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第1話 駐輪場の見知らぬ大人

この物語は、

消えゆく場所で

はじめて誰かをまっすぐに見つめた

ひとりの少年の記録である。


取り壊されていくものは多かった。

それでも、あの夏だけは

最後まで崩れなかった。

ピアノ教室の扉を出た瞬間、指先が冷えた。


夏だというのに、建物の中はいつもエアコンが効いている。階段を降りながら右手の小指をゆっくりと開いたり閉じたりした。今日も先生が言った。蒼くん、もっと感情を込めないと。僕は頷いた。感情がどんな形なのかよく分からないまま。


外は眩しかった。七月午後の日差しが歩道ブロックに張り付いていた。少し目を細めてから、ゆっくりと開きながら慣れるのを待った。子供の頃からそうだった。突然のものが来たら、まず待つ習慣がある。鞄の紐を直して駅の方向へ歩いた。


地下鉄の駅までは歩いて七分だ。僕はその七分を毎日同じ方法で過ごす。横断歩道の前では信号が変わる前に人数を数える。コンビニの前を通る時は、ドアの隙間から流れ出る冷たい空気を左腕で感じる。慣れたものを慣れた順番で。それが楽だった。その日もそのつもりだった。


* * *


駐輪場の前に人がいた。


駐輪場の屋根の軒下、古いカメラを首から下げた男がしゃがみ込んでいた。二十三、四歳くらいに見えた。髪が耳の下まで伸びていて、半袖シャツの袖に青いインクの染みがあった。何かを見つめていたが、その視線がおかしかった。人が何かを待っている時ではなく、すでに起きたことを思い出している時の眼差しだった。


僕は素早く通り過ぎようとした。


しかし男がシャッターを押した。


カシャリ。


音が妙に鮮明だった。デジタルカメラの偽のシャッター音ではなかった。何かが本当に閉まる、フィルムが一コマ送られる音。僕は思わず立ち止まった。


男が顔を上げた。


「あ、ごめん。驚いた?」


声が低くてゆっくりしていた。謝っているようでもあり、ただ確認しているようでもあった。僕は首を横に振った。驚いていないと言えば嘘だが、わざわざ言う必要もなかった。


男はカメラを慎重に持ち上げて、画面ではなくファインダーの方を覗き込んだ。そして独り言のように呟いた。


「作品だな、作品。光がちょうどいい。」


僕は彼が何を撮ったのか気になったが、聞かなかった。見知らぬ大人に先に話しかけるのは、僕のやり方じゃないから。


男が立ち上がった。背が思ったより高かった。僕より頭二つは上。


「ピアノ教室に通ってる?」


僕の鞄から少しはみ出ている楽譜の端を見たのだろうか。短く答えた。


「はい。」


「どっちから来たの?」


「あっちです。」指で来た方を指した。


男はその方向を見ながら、何かを考えているように少し口を閉じた。そして僕を見て軽く聞いた。


「もしかして、時間ある? ちょっとでいいんだけど。」


* * *


僕はその人についていかない方がいいと分かっていた。十二歳が知らない大人についていってはいけないというのは、幼稚園の時から習っていた。


でも、その男の口調には焦りがなかった。


大抵の大人は子供に話しかける時、少し大げさな親切を使う。声を高くしたり、肩を屈めたり、可愛いとでも言うように理由もなく笑ったり。その男はそうしなかった。僕を特別子供扱いも、大人扱いもしなかった。ただ、同じ歩道の上に立っている人に話しかけるように。


だから僕は聞いた。


「何ですか。」


男は一拍置いて言った。


「君と同じくらいの年齢の子たちが、あの路地でデモをしてるんだ。可愛いデモ。一緒に見に行かない?」


可愛いデモ。


僕はその言葉の組み合わせを頭の中で転がしてみた。合わなかった。でも合わないからこそ、この人は嘘をついていないという気がした。


携帯を取り出して時間を確認した。午後四時二十分。予定通りなら家に帰らなければならないが、帰っても誰もいない。毎日予定通りに生きてきたのは事実だが、それを必ず守らなければならないという強迫観念はない。


「行きます。」


男が少し笑った。音もなく、目尻だけ。


* * *


路地は駅から二ブロック離れた所にあった。


古い商店ビルが並ぶ路地だった。シャッターが下りた店、色あせた看板、歩道ブロックの隙間から生えている草。人が住んでいた場所がゆっくりと別の何かに変わりつつある所。僕はそういう所を通る時は、なんとなく足音を殺すようになった。邪魔になってはいけない気がして。


そして路地の真ん中あたり、商店の前に子供たちがいた。


三人だった。


手書きの段ボールを持って立ち、同じスローガンを繰り返していた。マジックで書いた字が歪んでいた。


〈この建物を守れ〉。〈取り壊し反対〉。そして最後の一つ、〈私たちはここにいる〉。


三人の中で一番最初に目に入ったのは、真ん中に立っている女の子だった。


背が一番小さかったが、一番堂々としていた。両足を肩幅に広げ、段ボールを胸の高さに掲げた姿勢が、まるでこの路地全体を所有している人のようだった。短い髪が耳の後ろになびいていて、頬が日焼けで少し赤くなっていた。僕を見るなり目が合ったが、逸らさなかった。むしろもう一拍見つめた。何かを確認するように。


その隣に男の子が一人いた。背が高くて手足が長かった。段ボールを持ってはいるが、少し傾いていた。退屈なのが表情に全部出ていた。


反対側に女の子がもう一人。静かに立っていた。前の二人が交わす会話を聞いているようでもあり、何も考えていないようでもあった。でも視線が妙に正確だった。何も見ていないふりをしながら全部見ている目。


