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残りの部分

(エルの設定変更などがあって書き換えた部分の投稿を忘れてしまったので若干違和感があるかも知れません)


 それから日々が過ぎ去っていく。



 一週間たった頃、エルは魔力の存在をようやく意識できるようになった。

 一ヶ月かかっても無理な可能性が高かった中で、エルもまたリトリスに劣らぬ才能があったことを認めざるを得ないだろう。



 さらにそこから三週間以上がたった。

 順調にリトリスたちによる魔術訓練は成果を出しており、その間に敵の動きも見られない。

 魔術学院内で大それた動きはリスクが大きいため、敵としてもここぞのタイミング以外では大きく動きづらいのだろう。


 気づけば、リトリスの最初の目標であった試験まであと一週間ほどとなっている。

 だが、そんなある日、突如エルの身に危険が迫る。



「今日の訓練はこんなところでいいですわね。エルはさすがの上達の早さですわ」


 エルは王子という身分ではあるが、ベインの新魔術理論を真面目に受け止めて日々の練習を欠かしてはいない。

 また、エル本人の希望もあって、リトリスはともに新魔術理論を学ぶ友としてエルと接していた。


「リトリスさんには及びませんよ」


 夕暮れの魔術学院。

 多くの練習時間を取っているリトリスとエルの二人は魔術の腕前もかなり上がっている。


 最近は実践訓練の方が大事と考え、ベインが一緒にいないことも比較的多い。


 ……そんな部屋へと戻ろうとする二人の背後から、走り寄ってくる影があった。


「ごめんなさいッ!!」


 聞こえた声は女性のものだった。

 見れば、その女性は手に握られているのは小さなナイフ。


 そして、走ってきた勢いでナイフをエルに向かって突き出した!


「危ないっ!」


 かろうじてそれに気づいたリトリスがエルを突き飛ばして逃がす。

 しかし、エルを庇ったリトリスはナイフを避けきれずに腕を少し切られてしまった。


「く……」


 自身の腕を見れば、その場所が血で赤く染まっていく。

 服が威力を弱めたおかげで大怪我には至っていないだろうが、切られたという実感と恐怖が湧き上がる。


 しかし、立ち向かわなければ。


 リトリスはすぐに振り返って襲撃者の存在を確認した。


「あなたは……リリヤさん?」


 ふわふわとした亜麻色の髪……それは同じクラスの女子生徒、リリヤであった。

 そんなに関わりのある人物ではないが、同じクラスメイトの顔くらいは覚えている。


 一体、なぜ彼女が。


「ごめんなさい、ごめんなさいッ!」


 リリヤはそれでもエルに向かっていく。

 やはり、狙いはエルだ。


 リトリスはとっさに魔術でリリヤを止めることにした。


「縫い止める氷!」


 リトリスの手から放たれたのは水の魔術だ。

 その水はリリヤの足元を狙って放たれ、地面と脚を濡らす。


 そして、それは次の瞬間に凍りついてリリヤの動きを止めた。


「きゃっ!」


 突然のことに地面に倒れ込むリリヤ。


 ……それは水の魔術の応用だった。


 そもそも、氷の魔術などというものはこれまで確認されていない。

 だが、魔物の中には氷を飛ばしてくる個体などが確認されている。


 リトリスはそれが水の魔術の温度を下げることによって実現していると考え、実際に再現することに成功していた。

 火の魔術をコントロールし熱くない炎が作れるように、水の魔術の温度を下げるようにコントロールすれば凍るというわけである。


 手から放った直後に凍らせて氷を放つような使い方もできるし、今のように水で濡らした場所を途中で氷に変えることもできる。

 リトリスはこの柔軟性の高さを気に入っていた。


 しかし、敵に手札を知られないために今まで人前で使ったことはない。


「氷!? どうして!」


 リリヤが手をついて前を見れば、すでにエルは立ち上がって警戒体勢を取っている。

 リトリスもまた魔術をいつでも放てるように構えていた。


 もはや、リリヤの襲撃が失敗であることは明白だ。


「うう……もうおしまいです……」


 リリヤは地面に手をついた姿勢のまま、泣き崩れた。


「一体どういうことですの? どうしてリリヤさんがエルの命を狙うんですの?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 リリヤは泣きながら謝るだけで、話ができる状態ではなかった。

 すでに手に持っていたナイフは地面に置かれている。


 リトリスはそのナイフを回収し、リリヤが他に凶器を身に着けていないことを確認した。


「まずは部屋に連れて行ったほうが良さそうですわね。まだそちらのほうが安全でしょう。エルは少し距離をとってついてきてくださいまし」

「わ、分かりました」


 リトリスは、リリヤを一度部屋へと連れて行くことにしたのだった。


*


 部屋にいたベインは突然のことに面食らっていた。

 腕から血を流すリトリスと、泣いている一人の見知らぬ生徒。


 リトリスが言うには、リリヤという女子生徒がエルを狙ってきたのだという。


 ベインはまず安全のためにリリヤの腕を紐で縛ることにした。

 リリヤは顔を伏せて泣いているばかりで抵抗しなかったので、縛ったあと椅子に座らせておく。


 次にリトリスの腕の怪我に簡単な処置を行った。

 それなりに深く切られているようだが、これくらいであれば包帯を巻いておけばニ週間ほどで治るだろう。


 それらを済ませたあとは、リリヤに色々と聞く必要があった。

 その後も泣き続けていたリリヤだったが、しばらくして落ち着きを取り戻す。


「どうしてエルの命を狙ったりしたんですの?」

「……それは、頼まれたんです」

「誰に?」

「ろ……」


 何かをいいかけて、リリヤは口をつぐむ。


「い、言えません……」

「なにをおっしゃっておりますの!? あなたは人を殺めようとしたのですのよ!」

「ひっ……」


 リトリスの剣幕に、リリヤは思わず身をすくめる。

 しばらく震えていたが、もはや諦めた表情でリリヤは口を開いた。


「……ロ、ロシュール様の従者の方に頼まれたんです」


 この答えは予想の範疇であった。


 しかし、これを証拠にマグヴァリス家の者を捕らえるのは難しいだろう。

 証拠があればまだしも、証言だけではもみ消されて終わりだ。

 それに、従者が勝手にやったことだと責任逃れができてしまう。


「どうしてそれを引き受けたりしたの?」

「……私の家は貴族の中でも小さく、崖っぷちの状態です……。にも関わらず、私の魔術の才能はそんなになくて、私が結果を出せなかったら、家は……」


 リリヤは俯いて答える。


「そんなときに、大公家からの依頼を断れるはずありません……。もしも断れば、家は完全におしまいです。依頼の内容が例え、どんなに邪悪な行為だとしても、私は……」


 つまり、リリヤは良いように使われたのだ。

 きっとリリヤに依頼されたのも偶然ではないのだろう。

 わざと崖っぷちの貴族家に依頼し、断れない状況を作り出している。


 きっと、万が一断っても何か言うことを聞かせるための方策くらいは用意しているのだろう。


「ごめんなさい……自分勝手で……」


 確かにリリヤのしたことは許されないだろう。

 しかし、同情の余地があるのも確かだった。


 貴族の家に生まれた者は例外なく家名を大事にしている。

 それこそが貴族の誇りであり、魔術師の誇りであるからだ。

 魔術学院へは家の名前を背負ってやってきている。


「リリヤさん、顔を上げるのですわ」


 リトリスがリリヤへと近づいて紐による拘束を解く。

 不用意ともとれるその行動に、思わずベインは声をかけた。


「リトリス、危ないんじゃないか!?」

「リリヤさんは巻き込まれただけですわ。同じ大公家としてワタクシが誠意を見せる必要がありますもの」

「リトリスさん……」


 リリヤは差し出されたリトリスの手を取り、リトリスの方を見た。


「あなたは巻き込まれただけで責任を感じる必要はありませんわ。むしろ、大公家として謝罪致します。申し訳ございませんでしたわ」

「そんな、謝るのは私の方で……」


 そんなリトリスの態度にリリヤは慌てた。


 本来であれば謝罪すべきは自分の方。

 エルを殺そうとし、リトリスをその過程で傷つけてしまった。

 いや、それどころか謝っても許されるはずのないことである。


 加えてリトリスは紛れもなく大公家の人間であり、自分のような末端貴族に頭を下げる道理などどこにもなかった。

 にも関わらず、謝られるなどと……。


 そう混乱するリリヤだったが、さらに……


「巻き込んでしまったのが悪いというのなら、それは僕の責任でもあります。リリヤさん、申し訳ありません」

「え……え……」


 なんと、命を狙ったエルまで謝罪し始めたではないか。

 リリヤは一体どうなっているのかと混乱する。


 エルが何者なのかリリヤは知らない。

 しかし、ロシュールに依頼されたこととリトリスが謝罪したことを加味すれば、大公家の争いに巻き込まれたと考えるのが筋だ。


 だとすればエルもまた大公家に親しい身分の存在のはず。

 なぜそのような人たちが揃って命を狙ってきた人に頭を下げるのか。


「リリヤさん、あなたの事情は分かりましたわ。ワタクシも大公家ですから、力をお貸し致しましょう。もう安心するのですわ」

「……うぅ」


 その力強い言葉に、リリヤの目からは思わず涙が溢れる。


「ですから、二度と誰かを殺めるような真似はよしてくださまし」

「わかり……ました……」



 ……こうして、エル襲撃事件は一段落となった。


*


「ふむ……そんなことが……」


 翌日、ダヴラフィの部屋に集まり、昨晩の事件について話すこととなった。

 あれだけ直接的な手段をとってきたのだ。

 こちらも対策を講じる必要がある。


「やはり、こちらから打って出るべきですわ」


 そう言ったのはリトリスだ。

 昨晩はエルを庇って怪我を負ったにも関わらず、強気の提案である。


「相手がいつ来るかわからない上に、あのような手を取られてはいつまでたっても埒が明きませんわ! リリヤさんだって被害者ですのよ。こちらから動くべきではありませんこと!?」

「動くって言っても、今のところ証拠は掴めてないんだろ? 動きたくても動けないじゃないか」

「そうは言っても……」


 動きたくても動けない現状に歯噛みするしかないリトリス。

 リトリスの言うことも正しいが、動けないのも確かなのであった。


「……悪くないかもしれないな」


 そのとき、ダヴラフィが口を開いた。


「敵も尻尾を出さないように身重に動いていて、オレでもなかなか証拠が掴めない。しかし、敵だって限られた時間の中で結果を出さないといけないはずだ」


 第二王子としてはなんとしても第一王子が即位するまでに始末したいはず。

 もしも第一王子が即位すれば殺害するのは非常に難しい。

 つまり、敵からすればこれは制限時間のある戦いなのだ。


「そうなれば必然、危険を冒してでも自らが動くに違いない。そうでなくとも、大きな動きを敵が見せれば証拠はかなり掴みやすくなる」


 敵は大きな動きをしづらい環境にいる。

 学院内で過ごしている関係上、警備の厳重な学院自体が鉄壁の守りとなっているからだ。


 リリヤのように生徒を使ったり、教員を買収したりする手はあるだろうが、それも簡単な話ではない。


 魔術学院は生徒も教員も魔術師であるが故に全員貴族。

 いくら大公家でも誰これ構わず圧力をかけられるわけではない。


 実際、王子の護衛のためにダヴラフィですら年単位の計画で潜り込んだほどだ。 

 ロシュール側が使える学院関係者の手駒など、学院長であるヘドリグくらいだろう。


「つまり、あえて相手に隙を見せて自ら動くように仕向ける。そのうえで敵を叩ければ……」

「言い逃れは出来ないということですわね」

「そういうことだ」


 しかし、この策をとるには一つ大きな問題がある。


「でも、エルの身が危険なのではなくて?」


 そう、わざと隙を見せるということはエルが危ないということを意味する。

 慎重に動いている敵をおびき出すためには相応にリスクを取らなければならないだろう。


「……僕は大丈夫です。どちらにしても危ないのには変わりないんですから。それに、ベインさんのおかげで魔術の腕もだいぶ上達しました。リトリスさんのおかげで上に立つ者の覚悟というものを学びました」


