密室の熱
ドアの前に立ち塞がったシュンが、ゆっくりと首元のネクタイを緩める。
カバンを床に放り投げた彼は、一切の感情を読ませない冷ややかな瞳で、ソファにへたり込む私を見下ろしていた。
「な、何してるの……早く鍵を開けて。着替えてマンションに帰らなきゃ……っ」
私は必死に声を張り上げ、マネージャーとしての威厳を保とうとした。
しかし、立ち上がろうとした私の肩を、シュンの大きな手が上からドンッと乱暴に押し返す。
「きゃっ……!」
「逃げるなよ」
そのまま彼は私の両腕を掴み、ソファの背もたれへと私を縫い付けるように、深く、重くのしかかってきた。
私の顔の両脇に、彼の手がドンッと置かれる。
いわゆる『壁ドン』ならぬ、『ソファドン』の体勢だ。
逃げ場はない。上から見下ろしてくる彼の顔が、息がかかるほど近い。
「しゅ、俊介……っ、やめて、冗談キツイよ……。離して……っ」
「冗談に見える?」
地を這うような低い声。
彼から放たれる濃密なオスのフェロモンと、怒りに満ちた熱気が、私の肌をジリジリと焦がしていく。
「あんなおっさんに腰触られて、頬染めて。……俺にはいっつも、口うるさいお姉ちゃんぶってガキ扱いするくせに」
「そ、それは……桐生さんは大先輩で、大人の男性だから、緊張しただけで……!」
「へえ。……大人の男、ね」
シュンが、ふっと冷たく口角を上げた。
その瞬間、彼の長い指が私の顎を強引に掴み、上を向かせる。
「……なら。俺がもう子供じゃないってこと、今ここで教えてあげる」
「えっ……んっ⁉」
視界が塞がれると同時に、私の唇に、熱くて柔らかいものが塞がった。
触れるだけの、子供のキスじゃない。
少し荒れた彼の唇が、私の唇を力任せにこじ開け、熱い舌が容赦なく口腔内へと侵入してくる。
「んんっ……⁉ んぁっ、しゅ、んす……っ!」
「……っ、はるな……」
チュッ、ジュルゥッ……と。
静まり返った密室の楽屋に、いやらしい水音が響き渡る。
息を吸おうと口を開くたびに、さらに深く舌を絡め取られ、私の唾液ごとすべてを飲み込まれるような、圧倒的で暴力的なキス。
「んっ……ふぁっ、だ、め……っ」
私はパニックになり、彼の胸板を両手で力いっぱい押し返そうとした。
しかし、鍛え上げられた分厚い筋肉の壁は、私の非力な腕力ではビクともしない。
昔はあんなに細くて、腕相撲でも私の方が強かったのに。
圧倒的な『オス』としての筋力差。
私が彼という絶対的な力に支配されているという事実が、頭の芯を真っ白にショートさせていく。
「はぁっ……はぁっ……」
ようやく唇が離れた時、私は酸素を求めて肩で息をしていた。
口元から銀色の糸が引き、シュンはそれを自分の親指で色っぽく拭い去る。
少し潤んだ、限界まで見開かれた私の目を見て、彼は酷薄なほど美しい笑みを浮かべた。
「ほら。俺のこと、全然押し返せないじゃん。春奈の方が、よっぽど非力で子供みたい」
「……っ、バカなこと、しないでよ……! 私たちは、マネージャーとタレントで……それに、幼馴染でしょ……!」
震える声でそう抗議した瞬間、シュンの瞳にドス黒い炎がボワッと燃え上がった。
「まだそんなこと言ってんの。……ほんと、ムカつく」
「ひゃああっ⁉」
シュンの大きな手が、私のブラウスの胸元をガシッと掴む。
プツン、プツンッ! と、1番上と2番目のボタンが弾け飛び、私の白いデコルテと、下着の谷間が露わになった。
「なっ、何するの……! 服が……!」
「どうせこれから帰るだけだろ。……あのおっさん、ここ触ったよな」
シュンの長い指が、タイトスカートの上から、私の腰のあたり――リハーサル中に桐生さんが庇ってくれた部分を、這うように撫で上げる。
