64 食堂で少女に流れていた時間
「もっと自分から話しかけろよ」
時は少し遡る。
テオルたちが食堂を去った後、クロアの前で兄のグウェンが眉を上げた。
他の生徒たちの喧騒の中、グウェンは時計をちらちらと気にしながらも、酸いも甘いも知ったといった風に語り出した。
「少しは勇気を出さないと、あの二人に取られるぞ」
「お兄ちゃんには関係ないでしょ……」
「まあそうだけどな。俺は心配してやってんだ──個人的には気に入らないけどな? 可愛い妹が珍しく好きな奴ができたんだからな──あいつ自身は気に入らないけどな?」
クロアは冷めた目を悟られないように気をつけた。
せっかく協力しようとしてくれているのだ。邪険に扱うのは良くない。
「なんだよ、その目」
「あっ、いや……」
ダメだったらしい。
優しさだと自分に言い聞かせたのだが。
剣術ばかりに打ち込み、これまで恋人はおろか友達もほとんどいなかった兄に、つい向けてしまう視線は白けたものになっていた。
目をパチパチとさせ、取り繕うように人差し指を立てる。
「あぁーほら、お兄ちゃん。手、止まってるよ? 早くしないと授業に遅れちゃう」
「おまっ、話逸らし──て、そういやそうだったッ!」
「早く、急いで急いでっ」
さっきまで時間を気にしていたのに、すっかり食事を忘れていたグウェンは「やべっ」と慌てて残りを全て平らげる。
クロアもそれを見ながらゆっくりとシチューを食べ進めた。
グウェンは口に料理を詰め込み、モグモグと咀嚼しながら席を立った。
「んじゃぁわらあ」
盆を持って返却口に向かおうとする兄に、クロアは口先を尖らせ「お行儀悪いよ……!」と注意した。
しかし、その瞬間──突如として爆発音が劈き、言葉はかき消されたのだった。
「……え?」
「……むぉ?」
クロアは音が鳴った方に顔を向けた。
同じようにグウェンや他の生徒も動きを止め、顔を向けている。
ほんの数秒前まで騒がしかった食堂の中は、物音一つしなくなっていた。
「お、やっぱ一番ここに人がいる」
その静寂を切り裂いたのは、入り口方面から上がった女の声。
声が聞こえた全ての生徒が反応した。
視線を動かし、それから眉間に皺を寄せる。
次第に食堂に入ってきた人物たちを見て、異変に気がつき──警戒が伝播する。
そんな時だった。
校内放送が流れたのは。
『え、ええー……突然、失礼いたします。私どもは世間一般で言われるところの──テロリスト、という者です。只今から好き勝手やらせていただきますので……』
放送の途中で、どこかでガタッと椅子が動く音がした。
合わせるように──混乱。
「き、きゃぁぁぁぁああああああッ!?」
甲高い女生徒の叫びを発端に、いくつかの喚声が上がる。
大半はまだ現状を受け止め切れず、にへらと笑ったりしていたが、一部の生徒は日常生活では見せない顔をしていた。
真剣な眼差しに、わずかな緊張。
戦闘技術を持ち合わせた者たちだ。
中でも騎士などを目指す少年少女は、既に敵の数を確認し武器になる物はないかと目を走らせていた。
しかし、片手で数えるほどしかいない実戦経験に富んだ者は──すぐに諦めた。
「あぁ煩い。静かに」
諦めの原因は食堂に乱入して来た、この金髪の女。
その後ろには顔に布を巻いた、冷徹な目を覗かせる男たちを引き連れているが、全部足してもこの女には届かないだろう。
入り口付近の席にいたクロアも、直感的にわかった。
この女性だけは、底が見えないと。
彼女の一声で食堂内は再び静かになった。
「あれ、いないのですか?」
皆の視線が集まる女の横に、黒服の男が唐突に姿を現す。
そしてどこからともなく出現すると、食堂をぐるりと見回し女に問いかけた。
「ここにいるはずだったのでは?」
「アタシが来たときから誰一人動いていないから。タイミングが悪かったとしか言えないな。ああ、作戦は失敗だ、失敗」