 最初は頼りない印象があったエルだが、最近はリトリスに影響されたのか以前ほどの弱々しさはない。

 むしろ、このエルの言葉は力強く、エルの決意を感じさせた。


「こちらから打って出ましょう」

「王子……」


 ダヴラフィはエルを少し見つめてから次の言葉を紡いだ。


「で、あれば、一つ作戦がある」

「一体なんですの?」

「知っていると思うが、二ヶ月後に学院の”魔術闘技会”が開催される」


 ”魔術闘技会”……それは、学院の魔術師たちがその力をアピールするために模擬戦闘を行う催しである。


 そもそも、魔術師が貴族として地位が保証されているのは、その魔術がもたらす恩恵が非常に大きいからだ。


 例えば、土魔術に精通すれば建物を作り上げることも可能であり、道や建物の整備は土魔術師が行うことも多い。

 例えば、水魔術に精通すれば干ばつが起こっても対処することが可能であり、その土地の民を守ることに繋がる。


 そのような奇跡の力こそが魔術なのだ。


 そういった魔術師の役割の一つとして、魔物の討伐というものが挙げられる。

 魔物とは人類に害をなす生物の総称で、普通の動物と変わらないような魔物もいれば、火を吹くような魔物もいる。

 とにかく、共通しているのはその存在が危険であるということだ。


 そういった魔物に対して、平時は冒険者と言われる職業の者たちが討伐を請け負って危険を排除している。

 しかし、ときに普通の冒険者では太刀打ちできないような強力な魔物が現れることがあるのだ。

 そういったときに活躍するのが魔術師。

 常人ではどうにもならない状況を打破できる存在こそが魔術師なのだ。

 魔術師として民を守るだけの力を持った者であり、だからこそ、その力の強さによって魔術師内の立ち位置が決まることもある。


 それを踏まえて、”魔術闘技会”とは魔術における武の側面を競う場である。

 魔術闘技会は学院近くの円形闘技場で行われることになっており、魔術師だけでなく凡民ですらその戦いを見ることが可能だ。

 ……もちろん、魔術街で行われるので凡民が来ることはほぼ不可能なのだが。


 学院に所属する魔術師たちにとっては、他の魔術師たちに向けて広く力をアピールする機会となるため、いくつかある重要な行事の一つである。


「魔術闘技会は学外で行われる行事。つまり、敵としても絶好の機会となる」

「魔術闘技会……しかし、それはSクラスの生徒ではないと出れないのではなくて?」


 魔術闘技会はSクラスの生徒のみが参加可能な行事だ。

 魔術を使っての模擬戦闘は危険を伴うもので、コントロールに精通していなくてはならない。

 そのため、Sクラスでなくては参加できないのだ。


「そうだ。だから、今まで魔術闘技会を利用しての釣り出しは難しいと思っていた。……だが、王子の魔術の腕も随分と上がった今なら話は変わる」


 ダヴラフィの言っていることの意味は簡単だ。


「つまり、ワタクシたちが次の試験で二人ともSクラスに昇級すれば良いというわけですわね」


 リトリスは元々Sクラスに相応しい実力があった。

 入学時点では魔術を覚えたてでコントロール不足は否めなかったが、今となってはそれも克服している。

 むしろ、魔物の技を参考に練習を繰り返したリトリスの魔術は、従来の魔術よりもはるかに柔軟かつ繊細だ。


 エルに関しては不安はまだ残るが、ベインが指導を始める前と比べればその差は一目瞭然である。

 以前は弱々しい風しか出せなかったエルだったが、今では竜巻を作り出せるほどに成長していた。


「二人揃ってSクラスへ昇級すれば、敵も間違いなく魔術闘技会にターゲットを定めてくるだろう。時間のない中で動くのであればそこしかない」

「まずは僕たちがSクラスにならないといけないということですね」

「分かっているな、ベイン。お前の指導次第でこの作戦が実行できるかが変わる。王子を頼んだぞ」

「新魔術理論を教えることならやってやるさ」


 本来、新魔術理論は魔術師の使う魔術を強化するためのものではない。

 しかし、魔力をベースとした考え方はリトリスやエルの魔術のコントロール上達にもつながっていた。


 試験まであと数日程度だが、エルの魔術も上達しているし十分にSクラスを狙えるだろう。


「ワタクシにはSクラス以外ありえませんわ! エル、一緒にSクラスになりますわよ!」

「はい!」


 こうして、Sクラスへの昇級を目指し、試験へと臨むことになったのであった。


*


 それから六日後、試験当日。


「私たちが試験官を務めます。よろしくお願いします」


 Dクラスの生徒たちが校庭に集められた。

 その前では担任とは違う教師が試験の説明を行っている。


 魔術学院の試験は実技がメインだ。

 入学試験のときのように、試験官の前で魔術を使ってその威力やコントロールが評価される。

 入学試験のときと違うのは、より厳しく審査されるということだ。


 この学院はそもそも魔術を使える人しか来ないので、入学試験は最低限の知識や魔術を見る場であり、この試験からより正確な格付けが行われていく。

 各属性の魔術師である教員たちが判断を下し、今のクラスに相応しいかを見るのだ。

 そのため、クラス変更は魔術学院においてはよくあることであり、魔術学院を卒業する頃には魔術師として有能な者とそうでない者がはっきりする。


「それでは、順番に前へ。今回の試験は入学試験とほとんど同じで問題ありません」


 名前が呼ばれ、試験官たちの前で魔術を披露していく。

 Dクラスというだけあってその魔術はやはり弱々しいものが多かった。


 炎の魔術は火の粉のようなものしか出なかったり……

 風の魔術はそもそも魔術が発動しているのかすら分かりづらかったり……


 中にはそれなりの威力の魔術を使う者はいたが、それでもコントロールは全くで出すのが精一杯といった有様だ。


「リトリス・マギ・コーデリア。前へ」

「よろしくお願いいたしますわ」


 お辞儀をしてリトリスは前を向く。

 そして、勢いよく右手を振るった!


「蛇行する水!」


 右手から放たれた水は蛇のようにうねりながら空中を飛んでいく。

 続いてリトリスは左手から炎を発生させる。


「燃え盛る炎!」


 そのまま左手を振るえば、その炎はなにもない空中で焚き火のように燃え始めた。


 そして、リトリスの上をくるくると回っていた水の蛇がその炎へと近づいていく。

 水と炎がぶつかれば炎は消える……と誰しもが思ったが、リトリスは類稀なるコントロールで”水の中で燃える炎”を作り出した。


 球形に浮かぶ水の中では炎がメラメラと燃えている。


「フィナーレですわ!」


 最後にリトリスが右手を振るえば、その水の球は上空へと登っていき最後に弾けた。


 水は飛び散って雨のように降り注ぎ、その水滴は太陽の光を受けて輝いて空に虹を架けた。

 一方で、炎は鳥を形作って架かった虹の下をくぐる。


 それはまさに、不死鳥が優雅に空を飛んでいる……絵画のような光景であった。


「素晴らしい……完璧に魔術を操作していますね」

「資料を見ればトリプルとあるじゃないか。なぜ彼女のような者がDクラスだったのだ?」


 教員たちもリトリスの魔術の腕の高さに唸るしかないようだ。


「以上ですわ」


 優雅なお辞儀で下がっていくリトリス。

 その戻り際に、リトリスはエルに小さい声で話しかける。


「もうすぐエルの番ですわね」

「僕もSクラスになれるでしょうか……」

「大丈夫ですわよ。エルはワタクシと同じく練習を欠かしませんでしたもの。胸を張ってやれば絶対にSクラスになれますわ」

「……がんばってみます」


 もう数人呼ばれればエルの番。

 高まる緊張の中で、リトリスの言葉を胸に心を落ち着けていく。


 ……


「エル・マグ・エスペロント。前へ」


 エルの名が呼ばれ、脚を踏み出す。


「よろしくお願いします」


 エルは深く息を吸うと、頭の中でやりたいことをイメージする。

 大丈夫。

 できるはずだ。


「……いきます」


 エルは左手を胸の前に持ち上げると、手のひらから風を作り出す。

 その風は渦を巻き、手のひらに乗るような小さな竜巻となった。


 そのまま竜巻を投げて地面に落ちた竜巻は、徐々に勢いとサイズを増してくる。

 ものの十秒ほどでエルの身長ほどにまで成長した竜巻は、エルの横で砂埃を上げてゴウゴウと維持されていた。


「これを御覧ください」


 そう言ってエルが取り出したのは五つの球だ。

 何の変哲もないガラス球だ。


 エルはそれを試験官に見せると不意に竜巻に向かってガラス玉を一斉に投げ込んだ。

 当然、ガラス球は竜巻によって上空へと吹き飛ばされる。


「ほう……」


 試験官が感嘆の声を漏らす。

 なぜならば、巻き上げられたガラス球はきれいに均等な間隔を保ってエルと試験官の間に落ちてきたからだ。

 竜巻のコントロールが正確でなければこのようなことは不可能。


 それだけではない。


「もう一回」


 そう言ってエルは同じように五つのガラス球を取り出して竜巻に投げ込んだ。

 それらのガラス球も当然空に打ち上げられたが……


 カツン、カツン、カツン、カツン、カツン。


「なんと……」


 寸分違わず最初に落ちたガラス球の上に落下していた。


「これはまた逸材ですね。風の魔術師は威力を重視する傾向にありますが、このように繊細なコントロールができるとは」

「威力はそこまでのように感じましたが……」

「それでも、補って余りあるコントロールではないか?」


 試験官の反応は上々と言えた。


「ありがとうございました」


 そう言ってエルはその場をあとにする。

 戻りながら、ほっと胸をなでおろすのだった。


*


 魔術学院の試験の結果は翌日には出る。


 翌朝、時間になると担任の教師がクラス変更を発表する。


「Dクラスからは異例のことですが、Sクラスへの昇級が二人出ました。一人はリトリス・マギ・コーデリアさん。もう一人は、エル・マグ・エスペロントさんです。お二人には本日からSクラスへと移っていただきます」

「やったな、リトリス」

「ええ、ベインのおかげでもありますわ」


 リトリスは小さくガッツポーズを取る。

 二人は作戦遂行のための第一関門を突破したのだ。


「その他の方にクラス変更はありませんが、Cクラスから一人Dクラスに来る予定です」


 担任の教師は淡々と説明を続けていく。

 どうやら移動はこのあと時間が取られており、すぐにクラスを移動するようだ。


「リトリスさんとエルさんは移動を開始してください。その他の方は講義の時間まで待機です」

「もう移動か、試験から随分早いんだな」

「魔術学院には貴族たちの格付けとしての機能もありますもの。実力相応のクラスが割り当てられるのは当然ですわ」


 リトリスとベインは席を立ち荷物をまとめる。

 エルも準備を終えたようで待ってくれていたので、一緒に移動を開始する。


「無事にSクラスになれましたね」

「当然ですわ」

「本当にありがとうございます。お二人のおかげです」

「でも、ここからが本番ですわよ。Sクラスには第二王子と協力しているマグヴァリス家のロシュールがおりますわ」

「自身が目立つようなことはしてこないと思うが、注意は必要だな」


 さすがにロシュールが直接手を出してくるとは考えづらいが、それでも警戒は必要だ。

 リリヤのように弱みを握られている貴族がSクラスにいないとも限らない。

 リトリスたちは気を引き締める。


「ここがSクラスですわね」


 リトリスはドアを空けて教室へと入っていく。

 そんなリトリスたちを睨む一人の人物。

 ロシュールだ。


 ロシュールはリトリスたちを確認すると、忌々しげに舌打ちをする。


「チッ……トリプルってだけの無能がSクラスに来るとはな」


 ロシュールは入学試験や入学時のことを思い出して機嫌を悪くする。


 そもそも、試験前に末端貴族に圧力をかけて王子の暗殺を図ったはずだ。

 にも関わらず、このザマだ。

 本当に使えない。


 ……だが、リトリスだけでなく王子もSクラスに来たというのは都合が良かった。


「これでより王子に近づきやすくなる……。ボクをコケにした報いは受けてもらうからな……」


*


 その日の晩、ロシュールは従者であるクラウスに言いつけ、リリヤを呼び出していた。


「おい、お前……従者を通してお前に頼んだことはどうした?」

「ひっ……」


 そのロシュールの声からは明らかに不機嫌さがにじみ出ている。


「ゴミが! ボクはマグヴァリス家のロシュールだぞ? その意味がわからないわけじゃないだろう?」

「じゃ、邪魔が入ったんです! ターゲットの近くにいつもいて……」


 それを聞いて、ロシュールはそれがリトリスであると推測する。


「コーデリアの娘か?」

「は……はい、庇われてしまって……」

「ちっ、使えないな。だが、コーデリアの娘に傷を負わせたことだけはまだよくやったな」


 少しは怒りを収めたロシュールだが、それでもリリヤに対する圧は変わらない。

 リリヤはロシュールに怒鳴られてすっかり萎縮していた。


「お前にもう一度だけチャンスをやる。コーデリアの娘たちの仲間のフリをしてエルに関する情報をボクに流せ。そして、チャンスがあったら始末しろ」

「一体、エルさんって何者なんですか……!?」


 リリヤはエルが何者なのか聞かされていなかった。

 しかし、大公家のロシュールが殺せという相手がただ者であるはずがない。


「お前が知る必要はない! とにかく、お前に選択肢がないことは分かるだろう?」

「……は、はい……」


 リリヤは恐怖から頷くしかなかった。


「それだけだ。お前はもう帰れ」


 それだけ言われると、リリヤは帰される。


 それを確認すると、ロシュールは従者のクラウスとの話を始めた。


「クラウス、ボクに一つ考えがあるんだが」

「なんでございましょうか?」

「魔術闘技会で王子を仕留める」


 ロシュールが悪どい笑みでそう宣言した。


「魔術闘技会ですか……しかし、ロシュール様。このタイミングでコーデリアの娘と王子が同時にSクラスに上がってくるとは、作為的なものを感じますが……」

「別にそれが敵の作戦だと言うのなら圧倒的な力で上から踏み潰すだけだ」

「何か策がおありなのですね?」

「当然だ」


 そう言ってロシュールが取り出したのは何やら見慣れない道具だ。

 握り込めるくらい小さなサイズの四角い金属の箱のように見えるが、その表面には見たこともないような紋様が描かれている。

 箱の側面には小さな穴が空いており、中央には結晶のようなものが覗いている。


「それは一体?」

「アーグスト様が王家の宝物庫から持ってきてくださったアーティファクトだよ」


 アーティファクト……それは時折遺跡や地下などから出土する不思議な道具だ。

 道具でありながら魔術に近しい効力を発揮するものもあり、いつどこで作られたのかも判明していない。


 アールマディー教会が所有する”無限の聖杯”や、伝説の冒険者ラマスの所有する”魔法剣”などが有名なアーティファクトだ。

 滅多なことでは見つからない分その価値は膨大なものであり、このアーティファクトを探すのを専門にする者すらいるほどである。


 そんな一般人では一生見ることがないようなアーティファクトも、国の宝物庫ともなればいくつか所蔵されていることがある。


「これは”増幅の(はこ)”と言われるアーティファクトと聞いている。所有者の魔術を凄まじい力で強化してくれるそうだ」

「それは素晴らしい……しかし、ロシュール様。それをどう使うと言うのですか?」

「ボクの魔術は炎と闇……増幅の匣の力を借りて闇で周囲を覆ってしまえば、真正面から王子を殺したって誰にも見られない。そして、雷によって塵一つ残さず消し飛ばせば……証拠など何も残らない」

「このアーティファクトというのは、それほどのものなのですか」

「アーグスト様からはそう聞いている。だが、このアーティファクトは周囲に人が多くなくては作動しないらしくてな。それ故にこれまで使えなかったのだ」

「なるほど……魔術闘技会であればその条件を満たせるというわけですね」


 ロシュールはその瞬間を想像して思わず笑みをこぼす。


「このアーティファクトにボクの力が加われば無敵だ。王子に加えて忌々しいあのコーデリアの娘も始末するチャンス……ククク」

「しかし、敵はあのダヴラフィ……そう上手くいくでしょうか」

「魔術闘技会はアーグスト様も来られる予定だ。アーグスト様は他にもアーティファクトを所有しておられる。”最高の魔術師”だろうとひとたまりもない」

「分かりました。それでは、私は魔術闘技会に送り込む刺客を選定いたしましょう。学院の外であれば暗殺も視野に入ります」


 クラウスはしっかりと「もちろん、ロシュール様の力だけで片付くでしょうが」と付け加える。


「任せたぞ」


 魔術闘技会に向けての段取りを考えるクラウス。

 満足そうなロシュール。


 第一王子暗殺の計画は水面下で進行していた……


*


 それからしばらく、リトリスたちはSクラスで問題なく学院生活を送っていた。

 それに加えてSクラスの生徒からはリトリスの評判は上々である。


 理由としては、やはりロシュールがこれまで幅を利かせていた中で、唯一マグヴァリス家にも対抗できるコーデリア家であるというのが大きい。

 仲良くすることでロシュールを遠ざけられるのではという打算的な理由からリトリスに近づく人が多かったが、リトリスはそんなこと知る由もない。

 そして、リトリスは誰が相手でも平等に接することもあって、生徒たちから好評を買うのに十分だった。


 そのため、休み時間に他の生徒から話しかけられることもある。


「リトリスさん、ごきげんよう。今日は従者の方はいらっしゃらないのね」

「ごきげんよう」


 今日はベインとは別行動だ。

 ベインは魔術闘技会に向けて新魔術理論を応用して道具を作っているため忙しい。


「それにしても、リトリスさんがこんなに親しみやすい方だったなんて、意外でしたわ。もっと早くに話しかけていれば良かった」

「ワタクシはあまりパーティーなどには出席しておりませんでしたから、仕方がないことですわ」


 リトリスは魔術が使えなかったため、社交の場に出してもらえないことが多かった。

 そのため、リトリスをよく知っている人というのは少ないのである。


「魔術の腕も素晴らしいですし、トリプルというのも憧れちゃいます。そう言えば、昔はリトリスさんは魔術が使えないなんて噂がありましたけれど、とんだデタラメでしたわね」

