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四次元が観える男

作者: 電悩過敏症

※この作品はフィクションです。実際の人物、団体、国家とは関係ありません。

 俺はある日唐突に異世界の住人に捕らえられた。本島に唐突だ。玄関にやってきてピンポンとチャイムを鳴らしたわけでもなく、突然怪しげなワープホールが現れることもなければ、魔法陣が描かれるわけでもなかった。まるで……摘まみ上げるようにピックアップされたんだ。


『h195mriの住人よ』

「h…なんすか?」

『我々がその方を便宜上呼んでいる3次元生態系空間のことだ』

「アンタらは何すか?」

『我々は4次元の生態を持つ存在』


 よくわからないが、彼らは俺たちの世界とは違う空間の住人らしい。俺たちの世界が3次元、つまり縦と横と奥行で成り立っているのに対し、かれらは4次元の世界から来ているという。……来ているという言い方は変だな。俺は拉致された側だしな。なんか白い何もない空間にいる。


「俺は今4次元に居るのか?」

『そうだが、違う。その方が今居るのは我々が作った仮想の3次元空間だ』

「アンタらの世界を見たいんだが」

『諦めろ。その方の体ではこちらの時限では耐えられないだろう。中身がこぼれてしまう』


 さらっと恐ろしいことを言う異世界人。彼らの言葉は俺の脳に直接送り込まれている感じだ。一人が二人に聞こえたり、細い声が太く聞こえたりする。頭蓋骨内で反響しているようで頭がどうかしてしまいそうだ。


「俺はなんだ?殺されるのか?」

『そんなことはしない』

「なら実験か?解剖でもするのか?」

『実験はする。解剖の必要はない』


 片言の会話で聞き出せたのは、俺の目に一日だけ特殊な効果を付ける実験をしたいのだそうだ。パニックにさせないように予め俺の了承を得ておきたいらしく、尚且つ実験や自分達のことは一切他言無用でいて欲しいと頼み込んでくる。意外に律儀な異世界人である。


「改造した目は元に戻せるのか?」

『確実に戻せる』

「本当か?」

『神に誓って』

「ははは」


 異世界の人間とは言え、彼らにも「神」がいるんだな……。奇妙な親近感を持った俺は、日々の日常に退屈していたこともあり、実験を了承することにした。すると何かの存在が俺の目に接近した気がした。痛みはなかった。

 目が覚めるとそこは昨日就寝した俺のベッドの上だった。少なくとも感覚は間違いなかった。というのも見えたのは夜が明けた空だったからだ。


「え?」


 最初は外で寝ているのかと思ったが違った。自分の部屋の天井も見えたからである。なんといえばいいのだろうか?空と天井と屋根裏が同時に見えるのである。決して穴が開いていたり、ガラスのような透明になっているわけではない。まるで今まで垣根で見えなかったお隣さんが、鳥の目線になったかのように見通せるようになったのだ。正直酔ってしまいそうだ。


「あいつら……俺の目に何をした?」


 混乱しながらも俺はスマホを取り出して調べ始める。当然そのスマホも画面の裏の基盤もバッテリーとその中身も丸見えだ。少し苦労しながらも調べて分かったことは……。


「4次元の世界の見え方……」

 

 例えば2次元の世界に図形のような住人がいるとする。彼らの視点で見ればその世界は横一直線で、他の住人も外枠しか見えない。しかしそのうちの一人がおれ達のような3次元の視覚を得れば、他の住人が何の図形なのか、内側は何色なのかまでわかってしまう。それと同じように4次元の視覚を得た俺は3次元の世界では外側も内側も見えるということだ。


「こりゃすげぇや」


 感嘆しながら自分の体を見下ろすと、いつものパジャマ姿の自分に、服を着ていない裸体、皮膚の下の筋線維やその下の骨や内臓とその中までが同時に見える。正直かなりグロい。


「透、とーおーる!そろそろ起きなさい」

「っ!?母さ……」


 そこへ気持ちの準備をするまでもなく、俺の母が部屋の中に入ってきた。当然そっちの方を見ればすべて見えたはずだが、あまりのことでいっぱいいっぱいだった俺は意識的に視野を狭めていたのだ。だが、呼ばれて振り返ったことでもろにその姿を見てしまう。いつも通りの部屋義とエプロン姿と共に何も着ていない素っ裸の彼女が見える。実の母とは言え成人女性のネイキッドは思春期の男子には刺激が強かった。


