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下っ端聖女と犬好き神官

作者: 里見遙

この国には聖女と呼ばれる存在がいる。


ある時神の声を聞いて、夢の中で神の啓示を受けて、はたまた神と邂逅し、聖なる力や癒しの力を得て、聖女となるのだ。

神のいとし子と呼ばれる彼女らは、神殿にて大事に育てられ、囲われている。


かくいう私、リディアも聖女だ。とはいっても、力は微々たるものの下っ端だが。というのも、私が力を得るきっかけが特殊だった。


現在神殿には大聖女さまがいる。神の寵愛を受け、守護神さまが直接彼女の前に姿を現して、強大な加護を授けたのである。これはとても珍しいことだ。


そして私は、本当に偶然、その場に居合わせたのである。


守護神さまは光り輝いていてよく見えなかったし、声も聞こえなかったが、 私はその聖なる力の余波を浴びて、わずかながら力を得るに至った。つまり私は、大聖女さまのおこぼれにあずかって生まれた聖女なのである。

たぶん守護神さまは近くにいた私の存在に気づいてもいなかったと思う。


これもまた異例なことで、神殿で議論が交わされた末、一応力を持っているということで私もギリギリ聖女認定され、神殿にやってきたのであった。

聖女になれば国から支援金が受けられるので、貧しい我が家にはもってこいだった。


ただし私は神のいとし子というわけではないので、神殿での立場は微妙だった。他の聖女たちには遠巻きにされているし、私を侮る神官も多い。私としてはまだまだ小さい弟妹たちがいるので、支援金のためにも神殿を追い出されるわけにいかなかったので、下働き同然のことをして頑張っている。

それに、私は守護神さまに憧れている。麗しき男神さまに仕えられるなんてとても嬉しい。直接姿を見て、声もかけていただいた大聖女さまが羨ましい。


神殿の雑務をこなし、礼拝堂で祈りを捧げ、併設の治療院で軽度の怪我の治療をし、これまた併設の孤児院で子どもたちの世話をやき、支給される粗食を食べ、眠る。そんな毎日の繰り返しだ。

それでも私はこの仕事に誇りをもっているし、私のしょっぱい力でも怪我を治したら笑ってお礼を言ってくれる人がいるのは嬉しかったし、素直に私を慕ってくれる子どもたちの元気いっぱいな姿には癒されている。


「こら、廊下を走るんじゃありません」


先生みたいな声をかけてくるのは、こんな私でも一応聖女として扱ってくれる神官さまだ。まだ年若く、銀髪に青い瞳という涼しげで美しい容姿をしている。

実家は貴族だそうで、三男なので継ぐ爵位がないから神官になったという経歴だとか。ひそかに神殿内では人気のあるお方である。


「すみません神官さま」


ぴしりと気を付けして立ち止まる。神官さまは私の顔を一瞥して、眉をひそめた。


「鼻の頭に泥がついていますよ。どこで何をしてきたんですか」


慌てて手で払うが上手く取れなかったようで、神官さまがハンカチで拭ってくださる。うええ、高そうなハンカチ……。


「今日は少しばかり裏庭の草むしりを」

「そんなの聖女の仕事ではないでしょう」

「庭師のトムじいさん、腰を痛めてしまってて。私じゃ腰痛は治せないし」

「だからと言ってあなたがする必要はないでしょう」

「うーんでも、私って聖女としての仕事にはほとんど役に立ちませんし」


そう答えると神官さまはため息をひとつ。

いやだって事実だし。他の聖女のようにしろと言われても、私は他の聖女たちと違って教養もなければ実家の後ろ盾もない。あまつさえ、神の声を聞いたわけでもないのだ。追い出されないためにも、雑用くらいは引き受けないとね。


「ちゃんと手を洗うんですよ」

「はーい」


お母さんか。


他の神官は私を見ると嫌そうな顔をしたり、馬鹿にしたり、面倒な仕事を押し付けてくることがほとんどなのに、神官さまはなぜか何かと私のことを気にかけてくれる。なんでだろ。めっちゃ人がいいんだろうなきっと。