「……そうですわね」


 新魔術理論のことを話すのはさすがにまずい。

 リトリスは適当に作り話をして合わせる。


「でも、ワタクシは元々魔術の腕はからっきしでしたの。そういう意味では、その噂もあながち間違ってはおりませんわ」

「ええ? 嘘ですわよね?」

「事実ですの。でも、この学院に入学する直前に素晴らしい方に魔術の教えをいただいて、それでここまで上達したのですわ」

「信じられませんわ。よほど実力のある魔術師の方なのでしょうね。私も指導してほしいくらいです」


 実力のある魔術師……ね。

 リトリスは心の中でベインの顔を思い浮かべる。

 魔術師至上主義とも言えるこの国で、確かに誰よりも魔術を知り尽くしているだろう。


 もしもベインが魔術師であったのなら、どうだっただろうか。

 もしかすると、新魔術理論は生まれなかったかもしれない。

 魔術師、そして魔術が特別扱いされているからこそ、正しく魔術と向き合えている者がいないのだ。


 魔術師と凡民の間には大きな隔たりがある状況は、良いとは言えないのかもしれない。


「そんなにすごい方がいらっしゃるなら、私にも紹介してくださませんこと?」

「ごめんなさい。その人はワタクシが専属で雇っておりますの」

「それなら仕方がないですわね。コーデリア家が専属で雇うなんて一体どなたなのかしら。リトリスさんにそうまで言わせるとは……」

「ええ、ワタクシからしてみれば感謝しかありませんわね」


 これはリトリスの本心であった。


 ほんの数ヶ月前には魔術が使えなかった自分が、今となっては魔術学院のSクラスにいる。

 ベインがいなければ今の自分はいないだろう。

 本当にベインには感謝しなくてはいけない。

 そして、ベインのもたらしてくれたものに応えなければならない。


「話は変わりますけれど、リトリスさんには縁談は来ていらっしゃいらないの?」

「え、縁談!?」

「ええ、リトリスさんほどの人物なら、殿方が見逃すはずもないでしょうしね」


 突然の縁談という単語に動揺するリトリス。

 なんと言っても、魔術が使えなかったという事情から、リトリスに来た縁談は本人に伝えられる前にすべて断られていた。

 そのため、そのようなことを考えるのはまだ早いと勝手に思い込んでいたのだ。


「い、今のところ、そのような話は来ておりませんわね」

「またまたご冗談を。そのようなはずが、ないではないですか」


 実際のところ、大公家でなおかつ美しさを併せ持つリトリスであれば、縁談が来ていないほうがおかしな話だった。


「あ、もう次の講義が始まる時間ですわね。ごきげんよう」


 今まで話していた生徒が席へと戻っていく。

 リトリスはその後ろ姿を眺めながらも、頭の中では未だに縁談という単語が回っていた。


 考えてもみれば、いずれは避けられない話だ。

 そう思うと、途端に自分は誰と結婚するのかというのが気になってくる。


 どのような殿方だったら嬉しいだろうか。

 ……やはり、芯のある人物が良いだろう。

 対等な関係でいられて、ときには自分を導いてくれるような。

 そう、ベインのような……


 と、そこまで考えたところでリトリスは頭をぶんぶんと振る。


「今のはなし! ですわ」


 もう講義も始まるところなので集中しようとするリトリスだったが、どうしても気が散ってしまうのであった。


*


 その頃、ベインは魔術闘技会で使うための道具を考案していた。


「敵を釣り出すと言っても、証拠を掴めなくて意味がない。敵だって証拠を残さないように動いてくるだろう」


 魔術闘技会には多くの人物が集まる。

 そのような場で動くことは敵にとってもリスクのある行為だ。

 わざと隙を見せるような動きをしなければ釣られてくれないだろう。


「そのためには、敵が考えつかないような道具を作るしかない……」


 ベインはあくまで新魔術理論……多くは魔力の研究を専門としているが、その過程で魔物の素材を利用した特殊な道具を作れるようになっている。

 リトリスに魔術を教えるために使った魔法陣の書かれた紙がまさにそれだ。


 リトリスが紙に魔力を流して水の魔術を再現したように、ものによって魔物の特性をそのまま再現できる。


「例えば、コピークレイドールの素材を使うというのは……」


 コピークレイドールは等身大の粘土人形と言ったような見た目の魔物だ。

 最大の特徴は他の生き物の姿をコピーできるということ。

 素材からエルをコピーするような道具を作れれば……


「いや、さすがに無理があるな。コピークレイドールのコピー能力は土魔術で身体を変形させることによるものだろうからな」


 ベインの見立てではコピークレイドールは身体表面が土でできており、それを土魔術で整形することでコピーをなし得ている。

 その間は魔力を注ぎ続けていなくてはならないはずなので、運用は難しいだろう。


「じゃあ、スモークタイガーの煙幕を利用するか?」


 スモークタイガーは煙幕を発生させることのできる虎のような魔物である。

 魔力を注いで煙幕が発生させられる道具であれば作れそうだ。

 仮に敵に襲われても、逃げるのが容易になると考えられた。


「いや、普通すぎる。使えないことはないだろうが、リトリスだったら自前でできるしな」


 現時点で水と炎の魔術を使えるリトリスは水蒸気を使って同じようなことができる。

 敵の意表を突くための道具とは言い難いだろう。


「やっぱ、そう簡単にはいかないよな。ちょっと気分を入れ替えるか」


 当たり前だ。

 そんなぱっぱと新しいアイディアが湧いて出てくるのだったら、新魔術理論だってさらなる発展を遂げているだろう。


 深く息を吐いて天井を見上げるベイン。


「……リトリスだって頑張ってるからな。俺も頑張らないと」


 リリヤの襲撃によって負った傷はもう治っているものの、また何者かが来ないとも限らない。

 無理をして怪我をしなければいいのだが。

 心配だ。


「俺にももっと魔力があればいいんだけどなぁ」


 そうすれば、自分がリトリスやエルを守ることもできただろう。

 どうして自分には才能がないのかと恨むばかりだ。


「他の人から魔力でも分けてもらえればいいのに」


 ……と、そう呟いたところでベインは何かに気づく。


「魔力を分けてもらう……か。考えたこともなかったな」


 魔術とは、体内の魔力を魔術という形に変換して放出する行為だ。

 必然的に体内の魔力が少なければ魔術の行使も難しい。


 これまで魔力を魔術として使うことばかり考えていたので思いもしなかったが、魔力を直接渡せば魔力が少ない人でも魔術が使えるのではないか。


「そしたら、俺でもまともな魔術が使えるんだろうか」


 と、そこまで考えてベインは頭を振るう。


 それが可能なら魔力が少ない人が魔術を使う上での補助輪としての役割が期待できるが、それだけだ。

 今ベインが必要なものとは違う。


 必要のないことまで考えてしまい、完全に行き詰まっている状態だ。


「忘れるところだったな。”適材適所”。俺がやるべきことは魔術を使うことじゃない」


 以前にリトリスに言われたことを思い出して雑念を振り払う。

 正直言えば、リトリスの存在はベインにとっても大きな影響を与えていた。

 いつも自信に溢れているリトリスの側にいれば、いつの間にか自分にも自信が芽生えてくるのである。


「……よし。もう一度魔物図鑑でも見て何か使える特性を持った魔物がいないか調べるか」


 ベインは椅子から立ち上がって魔物図鑑を取りに行く。

 既に疲れているはずのベインであったが、その足取りは軽かった。



*


 結局、リリヤの襲撃以来、敵の動きはなかった。

 むしろ、リリヤは違うクラスではあったが友として接するようになり、平和な日々を過ごしている。


 そして、ついに魔術闘技会の日がやってきた……


「ついに戦いのときですわね」


 雨は降っていないが、分厚い雲に覆われた空は少し不安を煽る。

 その日の朝、集まっていたのはベイン、リトリス、エル、ダヴラフィの四名だ。


「細かい作戦については以前から話したとおりだが、簡単に確認しておこう」


 ダヴラフィが地図を広げる。


「このあと学院から闘技場へと向かうわけだが、その道中での襲撃はすべてオレが対応しよう」


 “最高の魔術師”、ダヴラフィ。

 史上唯一のクアドラであり、変わり者としても知られる男。

 冒険者をやっていたときには他の冒険者とともに強大な魔物の討伐も成し遂げたと聞く。


 その実力は計り知れない。


 本来であれば何人来るかも分からない暗殺者を一人で退けるなど不可能に思えるが、ダヴラフィが言うのならば可能なのだろう。


「王子はこのルートを通って移動してください。その後、闘技場に入ってしまえば警備は厳重です」

「分かりました」

「リトリス、ベイン、お前たちも王子とともに移動してくれ。万が一にも刺客がそちらに行くことはないが、不測の事態があったときには頼むぞ」

「分かりましたわ」


 次にダヴラフィは二枚目の地図を広げる。


「闘技場の内部はこうなっている。ここが待機室で、Sクラスの生徒は全員が待機する場所だ。模擬戦が見られるように中央と接した場所に配置されている。王子はここを出ないでください」

「はい」

「だが、オレが付き添えるのはここまでだ。学院の教員は魔術闘技会の運営に関わる仕事をしなくてはならない。可能な限り動けるようにはしておくが、必ずしもオレが出られるとは限らん」


 ダヴラフィがリトリスを鋭く見据えた。


「警備が厳重な待機室にいる限りは問題ないと思うが、ロシュールが仕掛けてこないとも限らない。常に気を抜かないようにしろ。そして、万が一の時はリトリス、王子を頼んだぞ」

