのか、アクションが大きくなり、少年は突き飛ばされたようにその場に倒れこんだ。まるでパントマイムのような場面が繰り広げられ、少年は誰かを引き止めるように手を伸ばした。そして、その誰かが去ってしまったのか、地面に突っ伏した少年は悔しげな動作でそのままうずくまっていた。
アルタが声を掛けた。何故かこの時ばかりは舞台に上がることを許され、それは明確な声となって少年に届く。が、言った側からアルタは何を発したのか忘れてしまった。何故ならこれが全て夢だからだ。
そして少年が振り返った。
「ご主人!」
アルタは急に大きな声を掛けられて跳ね起きた。お腹には自分の体重半分はあろう大きな犬、リエイが占拠し、その苦しさもあってか胸が異様にドキドキと高鳴って収まらない。アルタは今見たことが全て夢であったことを再度確認して、リエイを押しのけた。
「…重い!」
どうやらあのまま、心の整理とやらをする前に疲労感から眠ってしまったようでリエイはそんなアルタを心配そうに見つめていたが、すぐに腹から退いてベッドの下でお座りをして待つことにした。
アルタは跳ねた髪を撫で付け、皺が広がった服を伸ばすと、わざわざ部屋までやってきたリエイを見つめて尋ねる。
「何か用か?」
「はい、ご夕食の準備が整ったようです。リビングへどうぞ」
「…ああ、分かったよ」
アルタは起き上がり、まだ覚めきらない頭を掻いてぼうっとしていたが、リエイの申し訳なさげな視線を感じて面倒そうに尋ねる。
「何だよ?」
「…いえ、あの、まだ怒っていらっしゃいますか?」
アルタは少し驚いたような表情になり、ふっと微笑んでリエイの頭を撫でた。
「いや、ごめん。俺こそ八つ当たりして悪かったよ…、今行くから先に行っておいてくれ」
「分かりました!」
リエイは機嫌が直ったアルタの姿に喜んで、走ってゆく。アルタは着替えようと襟元を指先で広げた瞬間、包帯が巻かれていた右手に違和感を感じてその手を止めた。
痛みでもなく、かゆさでもない。妙な違和感。そっと包帯を解いて確認したアルタは、紋章を見つめて息を飲んだ。
円で囲まれた紋章に今までは奇怪な模様と魔法に使われる古代の文字が刻まれていた。だがその紋章からするすると蔦が伸びてゆくように、何もしていないのに紋章書き換えられていた。蔦のように広がった黒い線は、ほんの小さな古代文字を刻んでいた。アルタは古代文字に教養がなかったが、不思議とその蔦の部分の文字が頭に流れこんだ。
「我を讃えよ…神は既に過去の遺物?」
アルタはその文字に眉根を寄せ、下の隅に付け足されたイニシャルに気がついて視線を移した。
「C・B?何なんだ…これ…」