* * *



うーん参ったな。私ろくな着替え持ってないんだよな。私の部屋にはシャワーついてないし、大浴場はまだ使える時間じゃないし。

私には一着しか与えられていない濡れた法衣を絞りながらとぼとぼ歩いていると、いつもの神官さまが向こうから歩いてきて、私を見つけてぎょっとした顔をしてこちらに早足で向かってきた。

うわー、面倒な人に見つかってしまった。


「どうしたんですかそれは!」

「いやその、ちょっと上から水が降ってきまして」

「……嫌がらせですか」

「あはは」

「あははじゃありません。そのままでは風邪をひきます。早く湯あみして着替えてきなさい」

「うーんまだ大浴場開いてないですし、私着替えほとんど持ってなくて」

「は?」


えっ何こわい。だから私は他の聖女たちとは待遇が違うんだってば。


「ついてきなさい」

「え、どこ行くんですか?引っ張らないでくださいよ」


神官さまは自分も濡れるのも構わず、私の腕をつかんでぐいぐい引っ張っていく。

なんか神官さまめっちゃ怒ってるし、私は大人しくついていくしかなかった。


連れてこられたのは神官さまの私室だった。

ええー、ここ私が入ったらまずくないか?と少し抵抗したが、これまたぐいぐいと部屋の中へ押し込まれてしまった。


「そちらの部屋が浴室になってますから使ってください。私のものになってしまいますが着替えを用意します。脱いだ法衣はドアの前に籠を置いておくのでそこに入れてください。暖炉で乾かしておきます」


な、なんて手厚い待遇。


「すごいですねえ、神官さまの部屋には浴室も暖炉もあるんですね」

「……あなたの部屋はどうなってるんですか」

「私の部屋ですか?元物置なので、寝台置いたらそれでもういっぱいです」

「…………」


あっまた怖い顔になっちゃった。


「すみませんありがたく使わせていただきます。法衣は自分で乾かしますので」

「私がやりますのであなたはゆっくり温まってください」

「はあい」


この人はこうと決めたら頑固なので、大人しく従うことにした。

こじんまりとしているが湯船もある浴室で、備え付けてあった温石ですぐに湯も使えたので、嬉しくなってゆっくりつかってしまった。大浴場、下働きの人用で他の聖女は使わないし、肩身がせまくてのんびりできないんだよねえ。


「いいお湯でした……。着替えもありがとうございます」


置かれていた神官さまの衣服を恐縮しながら着ようとしたが、だいぶぶかぶかだったので、シャツとズボンを折り曲げてなんとか着て浴室から出る。

法衣はしっかり暖炉前で乾かされていた。うう、私がやろうと思ってたのに。


「こら、ちゃんと髪を拭きなさい」

「わぷ」


タオル片手に近寄ってきた神官さまにわしわしと髪を拭かれる。犬猫じゃないんだから……。優しいんだけどこういうところ雑なんだよなこの人。

神官さまが納得するまで髪を拭かれ、ちょっとくらくらしながらもすすめられたソファに座る。わー、ソファもふかふか。

すると暖かい紅茶を出してくれた。なんて至れり尽くせりなんだ。自分の分も入れてきた神官さまは向かいのソファに座り、私たちはしばしお茶を楽しんだ。


「こんなに美味しい紅茶初めて飲みました」

「お茶請けもありますよ」

「なんと!」


クッキーまで出してくれて、遠慮なくいただいてしまった。高級なお味がした。

お茶を飲み終わるころには法衣もほとんど乾いていたので、着替えてお暇することにした。


「服は洗ってお返ししますね!」

「いえ、あなたに差し上げますよ。部屋着にでもしてください」

「ちょっと大きすぎて着るの大変なので、いらないです」

「……そうですか。あなたが異性の服を洗ったりすると悪目立ちしますし、こちらで洗濯に出しますのでお気になさらず」

「そうですか?すみません」


部屋を出る前に、ちょっと聞いてみた。


「なんで神官さまって私にこんなに親切なんですか?」

「それは……」


神官さまはしばし考え、


「あなたって実家で飼ってる犬に似てるんですよね。なんだか放っておけなくて」


犬扱いだった!!


