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中編

読んでいただいてありがとうございます。少し残酷な表現を使っている箇所がありますので、お気を付けください。

 レティシアに連れて行かれた先は、格式張った謁見用の広い部屋ではなく、もう少し気軽に人と会う時に用いられる応接間だった。

 ここには何度か来たことがある。重要だが表に出せないような人と会ったり、個人的な用事の時に使用する部屋だ。

 そこには皇帝ユージーンと皇妃オーレリアが待っていた。

 エメリーンが挨拶をしようとすると、ユージーンが止めた。


「堅苦しい挨拶はいらん。ナセル将軍から手紙が来た。それにジョーヤの国王からもな」

「はい。私にも両方から手紙が参りました。それに王弟殿下からもいただきました」


 ジョーヤ王国の王弟レナードは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「エメリーン、五年前のことをユージーン様から詳しく聞きましたが、もしあなたが嫌ならば断ってもいいのですよ?」


 心配そうなオーレリアの言葉に、エメリーンはこんな場だというのに、陛下はよい皇妃様を選んでくださったな、と思った。

 臣下にとっては、完全に飴と鞭の二人だ。

 当然、鞭は陛下で飴は皇妃様だ。

 力強く人を指揮し、迷いなく導くタイプの皇帝陛下と、細やかな心遣いで人に安寧をもたらす皇妃様。

 帝国はこの二人がいれば安全だろう。そして、それはその支配下にある国にも言える。


「五年前と違い、ジョーヤ王国は安全な場所です。レナード殿下からいただくお手紙は、いつも私のことを気遣ってくださっている内容ばかりですし、私に否やはありません」

「……そうか。もうくだらん狂信者集団はいない。お前の父が根こそぎ排除したからな」

「はい。ですから、安心して嫁ぐのです。それに、私のことを知る方は少ない方がいいですから……」


 エメリーンの身体には、数々の傷痕と焼き印が押されていた。

 傷痕は、鞭と刃物によっていたぶられた時のもの。

 背中の焼き印は、生贄の証として押されたジョーヤ国の王家の印。

 エメリーンは、その傷を隠す為に真夏であろうとも長袖を着ていた。

 助け出された時は、本当に死神が隣で微笑んでいるくらいの状態で、回復には時間がかかった。

 五年前に起こった、ジョーヤ国内の狂信者集団による生贄事件。

 十二歳だったエメリーンは、その被害者の一人だった。

 当時、エメリーンの父はジョーヤ国にいて、国境の蛮族と戦っていた。

 母のファニーは、エメリーンと共に帝国内にいた。

 下級貴族から実力で将軍にまでなったナセル将軍を、ユージーンは高く評価していた。それは先帝も同じで、少しでも高位貴族の後ろ盾が出来るようにと組まれたのが古い家柄の伯爵家の娘だったファニーとの結婚だった。

 完全な政略結婚だった二人は、エメリーンが生まれてからはまともな会話がなかったくらい、上手くいっていなかったそうだ。仮面夫婦を通り越して、二人で並んでいようがお互いに目も合わさない状態だった。

