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Chapter.1-2:模擬投資

投資部の部室は、部活棟の1階、一番奥にあった。


「……ここが、投資部?」

「はい!ちょっと古い部屋なんですけど、居心地はいいんですよ」

天吹さんはそう言って、慣れた手つきで引き戸を開けた。ガラガラと音が響き、埃っぽい空気がわずかに鼻をつく。

部屋は6畳ほどだろうか、長机が壁際に2つ、数台のノートパソコンとモニターが乗っており。空いている場所には金融関連の雑誌や参考書が山積みにされ、窓際には観葉植物がぽつんと置かれていた。


「へぇ……意外と落ち着く空間だね。もっと堅苦しい感じを想像してた」

というかちょっと汚い。口には出さないけど。

「よかった……周りからは“怪しい部活”って言われがちなんですけど、実は結構真面目にやってるんです。」

天吹さんは少し照れたように笑いながら、部室の奥のパソコンの電源を入れた。

「今日は見学ってことで、軽く“模擬投資”だけでもやってみませんか?」

「模擬?」

「はい。本当の市場取引じゃなくて、過去のデータを使って“もしこのときに投資していたら”っていう体験を当時のニュースやチャートを出しながら体験してみるんです。それに、実際にやってみた方が楽しいかと思いますしね。」


たしかに、実際にやってみた方がただ見学するよりも楽しそうだし、理解もしやすいだろう。

「面白そうだね。ただ僕、投資の知識はゼロだけど……できるかな?」

「もちろん!簡単な操作だし、分からないところは全部サポートします!」

そう言って天吹さんが見せてくれたのは、2025年6月の某IT企業の株価チャートだった。

関税問題直後、社会も相場も不安定の時期だ。


「とりあえず資金は100万円。1か月の期間内のどの時期で買って、どこで売るかを自分で考えてみてください。もちろん最初は“勘”でいいですから!」

パソコンの画面とにらめっこしながら、僕はチャートを眺める。上下を繰り返すグラフと、横のモニターに映し出される経済ニュースのヘッドライン。初心者である自分にとっては全く意味の分からないものだった。

とりあえず、適当に買ってみるか。

そんなことを考えながら、買おうとしたタイミング。


ガラガラと扉があけられる音が聞こえた。

「あら、竹田君じゃない。投資部に興味が沸いたの?」

扉の向こうに立っていたのは、朝に案内してくれた担任、阿部ひかり先生だった。白衣のようなカーディガンに身を包み、手には職員室で使っていたであろう資料の束を抱えている。

「ええ、まあ……見学だけのつもりだったんですけど、ちょっと模擬投資を試してみないかって、天吹さんが勧めてくれたので・・・。」


そう答えると、先生はにんまりとした目で笑った。

「天吹さんに君を投資部に誘うよう勧めてよかったわね。」

「えっ!?、僕が投資部に興味を持つことを読んでいたんですか?」

「まさか!そんなわけないでしょ。ただ、私も投資部の顧問だからね。部活がつぶれないようにするため努力は当然するわよ。」

「阿部先生、先ほどは勧誘の助言をありがとうございます!」

天吹さんが椅子から立ち上がり、ほっとしたように先生の方へ駆け寄る。

「ふふ。あなた一人で勧誘に行ったから心配になったの、杞憂みたいだったけどね。とはいえ竹田君、部活動に入るのは強制じゃないわ。興味があったら入ってね」

「はい、わかりました。」


僕はそう答えながら、ふたたび目の前の画面に視線を戻す。

少し会話を挟んだおかげだろうか、さっきまで意味不明だったろうそく線の羅列も、冷静に見てみると下がり気味ではあるのに下がりきらないチャートであることが確認できる。

それなら今買って――株価が上がりきったタイミングで売る。

思い切ってエンターキーを押す。

数秒後、画面に模擬結果が表示された。

【利益率:+6.3%】


「すごい……!」

天吹さんが目を輝かせた。

「この相場はかなり読みづらかったはずなのに……竹田さん、これすごい結果だよ!初心者なのに、なんでこんなに利益を出せるの?」

そんな風に褒められると、少し気恥ずかしくなってくる。才能なんて、自分じゃ分からないし。

「うーん、なんとなくだけど……勘でこれが良さそうって思ったんだ。だから、買ってみたんだけどね...まあ、今回は運がよかったんだよ、きっと」


そんな僕の軽口とは裏腹に天吹さんは真剣な表情に変わっていく。

「竹田明日真さん。改めてお願いします。この部に、投資部に入部していただけませんか?」

「私からもお願いするわ、竹田君。あなたがやってくれるだけでも、この部は少し希望が持てるの。投資ってね、確かにデータや情報が重要なんだけど、それ以上に大切なのは“直感”よ」