「承知しておりましてよ」


 リトリスは髪をファサッと手で揺らしてそう応えた。


「それと、アーグスト王子もやってくるだろう。何かをしてくるとは考えづらいが、警戒は怠るな」


 アーグスト第二王子……エルの命を狙う黒幕だ。

 王子が直々に何かをしてくるとは考えづらいが、警戒するに越したことはない。


「そこからのことは敵の出方次第だ。気を抜くなよ」


 説明を終え、ダヴラフィが地図を片付けようとする。


 ……すると、それをベインが制止した。


「闘技場の地図をもう少し確認しておきたいのですが」

「分かった。見終わったらそこの机の引き出しにしまっておいてくれ」

「ありがとうございます」


 地図の確認はスムーズな移動に必要だろう。

 リトリスやエルも今一度地図を確認していた。


 ……もう三十分もすれば出発する時間だ。

 リトリスがふと横を見れば、エルは不安そうな顔をしている。


「エル、胸を張るのですわ! 今のエルなら並大抵の相手なら問題なく対処できるはずですわよ」

「ありがとうございます」


 そう言われて、エルの顔から不安の色が消えた。

 リトリスの言葉は他者に自信を与える力があるようだ。


「オレは先に行って敵の手のかかった者がいたら始末してくる。王子たちは予定通りに出発してください」


 そう言ってダヴラフィは部屋を出ていった。


*


「敵の情報を掴めなかったのはオレの落ち度だな……」


 そうつぶやきながら歩くのはダヴラフィだ。


 リトリスたちは知らないことだが、これまでダヴラフィは裏で敵の情報を掴むために奔走していた。

 それによってリリヤと同じように圧力をかけられ、エルを狙っていた生徒を事前に一人止めたりもしている。


 しかし、肝心の魔術闘技会での敵の動きは掴めなかった。

 一体何をしてくるのか、想像もつかない。


「とりあえず、露払いくらいはこなさないとな」


 学院を出ると、おもむろに右手を地面に当てる。

 一体何をするというのか。


「飛翔!」


 次の瞬間、ダヴラフィの身体が上空に持ち上がった。

 その高さは四十から五十メートルにもなるかもしれない。


「一、ニ、三……だいたい怪しいのは五人か」


 ただし、決してダヴラフィは飛んでいるわけではない。

 あくまで風の魔術で身体を上空に吹き飛ばしただけである。

 しかし、その一瞬で上空から俯瞰し、怪しい相手に目星をつけた。


「間違ってたらあとから謝罪するとするかな」


 そう言って、今度は右手を斜め上へと向けて風の魔術を発射する。


 ……風魔術は他の魔術と比べて単純な推進力として使いやすい。

 ダヴラフィほどの使い手がその特性を生かして風魔術を放てば、空中でもある程度は動くことが可能である。

 無論、そのようなことができるのはダヴラフィだけであろう。

 常人がやればその衝撃だけで気絶しかねない。


 ダヴラフィは流星にように落ちていき、そして……


「先手必勝!」


 ダヴラフィは落下しながら左手を振るう。

 その瞬間、魔術街に似つかわしくない怪しい風貌の男の腹に、地面から生えた石柱の強烈な殴打が加わった。

 一方のダヴラフィは右手の風魔術で受け身を取ってふわりと着地する。


「がはッ……」


 怪しい男はまさか空中から敵が振ってくると思っていなかった。

 意識の外からの強烈な一撃は、男の意識を刈り取るのに十分な威力がある。


「王子が来るまで三十分。少し時間が余るかもしれないな」


 そう言ってダヴラフィは服を整えると、次の敵の元へと向かっていった。


*


「何事もなかったですわね」


 リトリスたちは無事に闘技場へとたどり着いていた。

 というのも、ダヴラフィが事前に怪しい者たちをすべて排除したからである。


 もしかしたら残っていた敵もいたのかもしれないが、移動中は常にダヴラフィが睨みを効かせていたので、手を出せるタイミングなど存在しなかっただろう。


「オレが見ていられるのはここまでだ。作戦通りに頼むぞ」


 待機室の前までやってくると、ダヴラフィはそう手短に伝えて去った。

 待機室に入れるのは魔術闘技会の参加者とその従者だけである。


「とりあえず、待機室にいれば襲われる心配はなさそうですわね」


 待機室は入り口が二つあるが、今入ってきた入り口は常に警備員が見張っている。

 もう一つは中央の闘技スペースに繋がるもので、こちらから入ろうとすれば人目についてしまうだろう。


 つまり、何者かが侵入するのはほぼ不可能と言って良かった。


「リトリス、俺は少しやりたいことがあるから少しだけ別行動させてくれ」

「なんですの?」

「大したことじゃない。魔物の素材を使った道具を配置してこようと思ってな」

「分かりましたわ」


 この日のためにベインはいくつかの道具を作ってきていた。

 魔物の素材は入手が困難なものも多いため、十分に用意できたとは言えないが、ないよりはマシだろう。

 使わない事も考えられるが、できることは全てやっておくべきだ。


 道具を仕掛けるために廊下を歩いていると、あまり見たくもない人物と遭遇してしまった。


「おや、魔術を愚弄した凡民風情が、なんでここにいるのだ?」


 豪華な服に小太りの男……見覚えのあるその顔は、魔術学会長のヘルモンドだ。


「魔術学会を抜けたんですから、あなたには関係ないでしょう」

「今日はここで魔術闘技会が行われるのだぞ。凡民風情がいていいわけないだろう!!」


 ヘルモンドはつばを飛ばしてベインを怒鳴りつける。

 そもそも魔術闘技会は凡民の観戦を禁止するルールはないのだが、ヘルモンドはそんなこと頭から抜けているようだった。


「俺は急ぐので、失礼します」

「フン、無礼な輩だ。なぜオースレンはこんな小僧を学会などに入れたのか。無能には無能がお似合いということだな」


 その場を去ろうとしていたベインであったが、オースレンのことを馬鹿にされて思わず立ち止まる。


「……確かに新魔術理論の正しさがわからない無能しかいない学会には、あなたのような会長がお似合いですね」

「なんだとォ!!!」


 オースレンを馬鹿にされたことは許せないが、今はこんなやつに構っている時間もない。

 怒りの形相で睨みつけてくるヘルモンドを無視して、ベインはその場を去るのであった。


*


 ベインが作業を終えて待機室に戻ると、すでに参加予定の生徒はすべて集まっているようだった。

 貴族にとっては自身の力を喧伝する重要な機会とあってか、生徒たちもそわそわしてあまり落ち着かない様子だ。


「リトリス、特に何も起きてないか?」

「ええ、ロシュールもさすがに待機室内では動けないみたいですわね」


 横目でロシュールを確認すると、意外にも大人しく座っていた。

 それが嵐の前の静けさでなければいいのだが。


「そういえば、リトリスは最初に誰と戦うんだ?」

「ベインは知らなかったのですのね。魔術闘技会の対戦カードは、不正を防ぐために直前まで知らされないのですわ。ですから、ワタクシにも分かりませんの」

「そうだったのか」


 魔術闘技会で優勝した場合、その者の家はかなり名を揚げることになる。

 そのため、万が一にでも不正行為がないように配慮されていた。


「いきなりロシュールと、なんてことになったら笑えないな」

「別にワタクシは誰が相手でも全力でやるだけですわ。エルの護衛はもちろん大切ですけれど、魔術闘技会の優勝も諦めてはおりませんもの」


 そうだ。

 魔術闘技会はリトリスにとっては自らの腕前を披露する場なのだ。

 エルの護衛だけを考えていたベインだったが、そこでリトリスがより先を見据えていることに気付かされる。


「ワタクシが背負っているものはエルだけではございませんわ。新魔術理論を世に認めさせるときに、ワタクシの評価というのは重要になりますもの」

「リトリス……」


 ベインはそれを聞いて胸が熱くなる。

 リトリスは新魔術理論のことを考えてくれていたのだ。


 実を言えば、ベインが学会から追放されたときに抱いていた「新魔術理論の正しさを証明してやる」という気持ちはほとんどなくなっていた。

 無論、新魔術理論に対する思いや姿勢が変わったわけではない。

 しかし、リトリスに新魔術理論を教えていくうちに、リトリスの成長を見たいという気持ちのほうが強くなっていたのだ。


 そんな中でリトリスのこの言葉はありがたかった。


「そうか……そうだったな。新魔術理論の力と練習の成果を見せてやれ!」

「もちろんですわ!」


 もうあと少しで開会式が執り行われる。


 陰謀渦巻く魔術闘技会がこうして幕を開けたのであった。


*


「魔術闘技会、開会式を開始いたします」


 魔術闘技会に参加する生徒は闘技場の中央に集められていた。

 従者たちは待機室だが、窓から開会式の様子は見ることができる。


「初めに、魔術学会長ヘルモンド氏にご挨拶いただきます」


 前方には、客席となるスペースを一部削って作られたバルコニー席とも言えるスペースがある。

 そこは、このような式では演説スペースとして使われ、実際に魔術闘技会が始まると王や王子と言った特別な身分の人の観戦席として使われていた。


 魔術学会長のヘルモンドのつまらない話が始まる。


 ……退屈ですわね。


 リトリスは話を聞きながらそう感じる。

 ヘルモンドの話は当たり障りのないことを言っているだけで内容がまったくない。

 式典での挨拶など似たようなものと相場が決まっているが、退屈なものは退屈である。


 警戒は解かないようにしつつも、リトリスは感情を無にして時間をすぎるのを待った。


 しかし、しばらくして……


「最後に、第二王子アーグスト様より開会のお言葉を賜ります」


 前方のバルコニーに現れたのは王子アーグスト。

 整った顔立ちに、気品のある振る舞い。

 エルよりも暗さの強い銀髪が揺れている。

 その目つきは鋭く、人を射抜くような目をしていた。


 彼の登場を受けて、にわかに会場がざわつく。


「第二王子様だと? あの方はエルレヴァウス様ではないのか?」

「記憶違いということはありますまい」


 これまで、アーグストは第一王子であるエルの代わりを務めていた。

 彼をエルレヴァウス王子だと思っている者も多い。

 しかし、第二王子アーグストとしてこの場に姿を現した。


 これには意味がある。

 すなわち、自分がこれから表に出るという宣言。

 エルを殺し、王となるのは自分だと言う宣戦布告に他ならなかった。


「第二王子アーグストだ。都合のつかなかった第一王子エルレヴァウスに代わり魔術闘技会を観戦する。余の腕前に並び立つ者がいるか見せてもらおう」


 アーグストは中央に整列する参加者の中から、エルを見つけて鋭い視線を送る。

 その瞳に浮かぶのは殺意。


 ――邪魔者は消えろ。


 その視線を受けてエルは一瞬怯んだが、すぐに強い視線で返答する。


 ――僕は消えない。


 言葉を交わさぬ水面下の戦い。

 ざわつく観客や参加生徒たちのほぼ全員が、この視線による会話を気づいてはいない。


 しかし、エルは確かに今日……何かが起こることを予感していた。


*


「甘い! ですわッ」


 魔術闘技会、第一戦目。

 運が良いのか悪いのか……いきなりリトリスの出番がやってきていた。


 リトリスは飛んでくる炎の球を水で覆って鎮火する。

 もう模擬戦が始まっていた。


 ……魔術闘技会のルールでは相手を傷つけることなく負けを認めさせることが必要となる。

 圧倒的威力の魔術で負けを悟らせても良いし、魔術により行動不能にしても良い。

 とにかく、相手が負けたと思う状況を作り出さなくてはならないのだ。


 じゃあ負けを認めなかったらいくらでも戦えるのかと言うとそうではない。

 貴族が負けを認める時は潔くてはならないという風潮は強いので、負けを認めずに戦い続ける者はいないだろう。

 そもそもこの闘技会の目的は貴族としての力のアピールなのだから、そのような惨めな戦いでは意味がない。


「チィッ……なら、これで……!」


 相手は男子生徒の一人、名をバルディという。

 炎の魔術を使い手だ。


 バルディは両の手を天に掲げると、両方から炎の魔術を生み出してそれを融合させることで巨大な炎の球を形成していく。


 みるみるうちに膨れ上がるその炎の球はまさに太陽。

 おそらくこのバルディという生徒はその威力の高さからSクラスに抜擢されたのだろう。


 それを見て観客席の貴族たちも話を始める。


「ほう、あれはポロローネ家の……」

「さすがだ。あれほどの威力の魔術はなかなかお目にかかれないぞ」


 貴族たちは魔術の腕前を見て、頭の中でその家の格付けを行っていく。


「どうだ。俺はまだこの炎を大きくできる余力を残している。負けを認めたらどうだ!」

「確かにこの威力、称賛すべきものですわね。でも、ワタクシの方が上ですわ……!」


 リトリスはバルディに倣って手を上に上げる。

 しかし、上げたのは左腕だけだ。


 体内の魔力を左手に集中させていく。


「御覧なさい。溢れ出る水!」

「なッ……!?」


 リトリスの魔術は圧倒的だった。

 頭上に作り出されたのはバルディの炎の球に対抗した水の球。

 バルディと違い左手しか使っていないにも関わらず、バルディの火球よりも早い速度で大きくなっていく。


 そして、ついには完全に炎を覆うことのできるサイズにまで膨れ上がった。


「まだまだ余裕ですわね」


 ……実を言えば、リトリスは自分の魔力の限界がどこにあるのか知らなかった。


 ベインによれば、魔術を使うには魔力を消費するので、体内で魔力が生成されるまでは魔術が使えなくなるのだという。

 魔術の使用後に疲労感があるのは体内で魔力を生成しようとするため、というわけだ。

 ベインはこれを”魔力切れ”と呼称していたが、もちろん一般的にも”魔術疲労”という呼び方で知られている。


 ……しかし、リトリスは練習のときにいくら魔術を使っても魔力が切れるなどということはなかった。


 ある時には水の球を作り出してどこまで大きくできるかを試してみたこともある。

 しかし、どこまでも大きくなっていく水の球を見て途中で確かめるのを諦めた。

 つまり、リトリスにしてみればこのくらいのことは朝飯前だ。


「あれは、コーデリア家の?」

「トリプルと聞いておりますぞ。しかし、水の魔術だけでも凄まじい威力だ」


 観客席もにわかにざわつく。

 リトリスが貴族の集まる場で魔術を披露するのは初めてのこと。

 誰もがリトリスの実力を掴めていない中で、強烈に印象に残ったことだろう。


「く、くそッ……」


 バルディは必死に炎の球を大きくしようとするが、既に巨大なそれをさらに大きくするのは難しいようだ。

 額に汗が滲み、限界が近いことを悟る。


 だが、バルディはまだ諦めない。

 魔術のコントロールがそこまで上手くないバルディとしては、絶対に魔術の威力で負けることなどあってはならないからだ。


 ――相手だって余力は少ないはず。


 そう思ってリトリスを見れば……


「炎の球ってこんな感じかしら」


 なんと、右の手では炎の球を作って浮かせていた。

 左手で巨大な水の球を維持し、右手で別の魔術を使う余裕すらある。


 その顔はなんとも涼しげで、余力が少ないなどとは到底思えなかった。


 その瞬間、バルディは自身の負けを悟る。


 もしもリトリスがトリプルというだけだったら、圧倒的な威力で粉砕するつもりだった。

 魔術のコントロールで負けても、補って余りある火力を見せつけてやろうと思っていた。


 だが、現実魔術の威力ですら勝てなかった。

 おそらくはリトリスはまだ水の球を大きくすることすらできるのだろう。

 その上、コーデリア家は代々炎の魔術師のはず。

 水の魔術であれだけの力であれば、同じように炎で戦っても惨敗だろう。


 ――絶対に勝てない相手だ。


 そう思ったと同時に集中力が乱れ、維持していた巨大な炎の球がかき消える。


「負けだ。……バルディ・マグ・ポロローネは負けを認める」

「対戦、感謝いたします。素晴らしい威力の魔術でしたわ!」


 本来、勝った相手からそのようなことを言われれば嫌味なのかと疑うところだ。

 しかし、リトリスの言葉は真っ直ぐで明るく、素直に褒められているとバルディは感じた。

 負けたことは悔しいが、真正面からぶつかって勝てなかったからこそ、逆に晴れ晴れとした気持ちだ。


 すでに魔術を消しているリトリスに近づくと、バルディは手を差し出す。


「完敗だ。さすがはコーデリア家の魔術師……良い経験になったよ。俺もあれくらいの魔術が使えるようになりたいものだ」

「バルディさんもなかなかの腕前でしたわよ」


 リトリスとバルディは握手を交わす。

 初戦はリトリスの勝ちだ。


 その様子を窓から見ていたベインはほっと胸をなでおろす。

 まずは一勝。


 しかし、気を緩めてもいられない。

 エルを守り抜いた上で優勝も果たす、それがリトリスの目標なのだから。


 ベインも、自分のできることをしっかりと果たさないとな、と気合いを入れ直すのだった。


*


 数戦の後、エルの番がやってきた。

 対戦相手は土魔術を使う女子生徒アルカーシャ・マグ・ヴァンジェルだ。

 ヴァンジェル家は貴族の中でも地位は上の方で、リリヤのように圧力をかけたりするのは難しい相手だ。

 そのため、ある程度は安心して戦うことができる。


 とは言っても、エルからすれば誰が敵なのかはわからない状態なので、常に勝つのが安全策だろう。

 もしも対戦相手がエルの命を狙っている場合、負けは直接死を意味することにもなりかねない。


「エル、頑張ってくるのですわ」

「はい! 僕の魔術がどれだけ通用するのか確かめてきます!」


 待機室からエルを見送り、やがて模擬戦が始まる……


*


「よろしくお願いします」

「……よろしく」


 僕は所定の位置につく前に、対戦相手のアルカーシャさんに挨拶をする。

 アルカーシャさんはどちらかと言えば無口な印象が強い。

 鋭い目つきはちょっと怖い……


「それでは続いての模擬戦を開始いたします」


 ゴオォォォン!

 模擬戦の開始を告げるドラの音が響く。


 アルカーシャさんの動きを見逃さないように集中し、先手で魔術を唱えようとする。


 ……土の魔術は他の魔術よりも手から直接実体を出すのが難しいと言われている。

 その分、すでにある土に働きかけて利用する方法が発展していて、速度や威力は申し分ない。

 欠点はある程度は手を地面に近づけて魔術を行使しないといけないことくらいだ。


 だからこそ、できる限り早く動かないといけない。


「竜巻!」


 まずは得意な竜巻を作り出してアルカーシャさんに放つ!

 直接当てるつもりはないけれど、この威力だったら当たればそこそこ痛いはずだ。

 相手の戦意を削いでしまえば……!


「……壁」


 アルカーシャさんの動きは速かった。

 即座に地面に手を当てると、竜巻の進行方向上に土の壁を作り出す。


 すでに竜巻は僕のコントロールが効かない距離だから、ルートを曲げたりも出来ない。


 竜巻は壁に当たって消えてしまった。


「だったら……!」


 僕はさらに強い竜巻を作り出してアルカーシャさんに飛ばす。

 先程の壁くらいであれば壊してそのまま進むはずの威力。

 しかし……


「……壁」


 全く同じひとことだったけれど、次の壁はより大きく分厚かった。

 やはり竜巻は表面を削るだけでかき消えてしまう。


「何度でも!」


 僕はそれよりも強い竜巻でアルカーシャさんを攻める。


 というより、現状ではこれ以外に手がなかった。

 土魔術を相手にするのであれば近づくのは得策とは言えない。

 なぜなら、土魔術はすでにある土を媒介にする分、非常に発動が早いからだ。

 必然的に僕が取れる策も限られる。


「……壁」


 しかし、何度やっても結果は同じだった。

 僕の竜巻の威力ではアルカーシャさんの土の壁は越えられない。


 それに加えて、アルカーシャさんの魔術は正確だ。

 単調な攻撃にならないように竜巻の威力を強くしたり弱くしたりしているにも関わらず、適切な強度の土の壁を形成してくる。

 無駄に魔術を使わせて魔力切れを狙うというのも難しそうだ。


 むしろ、どちらかと言えば先に僕の魔力が切れるだろう。


「こうなったら、これしかない!」


 このままでは埒が明かないと判断した僕は、アルカーシャさんに向かって走り出す!


 無論、土の魔術師相手に接近というのは愚の骨頂だ。

 それでも、これ以外に道はない。

 壁で阻まれるなら、直接近づいて魔術を叩き込むしか……!