 エメリーンの教育は基本、母親まかせだったが、その頃は放置はされても虐待まではされていなかった。名門伯爵家の血を引いている娘として、教育はきちんとされていた。

 自由気ままなファニーの好みは、いわゆる物語の王子様のような人で、間違っても筋骨隆々な武人ではなかった。

 音楽を愛で詩を諳んじる人を愛していたファニーは、夫がいてもいなくてもかまわずに、芸術系のサロンに通っていた。

 そこで、出会ったのが、ジョーヤ王国の末の王子だったパトリック。レナードの弟に当たる人物だった。

 彼は金髪碧眼の中性的な美貌の王子様だった。

 エメリーンも会ったことはあるのだが、その時は確かに母好みの物語に出てくる王子様そのもののイメージを持つ男性だなと思っていた。

 だが実体は、ジョーヤ国の王族こそこの世で最も高貴な一族であり、この大陸全てを支配するのに相応しいと考える集団の教祖だった。

 パトリックの狙いは、言霊を神のもとへと運ぶ役割を担う生贄を探すことだったのだ。

 それには、バルバ帝国の者が相応しい。

 ジョーヤ国を支配下に置くバルバ帝国の者に、ジョーヤの王族こそが最も高貴なる存在だと神に伝えるメッセンジャーとなってもらい、バルバの皇帝一族を滅してもらうために。

 なるべくなら、高位貴族の娘がいい。

 そう思っていたパトリックにまんまとはまったのが、ファニーだった。

 己の理想そのものの姿をしていたパトリックに、ファニーはあっという間に夢中になり彼の言うがままに動くよい手駒になった。

 エメリーンは、誘拐された日のことを、今でもはっきりと思い出せるくらいに覚えている。

 それは、ごく普通の日だった。

 元々、そんなに家でも会話しない母のことは、使用人たちが心配している程度にしか思っていなかった。

 あの日は、いつも通り学園に行き、夕方頃に帰って来た。

 おかしいなと思ったのは、帰って来た屋敷に入った時だった。

 いつもなら出迎えてくれる使用人が、誰一人として姿を現さなかったのだ。

 名前を呼んでも、いつもなら誰かがいる部屋を覗いても、誰もいない。

 すでに空が薄暗くなっている時間帯の異様な空間に、エメリーンが恐怖を感じ始めた時、上の階から微かに声が聞こえた。

 青ざめた顔をしたエメリーンが、恐る恐る声のした二階に行くと、一部屋だけ扉が少し開いていて薄い光が漏れていた。

 声もその部屋から聞こえる。女性の声なのだが、エメリーンには獣のうなり声のように聞こえた。

 覗いた先にいたのは、ベッドの上で裸で絡み合う男女。

 驚きのあまり声も出せずに無言で見ていると、上に乗っていた女性がエメリーンに気付いてにやりと笑った。

 それは、エメリーンの母ファニーだった。

 そして、ファニーと共にいたのがパトリックだったのだ。

 そこから先の記憶はひどく曖昧だ。

 後で聞いたのだが、使用人の内、ファニーに近かった者たちは彼女の味方になっており、残りの者たちは、残念なことに殺されていた。

 エメリーンはそこからずっと意識が戻らないように薬を使われ、国境を越えてジョーヤ国内へと秘密裏に運ばれた。

 エメリーンをいたぶったのは、パトリックと実母であるファニー。

 場所はパトリックの私邸で、そこから地下洞窟に入る入り口があり、その場所にはずっと昔の時代に使われていたという古の神の祭壇があった。

 パトリックたちは、その古の神に生贄を捧げて願いを叶えてもらおうと考えていたのだ。

 屋敷は森の奥深くに作られた別荘で、周りに民家などなかった。

 「だから、どれだけ声をあげても誰も助けにこないのよ」、そう言って楽しそうに実の娘に鞭を振るったのは、ファニーだった。

 顔は避けていたが、娘の身体に鞭を振るうその姿は、もう悪魔にしか見えなかった。

 特にひどくいたぶられた日の天気が、雷雨だったのを覚えている。

 昼間だというのに真っ暗な空と、屋敷内にも大きく響いていた雷の音。


 「雨や雷の音よりも大きな悲鳴を聞かせてちょうだいね。それがパトリック様のお望みなのよ」


 甘ったるく気持ちがわるくなる匂いに満ちた部屋の中で、ぞっとするような笑顔を向ける母に、エメリーンは恐怖しか覚えなかった。

 痛みと恐怖に耐えながら見た窓に打ちつけていた雨に、雨音で他の音を消してくれるのなら、どうか母の甲高い声も消してほしい、心の底からそう願った。

 そしてパトリックは、この娘はジョーヤ王国のモノである、と宣言して、信者たちの前でエメリーンに自ら王家の印の焼き印を押した。

 あまりの痛さに泣き叫んだが、その悲鳴さえも彼らを楽しませただけだった。

 エメリーンは焼き印を押された日からの記憶がない。

 どうも儀式の日まで生かしておく為に強い薬を使われたらしく、この日からずっと意識が朦朧としていたのだ。

 ……だから、実際にエメリーンが何をされていたのか、具体的なことを知る者はいない。真実を知っている者は全てこの世から消え去った。

 パトリックと彼の崇拝者たちによる狂宴は、ナセル将軍が、狂信者たちが子供を誘拐して生贄にしている、大規模な生贄の儀式が催される、という情報を掴み、そこに乗り込むまで続いていた。

 その間に、ジョーヤ国とバルバ帝国の子供が幾人も犠牲になっていた。

 生き残っていたのは、ほんの数人しかいなかったそうだ。

 そして、儀式のメインとして殺されるはずだったエメリーンは、ぎりぎりで助け出された。

 父はあまりその時のことを話したがらなかったが、エメリーンが聞く権利があると主張して何度か頼みこむうちに、ようやく重い口を開いた。

 父は、儀式が行われていた地下神殿に着いた時、まだそこに自分の妻と娘がいることを知らなかった。信者たち全員が生贄に意識が向いた瞬間に軍人たちがなだれ込み、あちらこちらで戦闘が起こった。

 その中で最上段の生贄の祭壇にたどり着いた父は、教祖の隣にいた妻に驚いた。

 そして祭壇の上に、薄い白い布だけをかけられた娘が寝かされていることにさらに驚いた。

 教祖と呼ばれている男が王家のパトリック王子であることは調べがついていたが、まさか自分の妻がその傍らにいて、娘が生贄にされそうになっていたとは気が付いてもいなかった。