「直感……ですか?」

「そう。市場の中で“儲け”を感じることが出来ないと、変化の激しい市場にはついていけないから感覚とうのはとても大切にしなければならないものなのよ。」

阿部先生は優しく語りながら、机の端にある椅子に腰を下ろした。


「そういえば……投資部の現状についてまだ正式な話はしていなかったわね。実はこの投資部――今月中に新入部員を1人でも迎えないと、廃部になるの」

「天吹さんからも聞きましたが……やっぱり、本当なんですね。それ」

「ええ。これは学校全体の方針だから、顧問の私では覆せない。でも、今月中に1人でも入部希望者が現れれば、正式に活動継続できることになってるの。だから、竹田君が今日投資部に来てくれたことはすごくありがたいことなのよ」

ふと、空気が少し重くなった。

天吹さんは静かに、けれど切実な目で僕を見ていた。さっきまで見せていた元気な笑顔の奥に、プレッシャーと焦りがあるのがよく分かる。

……僕が今、ここで「入りません」って言えば、おそらくこの部活は終わる。

でも。


「正式な入部は少し考えてからでもいいですか?とりあえず今日は模擬投資を真剣にやってみて、自分がやりたいと思えることなのかどうか判断してから決めたいと思います。」

「もちろん、構わないわ。」

「ありがとうございます。とりあえず今日は模擬投資を最後までやってみますね」

そう言って、僕はもう一度パソコンに目を向けた。さっき中断されたチャートが、そこに静かに映っている。

画面にはろうそく線の羅列が並び、そのひとつひとつが株価の波を引き起こしていた。

(さっき僕はここで売ると決めた……だったら僕の直観は株価が下がると言ってるんだ。それならここで自分が持つ以上の株式を売ることが出来れば……?)

数秒間、無言で考え込む。

そして――

「ここで売って……ここで買い戻すって言うのかな?それが出来れば、一番利益出せると思うんだけど...。自分が持ってない株を売ったりすることって出来ないのかな?」


その言葉を聞いた投資部の2人は驚いた表情を隠せなかった。

「竹田さん、空売りを知ってるの!?」

天吹さんが思わず声を上げた。

その瞳には、驚きと――どこか希望のような光が宿っていた。

「い、いや……知らない。っていうか、なんとなく“持ってない株を売る”っていう考えが浮かんだだけで……。そんなこと、本当にできるの?」

僕は慌てて説明するように言った。が、阿部先生は唇の端をゆっくり持ち上げ、にっこりと微笑んだ。


「空売り。正式には“信用取引”による売り注文の一種ね。将来、価格が下がると見込んだときに、実際に持っていない株式を借りて売っておいて、あとで安く買い戻す。差額が利益になるの」

「え、本当にあるんですか。そういうの……」

「ええ。投資の世界では日常茶飯事よ。ただしリスクも大きい。想定に反して株価が上がったら、損失は青天井だから」

「なるほど……じゃあ、空売りをやってみますね。」


僕はまたモニターに目を戻した。

チャートを見た瞬間、胸が高鳴る。――これは俺の勘次第で動く、数字の波の世界なんだ。

不思議だった。

経済ニュースや企業情報じゃない、目の前にあるチャート、さっきまで意味不明だったそれが、まるで芸術作品のごとく、少しずつ形を持ち始めていた。

これって、もしかして……面白いかもしれない。

(よし、いまだ…)

マウスを動かし、売買タイミングを設定してエンターキーを押した。

数秒後、画面にシミュレーション結果が表示される。

『利益率:+6.6%』


「す、すごい……!」

天吹さんは息を呑んだ。阿部先生も、目を細めてこちらを見ていた。

「1か月あたりの利益率12.9%.....天才、ね。やっぱりあなた、投資のセンスあるかもしれないわ」

「えっ、そんな大げさな……」

「いえ、大げさじゃないわ。信用取引はプロでも慎重になる取引なの。しかも、まだ投資を始めてもいない高校生が、それを“直感”で選んだというのは……ただの偶然ではない気がするの」

