2題目.風鈴
反物を手早く陰に干して、沙那江は庵の奥へと向かった。庵の中は、外観から受ける印象よりもずっと広く感じる。だがそれをもはや気にも留めない様子で、沙那江はその形の良い眉を僅かも動かさずに、磨かれた木張りの廊下を滑るような足取りで進んでいく。
軒先には、金魚の絵付けが施された硝子製の風鈴が下げられている。つい今朝ほどに、蔵から見つけ出して掛けたばかりのものだ。
廊下を渡る。風鈴が鳴る。ちりん、ちりん。
庵の最奥。ピタリと閉じられた障子戸の奥に、更に黒い御簾の降ろされた部屋。沙那江はその戸の前に両膝を揃えてついて控え、そっと口を開いた。
「隠者様、隠者様。……無月様」
障子戸と御簾の向こう側で、動く気配がする。二つの隔たりを通して透けて見える、奥にいる人物の影。男の姿とうかがえた。
掠れた声。沙那江は障子戸に耳を寄せた。しばらくして、その口が薄い笑みを形作る。
「もう夏ですから。風流でしょう? 蔵に仕舞い込んでいたのを今朝出したのですよ。御身の気晴らしにもなりましょうや」
沙那江の声はやわらかいが、その眼に笑みは無い。
「――――」
「まだお食事には早うございますね。日の落ちた頃、また参ります」
廊下を渡る。風鈴が鳴る。ちりん、ちりん。
沙那江はその音のもとを見上げた。朱と黒の金魚が二匹。丸い硝子に閉じ込められ浮かんでいる。
一説に依ると風鈴は元来魔除けの一種なんだそうだ。
「無月様……」
沙那江は唇の形だけで音を出さず呟く。庵の最奥、そこに居る影の名を。