「……泥」


 しかし、やはりそれが容易でないことを思い知らされる。


「えっ……!?」


 踏むはずの地面が、泥になって僕の足を取る。

 土魔術による変性……!


 突然の出来事に体勢が崩れる。

 なんとか踏ん張ろうとするが、泥濘む地面はそれを許してくれない。


 ……もしここで転んでしまえば、勝敗は決したようなものだろう。

 全身泥まみれになった瞬間に変性による硬質化など行われれば、もはや動くことができなくなる。


 そこで僕の頭に浮かんだのはダヴラフィから聞いた風魔術の技術だった。


「風を推進力に変える……!」


 僕は転びそうな方向に向かって思いっきり風を噴出する。

 両の手から風を噴出し、バランスを取った。


 そして、そのままの速度で泥地帯からの脱出を試みる。


 良かった。

 うまくいった。


 ダヴラフィに教えてもらった当時はとても出来ないと思っていたけれど、とっさに成功させられるとは。

 確かダヴラフィはこれで高くまで飛べるって言ってたけど……さすがにそれはできそうにない。


「このまま!」


 感覚を掴んだ僕は風を推進力に変えながら進む。

 魔力の消耗は感じるが、普通に走るよりも格段に速い!

 これなら、ちょっとした泥なら飛び越えていける!


 僕は風を切るようにアルカーシャさんに肉薄し……


「……壁」


 しかし、そう簡単にいくはずもない。


 もう少しで射程内というところで、アルカーシャさんは土の壁で進路を塞いでくる。

 それも、横に広い壁を作ることで回り込まれるのを防いでいた。


「竜巻!」


 ただ、その分強度は低いはず!

 すぐに竜巻を放って壁を壊そうと試みる。


 予想は間違っていなかったようで、竜巻は壁を壊し……


「……槌」

「なっ!?」


 僕に向かって地面が隆起して伸びてくる!

 土のハンマーとでも言うべきその一撃は、まともに当たれば戦闘の続行は不可能だろう。

 まずい……!


 僕はすぐに竜巻から回避へと意識を切り替える。

 風による推進で避けられるだろうか?

 考えている暇はない。


「ッ!」


 僕はめいっぱいに風の推進力で回避を行ったが……


「……泥」


 それは読まれていた。

 回避方向に泥のフィールドを形成され、無理な体勢で回避したこともあって泥に倒れ込むような形になってしまう。


 このあとアルカーシャさんは泥を硬化させてくるだろう。

 そうすれば、全身が地面に埋もれたのと同じ状態になって僕は動けなくなる。


「……硬化……ッ!?」


 だが、アルカーシャさんの土魔術はすぐには発動しなかった。

 なぜなら、先程竜巻で土の壁を壊した際に、その欠片を上空に飛ばしてアルカーシャさんの手に当たるようにしたからだ。


 突然の衝撃に魔術の発動が一瞬遅れる。

 加えて……


「……土煙!?」


 空に舞わせたのはそれだけじゃない。

 竜巻で細かく砕かれた壁は土煙として視界を遮る。


 こちらの正確な位置が掴めなければ、いくらアルカーシャさんでも魔術を放つことは出来ない。


 ――これだけの時間稼ぎができれば十分だ!


 僕はすぐに体勢を立て直す。

 狙いは僕の位置を見失っているアルカーシャさんだ。

 両の手で風魔術を操り、推進力に変えて接近する。


「これで……!」


 徐々に土煙が晴れていく。

 もう勝敗は決していた。


「……私の負けだ」


 僕は風の魔術を構えてアルカーシャさんの背後に立っていた。

 これが模擬戦闘でなければ、確実に背中に魔術を打ち込める状況だ。

 アルカーシャさんの魔術も早いだろうが、背後にいる相手の位置を確認する余裕はない。


 僕は、勝ったんだ……!


「やった……!」


 これまで、僕は負け続けてばかりだった。

 弟であるアーグストにすべてが劣っていた。

 僕の魔術の才能はアーグストの出がらしとさえ言われたこともある。


 それだけじゃない。

 アーグストは人脈を作る技能にも長けていたし、なんでもそつなくこなす。

 僕とは正反対と言って良い人物だった。


 そうして昔からずっと負け続けてきた僕は、負けることに慣れてしまっている。

 どうせ負けるから、僕には期待しないでほしい。

 そう思っていた。


 でも、この勝利は僕に自信を与えてくれた。

 僕でもやれるんだ、ということを証明した。

 忘れていた感情を取り戻したような感覚だった。


*


 エルが待機室に戻ると、リトリスとベインが勝利を祝福する。


「素晴らしい戦いでしたわ!」

「すごい上達だな」

「ありがとうございます! でも、ギリギリでした……」


 これまでの訓練で分かっていることだが、エルは決して強い魔力を持っているとは言えなかった。

 おそらくはアルカーシャのほうがその点では優れていただろう。


 しかし、エルは魔術のコントロールの才能があった。

 アルカーシャの手に石を正確に落とし、風の魔術でバランスを保って素早く移動する。

 それは誰にでもできることではない。

 紛れもなくエルの強さだ。


「だが、何事もなく終わって良かったよ」

「そうですわね。敵がいつ仕掛けてくるか分かりませんもの」

「とはいえ、さすがに敵も模擬戦闘中は手が出せないのかもしれないな」


 当たり前といえば当たり前だ。

 闘技場の中央は多くの貴族の視線が集まっている。

 そんな中でエルの命を狙うには刺し違える覚悟でもないと無理だ。


「とにかく、次の戦いまでゆっくり休むのですわ。いざと言うときに魔力切れでは困りますもの」

「そうします」


 果たして次は誰と当たるのか……


*


 そこからしばらくして、リトリスは難なく次の戦いでも勝利を収めた。

 その間に敵の動きはなく、普通に魔術闘技会が進行している。


 そろそろエルの出番だろうという頃、次の対戦カードが発表される。


「次は……エル対ロシュール!?」


 一気に緊張感が高まる。

 直接手を出してくる可能性は低いと思われるが、何をしてくるかわからない。

 それに、ロシュールの魔術の腕前が高いのも事実だ。


「エル、気をつけるのですわ。ロシュールはリリヤさんの一件もありますし、何をしてくるか分かりませんわ」

「分かってます……もしものときは、お二人もよろしくお願いします」


 リトリスとベインが頷く。

 いざというときはエルを守るために動かなければならない。


 おそらくはダヴラフィもこの対戦カードを聞いて警戒を強めてくれるはずだろう。


「それじゃあ……行ってきます」


*


「これはこれは、エル……いや、エルレヴァウス王子」


 闘技場の中央、試合が始まる直前。

 エルと対峙したロシュールがそう声をかけてきた。

 広い闘技場の中央での言葉は、観客たちの耳には届かない。


「はっきり言ってお前に恨みがあるわけじゃない。でも、お前は一つ大きな罪を背負ってる」


 エルはその言葉の意味を考えようとしたが、その時間はなかった。

 なぜなら、模擬戦闘開始を告げるドラの音が鳴り響いたからだ。


「その罪とは、お前に魔術の才能がないってことだ!」


 ロシュールはそう吠えると右手を空に掲げる。

 左手は何かを持っているように握り、胸の前に持ってきていた。


 警戒を強めるエル。

 しかし、その変化はあまりにも劇的だった。


「……!?」


 ロシュールの右手から発されたのは闇の霧だった。


 それ自体は闇の魔術としては普通のことであり驚くことではない。

 しかし、その規模が段違いだったのだ。


 黒い霧はものすごい勢いで拡散されていき、ドーム状に二人を覆っていく。

 ものの数秒で観客席から中央の闘技スペースが見えなくなっていた。


「クハハハ! これが”増幅の匣”の力……! 今ならいくらでも魔術が使えそうだ……!」

「一体、何が起こって……!?」


 ロシュールは確かに稀有な実力を持った魔術師だ。

 その魔術の威力は、この国でも上から五本の指に入るレベルかもしれない。


 しかし、それでもこの闇魔術の規模は異常だった。


 そもそも、魔術を特定の形状で固定している間はずっと魔力を消耗する。

 そこに加えて、魔術のサイズ、魔術の形状、魔術の密度、魔術と自身の距離などの要因によって消耗する魔力は増減する。


 サイズが大きいほど消耗が大きい。

 形状が複雑であるほど消耗が大きい。

 密度が濃いほど消耗が大きい。

 距離が遠いほど消耗が大きい。


 一切観客席から見えないほどの密度の闇を、ドーム状で展開するなど普通のことではなかった。


「これで誰も見ていない密室が完成した」


 ロシュールは獰猛な目でエルを睨んだ。


「ここでお前が消えても、誰もそれを見ていない。そして、今のボクの雷の魔術なら……」


 そう言ってロシュールは虫でも払うかのように軽く雷の魔術を地面に放つ。

 別段威力が高いとは思えない雷の一撃。


 しかし、その雷が当たった地面が抉れていた。

 その威力は明らかに異常だ。

 そこにあったはずの土が最初からなかったかのように消えている。


「塵一つ残さずにお前を消せる。そうすれば、言い逃れをする方法などいくらでもある。クハハハハハハ!!!」


 エルは必死でこの場面を切り抜ける方法を考える。

 だが、ロシュールはそれを見透かしたかのように言葉を続けた。


「今のボクならたとえダヴラフィが来たとしても相手にならんだろうさ。それに、そもそもお前の仲間は誰も来ない」

「……!?」


 ダヴラフィが醜悪に口を歪める。

 それと同時に、ズシンと地面が揺れた。

 大岩が地面に落ちたような衝撃が脚に伝わってくる。


「一体何が起きているんですか!?」


 何かろくでもないことが起きている。

 エルの直感がそう告げていた。


「それを知る必要はない」


 ロシュールは余裕と言った表情でゆっくりと近づいてくる。


 ――もはや、自分の力でどうにかするしかない。

 エルもまた覚悟を決めてロシュールと対峙するのであった。


*


 一方その頃、闘技場は大きなパニックに包まれていた。


「ド……ドラゴンだ!」

「バカな!? 魔術街のど真ん中だぞ!? なぜ誰も気づかなかったんだ!!」

「とにかく逃げるんだ!」


 突如闘技場の一部を破壊して現れたのは、ドラゴンと呼ばれる魔物。

 ドラゴンとは強大な力と巨体を持った魔物であり、一般的に最も危険とされる魔物だ。

 滅多に現れることはないが、その危険性は尋常ではない。


 歴史上で最も被害が大きかった事件では、街一つが一夜にしてなくなったとさえ言われている。


 歩く天災……それこそがドラゴンなのだ。


 当然、魔術師であってもドラゴンが脅威であることには変わりなかった。

 その硬い皮膚に対して武器はもちろんのこと、多くの魔術ですら通用しないのだから、仕方がないとも言える。


「馬鹿な……どんな手を使って……!?」


 これにはダヴラフィですら唖然とするしかなかった。

 ほとんどの危機であれば対処できると考えていたダヴラフィであったが、さすがにドラゴンが出てくるとは聞いていない。


 ドラゴンは人里に現れること自体がほとんどなく、冒険者時代でも見たことがないような魔物だ。


「クソッ……まずはドラゴンの対処が先決か」


 ドラゴンは闘技場の一部を腕で破壊したあと、そこから身を乗り出すようにして辺りをうかがっている。


 エルの元に駆けつけたいダヴラフィであるが、ドラゴンは看過できない。

 放置すればどれだけの犠牲者が出るか分からず、それどころかエルの身も危ない。


「ダヴラフィ先生! 一体何が起こっておりますの!?」

「リトリスか」


 リトリスとベインが駆けつけてきた。


「王子はどうなっている?」

「それが、闇の魔術で弾かれてドームの中に入れませんの。時間をかければ破れるかもしれませんが、あれはドラゴンですわよね? 時間をかけている暇はないと思いまして」

「ふむ……」


 ダヴラフィは少し考えたが、すぐに最善策をはじき出した。


「お前たちは王子の保護を優先してくれ。オレは一人でドラゴンを食い止める」

「無茶ですわ! いくらダヴラフィ先生と言えど……」

「王子の安全のほうが大事だ。倒すのは難しいかもしれないが、時間稼ぎくらいは」


 そのときだった。

 辺りを警戒していたドラゴンがおもむろに口を開ける。


「……ブレスだ!」


 ブレスとはドラゴンが口から吐き出す息を意味しているが、その実態は魔術に近い。

 例えばこのドラゴンであれば、吐き出すのは炎の球。

 口先に形成された魔術を発射しているという方が正しい表現だろう。


 ドラゴンの口に灼熱の炎球が形成されていく。

 その熱は遠くにいても伝わってくるくらいだ。


「クソッ、まず。身を守れるか?」

 

 さらに運の悪いことにドラゴンはダヴラフィたちの方向を向いていた。


 もしこれがダヴラフィだけだったら回避自体は容易だっただろう。

 しかし、この場にはリトリスとベインがいる。


 元々ダヴラフィは風の魔術による高速移動から先手で攻撃魔術を繰り出すスタイル。

 先んじて敵を排除することは得意でも、このように守りを固めるのは不得意であった。


「リトリス!」

「やりますけれど、耐えられるかは分かりませんわ!」


 リトリスもすぐに防御のために魔術を使おうとするが、予想以上にドラゴンの攻撃は早かった。


「間に合わないですわッ!!!」


 すでにドラゴンの炎球が発射された。

 着弾までは数秒と言ったところだろう。


 その間にこれだけの威力を殺す魔術を用意するのはリトリスですら難しい。

 絶体絶命と思われた、その時。



「やれやれ、世話が焼けるね」



 リトリスたちと炎球の間に割り込むようにして現れた一人の人物。


「ふんっ」


 そして、その人物は恐るべき早さで水魔術を使い、炎球を水で覆った。

 ブクブクと水蒸気が発生したが、その水の魔術の威力は凄まじいもので、ついには炎球をも上回る。

 熱を奪われた炎球は、水に飲まれて消滅してしまった。


「はー、嫌な予感がして来てみればこれじゃ」

「……アルカトーラ!?」


 そこにいたのは月夜の霧雨亭のアルカトーラだった。

 一体なぜこんなところに。


「その顔はなぜわしがここにいるのか、って顔じゃな。ふん、お前らが闘技会に出ることはベインから聞いておったからな。観戦に来ただけじゃ」


 確かにベインは魔物の素材を仕入れるためにアルカトーラの元を訪れ、そのときに闘技会に出ることは伝えていた。

 しかし、アルカトーラは貴族たちを嫌っている。

 果たしてわざわざ闘技会なんかに来るだろうか?