 バルバ帝国の家に残してきた者たちからの手紙が途切れていたことに、ナセル将軍は気が付いていなかったのだ。

 なぜ、と父が問うと、母はパトリックに身を寄せて、あなたが悪いのよ、と言った。

 そんな母をパトリックが父に見せつけるように抱きしめて口づけ、その胸に刃を刺した。母は死の瞬間まで恍惚とした表情を浮かべていたそうだ。

 そして、そのままエメリーンのことも刺そうとしたので、その場で父がパトリックを殺した。

 その日、かろうじて生き延びていた信者数人が拘束され、生贄にするために集められた子供の内、生きていた数人が保護された。

 信者たちは情報を残らず吐かされた後は秘密裏に処理され、子供たちは、身元が分かる者は家族に返され、残りは王家が運営をしていた孤児院に入った。

 エメリーンに残されたのは、傷痕と背中の焼き印だった。

 医者はこれらは治ることなく一生残ると言った。

 焼き印を消そうとするなら、もう一度エメリーンの背中を焼くしかない。

 そんなこと、させられるわけがなかった。

 ナセル将軍は、エメリーンにこれ以上、傷ついてほしくなかった。

 しばらく経った頃、パトリックの兄であるレナードが、自分が責任を負うと言ってきた。

 具体的には、エメリーンをレナードの妻として迎え、一生、不自由はさせない。

 エメリーンが望むなら、指一本触れないし、子供もいらない。

 彼女が幸せに暮らせるように、精一杯努力する。

 レナードは、ナセル将軍と共にパトリックのもとに乗り込み、エメリーンを最初に保護した人物だった。

 薬と傷などの影響で発熱してぼーっとしていたエメリーンは、裸で寝かされ、胸元辺りから白い布だけをかけられた状態だった。

 パトリックとナセル将軍が斬り合う中、人質にされないように先にエメリーンを保護しようと抱き上げた時、エメリーンの背中からぬるりとした感触がした。

 まさか切られたのかと思い急いで確認をして、レナードは声を失った。

 少女の背中にある無数の傷と王家の焼き印。

 どの傷も死なないように浅めだが、鮮血はそこから出ていた。

 レナードが、少女とはいえ女性の身体を見るのは、と一瞬迷ったが、それよりも致命傷になるような傷を負っていないか確認した方が良いと判断して、エメリーンの身体の前方部分もさっと見た。

 ひどい傷を負っているのが背中だけだと確認したレナードは、エメリーンを布でしっかり覆い、その場を離れた。

 だから、レナードはエメリーンの傷と焼き印のことを知っている。

 そんな傷を負わせた元凶は、弟のパトリックだ。

 レナードは、兄として、そしてこの事態を防げなかった王家の者として、責任を取る為にエメリーンに婚姻を申し込んだのだ。

 ナセル将軍は、エメリーン次第だと言った。

 エメリーンが嫌がるのなら、この話はなかったことにする。

 エメリーンが嫁がなくても、ナセル将軍はかまわなかった。

 意識が戻ってようやくベッドから起き上がれるようになった頃、レナードの申し出を聞いたエメリーンは、しばらく迷った後に、まずはレナードに会うと言った。

 正直、今の自分は大人の男性が怖い。でも、これから先に会う全ての男性を避けるわけにはいかないし、うっすらと覚えている「もう大丈夫だ」、と囁かれた低い声に安心感を覚えたのは確かだ。

 それに、この身体では、嫁ぎ先など考えられない。

 数日後、レナードと会って長い時間、話し合った結果、エメリーンは正式に話を受けた。

 ただ、多少時期をずらして正式発表する予定になっているとはいえ、パトリックとファニーの死は公表はしないわけにはいかない。

 どちらも一般人ではなく、一国の王子と帝国の将軍の妻だったのだから。

 当然ながら、パトリックが教祖でファニーがその愛人だったなどと言えるはずもないので、両方とも病死ということにはなる。

 だが、二人の死と近い時期にエメリーンとレナードの婚約を発表したら、まず間違いなく何かがあったのだと推測されて噂されてしまう。多くの人間が、二人が親しかったことを見知っているのだ。