その後、私が紅茶とお菓子をあんまり喜んだせいか、時折神官さまがお茶に誘ってくださるようになった。

先日は大変な状況だったのでともかく、なんでもないのに神官さまの私室にお邪魔するのは色々まずい気がしたので、何度も断ろうとしたが、珍しいお茶が手に入ったんです、とか、東の国のなかなか手に入らない菓子があるんですよ、とか、たくさん頂いたので消費を手伝ってくれないとダメになってしまいます、 などという巧みな誘い文句に、私はホイホイついていってしまうのであった。



* * *



本日の雑用に目途がつき、手持無沙汰で神殿内の中庭をぷらぷらしていると、見知った人たちの姿を見かけた。大聖女さまと神官さまだ。


大聖女さまは金色の髪に青い瞳で、華奢な体つきに愛らしい顔立ちをした、可憐な花のような方である。美形二人が並んでいると大変絵になる。金と銀で対な感じあるし、穏やかに笑みを浮かべて談笑しているさまは、うわっこの二人お似合い!お幸せに〜って感じだ。まあ大聖女さまは守護神さまのでっかい愛を受けられている方なので、いつかは神の花嫁として迎え入れられ、現世の人と結ばれることはないのだけど。


眼福眼福〜と軽く拝みながらひっそり眺めていると、神宮さまと目が合った。

神官さまは木陰に潜んでいる私を見て、何やってんだこいつという顔をした。

その視線を追った大聖女さまにも見つかってしまった。仕方ないので二人の前に姿を見せる。挨拶くらいはしないとねえ。


「何してるんですかあなた。そんなところに隠れたりして」

「いや通りがかりでして、別に隠れてたわけではないのですが。大聖女さま、神官さま、ごきげんよう」


神殿に入ってから、聖女は貴族の子女が多いこともあり、無礼のないようにと私も最低限ではあるがマナーなどの勉強をさせられた。習った記憶をほじくりかえしながら、慣れない目上の方に対する礼をする。

大聖女さまはたおやかに微笑んで、私よりもはるかに優雅な礼をしてごきげんようと返してくださったが、私たち二人を見比べて首をかしげている。


「お二人は仲がよろしいの?」

「えーと、粗忽ものの私を見るに見かねて、面倒を見ていただいている感じです」

「そうですね、そんなようなものです」


全肯定されてちょっと微妙な気持ちになった。


「ふうん……」


大聖女さまも微妙な反応だ。な、なんだろうこの含みのある感じ。


「アル、私は午後の礼拝があるのでそろそろ失礼しますね。またお話しましょう」

「ええ、それでは」


大聖女さまは神官さまににっこりと綺麗に微笑んで、私には特に挨拶せず去っていった。

神官さまはアルベルトという豪華なお名前をしていらっしゃる。アル、という親密な呼び方、たぶんわざとしたよね。ひえー、そういうことか。私のような平民の下っ端聖女が神官さまと親しげだったのが気に食わなかったようだ。神の愛を受けている方にも好ましく思われてるなんて、神官さまってば罪深いわね。こりゃさっさと退散したほうがいいなと思い、神官さまに私も失礼しますね、と声をかけようとしたところ、


「あなたもこれから仕事ですか?」


先に声をかけられてしまって去れなくなってしまった。


「いえ、今日はもう目途がついたので、中庭を散歩でもしようかなと」

「そうですか。私もこの後は空き時間なんです。一緒に行きませんか」


ええー。なんかお誘いを受けてしまった。なんでだ。しかし普段からお世話になりまくっている神官さまからの誘いを断るというのもな。


「はあ、構いませんが」

「では行きましょうか」


後ろからついていこうかなと思ったけど、どうしたんです?と神官さまに横に並ぶのを待たれてしまったので、諦めて並んで歩くことにした。


中庭ではあるがまあまあの広さがあって、庭師のトムじいさんの手によって季節の花々が美しく配置されているこの庭が、私は好きだ。トムじいさんはすごい庭師なのだ。神官さまが庭にある花の名前や、その逸話などを話してくれて、花にも詳しいなんてなんなんだこの人、と思ったがなかなか楽しく散歩ができた。