 少しベインは疑問に思いつつも、アルカトーラがリトリスを気に入っていたことを思い出して納得する。


「感謝いたしますわ」

「感謝はいらん。いいから、とっととやるべきことをやるんじゃな。わしは事情を知らんが、その様子を見れば何かやるべきことがあるのは分かる」


 それを聞いて、ダヴラフィは迅速に動く。


「リトリス、ベイン、任せたぞ。オレはドラゴンの気を引きつける」

「分かりましたわ、ダヴラフィ先生。アルカトーラさんもお気をつけてくださまし」

「助かったよ、アルカトーラ」


 リトリスとベインは礼を言うと、エルを助けるために駆けていく。


 ドラゴンは自らの炎球が消されたことで警戒しているのか、特に動きは見せなかった。


「さてと、お前はダヴラフィと言ったかい。あの”最高の魔術師”様じゃな」

「先程の水魔術、何者だ?」

「わしが誰かなんてどうでもいいじゃろ。ただ、あのドラゴンを止めるのに力を貸してやろう」


 ダヴラフィは突然現れた老婆を前に思考を回す。

 このような強力な魔術師がいただろうか?


 もしかしたら敵なのかと思ったが、リトリスやベインと面識があるようだ。

 その上、ドラゴンの炎球から助けてくれている。

 先程のレベルの水魔術の使い手であれば、大きな力になることは間違いなかった。


「だが、相手はドラゴンだぞ。危険だ」

「馬鹿にするな。わしもかつてはお前のように大層な称号で呼ばれたものじゃ。くだらんことじゃがな」

「称号……? 一体お前は……」

「"幻水の魔女”、そう呼ばれておった」


 ダヴラフィはその名前を聞いて驚きに目を開く。


 "幻水の魔女”、それは数十年前にこの国で最強の魔術師と呼ばれていた女性の称号だ。

 操る水の魔術は凄まじく、横に並び立つ者はいなかったという。

 だが、ある時に突然姿を消した。

 その理由について様々な噂が流れていたが、どれも噂の域を出ず、"幻水の魔女”は次第に忘れられていった。


「さ、来るぞ!」


 警戒していたドラゴンがこのタイミングで再度炎球を作り始める。

 先程までの警戒は、きっと次の炎球を撃つための待機時間でもあったのだろう。


 ダヴラフィは回避に備えて魔術を準備する。

 もしも当たればただではすまない。


 しかし、アルカトーラは飄々とこう言った。


「お前は防御よりも攻撃が得意なんじゃろ? わしがドラゴンの攻撃と動きを引きつけよう」

「いくら"幻水の魔女”でも、そう何度もドラゴンの攻撃を受けるのは厳しいんじゃないか?」

「無駄口をたたいてる暇があったらとっとと行くんじゃな」


 それを聞いてこの場をアルカトーラに任せ、ダヴラフィは回り込むようにドラゴンへと向かっていく。

 ドラゴンはそれを見てダヴラフィへの警戒を強めるが……


「まったく、厄介なことに巻き込まれたもんじゃわい」


 アルカトーラが幕のような水を作り出したことで意識がそちらへと向く。


「さて、わしの”幻水”を見せてやろうかの」


*


「もう少し……これで僅かな間ですけれど、闇に穴を空けられるはずですわ」


 エルのもとに向かったリトリスたちを阻んでいたのは、ロシュールが作り出したドーム状の闇だ。

 ただの闇というわけではないようで、無理やり突破するというのは難しい。

 濃い闇を前にリトリスですら少し時間をかけたが、もうすぐ穴を空けることができる。


「ベイン、あなたが入るのは危険ですわ」

「大丈夫だ。俺も少しは道具を用意してきている。それに、ロシュールがいくら強い魔術師だからと言ってこの規模は異常だ。なにか、嫌な予感がする」

「確かに……ドラゴンが突然出現したことといい、敵が何らかの動きをしていることは事実ですわね」


 そんな事を話している間に、リトリスの準備が整ったようだ。


「それじゃあ、穴を開けますわよ。入ったら戻れない可能性が高いですから、覚悟をしておいてくださいまし」


 リトリスの右手から光が放たれて闇を中和していく。

 一気に放出された光は闇のドームに人が一人通れるくらいの穴を空けた。


「行きますわよ!」


 ドームの中に入ったベインとリトリスが見たのは……


 かろうじて立ってはいるが、ボロボロになったエルの姿だった。

 苦悶の表情を浮かべて立つエルは今にも倒れそうだ。


「エルッ!」


 その声に反応して、もう一人の人物がこちらに顔を向ける。


 嗜虐的な笑みを浮かべた人物……ロシュールだ。


「コーデリアの娘のおでましか。ツイてるな、ボクは」


 ロシュールがリトリスを睨みつけた。

 その威圧感は思わず怯んでしまうほどだ。


「ターゲットの王子と邪魔なコーデリアの娘、これで始末すべき対象が揃ったわけだ」


 それと同時にロシュールが右手を持ち上げる。

 すると、ロシュールの周囲でパチパチと電気が弾けた。


 それを見てエルが叫んだ。


「気をつけてください! 雷です!」

「消えろ、ゴミが!!」


 ロシュールが右手を振るう。

 その動きに合わせて一筋の雷がリトリスに向かって放たれた。


 魔術による雷の速度は普通の雷と比べて劣る。

 しかし、それでも他の魔術と比べて高速であるのが特徴の一つだ。


「雷……! だったら氷で……!」


 リトリスの動きも早い。

 即座に地面と接する水の壁を作り出して凍りつかせて防御する。


「クハハハハ! その程度で防いだ気になるなよ!」


 確かにリトリスの氷の壁は雷を防ぐことに成功していた。

 しかし、ロシュールにとってこの雷はブラフだったのだ。

 本命は、リトリスの頭上――!


「なっ!?」


 闇のドームは人払いのためのものだと思って油断していた。

 考えてみれば、ロシュールの魔術によって形成されている闇のドームはすべてがロシュールの支配下だ。

 それを媒介にして雷の魔術を放ってくることも、予想しておくべきだった。


「死ね!!!」


 その言葉とともに雷が頭上から放たれる。

 突然の出来事にリトリスは防御が間に合わない……!


「リトリスッ! 手荒になるが、許せっ!」


 そう言ってベインが懐から結晶のようなものを取り出して、リトリスのそばの地面へと投げつけた。

 地面に当たって結晶は砕け、猛烈な風がそこから吹き出す。


 その風の勢いは凄まじく、リトリスは吹き飛ばされてしまう。

 その直後にリトリスが先程まで立っていた地面がロシュールの雷で消滅する。


 吹き飛ばされたリトリスはすぐに体勢を起こした。


「た、助かりましたわ」

「チッ、従者ごときが、何をした……!」


 これはベインのこれまでの研究成果の一つ。

 簡易魔術爆弾とも言える代物だった。


 魔力を吸収して爆発してしまうマジカライト結晶に、別の魔物の素材を取り付けることで爆発以外の現象を引き起こすように改造した代物だ。

 元々は魔力を溜め込むバッテリーのようなものを作る過程で生まれた副産物である。

 マジカライト結晶に魔力を溜めても爆発しないようにし、その上で衝撃を与えることで魔力が放出されるようにする。


 魔物素材が必要な関係で量産できたわけではなく、さらには風系統の魔物素材でしか試していないが、効果はこのとおりだ。


「先程から思うようにいかなくてムカつくな……面倒だ。全員まとめて消し炭にしてやる……!」


 そう宣言したロシュールから膨大な魔力の波動を感じる。

 それは明らかに個人が発する魔力を越えていた。


 闇のドームも電気を帯び始め、パチパチと音を立てている。


「まずいですわよ!」

「先んじて攻撃するしかない!」


 一般的に大規模な魔術ほど時間をかけて練り上げる必要がある。

 本来であればその間に距離を取るなど対処法はあるが、今回は闇のドームによってその手段は使えない。

 

 となれば、ロシュールが大技を繰り出す前に止めるしか方法はなかった。

 だが、ロシュールを見据えたリトリスたちが見たのは意外な光景だ。


「……がッ!」


 いきなり、ロシュールが膝をつく。

 明らかに様子がおかしい。


「うぐ……なぜ……だ……」


 ロシュールは増幅の匣に異常でも出たのではないかと疑い、握っていた左手を開く。

 しかし、依然として増幅の匣は妖しく光っているだけで変化はない。

 もちろん、体中にみなぎる力も消えたわけではない。


 それなのに、身体が言うことを効かず、謎の痛みが全身を襲っていた。

 無理やり立とうとするが痛みは徐々に増し、それどころではなくなってくる。


「う……ぐ……ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 ロシュールが吠えた。


*


 その頃、ドラゴンの出現でパニックに陥っているはずの闘技場内で、未だ動かない男がいた。

 バルコニー席の豪華な椅子に座り、ただ状況を俯瞰している男……アーグストだ。


「ロシュールのやつ、時間がかかっているようだな」


 眼前の闇のドームを見ながらそう呟く。

 しかし、その瞳にはロシュールへの心配などは塵ほども込められていない。

 元々期待していない……そういった感情の込められた冷めた視線であった。


「わざわざ”召竜の印器”まで使ってやったというのに、所詮は口だけの無象に過ぎなかったか。だが、そろそろ時間だろう」


 アーグストがそこで初めて邪悪な笑みを浮かべる。


「王とは、使い道のない者に価値を見出してこそ。あのような男でも”増幅の匣”による魔物化の素材にはなったな」


 ロシュールは増幅の匣が、ただ魔術を強化してくれるアーティファクトだと教えられていた。

 それは一面では正しいが、一面では間違っている。


 増幅の匣はただ使用者を強化するアーティファクトではない。

 使用者に力をもたらすが、最終的には魔物に変えてしまうという危険なアーティファクトなのだ。


 最初からアーグストは、ロシュールを捨て石にするつもりで増幅の匣を渡していた。


「最後に立つのは余一人で十分だ」


 そう呟いてアーグストはワインを口に含むのだった。


*


「一体、何が起こっておりますの!?」


 変化が起こったのは、ロシュールが吠えてすぐのことだった。


 メキメキという骨が潰されるような異音とともに、ロシュールの背中を突き破って翼が生える。

 さらに、皮膚は甲殻のように硬質化を始め、頭からは二本の捻れ曲がった角が突き出す。


 信じられない光景を前にリトリスたちは立ち尽くすしかなかった。


 しばらくして異音が止んで静寂が訪れる。

 うずくまるような体勢をしていた”かつてロシュールだったもの”がゆっくりと立ち上がる。


 静寂を破ったのは、もはや声ではなく鳴き声と化した異形の咆哮であった。


「グガアァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」


 もはやロシュールとしての原型は留めていなかった。

 身長が低かったロシュールであったが、異形の身長は角を抜いて二メートルほどに近い。


 さらに、全身は黒く硬質化しており、瞳のあったはずの場所からは赤い光が放たれている。


 その容貌は悪魔と形容すべき何かであった。


「なんですのアレは!?」

「分からない。だが、魔物図鑑で近い魔物を見たことはある。そいつの名はディアボロス……! 遺跡の奥地などでしか確認されていない危険な魔物だ!」


 ゆっくりとディアボロスが周囲を確認するように首を動かした。

 

「ロシュールが変化したこいつがディアボロスだとしたら、未だに討伐例がないほどの危険な魔物だ。逃げた方が良いかもしれない……!」

「逃げると言っても、闇のドームはまだ壊れておりませんわよ!?」


 ロシュールはディアボロスへと変化した。

 しかし、闇のドームは未だに壊れていない。

 これでは逃げようにも時間がかかってしまう。


 そのとき、ディアボロスがおもむろに手を胸の前に持ち上げた。

 そして、指を一本ずつ折るなどして動きを確かめている。


「グガガ」


 鳴き声とともにディアボロスは人差し指を上に伸ばした。

 すると、闇のドームの一部から雫のように闇がこぼれ落ち、指先で球形となって留まる。

 ディアボロスはそれをくるくるを動かすと、手のひらで握り込んで消滅させる。

 次に今度は手を振るうとパチパチと電気を纏い始めた。


 その様子は生まれたばかりの生き物が自分になにをできるのか確認しているようである。

 その不気味さにリトリスたちの背筋が凍りつく。


「あの様子……ディアボロスが闇のドームを維持していると見て良さそうだな。つまり……」

「倒すしかないということですね」


 気づけば、エルが近くまでやってきていた。


「エル、身体は大丈夫なのか?」


 エルは右腕をだらりと垂らし、服の一部が焦げているなど、とても無事には見えない格好をしていた。


「雷の魔術を防ぎきれなくて右腕は動きませんが、大丈夫です。まだやれます」


 右腕が動かない。

 それは決して大丈夫とは言えない傷だ。


 しかし、エルは強い視線でディアボロスを見つめていた。


「ですから、皆さんの力を貸してください」

「もちろんですわ!」

「ああ、どうにかして切り抜けよう」


 もし闇のドームを維持しているのがディアボロスの力であれば、少なくともロシュールと同等の魔術の力を持っている。

 そこに魔物としての身体能力が加わった形になるだろう。


 簡単な戦いではないことは誰もが予感していた。


「先手を打ちますわよ!」


 リトリスのそのひとことで、戦いの幕があがる……!


*


「燃え盛る炎!」


 リトリスはいきなり炎の魔術をディアボロスに向けて発射する。

 最も得意な魔術が炎であるリトリスは、一瞬にして強大な炎の球を作り出して発射する。


 ディアボロスはそれを見て翼をバサリと広げると、空へと飛び立った。

 炎の球はディアボロスがいたはずの場所を素通りする……そのはずだった。


「甘いですわ!」


 このくらいの距離であれば、まだ炎はコントロール下にある。

 右手を振るうと同時に炎の球は三つに分かれて、ディアボロスの足元から飛来した。


「グギャギャ」


 それを見たディアボロスが腕を炎の方へと向ける。

 次の瞬間には、闇が手から噴出しディアボロスを覆い尽くした。

 それはまさに闇のバリア。


 炎は闇に拒絶されてかき消えてしまう。


「だったら竜巻を……!」


 ディアボロスの下方、地面に旋風が発生する。

 それは徐々に大きくなり、竜巻となってディアボロスに迫りくる。


 闇のバリアは維持しているようだが、竜巻は完全にディアボロスを覆い尽くすサイズだ。


「さらに炎もプレゼントして差し上げますわ!」


 リトリスが竜巻に炎を噴射する。

 これにより、竜巻は熱を帯びてさらなる威力へと跳ね上がる。


 これでディアボロスも動けないはず。


「グオオオ!!」


 しかし、ディアボロスはこれを強引に突破した。

 闇のバリアのサイズを大きくし、竜巻の外に抜け出てからバリアを消したのだ。


 攻撃を受けて怒ったのか、ディアボロスはリトリスとエルの方を見ると右腕を前に突き出す。

 それと同時にディアボロスの周囲と、闇のドーム全体からパチパチと弾けるような音が鳴り始めた。

 明らかにそれは雷魔術の予兆だ。


「グギャアアァ!!」


 咆哮とともに、空間を切り裂く閃光が放たれる。

 それも一つではない。

 手から放たれたリトリスを狙った雷撃以外にも、無数の雷が縦横無尽に駆け巡っていた。


 当然、リトリスとエルは魔術によって直撃を避ける。

 しかし、直撃を避けるだけではダメだったのだ。

 リトリスとエルの間に落ちた雷が地面をえぐり、爆発のように大地が爆ぜる。


「……ッ!?」


 雷撃の対処に追われていたリトリスとエルは、その衝撃をもろに食らって吹き飛んでしまった。


「リトリス! エル!」


 二人は宙に放り出されるように飛ばされ、地面に落ちた。

 ベインは近くに飛ばされていたリトリスに駆け寄る。


「リトリス、大丈夫か!?」


 身体を揺さぶって声をかけるが、反応がない。

 リトリスは完全に気絶していた。


 エルの様子も確認するが、エルも起き上がる様子はない。

 二人とも衝撃によって気絶してしまっていた。

 動けるのはベインだけだ。


「グギギィア……」


 ディアボロスはゆっくりとこちらの様子をうかがっている。

 警戒しているようで、地上に降りてくる様子はない。


 これだけ大規模な魔術を使えば、しばらくは魔術による攻撃は行ってこないだろう。

 とはいえ、また同じような魔術を使われたらリトリスもエルも終わりだ。


「くそ……残ったのはよりによって魔術が使えない俺かよ……」


 ベインはそう呟きながらも冷静に思考する。


 一体、俺がするべきことはなんだ?