「折角学園中に布告したのに、これでは駄目ですね」
「成功前提の、ミスを出さないようにするお使いなんでしょ?」
「まあ、そうですね。無駄な証拠を残さず手短にやるためにこの場を選んだのですが……仕方がない。適宜手を出しながら学園を回ることにしましょう」
核心的な部分には触れず交わされる会話。
クロアの耳にも届いたが、今はそれどころではない。
兄が──グウェンが、テロリストたちのすぐそばにいるのである。
「ええ……みなさん。私たちはこの学園にあるという魔導具をいただきに参りました。魔導具、魔導具です」
黒服は大きな声で言うと、こう続けた。
「どなたか保管場所を知らないですか? ダンジョンの入り口でも構いません」
クロアには思い当たる場所がある。
なにせテオルたちがメイ先生に頼まれ、ダンジョン探索をし、魔導具を手に入れたと昨日の祝賀会でも聞いてあるのだ。
他の生徒は誰も知らないだろう。
ダンジョンの存在は知っていても、入り口の場所などもってのほかだ。
けれどクロアとグウェンは、いつもテオルたちがメイ先生の研究室へ向かっていることも知っていた。
「はぁ……だんまりですか」
黒服はしんとした生徒たちに目を巡らせ、胸元から取り出した時計を見て女と目配せをした。
「腹が立ちますねぇ? 誰も口を割らないのなら仕方がないです。もう、こうするしか……」
テロリストたちから距離を取ろうと、グウェンは後退するタイミングを窺っているようだった。
早く席に戻ってきてと、クロアの思いは伝わったらしい。
が、黒服の姿が消えたかと思うと──グウェンが壁に打ち付けられていた。
「う……っ」
呻くグウェンの下に黒服は優雅に近づき、襟元を握り片手で持ち上げる。
立ち向かう隙すら与えず、何度も何度も顔に拳を入れる。
「黙っていたら次は自分の番ですよ? 何か知っている者は出てきなさい」
偶々近くにいたからなのか、グウェンは重点的に顔面ばかりを殴られ、周囲に恐怖を植え付けるためだけの道具として扱われた。
わずかに遅れ、何ができるわけでもないがクロアは腰を浮かせようとした。
しかし、瞼が膨れ目が線になった兄と交差する視線。
──来るな。そこでじっとしていろ。
鮮明に、伝わった。
引き続き力をコントロールし、なるべく長く使えるように黒服はグウェンを殴打し続ける。
後方から、恐怖に耐えられなくなった生徒が鼻を啜る音が聞こえてきた。
何かできることはないかと、クロアは目前で殴られる兄を見て焦った。
来るなと言われた。
しかし、何もせずにいられるわけがない。
拳が振り下ろされるたび鈍い音が響き、グウェンがボロボロになっていく姿を見て、もう耐えられないとばかりにクロアは立ち上がった。
「もう、やめて……っ」
力強く言ったはずが、喉が掠れて声にならない。
膝が震えてうまく歩けないが、兄の下へと近づく。
「ほう……来ますか」
次の瞬間には、耳元で黒服の男の声が聞こえ、腕を回され捕らえられていた。
「知っていましたよ。もちろん下調べはしているのですから、ダンジョンに潜っていた方々のお友達──貴女たちだけしか情報は持っていないと」
わかっていて、これがしたかったのだ。
そう続け男が合図を送ると、顔に布を巻いた男たちが他の生徒に接近する。
クロアは背後にいる人物たちの恐ろしさに力が抜けそうになった。
だが床に伏す兄が朦朧としながらも、解放された結果に。
大丈夫、大丈夫と。
舌を噛んで耐え忍ぼうとする。
血の味がした。
他の生徒が襲われそうになった。
誰かに救けてほしくて、涙が浮かんだ。
──その時。
強烈な風圧に飛び上がり、ぎゅっと目を瞑ると。
倒れかけたクロアは、優しい腕に受け止められたのだった。
目を開くと──そこには、テオルの姿があった。