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前編

読んでいただいてありがとうございます。

 雨は好き。

 雨の音が全ての雑音をかき消してくれる気がするから。

 全て忘れてしまえば、私はもっと楽に生きていけたのだろうか?



「こんにちは、エメリーン嬢。本日は何をお探しですか?」


 にっこり微笑んでくれたのは、この大図書館の司書をしている青年だった。


「こんにちは、クレイル様。西の大陸にあったという古の文明について書かれた本はありますか?」

「何とも珍しい本をご所望ですねぇ」

「ふふ。父から少し調べてほしいという手紙が来たんです」


 クレイルの持つ穏やかな雰囲気がエメリーンは好きだった。

 友人たちには、控え目に「年上の大人しい方がお好きなのね」、略すと「じじぃ趣味」と言われている。ただ、何と言われようがエメリーンはクレイルの持つ雰囲気が好きだった。


「意外ですね。ナセル将軍にそんなご趣味があるとは」

「ああ見えて、父は考古学者になりたかったんですよ」


 エメリーンの父は武人で、この帝国の将軍だ。皇帝陛下の命に従い数多くの戦場を駆け抜けている父だが、若い頃は考古学者になりたかったと言っていた。

 そのせいか、戦場近くに古代遺跡があると皇帝陛下に保護を願い出ている。

 陛下も面白がって許可をくれるので、一部では有名な話だった。


「そういえば、ナセル将軍がいらっしゃるジョーヤ国で新たな遺跡が見つかったとか」

「えぇ、ジョーヤ国は古い歴史をお持ちの国ですので、ジョーヤ国が出来る以前の遺跡を見つけたそうです」


 父からの手紙は、新たな手付かずの遺跡を見つけたことに対する喜びに溢れたものだった。


「あの辺りはもう帝国に従っていますから、将軍は遠慮なく探し回ったんでしょうね」

「はい。以前から噂で聞いていたのです。父は、ちょうど良い機会だから必ず見つけると意気込んでおりました」


 戦場では鬼のようだと評される父だが、エメリーンにとっては遺跡仲間であり、その知識量はそこら辺の歴史学者より豊富な父だ。

 いかにも武人という体型を持つ父は、クレイルとは正反対だった。

 エメリーンがクレイルを気に入っていることを父は知っているが、同時にエメリーンのこと(・・・・・・・・)を知っている父は、悲しみに満ちた目で娘を見ていた。

 そんな目で見なくても、エメリーンは別にクレイルとどうこうなりたいわけではない。

 いわゆる、推し活というやつなのだ。


「学校も長期休暇に入りましたし、一度、父のもとに行ってみようと思っています」

「将軍のもとへ?危険では?」


 ジョーヤ国が帝国に従っているとはいえ、あの辺りはナセル将軍を派遣するくらいには危険な場所だ。


「危険などありませんわ。……昔、一度行ったことがあるのですが、その時はあまり見て回れませんでしたの。今回は、ゆっくり見てみたいと思います」


 父からの手紙には、そろそろこちらに来るようにと書かれていた。

 約束の時が来たということだ。

 それは限られた人間しか知らない約束。

 当然、クレイルは知らない。


「あの辺りの遺跡の仕様が、西の大陸にある遺跡に似ているそうなんです」

「あぁ、それでそちらの本を探されていたんですね?」

「はい。父は絵も上手いので、絵付きで手紙が来たんです」


 昔は全く関わり合いのない父娘だった。だが、あの時から変わった。

 父は娘を哀れに思い、何とか良い思い出を残そうとしてくれていた。

 そんな父に感謝はしている。

 一般的な父娘の関係ではないだろうが、こんなことが出来るのは、わずかな期間だけだとお互い分かっていた。

 それを知っているから、エメリーンも積極的に父と関わっていたのだ。


「クレイル様は、外の国へ行ってみたいと思われないのですか?」

「私ですか?昔は行ってみたいと思っていましたが、今はこうして本に囲まれているのを幸せに感じていまして」

「そうですね、こうして本に囲まれた一生というのも素敵ですね」


 にこにこと笑顔でエメリーンがクレイルの発言を肯定したので、クレイルは驚いた顔をした。


「?どうかされましたか?」

「いえ、肯定されることが珍しくて……」

「人それぞれ、幸せを感じる時間や場所は違うと思いますから。クレイル様にとって、この大図書館にいることがお幸せならそれでいいのでは?」

「……そのようなことをおっしゃるお嬢さんは珍しいですよ」


 ほとんどの女性がこの場所と仕事に幸せを見つけてくれないというのに、この少女は……。

 クレイルは滅多にない貴重な同意を得て、嬉しくなった。


「そうですか?ここに来れば、行ったこともない国のことを調べたり、歴史や遺跡のことを知れたりと面白いことばかりなんですが……」


 しかも、本気でそう言っている。

 クレイルと気が合うことは確かだ。


「あら、もうこんな時間ですわね。クレイル様、それでは失礼いたします」

「はい。お気を付けて、エメリーン嬢」


 これもいつものこと。

 エメリーンはここに来てクレイルと少しだけ会話をして、すぐに帰って行く。

 その後ろ姿には、何の未練も感じられない。