 ……簡易魔術爆弾はすでに使ってしまっている。

 他にもいくつか道具を作成してきたが、数は多くない。


 そもそも自身が戦うことは想定していなかったので、どちらかと言えば陽動や撹乱を想定して道具を作っていた。

 ディアボロスという魔物を前に、この状況で切れる手札は所詮こけおどしにしか過ぎないものばかり。


 だが、リトリスとエルを守るためには、ベインがディアボロスの注意を引きつけるしかなかった。

 気絶した二人が意識を取り戻すまで、絶対に二人に触れさせてはならない。


 覚悟を決め、ベインは叫んだ。


「俺が相手だ!! かかってこい!!!」

「ギィィ……」


 ディアボロスが言葉を理解しているのかは分からない。

 しかし、注意を引くことには成功したようだ。


 すかさずベインは魔術を使う。


「俺の水の魔術だ!!」


 当然、ベインの魔術などリトリスのそれとは比べるべくもない。

 ちょろちょろと突き出した手から水が地面へと落ちる程度のものだ。


 しかし、ディアボロスはそれを見てより一層警戒を強める。

 何をしているのか分からない行為を警戒するのは当然だ。


 ベインからしてみれば使い物にならない魔術ではあるが、これでディアボロスはベインを魔術師だと認識したはず。

 注意を引くことが目的ならば、それだけでも十分役目を果たしていた。


「そんなところにいないで降りてこい!! 俺が相手になるぞ!!」


*


 リトリスの目に映っていたのは真っ暗な闇だった。

 全身が痛んでいて、視界がはっきりしない。

 夢でも見ているのだろうか?