「どうしたの?」

「いえ……すぐ着替えて、いきます」

「そぉ?朝食できてるからね」


 挙動不審な様子の俺に不思議そうな顔をしながらも踵を返す美人人妻。扉が閉められても男心からその姿を目で追い続けてしまう。左右にフリフリ振られるお尻の裏に隠されている女性の神秘。だが同時に消化排泄器官や内容物まで凝視してしまい複雑な気分になる。下を見ると朝立ちで充血していた俺のムスコが、気の抜けた風船のように萎んでいるのが観えた。

 朝の支度を終え着替えた俺は、自室の隣のダイニングに出た。壁が見通せるので部屋を移った気がしない。そこではやはりエプロン姿と裸が同時に見える母と、しゃきっとしたスーツと毛深い裸が両立した父がテーブルについている。変な気分だ。


「今日のお弁当、おにぎりの中身は何だと思う」

「なんだろうな?」


 当然俺には丸見えである。


「鮭?」

「せいかーい」

「やるじゃないか透」


 異様な視界の中での朝食だった。見渡すだけで俺んち以外の人達が何をしているのかが見えてしまう。俺と同じく朝食をとっている者、朝シャンしている者、トイレで用を足している者、着替えている者……。全てが丸見えなので落ち着かない。視線を外そうと下を向けば、今度は自分の胃袋の中にズタズタに咀嚼された食べ物が落ち込むのが見えた。


「……」


 これ以上食欲は出そうになかった。


「行ってきまーす」


 外へ出るとまた一苦労だった。見渡す限り丸見えである。うつむいても地下鉄や地底のマントルや核までもが見えるようだった。目を閉じても無駄である。俺はできる限り目に意識を集中させないようにしながら学校へ向かった。


「高橋くん、おはよう!」

「っ!?木下さん……」


 校舎に近づくと同時に声をかけられて俺は硬直する。異様な視界だけが原因ではない。俺はもとより人見知りのコミュ障なのだ。特に今声をかけてきた木下三奈さんは俺の憧れの人であり、コミュ障度は一気に悪化する。彼女の姿を見ることさえ恐れ多く感じる程だ。


「もぉ、いつも目を合わせてくれないよね?」

「ごっごめ……」

「まぁ、いいや。じゃあね」


 そう言って木下さんが去っていくのが感じられた。彼女の方に目を向ける勇気はなかった。

 その後はいつも通りに教室に入るのだが、その時は否応なくクラスの生徒の姿が目に入ってしまう。男子はともかく女子の姿が視界に入るたび俺の心臓は跳ね上がった。だが彼女らの裸が見えると同時に臓器や内容物まで見えるので、頭が冷えるのも早かった。


「おい、田場。今日は持ってきてないだろうな?」

「やですね紫藤先生。昨日没収されたのに持っているわけないじゃないですか?」


 朝のホームルームで不良男子が担任に詰問されている時も、俺は彼の懐にたばこの箱が隠されているのを観る。他にも隠し事をしている生徒は多い。お菓子を持ってきている者、ゲームを持ってきている者。関わりたくない俺は見て見ぬ振りを続けた。


「さぁ、はじめますよぉ」


 しかし驚いたこともある。それは英語の授業が始まった時のことだった。教師は若くて可愛いと定評のある若葉先生だ。それ故一部の男子生徒が毎回茶々を入れる。


「若菜先生、好きです、付き合ってください!」

「英語がペラペラ話せるようになったら考えてもいいですよぉ」

「先生、体育の先生と出来てるって本当ですか?」

「ふふふ、秘密です」


 授業ということもあり、俺も割り切ってその姿を見ていたのだが、彼女の下腹部の聖域に小さな命が隠れていることを見つけたのである。疑惑はあったが、まさかおめでただったとは。四次元の目が初めて役に立ったと感じた瞬間である。

 昼を越える頃には俺はこの異質な視界に慣れつつあった。もう女子の裸程度で動揺せず、透視して見える情報を取捨選択できるようになっていたのだ。例えば5時間目の古文の小テストの有無を職員室にいる先生の挙動から察したり、部活動で無くした野球ボールを見つけたりした。