ゾクゾクと、経験したことのない甘い痺れが腰から背筋へと登ってくる。
「やっ、あ……触らないで……っ」
「なんで? あのおっさんには大人しく触られてたくせに。……上書きしてやる。俺以外の男の匂いなんて、全部消してやるから」
言うが早いか、シュンは私の剥き出しになった首筋に、ガブリ、と噛み付いた。
「痛っ……⁉ あっ、あぁっ……!」
「んっ……ジュゥッ……」
犬歯が肌に食い込むような少しの痛みの後、強く、執拗に吸い上げられる感覚。
チュゥ、チュパッ……と、首筋に熱い痕を刻み込むような吸啜音が響く。
彼はまるで、自分の所有物であることを知らしめる『マーキング』をするように、何度も何度も私の首筋に唇を落とし、真っ赤なキスマークを咲かせていく。
「や、ああっ……だめ、跡が残っちゃう……っ、明日、みんなに……!」
「見せつければいいじゃん。春奈が誰のモノか、全員にわからせてやる」
「しゅんす……けぇ……っ」
抗議の声は、次第に甘い喘ぎ声へと変わっていく。
私の中で何年もかけて作り上げてきた『幼馴染の弟分』という認識が、音を立てて崩れ去っていくのがわかった。
首筋を吸い上げながら、彼の空いたもう片方の手が、スカートの裾から太ももの内側へと滑り込んでくる。
「ひゃっ……⁉ だ、だめっ、そこは……!」
「春奈、ここ……すごく熱くなってる。俺のキスで、こんなに感じてるんだ」
「ちが、ちがうっ……あぁっ……!」
ストッキング越しの、ギリギリの場所。
そこを長い指でジリジリと撫で回され、私の身体はビクンビクンと小さく跳ねた。
頭が溶けそうに熱い。息ができない。
大人の男の余裕なんてない。ただ私だけを求め、私だけを独占しようとする、若くて獰猛な熱情。
それに当てられ、私の理性も完全に焼き切れそうになっていた。
「春奈……。昔からずっと、こうやってアンタのこと無茶苦茶にしたかった……」
彼が再び私の唇を奪おうと顔を近づけ、私も思わず、それを受け入れるように目を閉じた。
――コンコンコンッ!
「シュンさーん! お疲れ様です、送迎車の準備できましたー!」
不意に。
密室のドアを叩く音と、明るいスタッフの声が響き渡った。
「っ……‼」
私は弾かれたように目を見開き、ものすごい力でシュンの胸を押し返した。
シュンも咄嗟に動きを止め、大きく舌打ちをする。
「っ……チッ。クソが……マジで空気読めよ」
彼はギリッと奥歯を噛み締めると、私の太ももから名残惜しそうに手を離し、ゆっくりと身体を起こした。
私は乱れたブラウスの胸元を必死でかき集め、荒い呼吸を整えながら、ソファの隅で小さく丸まる。
ほんの数秒前まで、私はこの年下のオオカミに完全に飲み込まれ、身を委ねようとしてしまっていた。
その事実が、恐ろしくて、そして狂おしいほど恥ずかしかった。
「……シュンさーん? いらっしゃいますかー?」
「あ、はい! 今着替えてるとこです! すぐ行きます!」
シュンがドアの方へ向き直り、声を張り上げた。
そこに響いたのは、いつもの爽やかな『国民的アイドル』の声。
あまりの切り替えの早さに、私は背筋が凍るような思いがした。
「……今日は、ここで許してあげる。仕事中だし」
シュンは私を振り返ると、外れたボタンの隙間から覗く私の素肌と、首筋に赤々と残った自分の『痕』を見て、満足げに目を細めた。
そして、獲物を追い詰めるような低い声で、耳元に囁く。
「でも、このプロジェクトが終わって、休みに入ったら……覚悟しといて。続き、俺の部屋で……朝まで泣かせてあげるから」
その甘く危険な響きに、私の身体はゾクリと震えた。
もう、後戻りはできない。
私を『お姉ちゃん』として見ていた幼馴染の彼は、もうどこにもいないのだから。




