16題目.にわか雨
不気味に立ち尽くすは、白い着物姿の女。何をするでもなく、庵の前、小川のふちにじっと。それを花代は建物の陰から遠巻きに見ていた。
にわかに、そぼそぼと雨が降り出す。昼間なのに薄暗く、真夏なのに肌寒く。その雨にけぶる中、ぼぅ、と浮かび上がるような女の姿。
雨が降るのを「空が泣いている」と例えることがあるが、泣く空の下、その俯いた女も微かに肩を震わせ、泣いているように見えた。
(なぜ、泣いているの?)
その様子を、射るような眼差しで花代は睨んだ。
昨日蔵から持ち出した書物から読み取れたもの。もしそれが確かなら。あそこにいる着物姿の女は、沙那江という名を騙る何者かか、或いは本当にそうならば、齢百年は下らない妖や化け物の類いか……。あの本は、少なくとも百年以上は昔にしたためられた、沙那江という名の女の日記だった。
花代は唾を飲み込んだ。何もかもを捨てるつもりでここに来たのは確かだ。でも、何者かに惨たらしく殺されるなどといったことは当然望むわけもない。過去の人物の名を騙って何かを企んでいるにせよ、本物の化け物が何かを狙っているにせよ。このままでここに居続けるわけにはいかないのだ。花代は見つからないうちに、ひとまずはこの場から退散しようとした。
しかし、その雨越しにちらと覗いた沙那江の表情は、花代にとってよく覚えのあるものだった。苦しく哀しく、血反吐を吐くような。裏切られ喪ったものを想う時の表情。それを目の当たりにし、花代は堪らず雨の降る中を駆け出した。借りた浴衣に涙の雨が染み滲む。
「どうして、泣いているんですか?」
花代はすぐ傍に寄って声をかける。そぼそぼ降る雨は上がる兆しを見せた。弱まる雨足の中、花代の目の前。何をするでもなく、庵の前、小川のふちにじっと。哀しげに立ち尽くすは、白い着物姿の女。