13題目.牙
無月は沙那江の死人のように白い顔を見下ろし、薄く嗤う。口元に覗くは牙。それは赤黒く沈んだ夕闇の中、浮き出るかのように嫌にはっきりと見えた。
「ま、お前とは長い付き合いだ。多少の計らいはしてやらぬこともない。せいぜいよく考えてみることだな」
そして無月の姿は闇に紛れ跡形も無くフッと消えた。
沙那江は長い息をついた後、振り返り、音を立てないようにしてそっと閂を外した。
「花代さん」
そう声を掛けて蔵の扉に手をやり、ぎぃぃ、と扉の開く音と共に中を覗き込む。花代は一つの木箱の蓋を開け見ていたところのようだった。薄暗い蔵の中、手を止めて振り返る。
「お風呂の支度ができました。……遅くなってしまいましたね、すみません」
蔵から出る折。沙那江の横を通り花代は口を開いた。
「沙那江さん、肩のところに染みが……」
「ああ……」
沙那江はそう、曖昧な声を発した。
「何でもありませんよ。これも古い着物ですし染みがあったとて大したことは……。ありがとうございます」
花代の心配を歯牙にも掛けずといった風に沙那江は答える。取ってつけたような礼の言葉だった。
花代が視線を沙那江から外した後、沙那江は冷たい己の首元に手をやった。そこに二つ空いたはずの穴は、もう既に塞がっていた。
花代の背中を見送った後。沙那江は蔵には入らずに庵の方へと向かった。別の風鈴など蔵に無いということは知っていた。ただ、時間を稼いで誤魔化しただけ。
『せいぜいよく考えてみることだな』
先ほどの無月の言葉が、追いかけてくるように沙那江の頭に響く。
「……そうだわ、花代さんの寝間着の浴衣を用意しないと。今お召しの服も洗ってしまわないとですしね」
まるで自身に言い聞かせるかのように、沙那江はわざわざそう声に出した。時間稼ぎの誤魔化しのような、独り言だった。