第二章 ウルリアの失踪
アルタは黙ったリエイに、少し腹を立てた。聞いたのは自分だが、弁解も、説明も、釈明もなく。全てこれは現実で、受け入れろと言わんばかりのその姿に腹が立ったのだ。アルタは落としてしまった魔導書をのろのろと拾い上げる。中の紙が曲がってしまったその大切な魔導書の全てを元に戻すと、アルタは息をついてその場に座り込んだ。
突然召喚してしまった父の召喚獣。母も、父も、その顔と正体さえ知らず耐え抜いていた十六年という長い年月。それがリエイの存在で、緩みつつあるのをアルタは感じていた。もうこれ以上は耐えられない。心が折れてしまいそうだった。召喚の最終条項に自らの命を引き換えておいて、他の奴から救われたってどうにもなるはずがない。結局は使役が終われば、いつとも知れない死が訪れるのだ。
「ご主人…」
「…悪いけど…出て行ってくれ…少し、心を落ち着けたいんだ…ちゃんとお前の言うことを聞くし、父さんについて必要以上に詮索はしない。今分かったよ…」
「…はい…では、落ち着いたら呼んでください…すぐに駆けつけますから…」
リエイは身を乗り出してドアノブを前足で押しやり、ドアを開いた。
アルタはベッドに再び倒れこむと、見慣れた天井を見上げて、ただ真っ白になってゆく思考を次第に止めていった。
リエイは後ろ髪引かれるような思いで一度振り返り、残念そうに部屋を出た。
「やあ、その顔じゃ…アルタに追い出されたかな」
いかがわしい小説を書きながら、シモンは振り向きもせず、リエイが入室したことを悟ったのか開口一番そう述べた。リエイはそっとシモンの足元に近寄ると、鼻先をシモンのすね辺りにこすり付けて甘えたようなしぐさを見せた。シモンは執筆する手を止め、眼鏡越しの優しい瞳でリエイを見下ろした。
「余計なことを言ってしまったんだろう、どうせ。私は賛成しかねるが…まあ、これで幾分かアルタの頭も冷えただろうね」
シモンは立ち上がり、リビングに直結したキッチンへと向かい、食材を保管してある棚を開きながら燻製にされた肉を見つけ、それを裂いてリエイへと渡した。
リエイはお辞儀をし、その裂かれた肉をくわえるとシモンを見上げた。再びジュースの瓶を片手に戻ってきたシモンは、豪快に大きな燻製の肉にかぶりつくと瓶を机へと転がす。
リエイはシモンが肉を食べるのと同時に肉をついばみ始めた。
「リエイ…だったね。アルタをよろしく頼むよ…あの男がアルタを見つける前に…」
リエイはわん!と返事をし、肉を口に頬張った。彼は召喚獣のため、食物を必要としない体だったが折角出されたものと、肉をたいらげる。シモンは数日洗っていないくすんだマグカップにジュースを注ぎ入れてそれを一気に飲み干す。息を吸い込んで大きく吐き出された甘ったるい臭いがする息がリエイの鼻元を通り過ぎた。シモンは酔ったように大きく項垂れると小さな声で呟いた。
「クロード・バスキンズ…」
リエイは素早くシモンを一瞥し、シモンはハッとしたように首を振った。
「そうだ、そろそろ夕飯を作ってやらないと…」
シモンは使ったマグと肉に巻きついていた骨を回収すると、またキッチンへと姿を消した。
リエイは最後にシモンが吐き出した人物の名前に身を震わせた。
数十年前、自分に名前を与えた、かつての主人の名前に……。