「ありがとう高橋君。結構見つけてくれたから追加発注せずにすんだわ」

「それはよかったです」

「高橋君?私の服に何かついてる?」

「いいえ、別に」


 女子マネージャーの裸体を平然と眺めながら、俺はすました顔で返す。レギュラーのレの字にも届かないベンチだが、今日に限っては気分が良かった。

 慣れというものは恐ろしいもので部活後、俺は下校中周りを積極的に見渡していた。色とりどりの女性達の裸体、着替え、お風呂……。登校時あった罪悪感も今は消え、ひたすら思春期男子の欲に従っていた。


「あ、高橋くん!今部活帰り?」

「っ!?木下さん……」


 そこで不覚にもまた木下さんと出くわしてしまった。彼女は一度家に帰ってからの外出なのか私服だった。俺は彼女を初めてまともに見てしまう。今まで遠めに見てきた、卵型の小さな愛らしい小顔、肩まで伸びる飴黒の髪。間近で見るとなお可愛い。


「ようやく目を合わせてくれたね?」

「あ、うん……」

「どうしたの?」


 しかし、俺は見てしまった。彼女の体を。当然想像通りの文句ない神秘的なプロポーションであるが、問題は下腹部の奥に隠されていた聖域にあった。純真無垢な娘ならあるはずのない不純な痕跡がたっぷりと溜まっていたのだ。


「おい、三奈!」

「あ、もぉ遅いわよ!」


 そこに来たのは木下さんに痕跡を残したと思われる他学校の男。チャラい今時の若者だった。


「じゃあね、高橋君!」

「あ」


 木下さんがその男の元へ駆けていく。恐らく今夜も……。俺は視界がゆがむのを感じた。見えるすべてが幸福をもたらさないことがわかった。意気消沈している俺の後ろでバタッと誰かが倒れる音がする。


「大丈夫お母さん?」

「大丈夫よ、ちょっと頭が痛いだけだから」


 振り向くと年老いた女性が頭を押さえて倒れていて、親族と思しき若い女性が介抱していた。俺は倒れている女性の頭を見る。


「これは大丈夫じゃないです!すぐに救急車を!」

「ええ?」

「いいから早く!」


 俺には見えていたのだ。彼女の頭蓋の中で赤いものがあふれ出していることを。




「本当にありがとうございます。なんとお礼をすればいいのやら」

「いいえ、気持ちだけで結構です。ちょっと胸騒ぎがしただけですから」


 俺の指摘で年配の女性は病院で無事に手術を終わらせた。くも膜下出血らしい。やっぱり放置していたらヤバかった。若い女性は俺に頭を下げ通しである。


「あとは私がついているのであなたは帰って下さい」

「いいえ、旦那さんが来るまでいますよ。無理はいけません。一人身の体ではないんですから」

「え……?」


 一時間後、俺は旦那を連れ添った若い妊婦に別れを告げて病院を出た。家に帰る頃にはすっかり暗くなっていた。

 異様な視界の中での夕食が始まる。俺はなるべく目の前の食べ物だけを集中して見るように心掛けた。

 その夜、再びあの空間にピックアップされた。異世界人は俺にお礼を言う。


『協力に感謝する。して、一つ質問していいか?』

「なんだ?」

『その視界、ずっと欲しいか?』

「……いいや、見たいものもあるが、見たくないものも多い。俺は三次元の視覚で十分だ」


 俺がそう言うと、また何か目に触れられる感覚がして意識も途切れた。

 翌朝、俺はすっきりした気分で起き上がった。昨日のことがよく思い出せない。いつもと同じようでいて違う感じがしたのだ。朝の支度を終え着替えた俺は、自室の隣のダイニングに出た。



「今日のお弁当、おにぎりの中身は何だと思う」

「なんだろうな?」


 そこではいつも通りのエプロン姿な母と、いつも通りのしゃきっとしたスーツの父がテーブルについている。


「昆布?」

「ざんねーん、梅でした」

「残念だったな、透」


 いつも通りの朝食を終えた俺は、これまたいつも通りに登校した。学校につくと木下さんが校舎に入るところだった。


「高橋くん、おはよう!」

「っ!?木下さん……おはよう」


 いきなり振り返られたので一瞬硬直したが、俺は平然と彼女を見て挨拶を返した。


「お、今日は目を合わせてくれたね?いつも目逸らしてばかりだったのに」

「ん、そうだったか?」

「そうだよー。じゃ」


 彼女はさっさと校舎に入っていった。俺も後に続く。何故か彼女に対する憧れもときめきも感じなかった。けれどいつも通りに見える事に不思議な安心感を覚えるのだった。

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