 まるで、今日ここで話すことが最後の言葉だとでも言うかのように、エメリーンはクレイルと会う度に友人でも恋人でもない微妙な距離感の会話をして去って行く。

 いつからだろう、そんな彼女の後ろ姿を、無意識のうちに目で追い初めてしまったのは。

 だが、クレイルはエメリーンに何も告げる気はなかった。

 ただ、この幸せな時間が長く続けばいいと思っていた。


「クレイル殿」


 柔らかい声の彼女と違う男性の呼びかけに、クレイルははっとして意識を切り替えた。


「これはリュシアン殿、何かお探しの本でもありましたか?」


 最近、帝国に来て皇帝陛下の側近として働き始めたこの青年は調べ物をしによくここに来るので、時折しゃべるくらいの仲にはなっている。


「……クレイル殿、先ほどの女性は?」

「ナセル将軍の娘のエメリーン嬢です。歴史に興味がある方で、よく来られるのです」

「そうですか。……失礼ですが、ご関係は?」

「……邪推されるような関係などありませんよ。ここで少し歴史の話や本について話す程度ですから」

「ふーん、そうですか。……まぁ、忠告を一つ。手に入れられる時に手に入れておかないと、するりと逃げていきますよ」

「それは……何のことですか?」

「心当たりがないのでしたら、別に意味はありませんよ。僕は嫌でしたが、あなたがそれでいいのなら、それで」


 リュシアンはにこりと笑うと目的の本のタイトルをいくつか言ったので、クレイルはその本を探した。

 クレイルは、その中に先ほどエメリーンとの会話で出てきたジョーヤ国の本があることに驚いた。


「リュシアン殿は、ジョーヤ国に興味がおありなのですか?」

「あそこは帝国のすぐ近くにありながら、独自の文化が育っていて面白い国ですからね」

「そうですね。あの国は帝国よりも歴史が古く、自分たちの文化に誇りを持っていますから」

「時々、過激な者達が暴れているようですが」

「えぇ、五年ほど前だったでしょうか、その者たちが子供たちを生贄としてさらっていたという事件がありました」


 ジョーヤ国は、昔は宗教国家だった。王は神として君臨し、絶対的な身分制度の下に支配されていた。

 その制度は徐々に崩壊し、王は人として玉座に座り、今は他の国家と変わらないくらいにまで収まっている。ただ、一部の過激派たちが昔の宗教国家に戻そうと熱心に活動しており、神に生贄を捧げることをためらわないその姿勢から、邪教の集団として扱われていた。

 五年ほど前、その集団がバルバ帝国の影響を嫌い、神に生贄を捧げてジョーヤ国からバルバ帝国を追い出そうとした事件があったくらいだ。


「生贄ねぇ。邪神でも復活させるつもりだったのでしょうか」

「その時は、バルバ帝国の皇族全てに死の呪いをかける為、とかそんな理由だったと記憶しています。ナセル将軍がその儀式の場に乗り込んで、教祖を筆頭に多くの人間が死んだそうですよ」


 クレイルは本国にいてその話を聞いただけだったが、現場は相当ひどい有様だったと噂で聞いていた。

 それに、そこに帝国の貴族も絡んでいたという、嘘か本当か分からない噂も聞いたことがあった。


「教祖も死んだということは、その集団はもうないのですか?」

「はい。ナセル将軍が徹底的に探したそうです。誰一人逃れることを許さなかったそうですよ」


 エメリーンの父であるナセル将軍は、一年以上の時をかけてその集団を徹底的に潰した。末端に至る者まで全て探し出すその姿があまりにも鬼気迫るものがあったので、何事かあったのだろうかと、こそこそ噂されていた。


「今のジョーヤ国は平穏そのものみたいですよ。あぁ、先ほどのエメリーン嬢が今度、ナセル将軍を訪ねてジョーヤに行くと言っていましたよ」

「……そうですか」


 リュシアンはクレイルを意味深長な顔で見ていたが、クレイルはそれに気が付かなかった。




「あ、雨……」


 誰もいない大図書館の廊下をエメリーン嬢は一人で歩いていた。

 ふと外を見ると雨が降っていた。

 まだそれほど降ってはいないが、夜になればもっと激しくなるかもしれない。

 あの日は、もっと大雨が降っていた。

 ロウソクと雷光に照らされた母は恍惚とした表情をしていて、綺麗な顔立ちをした青年が天使のような笑顔で鞭や刃を思う存分振るっていた。

 皮膚の焼ける匂いと痛み。甘ったるい強い匂い。

 あの時、このまま雨に溶けてしまいたいな、って思っていたっけ……。

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、コツンコツンという靴の音が響いてきた。


「エメリーン様」


 靴の音が止まり、目の前に現れたのは、最近皇妃様に紹介された女性だった。


「レティシア様?」

「はい。お迎えに参りました。皇帝陛下がお呼びです」


 エメリーンに向かって、レティシアは綺麗な礼をした。


「……分かりました。参ります」


 父からの手紙を読んだ時に、覚悟を決めたはずだった。

 でも、改めてこうして皇帝陛下に呼び出されると、嫌でも現実を認識させられた気がした。

 エメリーンは、一度だけクレイルがいる方を振り返ってそちらに向かって頭を下げた。

 そして二度と振り返ることもなく、大図書館を後にしたのだった。

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