「大聖女さまとは親しいんですか?」

「行き会ったら会話する程度です。どうしてですか?」

「いえ、愛称で呼ばれていたので」

「あの方が勝手に呼び始めたんです。まあ別に咎めることもないかとそのままにしていますが」

「そうなんですか」


なんか温度差あるな。向こうは親しげな雰囲気出してたけど。


「呼びたかったらあなたもアル、と呼んでもいいですよ」

「え、いえ結構です。私と話すの神官さまくらいですし、神官さま、で十分かと」

「……そうですか」


あれ、なんか不満げだ。呼んでほしかったのかな。そんなわけないか。


「じゃあ私はあなたのことをリディアと呼びます」

「ええ……。何がじゃあなのかわかりませんけど、まあ、別にいいですよ」

「はい、ありがとうございますリディア」

「別にお礼言われるようなことじゃないですけど」


神官さまは嬉しそうにしばらく私の名前を繰り返していた。そんなに喜ぶことかなあ。


「あの方と私より、あなたと私のほうが親しいと思いますけどね」

「そうかなあ」


親しいというか、気安いというか。めっちゃ面倒みられてる自覚はあります。私としては、なんでこんなに神官さまが私に親しみを持ってくれているのかがわからない。やっぱ犬か。犬に似ているからなのか。神官さま、実は飼い犬溺愛している?


「神官さま、犬お好きなんです?」

「これまた急ですね。どうしたんです」

「いえ、先日私が実家で飼っている犬に似ているとおっしゃってたので気になって」

「ああ。そうですね、リディアみたいなふわふわな栗色の毛並みで、好奇心旺盛で、いつも走り回っているような子です」


私はごく平凡な栗色の髪をしているが、癖っ毛でふわふわしている。雨の日なんて全くまとまらなくて難儀しているのだ。


「はあ、毛並みが似てるんですね。私、そんなに走り回ってないと思うんですが」

「孤児院に行った時は子どもたちと全力で追いかけっこしてますよね」


見てたんかーい。いや、あの子たち結構足早くて本気で走らないとダメなのよ。


「聖女としてはもう少し楚々として欲しいところですが、個人的には元気いっぱいでいいと思いますよ」

「それ、褒めてます?」

「ええ」


真顔だ。本気で褒めているらしい。犬効果すごいな。


「神官さま、本当に実家の犬が好きなんですね」

「……あなたって残念ですよね」


え!なんで今悪口言われたの私!?褒められていたはずでは??


その後、お茶だけではなく時々中庭の散歩にも誘われるようになった。神官さまの話してくれる花の話はなかなか興味深かったので、 誘われたら断ることはなかったのだけど、なんか最近、一緒に居ることが増えているような……?



* * *



最近、隣国との関係が悪化している。あちらの国は聖女が現れる我が国を妬んでいて、なんとか手に入れられないかと長年画策しているので、元々関係がいいわけではないのだが、最近は国境で何度か小競り合いが起きているらしく、いつか大軍勢で我が国に攻め込んでくるのではと噂になっている。国民たちの不安の声も増えてきていた。


これを憂えた国王さまは緊急で会議を開き、結果、守護神さまの加護がさらに必要なため、 かの神さまに供物、人柱を捧げてはどうかという話が出たそうだ。幸い今は寵愛を受けた大聖女さまがいらっしゃる。大聖女さまならば、捧げられたとしても命を落とすことはなく、神の国に花嫁として迎え入れられるだろうというのが神殿の見解だった。


しかしこの提案を当の大聖女さまが断固拒否なさった。命を落とすかもしれないことなんて恐ろしくてできないと。

まあね、あくまで神殿の見解であって、確かなものではない。その発言に守護神さまは怒ってしまったのか、大聖女さまにも今は神の声が聞こえないそうだ。ますます慌てた国王さまと神殿は会議を重ね、大聖女さまを失う可能性も鑑みて、他の聖女を人柱に捧げようという流れになった。しかし手を挙げる聖女はいない。犠牲になってくださいと言われてなりたい人はいないよね。しかも機嫌を損ねている神の元へとか怖いよね。聖女たちの実家の圧力もあったみたい。


