5題目.三日月
花代が部屋の内障子の窓を開けると空には三日月がぽっかりと浮かんでいた。ふぅと息をつく。そして花代はつい先ほどまでの会話を思い返した。着物姿の女、沙那江との会話、ここに通された事の顛末を――
「さぞお疲れのことでしょう。どうぞお入りになって」
そう、出会ったばかりの人物にさも当然のように言われ、戸惑いを見せる花代。
その花代に向け、改めて気遣うように女は微笑んだ。
「きっと、道を間違われたのでしょう? この近辺には宿泊施設はありませんし。……その、困ったことに、この一帯は電波が入りません。あいにく私どもも電話を引いていないため、そうしたことではお役に立てず申し訳なく思います。……ですが、夜の山は危険です。なのでせめて、粗末な荒屋で恐縮ですが、今夜はここにお泊りになって? 明日になれば、麓に降りて連絡も取れましょうから」
首を縦に振らない花代を見てか、女は言葉を継いだ。
「ああ、申し遅れました。私、沙那江と申します」
「……花代と」
花代は一瞬、偽名を名乗ろうかと迷った。しかし女も下の名前だけを名乗ったので、花代もそうすることにした。そしてそのまま花代は首を横に振って見せる。
「あの、でもやっぱりご迷惑になってしまいますので。いきなりこんな……。他にご家族があったらそれこそ」
「お一方おられますが、ほとんど表には出て来られませんの。私はその身の回りのお世話をしておりまして。ですのでお気になさらず。さぁ、どうぞ、どうぞ……」
――そして結局、その沙那江の提案を断りきれず、花代は今こうして部屋にいる。
部屋から見上げる三日月は、三日月の他、いったい何に見えるだろうか。今の花代には、微笑む沙那江の唇が描く弧のように思えてならなかった。