リトリスとの出会い、そしてベインは教育係に
「クソッ、なんでだ! 実演までしたのにこの仕打ちかよ!」
追放されたベインは魔術学会ホールの石の壁を蹴りつけた。
「いってぇ……」
だが、重厚な石の壁を蹴りつけてもただベインの足が痛くなるだけだ。
むなしさが込み上げてきたベインは、あてもなくとぼとぼと歩き始める。
ベインは”新魔術理論”は確実に魔術界を変える大発見だと確信していた。
これまでのベインの魔術研究の集大成とも言える発表であったし、この発見が魔術にとって大きな進歩になるのは間違いなかった。
それだけに今回の学会追放という処遇は未だに実感が湧いていない。
土魔術により綺麗に整えられた魔術街の街並みが、今だけは心苦しい。
「凡民が魔術を使えるようになっても……所詮は凡民ってことなのかよ……」
実際に魔術を使う瞬間を見せれば魔術学会の魔術師でも納得せざるを得ないと考えていたが、己の甘さを実感する。
「まずは家を引き払わないとダメか……それも、できる限り早く」
ベインが住むこの区域は魔術街と呼ばれている区域だ。
道は舗装され、きれいな町並みが広がっている。
王城にもほど近く、魔術師たちや貴族たちが住む高級住宅地であり、その分家を借りるにも莫大なお金が必要となる。
ベインは毎月の給金を家賃と魔術研究費用に充てていたので、あまり貯金は多くない方であった。
学会からは少なくない額をもらっていたベインだが、魔術研究は趣味とも言えるものだったのでほとんどのお金を使い果たしてしまっていたのだ。
そのため、収入が断たれた今は大ピンチである。
両親も頼れる友人も居ないベインにとって、生きていけるかどうかの瀬戸際と言っても良い。
そんなときだった。
「あなたがベイン・クレバースかしら?」
不意に背後から凛と通る声がベインの耳に届いた。
聞き覚えのない声だ。
ベインが振り向くと、そこに立っていたのはドレスに身を包んだ一人の令嬢だった。
ロールした紫の髪と上質なドレスはまさにお嬢様と言った雰囲気である。
「どうなのかしら?」
「え、いや……俺が確かにベインだが、あんたは……」
「人違いではないようね。それじゃあベイン・クレバース、あなた、ワタクシの教育係になりなさい」
「……はい?」
状況が飲み込めないベインを尻目に、その令嬢はベインの手を引いた。
「場所を変えますわよ」
*
強引に令嬢に引っ張られたベインは、魔法街の一角にある大きな屋敷の前まで来ていた。
「はぁ……はぁ……おい……ここはコーデリア家の屋敷だぞ!?」
「申し遅れましたわね。ワタクシはリトリス・マギ・コーデリアと申しますわ」
「コーデリア家の令嬢なのか!?」
ベインが驚くのも無理はなかった。
コーデリア家と言えばマルズル魔術国において大公の地位にある魔術師の一族である。
大公と言えば王に次ぐ権力者であり、その発言力も尋常ではない。
ただし、ベインの驚きはそれだけではなかった。
「もしかして、オースレンじいさんから俺のことを聞いたのか?」
オースレン・マギ・コーデリア。
魔術師の中でも変わり者だったオースレンは、凡民であるベインの身分ではなく実績を見て魔術学会への所属を許可してくれた恩人だ。
オースレンが居なければベインの研究がここまで進むこともなかっただろう。
しかし、オースレンはつい最近になって病でこの世を去っている。
魔術学会の会長が変わったのもそれが原因だ。
「ええ、お祖父様から聞いたの。さぁ、入ってくださいまし」
リトリスに言われるがままに屋敷へと案内されるベイン。
通されたその屋敷は、それなりの生活をしていたベインの目から見ても豪華絢爛と言って良いものだった。
ベインは大きな客間のようなところに通され、ソファーに座らされる。
「さて……ベイン、あなたにはワタクシの教育係になってもらいますわ」
「いや、しかしだな……知らないかもしれないんだが、俺は魔術学会を追放されたばかりなんだ。そんな奴がコーデリア家の教育係なんて色々とまずいだろ」
「ワタクシ相手に敬意の欠片もない話し方をしておいて今更なんだと言うんですの」
コーデリア家はとにかくこの国では大変な権力を持っている家なのだ。
凡民は当然にしても、立場の低い魔術師などからしても天上人。
本来ベインのような身分では口を利くことすらままならない相手なのである。
「オースレンじいさんとはこんな感じで話してたが、さすがにまずかったか……」
「別にそのままでいいですわよ。もしも教育係になるというのでしたら対等な立場でお願いしたいと思っていますから」
「ああ、そうか? それは助かる……んだが、さっきも言ったように俺は魔術学会を追放されたんだぞ」
「そんなこと知っておりますわよ。ですから、ああしてこの世の終わりみたいなオーラを背負っていたあなたに声をかけたんじゃありませんか」
そう言って、リトリスが一通の手紙を取り出し、ベインの前に差し出してくる。
ベインがその手紙を読むと、それは亡きオースレンからの手紙だった。
*
ベイン、この手紙を読んでいるのならばワシはこの世に居ないだろう。
ワシはお主の魔術に対する熱意だけは本物だと思っているし、間違いなく魔術を飛躍的に発展させてくれると信じている。
さて、本題だが、以前お主がちらりと語った新魔術理論は興味深いもので、もしそれが本当なのであれば間違いなく魔術界を根本から変える理論だ。
しかし、この理論はあまりにも危なすぎる。
魔術を神からの授かり物と考え、その深淵を覗こうとしない馬鹿者どもは自らの立場と利益を守ることだけを考えてこの理論を抹殺しようとする。
これは間違いないことだ。
そんな馬鹿なことで新魔術理論が潰えることがあってはならぬ。
そこで……お主にはワシの孫リトリスの教育係を頼みたい。
どういう関係があるのかと疑問に思ったな?