 そんな完全には覚醒しきっていないリトリスを現実に引き戻したのは、つんざく雷鳴と地面に伝わる衝撃だった。


 リトリスは自分がディアボロスの雷撃の衝撃によって気絶してしまったことを思い出す。

 自分はどれくらいの時間気絶していたのか。


「……!!」


 はっ、と目を開けて、身体を起こした。


「ベイン……!」


 目に飛び込んできたのはディアボロスと対峙するベインだった。

 ディアボロスは空を飛んでおり、魔術を発射しようと構えている。


 そして――


「グギャァァァ!!!」


 咆哮とともにベインに向かって雷撃が放たれる。

 まずい、と思ったがもはや間に合わない。


 その雷撃はベインの身体を容赦なく貫く。

 雷撃が止んだとき、そこにベインの姿はなかった。


「ベイン……ベインッ!!!」


 あの威力の雷撃をまともに喰らえば、ひとたまりもない。

 死ぬどころか、バラバラに砕けて消滅してしまうだろう。


 魔術がほとんど使えないベインでは、あの魔術を防ぐことは出来ない。


 ……雷が落ちた場所には、もはや何もなかった。


「そんな…………」


 絶望がリトリスを支配する。


 こんなことだったらドームの中に連れてくるのではなかった。

 あのときの雷撃をしっかりと防いで気絶していなければ。

 もっと力があったなら。


 様々な後悔が頭によぎる。

 思わず目から涙が溢れ、頬を濡らす。


 そのときだった。


「リトリス、意識を取り戻したのか?」

「えっ?」


 声のした方へと振り返ってみれば、そこにいたのは紛れもなくベインだった。


「リトリス……お前、泣いてるのか?」

「ベイン、無事だったんですの?」

「ああ、コピークレイドールの素材から作った道具が役立った」


 コピークレイドール。

 それは他者の姿を真似る泥人形のような魔物。


 その特性自体はなにかに使えそうだと思っていたものの、元々は魔力の供給が難しいということでボツにしていた。

 しかし、ベインは今日までの研究でマジカライト結晶を元にした魔力バッテリーの開発に成功している。

 つまり、魔力の供給という問題は解消され、コピークレイドールの特性を再現する道具を用意していたのだ。


 さきほどディアボロスにやられたベインは道具によって作られた偽物だった。


「なんとかあいつの注意を道具の方に向けられて良かったよ」


 なんともないようにそう言うベインを見て、リトリスはなんとなく腹が立つ。

 ベインが無事で嬉しいのは事実だが、恥ずかしいところを見られてしまった。


「心配させるんじゃありませんわよ!」


 リトリスが立ち上がって周囲を確認してみれば、ベインの横にエルの姿もあった。


「エル、無事でしたのね!」

「僕もさっき起きたばかりです。ベインさんが注意をひきつけてくれて助かりました」


 ディアボロスは魔術を撃った直後なのでこちらに仕掛けてくる様子はない。

 しかし、もうこちらには気づいているようだ。

 できることなら、この隙に攻勢に出たい。


「それで、ベイン、何かあいつを倒す策はあるのかしら?」

「難しいだろうな。どうやらあいつは魔術を理解し始めている。どんどん不利な状況になっていくぞ」


 おそらく、このディアボロスは生まれたばかりなのだ。

 あくまで本能で魔術を行使している。


 しかし、戦闘を長引かせれば段々とやつは魔術の使い方というものを理解するだろう。


「だったら、どうにかしてドームに穴を開けるしか……」

「それも無理だ。ドームの魔力が強まっていっている。入る時よりこの状況で時間をかけるなんて不可能に等しい」


 ディアボロスが魔術の使い方を学習した分だけ、ドームにも魔力が込められていっている。

 もはや内側からの脱出は不可能な空間となっていた。


「だが、一つだけ作戦がないこともない」

「なんですの?」

「……でもこれは未確定な方法だ。理論上の話だけで、上手くいく確証がない」

「ベインの理論ほど信頼できるものは存在しなくてよ。その方法を教えてくださいまし」

「それに、危険が伴う。失敗したらどんな影響があるか分からない。成功する確率も低いぞ」

「そんなこと言ってる場合ではありませんわ! いいからやりますわよ!」


 確かに悩んでいる時間はあまりなかった。

 ディアボロスはその間にもこちらを警戒している。

 もう少しすれば魔術を放ってくるだろう。


「じゃあ、手を繋ぐぞ」

「はい!?」

「だから、手を繋ぐと言ってるんだ!」


 一体、手をつなぐことがどうしてこの状況を打破することに繋がるのか。

 全く意味が分からないリトリスであったが、仕方なく左手を差し出す。


「そう繋ぐんですの!?」

「ああ、これが一番安定するからな」


 ベインがリトリスの手をがっちりと握った。

 それは俗に言う恋人繋ぎである。


 相手の肌の熱が伝わってきた。


「エルは右手を出してくれ!」

「分かりました」


 そして、そのままの流れでエルとも同様に手を繋ぐ。


「一体、何をすると言いますの!?」

「リトリス、これからお前にエルの魔力を送る。俺はエルの魔力を上手いこと調整して伝える役割を果たす」


 それは、ベインの思いつきの一つだった。

 魔力が少ないならば誰かから魔力を分けてもらえばいいのではないか。


 しかし、これは実行しないことにしていたのだ。


 その理由で一番大きいのは、魔力の受け渡しで身体にどんな影響があるか分からなかったからである。


 魔力の相性が良くなければ身体に悪い影響を及ぼす可能性がある。

 魔力と魔力が反発すれば、場合によっては重大な異常が出るかもしれない。

 これは試していないのでデータもなく不確定な要素が大きかった。


「リトリス、お前はすべての魔力を使って渾身の力でディアボロスを倒してくれ。全部任せるような形になって申し訳ないが……」

「……承知いたしましたわ!」


 リトリスがディアボロスを睨みつける。


「ワタクシは魔術を練り上げますわ。ベイン、魔力の伝導は任せましたわよ!」


 実を言えば、このやり方はベインの役割も重大だった。


 そもそも、エルは生まれながらの魔術師であるために、魔力だけを身体から放出する技術を持ち合わせていない。

 放出しようとすれば、それは勝手に風魔術に変換されてしまう。

 だからこそ、エルに働きかけて魔力が風魔術として放出されるのを防がなければならない。


 当然これまでにそんなことをした経験はベインにはない。

 失敗すれば、ベインの身が危なかった。


「ああ、絶対にやり遂げる。だから、ディアボロスを倒してくれ!」

「もちろんですわ!」


 ベインはギュッと両の手を握りしめる。


「エル、遠慮はいらない。全力で繋いだ手から魔術を放て!」


 一瞬躊躇したエル。

 だが、ベインの顔を見て決意を感じとって行動で応える。


「分かりました!」


 エルは全力を込めて風の魔術を放出した。

 ベインは、エルの手から放出されるはずの魔術に働きかけて、魔力のままの状態でそれを受け取ろうとする。


 強まる力の奔流を前に失敗しかけてしまうが、なんとか持ちこたえて魔力を受け取る。

 そして、その魔力をベインは正確にコントロールし続けた。


「リトリス、行くぞ!」


 ついに、エルの力にベインの力を上乗せした魔力がリトリスへと繋がった。


「くっ……」


 その制御の難しさに思わず歯を食いしばる。

 しかし、それに気づいたかのようにベインの手を握る力が更に強くなった。


「やって、やりますわぁ!!!」


 リトリスは全身全霊で魔術を練り上げる。

 自身のすべての魔力……それ以上の力を使う究極の魔術を。


「グギィィィ!!!!」


 ディアボロスもそのただならぬ様子に気づき、こちらに向かってこようとする。


 だが、リトリスの方が少し早かった。



「――浄化の白光!!!」



 天から一筋の光が降り注いだ。


 それは闇に覆われたドームを切り裂き、ディアボロスの身体を貫く。

 こちらに向かって滑空してきていたディアボロスは、光の槍によって縫い留められたことで空中で静止した。


「グギィアアァァ!!!」


 吠えて逃げようとするも、身体は少しも動かない。

 腕を振り回しても、実体のない光の槍を消すことは出来なかった。


 やがて、刺されている箇所から徐々に白い炎で燃え広がり始める。


「ギィィアァァァ!! ギィィアアアァァァ!!!!」


 暴れまわるディアボロスだったが、なすすべなく炎に包まれていく。

 それでもしばらくは耐えていたディアボロスだが、徐々に動きが弱っていき、ついに完全に動きが止まる。


 最後に炎が消えたとき、そこには何も残ってはいなかった。


 光に貫かれた箇所から闇のドームが消えていく。


「はぁ……はぁ……なんとやったみたいだな。やっぱお前はすごいやつだよ、リトリス」

「はぁ……はぁ……当たり前、ですわ」


 すべての魔力を使い果たしたベインたちは肩で息をしていた。


「やりましたね……」

「ああ、だが、終わってないぞ」


 ベインは息を整えて続ける。


「まだドラゴンもいるし、アーグストの企みを暴いたわけじゃない」


 そうだ。

 ダヴラフィとアルカトーラが戦ってくれているはずだが、ドラゴンは一体どうなったのか。

 それに、魔物へと変化してしまったロシュールを討ち果たしたが、アーグストが手を出したわけではない。

 これではアーグストは言い逃れが出来てしまう。


「そうですわね。まずはダヴラフィ先生とアルカトーラさんの様子を確認致しましょう」

「二人はそうしてくれ。俺は少し寄るところがある。すぐ戻る」


 ベインはそう言ってどこかへと向かっていく。

 リトリスとエルの二人は満身創痍ながらも、闘技場の外へと向かって歩みを進めた。


*


 二人が闘技場の外に出ると、ちょうどこちらへと向かってくる人物がいた。


「王子! 無事でしたか」


 それはダヴラフィだった。


「僕は大丈夫です。ダヴラフィこそ、ドラゴンはどうなったんですか!?」

「ヒャッヒャッヒャ、あのくらい余裕じゃったわい」


 代わりに答えたのはアルカトーラだった。


 ダヴラフィたちの背後を見てみれば、ドラゴンは地面に伏して動いていない。

 ダヴラフィとアルカトーラはドラゴンの討伐に成功したようだった。


「ちょうど今、王子のもとに向かおうと思っていたところです。リトリスもよくやってくれた。ベインはどうした?」

「ベインはやることがあると言って一人でどこかに行きましたわ」

「そうか。それと、ロシュールは?」


 リトリスはダヴラフィに闇のドームの中で起こったことを説明した。


「まさかそんなことが……。ドラゴンの件といい、これは普通ではないな。おそらくはアーティファクトの力だろう」

「アーティファクト? あの?」

「ああ、遺跡等から発見される超常の力を秘めた道具だ。ドラゴンを呼び寄せたり、人を魔物に変えたりするなど、それくらいしかオレには思いつかん」

「確かに、アーティファクトならあり得るのかもしれませんわね」

「そして、アーティファクトを持ち出せるような人物は一人しかいない。この国の王子であり、宝物庫にも入れる人物、アーグスト……!」


 ダヴラフィがそう言うと同時に、一人の人物が闘技場から現れた。


「呼んだか?」


 堂々と護衛もつけずに歩いてきたのはアーグストだった。


「余を呼び捨てにしたことは、今は不問にしてやろう。だが、謂れのない罪をかけられるのは心外だな」


 アーグストは白々しくもそう言い放つ。


「そんなにも余を悪者にしたいのなら、証拠を見せてみろ。ま、無理だろうがな」

「く……」


 リトリスたちは言い返すことが出来なかった。


 アーティファクトを使ったであろうと推測はできても、その証拠はない。

 当然、ここに現れたということはまだ使用したアーティファクトを持っているということもないだろう。


 証言を得られそうなロシュールも魔物となって消えてしまった。

 もはや、リトリスたちの作戦は失敗と言って良かった。


「ドラゴンの討伐ご苦労だった。それでは、余は失礼する」


 宿敵が目の前にいるというのに、手を出すことは出来ない。

 一同が悔しさに歯噛みする中、その場に声が響いた。


「待て!!」

「……なんだ?」


 闘技場から走って出てきたのはベインだ。


「ベイン! どこに行っておりましたの!?」

「ああ、こいつを見てくれ」

「それは……ッ!!」


 ベインが手に持った物を見てアーグストに初めて動揺が生まれる。


「ドラゴンを呼び出す装置……そうだな? アーグスト!」


 それはアーグストがバルコニーで密かに使用し、隠しておいたはずのアーティファクト”召竜の印器”であった。

 薄い板が二枚重なったような見た目で、表面には緻密な模様が描かれている。


「これをバルコニーで見つけた。あそこにいたのはお前だけのはずだ!」


 アーグストは焦った。

 本来であれば、信頼できる家臣が回収する手はずになっていた代物だ。

 それをこいつは回収するより早く見つけ出し、目の前に突き出してきている。

 完全に予想外の出来事であった。


 ……だが、アーグストはすぐに冷静を取り戻す。


「なにかと思えばでっち上げか。くだらん。余はそんなもの見たこともない」


 そうなのだ。

 あくまでベインは”召竜の印器”を見つけてきただけ。

 それでは証拠にはならない。

 アーグストがシラを切ればそれまでだ。


「そう言うだろうな。だが、こっちにはこれがあるんだ」


 そう言ってベインが取り出したのは、こぶし大の箱のようなものに長い紐がついた何かであった。


「なんだ? それは」

「これは俺が作った道具……魔力射影機だ」

「魔力? 射影機? 一体なんだそれは。そして、それがなんだと言うのだ?」


 意味がわからないと言った様子のアーグスト。


 ベインは長い紐を広げると、それを四角になるように地面に配置した。

 そして、リトリスを呼び寄せる。


「リトリス、この箱に魔力を流してくれ」

「分かりましたわ」


 リトリスが言われた通りに魔力を流すと……


「なっ……なんだこれは!?」


 四角く紐に囲まれた空間、そこにアーグストが立体的に映し出されていた。

 他にも、椅子やテーブルなども映し出されている

 その光景は……


「まさか、バルコニーか!?」


 アーグストがいたバルコニー席を再現したものであった。


 映像のアーグストは時間の経過とともに動いている。


「これはホログラムキャットという魔物の素材から作った道具だ」


 ホログラムキャット、それは魔物の中でも特に変わった性質を持っている。


 ホログラムキャットは自身の身に危険が迫ると、その場に立体的な虚像を作り出して敵を撹乱するのだ。

 その際には主にホログラムキャット自身の分身が作られることが多く、その虚像は過去の自身の動きをトレースして自動で行動する。


 ベインはその性質に目をつけ、特定の場所を立体映像として記録できる装置を作り上げていた。

 最初に別行動を取ったのも、アーグストが来るであろうバルコニー席にこの道具を仕掛けるためだ。


「映像のアーグストが何かを取り出したようだな」


 その立体映像でアーグストは何かを懐から取り出していた。

 それは先程ベインがみんなに見せた”召竜の印器”である。


 そして、アーグストは”召竜の印器”に起動したあと、それをバルコニーの端に置かれた机の下に隠していた。


「アーグスト、もう言い逃れはできないぞ!」

「なっ……デタラメだ!」

「そう言うのは勝手だ。だが、この映像はこの装置がある限り残り続ける。これを貴族たちに公開すれば、いくら王子といえどただでは済まされないぞ……!」

「くっ……!」


 アーグストは顔を忌々しげに歪ませる。

 証拠が見つかるはずなどなかった。

 それなのに、意味のわからない道具で追い詰められている。


 これをデタラメだと断じることはできるが、それにしてはあまりにも精巧だ。

 映像だけ、”召竜の印器”だけ、であれば言い逃れはできるだろうが、その二つともが敵の手に渡っている状況はまずい。

 少なくとも確実に、この映像だけはこの世から消す必要があった。


 その考えに至ったアーグストの行動は早かった。


「荒れ狂う暴風の餌食となるが良い!」


 アーグストは躊躇なくベインへと向けて手から風の魔術を放射する。

 もちろん、狙いはその手に持っている映像装置。

 威力ではなく速度を重視した一撃。

 だが、それでもその暴風はベインに直撃すれば命を奪うのは容易いだろう。


 王家というのは魔術師として最高峰の力の象徴。

 速度、威力ともにエルの比ではない風魔術がベインに襲いかかった……!


「!?」


 そのアーグスト素早い攻撃に、その場にいた誰もが反応できない。

 かろうじてダヴラフィは動こうとしたが、アーグストの不意をついた攻撃はそれよりも早い。


 しかし、この危機を救ったのは意外な人物だった。


「私だって……!」


 ベインと暴風の間に割り込む形で土の壁が形成される。

 弱々しく小さな土の壁ではあったが、一瞬だけ暴風を押し留めてくれた。


「リリヤさん……!?」


 ロシュールに圧力をかけられ、エルを狙っていたリリヤ。

 しかし、リリヤは土壇場で助けに来てくれたのだ。


 魔術の苦手なリリヤではこの暴風を消すことは出来ない。

 だが、暴風を一瞬でも押し留めてくれた影響は大きかった。


「やらせません!!」


 エルが暴風に対して下から打ち上げる形で竜巻を形成する。

 魔力のほとんどを先程使い果たしているエルの竜巻は決して威力が高いとは言えない。


「そんなちっぽけな魔術ごときで!!」


 しかし、エルの魔術のコントロールはアーグストに引けを取らない。

 いや、コントロールに関して言えば、エルの方が上であった。


「馬鹿なッ!?」


 確かにエルの作った竜巻は暴風に飲まれてしまった。

 だが、気流をコントロールしたこの竜巻は、暴風を斜め上へと逸らすことに成功している。


 暴風は映像装置やベインに当たることなく、頭上すぐ横を通過していった。


「動くな! オレがいる限り、二度と魔術は撃たせんぞ」


 さらに、ダヴラフィがアーグストの前に立ちふさがる。


 もはや、アーグストの逃げ場などどこにもなかった。


 いや、厳密に言えば、シラを切ってここから逃げ出すことはできる。

 だが、あの映像装置と”召竜の印器”という証拠があれば、どちらにしても終わりだった。

 逃げ出したところで、言い逃れが出来なければ意味がない。


 加えて、無能だと思っていたエルの一撃によって魔術を防がれた事実も、アーグストの心を折るには十分だった。


「……余の……負けだ……」


 アーグストは地面に手をついてうなだれる。


 こうして、王座を賭けた争いに決着がついたのだった。



*


 それからしばらくして。

 現国王が病によりこの世を去った。

 これにより第一王子エルレヴァウス王子の即位が決定する。


 今日は、そのエルの即位式典であった。


「ベイン、準備はよろしくて?」

「いや、ダメだ。俺はこういう固い式典が一番嫌いなんだ。魔術学会にいたときもそういった類の行事は全部避けてきた」

「何を言っておりますの!」


 リトリスとベインは、王城の一室にて待機を命じられていた。

 大公家であるリトリスが呼ばれているのは当然として、ベインが呼ばれているのはその功績を認められてのことだった。

 特別来賓として、二人はエル直々に指名されたのだ。


 ただ、もうすぐ式典が始まる時間なのだが、ベインは乗り気ではないようだ。


「エルが即位するんですのよ? 見たくはありませんの?」

「それは見たいけどなぁ……。でも、その姿のお前を見られただけでも十分だ。俺は帰る!」

「素直に褒め言葉と受け取っておきますけれど、帰るのは許しませんわよ」


 リトリスはドレス姿だ。

 もちろん、即位式典かつ次期王の指名とあって、普通のドレスなどではない。


 白を貴重とした高級感漂うドレスは、リトリスの気品をさらに際立てる。

 これほどのドレスともなれば”着る”のではなく”着られる”こともままあるが、リトリスは見事にそれを着こなしていた。


「冗談だよ。さすがに俺でもここで帰ったりはしない」

「当たり前ですわ」

「それに、もう呼ばれる頃合いだろ」


 そうベインが言った直後に部屋の扉が開かれる。


「式典が始まります。どうぞこちらへ」


 二人は案内されて王座の間へと移動するのだった。


*


 即位式典は王座の間で行われる。


 そこにはすでに多くの貴族たちが集められていた。

 リトリスとベインには王座に近い特別スペースが割り当てられる。


 そして、即位式典が始まった……


「エルレヴァウス・マギスト・ディートフォルグ殿下の御成」


 エルが中央の絨毯が敷かれた道を通り、王座へと座る。

 国王が生きていれば王冠を受け渡す儀が行われるのだが、今回は国王の死去に伴っての即位式典であるため、エルは最初から王冠をかぶっていた。


 エルの様子は最初に出会ったときとは、大きく異なっている。

 弱々しい雰囲気は一切なく、決意に満ちた表情で王座へと向かっていった。

 誰もが次の王として相応しい人物と認めてくれるだろう。


 即位式典は特に問題なく進行していき、残すは即位したエルからの言葉だけである。


「みなさん、いきなりですが国王となった僕からいくつか発表があります」


 会場が少しざわついた。


「まず、みなさんもご存知だと思いますが、魔術闘技会の日に僕は命を狙われました」


 あの一件は誰もが知るところになっている。

 ベインの魔力射影機は無事に証拠として機能し、第二王子アーグストは牢へと捕らえられた。

 さらにアーグストの証言からマグヴァリス家とリトリスフォン家が暗殺に関わっていたことが判明し、大公家の地位を剥奪されている。

 無論、これまで統治してきた土地をいきなり別の貴族に任せるわけにもいかないので処分は長期に渡って行われる予定だ。


「そのとき、命を賭して僕を守ってくれた方に、褒賞を取らせます」


 エルが一人ずつ名前を読み上げていく。


 リトリス・マギ・コーデリア。

 ダヴラフィ・マギ・オルデガルト。

 リリヤ・マグ・アストラン。

 ベイン・クレバース。


 ベインの名が呼ばれた時、会場のざわつきは大きくなった。

 無論、ベインが凡民であったからである。


 魔術師は普通ミドルネームがあり、凡民にはそれがない。

 つまり、名前だけでベインが凡民であると誰もが理解できるのだ。


「まず、ダヴラフィとリトリス。お二人は僕のために護衛をこなしてくれました。よって、コーデリア家とオルデガルト家の両家は大公よりも更に上、上大公の爵位を授けます」


 本来、この国には上大公などという地位は存在しない。

 だが、エルがリトリスとダヴラフィの二人に報いるために特別に用意したのだ。

 無論、権力としては大公の時点で王の次に偉いものとなるので、そこまで変わりはない。


 それでも、最も誉れ高い地位をもらったと言える。


「次にリリヤ・マグ・アストラン。彼女がいなければ、アーグストの陰謀を暴くことはできなかったでしょう。よって、アストラン家にはマグヴァリス家が管理していた土地の一部を授けます」


 アストラン家は治める土地を持たない小さな家だった。

 リリヤにとってこれほど嬉しいことはない。


「最後にベイン・クレバース。あなたの力がなければ、この結末になることは絶対に有り得なかったでしょう。よって、公爵の地位を与えます」


 これには貴族たちが皆驚いた。

 魔術師の血筋ですらない凡民が貴族の地位を得るなど、これまでなかったことだ。


 それだけではない。

 続くエルの言葉も驚くべきものだった。


「それだけではありません。本来なら公爵として土地を任せるところですが、ベイン、あなたには魔術学会長として働いてほしいのです」


 魔術学会に所属する魔術師たちは、ベインが魔術学会から追放された男であると気づいていた。

 にも関わらず、魔術学会長に就任など意味がわからなかった。


 そして、中でも一番意味がわからなかったのは現学会長であるヘルモンドだ。


「エルレヴァウス陛下! 魔術学会長は私めが務めておるのですぞ!」

「ヘルモンド、あなたは魔術学会から追放です。いえ、それだけじゃありません」


 エルがそう言うと同時に、ダヴラフィが立ち上がってヘルモンドの元に歩いていった。


「ヘルモンド・マグ・アスファート。お前には前学会長の殺害容疑がかかっている」

「なッ!?」

「前学会長はオースレン・マギ・コーデリア。事実ならば、大公家の人間を手にかけた罪は重いぞ」

「そんなことやってはいない!」

「ああ、すまない。容疑と言ったが、すでに調べはついている。来てもらおうか」

「ふざけるなッ!」


 ヘルモンドは激昂し魔術を放とうとしたが、ダヴラフィを前にそのようなことができるはずがない。

 魔術として形をなす前に、あっさりとダヴラフィによって気絶させられ、どこかへと運ばれていった。


 ざわめく魔術師たちをエルは鎮めると、話を続ける。


「そういえわけですので、魔術学会長として魔術をはるかなる高みへと導いてください」

「……分かりました」


 内心、あまりやりたくないと思っていたが、そんなこと言えるわけがない。

 それに、魔術学会長ともなれば魔術の研究にかけられるお金は遥かに増えるだろう。

 これまでできなかった研究もできるかもしれない。

 そういう意味では、悪くないとも言えた。


 こうして一波乱あった即位式典ではあったが、すべての工程が終了し無事に幕を閉じた。


*


 その後、長い月日が流れていく……



 マルズル魔術国の王となったエルは平和な治世を行い、国の基盤をより盤石なものとした。

 エルが行った特に大きい改革として凡民の地位向上政策がある。

 反発も大きい政策ではあったが、エルは反発する魔術師たちを見事に抑え込み、国の発展の礎を築いた。

 歴代でも良い統治を行った王として人気が高い。



 リトリスは魔術学院の卒業後にコーデリア家の当主の地位を受け継ぎ、その類稀(たぐいまれ)な才能を活かして人々の先頭に立ち続けた。

 新魔術理論をベインの下で最もよく学んだ彼女は、やがてダヴラフィをも超える最強の魔術師として名を馳せるようになり、新たな魔術を多く生み出すこととなる。

 その魔術は国に迫る脅威を払う最強の矛であり、民を守る最強の盾でもあった。

 彼女の存在は多くの魔術師の目標・模範となり、”究極の魔術師”と呼ばれ後世に伝えられることとなる。



 ベインは魔術学会長として新魔術理論の普及に貢献した。

 学会長への就任は反発も多かったが、国王であるエルの後ろ盾、そしてリトリスという新魔術理論の証明者の存在からベインのことを認める者も現れる。

 それでも反対派は根強く存在したが、ベインはそれに負けず研究を続けて新魔術理論を完成させた。

 その間に、支えとなったのはリトリスの存在である。

 新魔術理論が完成すると、凡民の中から才能を持った魔術師が次々と見つかり、魔術師と凡民の間にあった大きな壁を取り払うことに成功した。

 それだけにとどまらず、ベインが発明した魔力バッテリーおよび魔力を使用する道具のおかげで凡民であろうと魔術の恩恵を直接的に受けることができるようになった。


 これらの変化は”魔術革命”と呼ばれ、マルズル魔術国の歴史を語る上では外せない出来事となる。

 いや、この魔術革命はマルズル魔術国から世界的に波及し、世界的に見ても非常に大きな出来事となった。

 ベインが世界にもたらしたものはあまりにも膨大で、その功績から”新魔術の父”と呼ばれて後世に伝えられることとなった。



 ……なお、もう後世にもう一つ伝えられている異名がある。

 それは”最強の魔術夫妻”だ。

 夫婦としての仲睦まじさが伝説級だったことからこの異名が伝えられているらしい。


 誰と誰のことかは、言うまでもないだろう。


連載途中なのが気持ち悪かったので最後まで。

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