 そんな二人が似たような時期に死んで、近しい二人が婚約するともなれば、二人の死には絶対何か言えない理由があったのだと推測されるだろう。

 まして、エメリーンは十二歳、レナードは二十五歳。年齢差がありすぎるのだ。

 それにレナードは、政略結婚ではなく、あくまでも自分がエメリーンを望んだという形にしてほしいと願った。

 さすがに年齢差があるし、成人もしていない十二歳の少女に一目惚れとかはまずいから、何よりエメリーンは表向きはジョーヤ国に来ていないことになってるから、と待ったがかかり、レナードと兄である当時の王太子、まだ皇太子だったユージーン、ナセル将軍、そして事実を知る幾人かがどうするか頭を悩ませた結果、五年後、何か適当な名目でナセル将軍をジョーヤ国に派遣して、そこにエメリーンも呼び寄せて、たまたまエメリーンと出会ったレナードが彼女に一目惚れしてそのまま結婚する、という何ともアバウトな案が出来上がった。

 五年後、十七歳になったエメリーンになら三十歳になったレナードが一目惚れしても周囲の目は誤魔化せるだろう、という結論に達したのだ。

 さすがにこの案を聞いたエメリーンは、「ちょっとがばがばすぎませんか?」と確認したのだが、レナードが乗り気だったので、そのまま採用された。

 レナードとは、年に何回か密かに手紙のやり取りをすることにして、お互いを少しずつ知っていこうと約束した。

 今はまだ実感が湧かなくてもいいから、友人から始めよう、そう言ってレナードは最初の贈り物として、病室で退屈しているエメリーンの為に本としおりをくれた。

 それらは、大切にエメリーンの部屋に置いてある。

 いかにも武人という感じのレナードと本としおりという組み合わせが面白くて、エメリーンは恋が出来るとは思えないけれど、誠実なこの人と向き合っていこうと決めた。

 帝国に戻ってからも約束通り手紙が送られてきて、時折、贈り物も届くようになった。

 あまり目立たないように小さな物が多かったが、時には父の名でドレスなども届いた。

 エメリーンが遺跡などに興味を持ったのは、自分が儀式に巻き込まれたこと、その場所が古い時代の地下神殿であったこと、生贄を求める神とはどういう存在だったのか、色々なことを自分で調べてみたくなったからだった。

 それを調べる為に通った大図書館で出会ったのが、クレイルだった。

 彼の持つ雰囲気は、エメリーンが今まで出会った他の誰とも違っていた。

 武人の父やレナード、冷たい目か恍惚とした目でしかエメリーンを見なかった母、生贄の獲物をいたぶるのが楽しそうだったパトリック。その誰とも違う、まるで図書館そのもののような静かで穏やかな雰囲気が好きだった。

 これが恋かといわれると分からないが、憧れではあった。

 エメリーンはこれからレナードに一目惚れされる身だ。

 誰かに恋などするべきじゃない。

 それに、恋に堕ちて実の娘さえ殺そうとした母を見てきたのだ。

 恋が良いものだなんて、そんな夢は見れないし思えなかった。

 だから、いいのだ。

 初めから、こうなる予定で誰もが動いていた。

 がばがばの計画だったが何だか上手くいっているし、エメリーンに嫌という気持ちはない。


「皇帝陛下、私はレナード様のもとに嫁ぎたいと思います」

「……そうか。ならばエメリーン、両国の関係の為にも仲の良い夫婦となってくれ。もしお前が不幸になろうものなら、ナセル将軍が今度こそ全軍率いてジョーヤ国を滅ぼしそうだ」


 ユージーンはくっくと笑った。実際に五年前、このままエメリーンが死んだらジョーヤ国を滅ぼしてもいいかという問い合わせが本国に来て、何事があったのかと慌ててジョーヤ国に行ったのがユージーンだった。確認の為に、意識のなかったエメリーンの傷も見せてもらったこともある。

 見て知っていたから、レナードの申し出を承認した。


「エメリーン、俺たちはお前の幸せを願っている。あの国には嫌な思い出も多いだろうが、何かあればレナードにすぐに言え。レナードに言い辛い事があったのなら、すぐに俺に手紙を寄こせ。お前の後ろにはバルバ帝国がついているのだ。それを忘れるな」

「はい、皇帝陛下。ありがとうございます」

「エメリーン、男性に言い辛い事ならば、わたくしに手紙をちょうだいね。わたくしも友人としてあなたの幸せを願っているから」

「オーレリア様、ありがとうございます。オーレリア様に友人と言ってもらえて大変光栄です」


 エメリーンをオーレリアに紹介したのはユージーンだった。それから私的なお茶会などを開いて交友を重ね、最近来たレティシアとも仲良くしゃべるようになっていた。

 この国で母との良い思い出はあまりないが、友人との楽しい思い出はある。

 推し活もして、しゃべっているだけで少し心が温かくなるような経験も出来た。

 限られた時間の中だったが、やりたいことは全部出来たと思う。


 だから、エメリーンは頭を上げてこの国から嫁ぐのだ。

 

 

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