だが、これはお主にとってもワシにとっても大事なことだ。
まず、これを読んでいるということは、お主は魔術学会を追放されたのだろう。
行くあてもなく途方に暮れているはずだ。
そして、ワシの孫リトリスはコーデリアの血を引いているにも関わらず魔術が使えず、今はそれを隠しているが露呈するのも時間の問題なのだ。
こんなことは恥ずかしくてお主にしか言えんが、コーデリア家は大公家の中でも発言力が弱くなってきておる。
それに加えてリトリスが魔術を使えなければ、コーデリア家の力は一気に弱くなってしまうだろう。
しかし、どうだ。
この二つの問題はお主が教育係になるだけで解決する。
お主は生活スペースとお金が与えられ、リトリスは魔術を使えるようになる。
それで万事解決だ。
それだけではない。
お主の理論の正しさはリトリスという例によって証明され、魔術学会もその正当性を認めないといけなくなるだろう。
それに、お主にとっても、理論の正しさを実験する機会が必要だろう。
実証データがあればさらに理論は発展する。
新魔術理論はまだ未完成の部分があるのではないか?
さて、話は以上だ。
ベインよ。
教育係の件、受けてくれるな?
*
まるで今の状況を予知していたかのような手紙にベインは驚いたが、オースレンであれば有り得る話だと納得する。
オースレンはベインの一番の理解者であり、歳は離れていても友人だった。
オースレンの指摘通り、新魔術理論の実証データが少ないことは事実だ。
自分を実験台にして確かめた部分はあるが、実証データが少ないために確定できていない部分も混ざっており、確かにベインにとって喉から手が出るほど実証データは欲しいものであった。
それに、オースレンが困っているというのであれば、ベインは友人として助けてあげたい気持ちもある。
ベインがオースレンの提案を断る理由はなかった。
「教育係か……そういうことなら、俺で良ければ引き受けるよ」
「じゃあ早速始めましょう」
「何をだ?」
「魔術の訓練もしくは講義に決まっているじゃありませんの。あなたは教育係なのでしょう?」
「今からか!?」
ベインはさきほど屋敷へと連れてこられたばかりである。
なんなら、若干駆け足ぐらいのペースで連れてこられたので研究一筋だったベインにとってはなかなかの運動だと感じたくらいだ。
まさか来てすぐに休憩もなく働かされるとは思っていなかった。
「当たり前でしょう。時間がないんですから」
「時間がない?」
「ええ、魔術学院の試験三日後ですのよ?」
「はぁぁぁ!?」
あくまで凡民であるベインは知らなかったことだが、リトリスが言うには、魔術師の家系は必ずこの王都にある王立アストゥラ魔術学院で魔術を学ぶことになっているという。
オースレンもまた魔術学院の出身という話であった。
「つまり、なんだ。魔術学院の入学試験がある三日後までに魔術を使えるようにしろと……そういうことか?」
「そういうことですわ。お祖父様からは優秀と伺っておりますから、それくらいはできますわよね?」
できて当然と言わんばかりに聞いてくるリトリス。
一方のベインは頭を抱える他なかった。
しかし、やるしかないのである。
ベインはリトリスに魔術を教えなくては路頭に迷うだけなのだ。
それに、新魔術理論は正しいものだと確信している。
できるかできないかなどと議論している場合ではなく、やるしかない!
「分かった……善処はするさ。ただ、新魔術理論の初歩を教えるだけでもかなり大変だぞ? ついてこられるのか?」
「当然ですわ。ワタクシを誰だと思っておりますの? ワタクシの欠点は魔術が使えないことだけですのよ。使う方法があるというのであれば、ワタクシに妥協の二文字などございませんわ」
「そうか、それなら全力で教えよう」
ぶっちゃければ、ベインはこのとき三日では無理だと考えていた。
ベインは新魔術理論のすべてを頭の中に持ってはいたが、それを分かりやすく説明するとなれば話は別だ。
しかし、あまりに前向きなリトリスを前に何故かできるような気がして承諾してしまったのである。
魔術が使えないなどということは誇ることではないはずなのに、なぜリトリスはこんなにも自信満々なのか……
と、本来ならそう思うべきなのだが、そんな疑問すら抱かせないような圧倒的なポジティブさがリトリスにはあった。
こうして、三日後の入学試験に向けてベインとリトリスのハードな日常が幕を開けたのである。
魔術学院の入学試験までたったの三日だけ。
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並行して、死霊術師の少女が幼馴染の少年(実は死んでいる)と共に魔神と戦うお話……
『死霊術師の少女は、幼馴染の少年が死んでいることを知らない』
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