まあ、そんなわけで下っ端の私に白羽の矢が立ったわけだ。


「私なんか捧げたところで、神さまは喜ばないと思いますけどねえ。加護、もらえないかもしれませんよ」

「民衆の不安の声もどんどん大きくなってきている。世論を納得させるためにも、神殿が人柱を捧げ、それを成した素晴らしき聖女がいたという実績が必要なのだ」

「はー、実益より世間体ですか。まあ神殿の立場もわかりますけどね」

「報奨金は弾む。君の実家は今後も国が面倒みると言っている」

「それはありがたいことですね……」


私としても、戦争になるのは嫌だし、家族が戦乱に巻き込まれるのは嫌だ。

守護神さまに受け入れてもらえるとは思えないが、これが私の役目なのかもしれない。


「しばし猶予をやる。よく考えるように」

「はい」


大神官さまの執務室を出て、ため息をひとつ。どうしたもんかね。とりあえず部屋に戻って、家族に手紙でも書こうかな。

とぼとぼと廊下を歩く。

でもな、やっぱり、死ぬのは怖いな。


すると後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえた。うえー、やだな。なんか緊急の報告かな。ぶつからないように歩きながら端に寄ると、その足音は私のすぐ後ろで止まった。がしっと腕をつかまれる。


「わぁ!?」


振り返ると、神官さまが息を切らせて私を睨んでいた。


「もう、びっくりさせないでください!」

「あなたが、人柱の候補に、上がったと」

「お耳が早いですね」

「まさか受けていないでしょうね」

「よく考えるようにと言われて、ひとまず退室したところです」


神官さまは周囲を確認すると、数人の注目に気づき、


「ここでは他の人の目がある。ついてきてください」


有無を言わさず、いつぞやのように私を引きずっていった。


最近はたびたびお邪魔している神官さまの私室である。神官さまは私をソファに座らせ、なぜか向かいではなく隣に座り、苛立たし気に足を打ち鳴らしている。こんな神官さま初めて見た。


「断りなさい」

「ええー。でもきっと、そのうち王命も下ります。私に拒否権なんてないですよ」

「みすみす死ぬ気ですか」

「国が荒れつつありますしね。私一人でどうにかなるなら安いものじゃないです?」

「馬鹿をおっしゃい。大聖女がいるのになぜリディアに」

「その大聖女さまが嫌がったんですよ」

「は?」


あれっ神官さまは知らなかったのか。もう、顔が怖いですってば!私に怒らないでください!


「神の寵愛を受けて、あれだけ優遇されながら?自分の立場をわかっていないのか」

「誰だって死ぬかもしれないのは怖いですよ」

「それはあなたも同じでしょう」

「それは……まあ、怖くないと言ったら嘘になります、ね」


やだな。言わせないで欲しかったな。

神官さまは黙ってしまった私を見てしばらく考え込んだあと、口を開いた。


「家から神官を辞めて帰ってくるように言われているんです」

「え、急になんの話ですか」

「遊び歩いていた二番目の兄がついに実家に見限られまして、兄が継ぐはずの爵位と領地が空いてしまったので、私が継ぐようにと」

「はあ、お貴族さまは大変ですねえ」

「あなたも聖女を辞めなさい」

「ちょっと話の流れがわからないです」

「農地ばかりの、のどかな領地でなかなかいいところですよ。あなたも来なさい。ああ、良ければご家族みなさんで揃って来てください。歓迎しますよ」

「いやいやますます話がわからなくなりました」


急に何言いだしたんだこの人。なんで私が聖女を辞めて神官さまについていくのだ。


「我が家は神殿に多額の寄付をしています」

「また話が飛んだ」

「あなたを人柱にするようならその寄付をやめます」

「なにそれこわい」

「どのみち神殿を去る身ですからね。どうでもいいです」

「敬虔な神官さまだと思ってたのに……」

「国への加護だって大聖女が熱心に祈ればどうとでもなるでしょう。姿を見せて直々に加護を与えるくらいの寵愛ぶりなのですから」

「それはそうかもしれませんけど」


神官さまが私の手を取って、私を自分の方へ向かせた。


「リディア、しらばっくれるのもいい加減になさい。私の好意には気づいているでしょう」

「ええ……。いや、気のせいかなって。だって私下っ端ですし、実家も貧乏な平民ですよ。ないですって」

「偶然力を手に入れたのに、隠すのではなく神殿に来ようと思ったところ。自分のできることを探して、努力を続けているところ。いつも笑顔で、嫌がらせを受けても折れない強いところ。子ども好きで全力で子どもたちを楽しませているところ。どれも大変好ましく思っております」

