雨の香りと池の匂い
雨が降り出した時の香りがある。
乾いていた空気に水気が混ざるような感覚と共に、地面やアスファルトが濡れた時特有の匂いがする。年少の頃、よく晴れた日に通り雨が降ると、必ずそれが鼻に付いた。
最近は気候自体が変わり、そういった現象もあまり感じなくなった。
それに何より、日々の生活に忙殺される中で、そのような風情を感じる感性自体もなくなってしまった気がする。
そんな事を考えながら、私は一人傘を差して道を歩いていた。
連日猛暑が続いていたが、日が沈み、小雨が降ったことで多少気温は下がっている。それでも暑いことは暑いが、折角の休日に日がな一日冷房の効いた部屋に居るのもどうかと思い、買い物がてら散歩に出たのだ。
傘に当たる雨の音を楽しみながら、ゆっくり歩いていると、緑に囲まれた小さな池が視界に映る。
そういえば、小さい頃、よくここで友達と遊んだことを思い出した。水深も然程深い訳でもなく、虫や水辺の生き物が豊富にいたこの池は、当時の小学生達の恰好の遊び場だった。
ただ、いつ頃からかこの池で遊ぶ子供を見なくなった気がする。
私が中高生くらいの時分には、まだちらほらと見かけたと思うが、現代の子供達はこういう場所で遊んだりしないのかもしれない。
そのことに若干の寂しさを感じながら池の横を通り過ぎてようとして……
不意にあの匂いがした。
思わず立ち止まった。
最初は錯覚かと思った。
だって、もう雨は降っている。
あれは雨が降り始めた時に漂う匂いだ。
断じて、今香ってくる筈がない。
暫くして違和感に気付く。
似ているけれど、これは雨の匂いではない。土の香りとは明確に違う、何かの生き物の腐敗臭のような独特の匂い……。
それに気付いた瞬間、湿気を帯びた空気が急に粘ついた泥のように私に絡み付いた。
驚きと恐怖で動けない私は、それでも視線だけを動かして池を見た。
見てしまった。
小雨が降る中、薄暗い水面を揺らす池の真ん中に何かの影がある。形もはっきりとしないその影は、何をするでもなくただそこに佇んでいる。
いよいよ混乱し、子供のように泣き叫びそうになった私は、後方からの車のクラクションに飛び上がらんばかりに驚いた。
車が走り去った後、荒い呼吸と動悸を抑えながら改めて池を見渡すが、件の影はどこにも見えなかった。いつの間にか雨は止み、雲が途切れて、夕闇の空が顔を出している。
とても散歩を楽しむ気などなくなってしまった私は、踵を返して自宅へと逃げ帰った。
あの後、可能な限りあの池を調べてみた結果、何年も前にペットの死骸が遺棄されているということが度々あったらしい。地元の事件であるのに知りもしなかったのだが、数年に一度くらいという程度だったので、あまり印象に残っていなかったのだろう。
ただ、少し気掛かりなことがある。
今思えば、あの時池に佇んでいた影は小柄な人間のようにも見えたのだ。
果たして、遺棄されていたのは本当にペットだけだったのだろうか?
何となく、あの池で子供達が遊ばなくなった理由が分かった気がした。