真ん中の女の子が春樹に向かって言った。


「青山さん、遅いじゃないですか!」


声が少し大きかった。屋外だからではなく、元々その大きさのように。すねているというより、元々強く話す人のように。


「ごめん、撮ってたら。」春樹がカメラを見せた。


「また。」女の子は短く切って言った。そしてすぐに僕を見ながら、さっきの追及とは全く違う声で聞いた。「この子誰?」


温度が違った。春樹には知っている人に使う声、僕には新しいものを発見した時の声。


「こっちは...」春樹が僕を見て聞いた。「名前は?」


「霧島です。霧島蒼。」


「霧島くん。僕は青山春樹。」春樹が僕に言って、また女の子に言った。「君と同じくらいの年みたいだから呼んでみたんだ。」


女の子が僕をもう一度見た。上から下へ、下から上へ。そして言った。


「小学何年生?」


「六年生。」


「私と同じだ。」


それがどういう意味なのかよく分からない口調だった。嬉しくも、不思議でもなく。ただ確認。


でも一拍後、少し上がる口角が見えた。


「私は花園雪。」


* * *


雪は一言も言わずに商店の中に体を向けた。ドアは鍵がかかっていなかった。押せば開く古い引き戸。中に入りながら段ボールを壁に立てかけた。


男の子が肩をすくめながら僕を見た。


「橘蓮。入っていいよ。」


僕は入るべきか少し立っていた。その時静かだった女の子が横を通り過ぎながら小さく言った。


「怖い場所じゃないよ。」


白石琴音だと後で知った。その子は必要な言葉だけを話した。一言も多くも少なくもなく。


中は予想より広かった。


空っぽの陳列台が二つ壁側に押しやられていて、床の一角に古いソファが一つ置いてあった。窓には新聞紙が半分貼ってあったが、上半分は剥がれていて午後の日差しが傾いた角度で入ってきた。埃の粒子が光の中でゆっくり動いていて、壁の一角にはマジックで書いた落書きがあった。床にはチョークの跡が残っていて、壁には子供たちが描いた地図とルールが貼ってあった。


『アジトのルール 1. 裏切り禁止。2. おやつは分け合う。3. 目を閉じて階段を上がるのは禁止…は嘘!』


僕はその落書きをしばらく眺めた。


「元々何してた所?」僕が聞いた。


雪がソファの肘掛けに腰掛けながら答えた。「文房具屋。私が小学一年生の時に閉まったの。」


「ここが君たちのものでもないのに、なんで守りたいの?」


少し静寂があった。蓮がくすくす笑いながら割り込んだ。「あいつ元々ああだよ。いきなり。」


雪が蓮を睨んだ。そしてまた僕を見たが、怒ってもいない、慌ててもいなかった。少し考える顔。そしてぽつりと吐き出した。


「ここが私たちのだから。」


無知なほど簡単だった。だからより固く聞こえた。


春樹はその場面を撮った。雪が肘掛けに腰掛けて僕を見ている瞬間を。


カシャリ。


雪はカメラの方を見なかった。撮られていることを知りながらも気にしないように。あるいは、撮られることにすでに慣れているように。


僕はそれが何なのか分からなかったが、後で知ることになった。


* * *


春樹がコンビニから戻ってきたのは一時間ほど経ってからだった。


袋を二つ持ってきた。お菓子、飲み物、ゼリー。陳列台の上に一つずつ取り出して並べるが、その過程が妙に自然だった。まるで元々この店に商品を補充していた人のように。


「全部食べて。」


蓮が一番先に飛びついた。琴音が飲み物を一つ取った。雪はソファから立ち上がって陳列台の前に立ち、ポテトチップスの袋を取って振ってみた。いっぱい詰まった音。その音にもう一度振ってから、戻りながら呟いた。


「今日はしょっぱいのが食べたいな。」


誰に対してでもない言葉だった。ただ気分が悪くない時に出る音。


僕は最後に残った飴を取った。誰もありがとうと言わなかった。春樹も期待していないように自分の飲み物を開けて飲んだ。


その次の一時間がどう流れたのかよく覚えていない。蓮が一人で喋って、琴音がたまに返事をして、雪がたまに切って、春樹がたまに撮った。僕は主に聞いていた。


聞くのが楽な人がいる。僕はそういう人だった。


でもその日は聞く以外にもう一つあった。観察すること。


雪が笑う時、目より口が先に笑った。蓮がでたらめなことを言う時に一番大きく笑いながらも、一番早く無表情に戻った。笑いが短いのではなく、笑いを長く使う方法を知らないように。たまに窓の方を見たが、その時の表情が笑う時と違った。何かを数えているようでもあった。時間を。あるいは他の何かを。


僕はそれが何なのか聞かなかった。まだ聞ける間柄じゃないから。聞いたところで変な質問扱いされるだろう。


* * *


家に帰る道で春樹にまた会った。駅の前で僕と同じ方向だった。


「また来る?」彼が聞いた。


「分かりません。」僕は正直に言った。


春樹は頷きながらカメラを持ち上げた。そしてフィルムカウンターを確認してから僕を見た。


「消えていくものを撮っておきたくて。」


何の説明もなくそう言った。それが何を意味するのか分からなかった。実際どうしろって言うんだ、という気さえした。やっと状況に合う言葉を見つけて吐き出した。


「それって... あの商店のこと?」


「それもあるし。」春樹が短く笑った。「他にもいろいろ。」


駅の改札前で僕たちは反対方向に別れた。


ホームに立って列車を待つ間、僕は指をまた開いたり閉じたりした。さっき教室を出た時のように。でも妙に、その時とは感じが違った。


手の中に何かが残っているような気がした。飴の袋の端の感触なのか、カシャリという音の残響なのか。


僕はそれが何なのか分からなかった。


列車が入ってきた。

よろしくお願いします。

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