「な、なななななんで急に褒めちぎるんですか!」

「口説いています」

「わあ!」


真摯な視線と言葉に顔が熱くなってくる。やだ、絶対いま真っ赤だ私。

だって、こんなに素敵な人に優しくされたら好きになっちゃうに決まってるじゃないか。でも身分差があるから、最初から諦めてたのに。もしかしてとか正直思ったことあるけど、いやいやそんなわけない!と何度思い直してきたことか。なのに、こんなことって。


「脈はあると思ってたんですが、見当違いでしたかね」

「いやいや無理ですって!それに、神官さまの実家が認めませんって」

「母は恋愛至上主義でして。そして父は母に逆らえません」

「そんな事情知りたくなかった!」

「あなたを死なせたくありません。尊い犠牲なんていう美談にはさせたくありません」

「う、うう」

「私と一緒に来てください」


頬に手を添えられ、優しく撫でられる。髪が耳にかけられ、ついでに耳も撫でられてぞわぞわした。


「ずっと触ってみたかったんです。ふわふわですね」

「はわわ」

「人柱になって命を落とすか。私と一緒に来るか。簡単な二択ですよ」

「ずるくないですかぁ!?」

「確実に手に入れたいですからね。多少卑怯な手も使います」

「そんなあ」


あれ、心なしか神官さまとの距離が縮まっているような。


「いまから口づけをしますので、嫌なら本気で逃げてください」

「なんですかいきなり!」

「真っ赤になっているあなたがとてもかわいいので我慢できません」

「ここ神殿ですよぉ!」

「リディアがかわいいのが悪い」

「私のせいにしないでくださ……」


抗議は重なった唇で黙殺されてしまった。



* * *



かくして。


私たち二人は神殿を辞し、泣きつく大神官さまの情けない姿に一応寄付は継続となり、笑顔で脅しつける神官さまにようやく自身の立場を理解した大聖女さまが熱心に祈った結果、守護神さまの機嫌も直って我が国は無事手厚い加護をもらい、隣国の脅威も去ったのでした。


「わー、立派な小麦畑ですね!黄金の草原みたいです」

「夕焼けに照らされるともっときれいですよ」

「それは楽しみです」


見事に丸め込まれてしまった私は、元神官さまと一緒に馬車に揺られ、彼が継ぐことになった領地へと向かっていた。本当にのどかでいいところである。落ち着いたら私の家族もこちらに移り住んで、弟妹たちは学校にも通わせてもらえることになった。

杞憂していた彼の家族との顔合わせは数日前に済ませ、無事に婚約が結ばれた。


「まあ、本当にタルトちゃん (犬の名前)そっくり!かわいい!!」


私を見るなり、そう喜びの声をあげた彼の母上さまにぎゅーっと抱きしめられ、あっという間に私は彼の実家に受け入れられてしまった。いぬのちから、すごい。


話に聞いていたタルトちゃんとも対面したが、毛並みといい、元気に走り回るところといい、ものすごい親近感を感じてしまった。元神官さまは「ね、似てるでしょう?」となぜかドヤ顔をしていた。


「ところで、そろそろ私のことを名前で呼びませんか」

「あ、あー……そうですねえ」

「さあ、今言ってみてください」

「私にも心の準備があるんですけど!」

「さあ、さあ」

「うっ……。あ、アルベルト、さま」

「そんな他人行儀な。私たちはこれから夫婦になるんですから」

「ええ……。これでも頑張ったんですけど」

「呼んでもいいと言った呼び方があるでしょう」

「いきなり求めすぎじゃないですか!?」


元神官さまはじっと私を見つめている。無言の圧がすごい。美形って黙っていても絵になるからずるいなあ。


「あ、あ、……アル……」

「はい、リディ」


アルは、それはそれは美しい、とても嬉しそうな、素晴らしい笑顔を浮かべた。



おしまい

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