12題目.色水
沙那江はくるりと蔵に背を向けた。扉には閂。中に花代がいるままで。
沙那江は、日が落ちた後の空を睨むようにして見上げた。赤い色水を流して描いたような夕焼け。そこに無神経に黒い水を流したかのように入道雲が浮かんでいる。
その下に視線を移せば、入道雲とどこか似た影。それが、いつの間にやらそこに立っていた。
肩幅のある背の高い男の姿。黒い着物を纏い、袖に手を差し入れ腕組みをして。後ろに掻き上げられた髪。高い鷲鼻に彫りの深い目元。西洋人の顔立ちだ。その瞳の色は金。
沙那江は口を開いた。己の口が乾きこわばっていることを感じながら。
「まだ外に出られるのは御身体に障るのではございませんか? 無月様」
無月と呼ばれたその男は、静かに肩を揺らした。嗤ったのだ。そして、地の底から響き魂を揺さぶるかのような低い声が、古めかしい言葉を流暢に紡ぐ。
「お前が待たせるからであろう、沙那江。あまり余計なことはせぬ方が利口だぞ。幾ら私の気が長いとてな」
男はまた肩を揺らした後、地面を踏みつける下駄の音をわざと立てるようにして足を運んだ。
沙那江の元へと近づき手を延べて。そして女の細い体に覆い被さるように抱き留め、その顔を白い首元に埋めた。
そのまま動かず、音もなく。やがて空の赤色に黒がまじり濁り始める。その頃になって漸く無月は顔を上げた。
ぱた、ぱた。滴る音。
無月の唇の端から顎へと液体が伝う。それが沙那江の白い着物の上に落ちた。その色が染み広がっていく。今の空とよく似た、きっと容易に落ちることのない、赤黒い色が。