①
アイリスは奥歯を噛みしめながら、幸せそうな二人にほかの出席者と並んで拍手を送った。
エイミーの眩しい笑顔と、それを温かい眼差しで見つめる元婚約者。自分といる時よりもずっと柔らかな表情をするので嫌になる。
出席者の幾人かはアイリスに同情的な眼差しを向けていた。アイリスはそれに気づかないふりで、ただただ完璧な笑みを浮かべる。
動揺を見せては負けだ、自分がみじめになるだけだと言い聞かせて。
「アイリス!来てくれたんだね」
元婚約者のロニーは、歓談中、笑顔を浮かべてアイリスに近づいて来た。横にはぴったりとエイミーが張り付いている。
「もちろんですわ。大切な友人と、私の従妹との婚約発表会ですもの」
アイリスはロニーに負けない笑顔で言う。
「アイリスお姉様、今回のことはごめんなさいね。あんなことがあったのに来てくれて嬉しいわ」
エイミーは眉尻を下げて、困った表情でアイリスに謝る。アイリスは何をしらじらしい、と冷めた思いで彼女の言葉を聞く。
「いいえ。もう気にしていないわ。二人とも、お幸せにね」
アイリスは、エイミーにも穏やかな笑みを向けた。
(なんて。許すわけないけれど)
アイリスは背中を向けて去って行く二人を冷たい眼差しで見つめながら、心の中で呟いた。
──
ふと、アイリスは賑やかな会場で一人だけ沈鬱な表情を浮かべ、ロニーとエイミーを見つめている青年がいることに気が付いた。
青みがかった黒髪に高い背丈。淡い緑色をした切れ長の目には銀縁の眼鏡をかけている。きれいな顔をしているのに全てを恨むような表情のせいか何とも近寄りがたいオーラを放っている。
通常であれば、アイリスは彼に良い印象を持たなかっただろう。しかし、今日だけは事情が違った。
楽しそうにしている参加者たちの中で、唯一彼だけが自分と似たような感情を抱えているように見えたのだ。アイリスは無意識のうちに彼の姿を目で追った。
ふいに、今まで婚約者二人をじっと見つめていた青年が振り向いた。彼はアイリスに目を留めると驚いたように目を見開く。
(しまった。じっと見ていたのを気づかれたかしら)
アイリスは気まずい思いで目を伏せた。
「君はアイリス・カティックか?」
「えっ?」
顔を上げると、突然至近距離に青年が立っていたのでアイリスはあやうく悲鳴を上げかけた。アイリスは動揺しつつも笑みを浮かべて答える。
「ええ。そうですわ。エイミーさんとは従妹にあたります」
「やはり。エイミーさんの従妹で、ロニー殿に婚約破棄されたアイリス・カティックだな!」
青年がはっきりした声で言うので、アイリスは顔をしかめた。こんな人の多い場所で繊細過ぎる話題を持ち出して来て、一体どういうつもりだろう。アイリスの中にわずかに芽生えていた親近感が消え去っていく。
「少し来てくれないか。相談したいことがあるんだ」
「一体何の話でしょう。ここで話せないことなのですか?」
アイリスは笑顔が引きつらないように努力しながら言った。青年はアイリスの心情をよそに続ける。
「ここではまずい。何せ今日の主役二人のことだから。しかし、君にとっても良い話のはずだ」
「あなたの相談に乗ることで一体私がどんな利益を得られると言うのでしょう」
「それは外で話すから。少し出てきてくれ」
青年は両手を合わせて言った。アイリスは小さく息を吐く。初対面だというのに、随分しつこい男だ。しかし、アイリスとしてもこのパーティーに嫌気が差していた。少し外の空気を吸えるならば、話を聞いてあげるくらいはいいかと考え直した。
「では、手短に頼みますわよ」
「来てくれるか。ありがたい」
青年はそう言うと、こそこそと人々の合間を縫って出口まで進んでいった。アイリスも後に続く。
青年は会場から抜け出すと、扉を閉めるなり言った。
「アイリス・カティック。僕と協力しないか。僕は二人の婚約をぶち壊してやりたいんだ」
突然の強い言葉にアイリスは面食らった。
「ぶち壊す?一体何が理由で?」
「エイミー・カティックを愛しているからだ。優しく清らかな彼女にはいつも幸せでいて欲しい。しかし、彼女は急にロニーとかいう信用できない男と結婚すると言い出した。
ロニーと結婚すればエイミーは不幸になるに決まっている。彼女が辛い思いをする前に、何とか止めてあげたいんだ」
青年は熱を込めて語る。アイリスは訝しみながら尋ねた。
「ええっと……。そこまでおっしゃるということは、あなたはエイミーと相当親しい間柄だということですの?もしかして、あなたも私と同じように婚約破棄されたとか?」
そんな話は聞いたことがないが、アイリスの知らないところでエイミーには恋人がいたのかもしれない。しかし、青年は首を横に振った。
「婚約だなんてとんでもない。僕はただ彼女を見守っていただけだ。彼女は毎週日曜日に僕の家のすぐそばの孤児院に来る。そこで子供たちと触れ合うエイミーは天使のように美しい。彼女は幸せであるべきだ」
青年はうっとりした様子で語る。
アイリスはというと、青年の言葉に呆れるを通り越して、半ば恐怖を感じていた。
「あなた、エイミーと会話したことは?」
「二言三言、彼女から声をかけられたことがある。いいお天気ですねとか、お出かけですかとか」
「ただの挨拶じゃない……!」
アイリスは頭を抱えた。どういうことだ。この男はエイミーのストーカーなのか。いくらパーティーが嫌だったからといって、なぜ自分はこんなストーカー男と会場を出てしまったんだ。