阿部先生も驚いたように笑っている。

「やっぱり、あなた――」



そのとき――

再び部室の引き戸が勢いよく開かれた。



……部室が静まり返った。

引き戸の音だけが、廊下の先からゆっくりと忍び寄っているようだった。

「おや……随分と盛り上がっているようだね」

そこに立っていたのは、初老の風格とスーツ姿の男。厳めしい顔立ちと鋭い視線――

阿部先生が立ち上がり、険しい表情で言った。

「……校長先生。」

校長先生が現れた瞬間、空気が少し冷たくなるような感覚に襲われた。

「ちょっと様子を見に来ただけだよ。……で、その生徒は?」


阿部先生は一瞬ためらった後、僕の肩に軽く手を添えて言った。

「転校生の竹田明日真たけだあすま君です。今日は投資部に興味を持っていただけたみたいで、見学に来てくれました。」

校長先生の視線が、まるで僕を値踏みするようにじっと向けられる。厳しいけれど、どこか興味を含んだ目だった。


「ほう、見学ね……。だが、投資とは専門的な知識、経験が必要なものだ、経験も知識もない初心者が入ってもどうなのかね。」

その言葉には、軽く投げるような調子と、意図的に試すような圧が込められていた。

僕は、一瞬たじろいだ。

でも――言葉を飲み込む前に、背中から誰かが一歩前に出る気配がした。


「校長先生、それは少し違うと思います」

それは、天吹さんの声だった。静かだけれど、芯のある声。

「竹田さんは、たしかに初心者です。でも、たった一回の模擬投資で、私たちも驚くような利益を出したんです。しかも、それは偶然じゃなく、自分で考え抜いた結果です」

校長は、腕を組んでうなずく。

「……ほう。それほどまでに?」


「ええ、空売りという概念すら知らなかったのに、それを発想し、利益を出したんです。私たちは、それを“素人”とは呼びません。むしろ……この部を救ってくれる希望です」

天吹さんの目はまっすぐだった。

僕のほうを見ずにただ校長先生を見ている。

その背中を見て、嬉しさで少しだけ胸が熱くなった。

校長は顎に手を当てたまま、少しの沈黙のあとで言った。

「……なるほど。そこまでいうなら、ひとつ提案しよう」

「提案……ですか?」

僕が思わず声を出すと、校長は微笑を浮かべた。

「明日、1日かけて投資バトルをしよう。私と君とで」

「えっ……校長先生と、僕が、ですか?」


「そうだ。使うのはリアルタイムの株式市場のデータ。持ち資金はお互い100万、条件は同じ。より多くの利益を出した方の勝ちだ。君が勝てば君の入部を認めよう、だが負ければ――」

校長は一歩こちらへ近づき、確かな声で告げた。

「明日をもってこの投資部を廃部とする。」

部室が静まり返った。

僕は思わず、阿部先生と天吹さんの顔を見た。二人とも、まるで言葉を呑んだような表情をしていた。

やがて、阿部先生が口を開く。

「校長……本気ですか? 明日、しかも投資のほとんどやった事のない生徒相手に勝負なんて……。」

阿部先生言いたいことはわかる。正直この糞先公は卑怯だ。

そうまでして、この投資部をつぶしたいのか?

「もちろん、本気だとも。逆に言えばそれほどこの投資部に対しての“真価”を見たいのだよ。“価値があるか”を見極めるための機会だ。それに、君たちの話では彼は"素人"ではないのだろう。ならこの部活は大丈夫だろう。」

そう言い放つと、そのまま背を向けて校長先生は部室を後にした。


「まさか、校長が自分から勝負を仕掛けてくるなんて……」

阿部先生が、深く椅子に腰掛け、ため息をついた。

「すごい才能があるとはいえ、竹田さんは初心者.....そこまでしてこの投資部を廃部にしたいのでしょうか。」

「……竹田君。これは強制じゃないわ。私たちはあなたに投資の楽しさを知ってほしいと心から思っているわだからこそこの勝負の件、嫌なら断ってもいいからね」

「……。」

僕は投資について知識はほとんどない、今日、初めて投資をやってみてたまたま結果が出たけど、そんな何度も続くことではないだろう。

無理や責任を負うようなことをする必要はない、それに投資なんて部活動を通じなくても学ぶことはいくらでもできるだろう。

だけど僕は今日、この放課後を通じて投資に楽しさを覚えた。それが嬉しかったのも事実だ。

そしてそのことを教えてくれたのはこの投資部だ、僕はこの投資部で投資を学びたい。

だったら....。

「やってみます。」

僕は言った。我ながら、静かすぎる声だった。


「竹田君……!」

「正直、勝てるかどうかはわかりません。でも、僕は今日、体験したこの時間が楽しかったんです。もっと知りたいって、思ったんです。」

「だから明日、僕は戦います。勝って僕は正式に投資部に入部します。」


言葉にするたびに、自分の気持ちが確かになっていく気がした。

その思いに呼応するように天吹さんが、ぐっと手を握りしめた。

「それなら私が勝つために全力でサポートします! 過去データ、相場傾向、トレンドの分析……今日できることは全部やりましょう!」

「私も協力するわ。必要な情報は全部出すし、練習のための模擬データも提供する。明日は必ず勝ちましょう。」

部室に、再び熱が戻ってくる。

明日、僕は――校長と投資勝負をする。


部の命運を賭けて。

見てくださった皆さん。誠にありがとうございます。

多くの方が見てくださるのでとても励みになります。

次回は来週火曜日(2025/7/8)に更新できるようにします。


【補足】

※空売り:手元に株を保有していなくても、証券会社から株を借りて売却し、後で買い戻して返却する信用取引の一種。

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