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「ティティ。君がそんな不誠実な人だとは思わなかった。この婚約は、考えさせてくれ」

「何も、何もしておりませんわ」

「他の男との不貞を何もないと?ああ、間男は私か?」

「何のことを仰っているのかわかりかねます」


 もういいと彼は言った。

 婚約は破棄するからソイツとお幸せにと。





 言われたって納得できるもんですか!もう!


 起き抜けに枕をぼすぼす叩いている私を、洗面器を持ったアニーが「あらまあ」とのんびり眺めていた。慰めるか止めるかして。

「おはようございます、お嬢様。今日は一段とひどい顔ですね。可愛いですわ」

「……おはようアニー。その水で顔を洗った方がいいのはあなたの方ではなくて?」

「お嬢様は可愛いですよ。今朝はどんな夢でしたか?」

「いつもの夢よ」


 夢である。そう、夢であって現実ではない。

 だけど嫌な夢をみたら誰だって今日一日に影響するでしょう。気分が優れないとか、もやっとするとか。

 それが、婚約者に不貞を疑われて婚約破棄される夢とか。

 ないわ。へこむわ。

 だって私は正真正銘潔白で、お嫁に行かずずっと家にいていいんだよーなんて緩いお父様に甘やかされたけれど代わりに大事に囲われすぎて男性と関わる機会なんてほとんどなかったのよ。浮気どころか出会う隙もなかったわ。

 それに。


「本日はウェイド卿がいらっしゃいますから、もっと可愛くしましょうね。お嬢様」

 旦那様の出仕に間に合うよう朝の支度は簡単に、ご挨拶の後で果物を用意します、昼前にはいらっしゃるご予定ですので食事はその時に、それまでは可愛くしましょうね気合い入るわ。

 アニー。最後の気合いは心の中でして。

 これからの予定を述べる私の可愛い侍女に、さすがに突っ込んだわ。愛されてるのは嬉しいけれど、アニーは時々明後日の方向に飛ぶから心配になる。


 ニコラス・ウェイド様。

 私の婚約者。


 モウス伯爵のご嫡男で、先月に寄宿学校を卒業されたばかりの18歳。

 彼との婚約が成立したのは私が15歳の時、だいたい二年前だ。

 我が家はそれなりに代を重ねた伯爵家、でもわりと新しいもの好きの人たちが多いようで領地運営だけでなく商売をするにも抵抗がなかったようだ。今でもそんなの商人みたいで浅ましいという人も多いけど。

 そこでものすごーく幅をきかせるような大儲けをした訳でもない、ただ領民たちと私たちの毎日の食卓が潤う程度には成功している。

 国の北にある我が領は、長い冬を雪に閉ざされるために発展した手工芸が自慢なので。

 これからの時季は人より羊の数のが多いかしら?みたいな状況でまかなえる羊毛はとにかく、加工の元になる物を他領から仕入れている。

 これのやり取りだったり、出来上がった品にうまく付加価値をつけたり流出量を調節して希少だと思わせたりがちゃんとうまくいって食卓が潤った。大事なことなので二度言っておいた。


 だから我が家は逼迫していない。昔ながらの考えは大切なことを教えてくれるけど時代に合った生活をしないとね、が口癖のお父様は「女子はお嫁に行くのが幸せ!」とは言わなかった。

 その商売の販路にモウス伯領があったとしても、私を嫁がせてどうこう利を得ようというわけじゃない。たぶん。

 この婚約は、同じ伯爵位だしこれからも商売の縁はあるし、いい落とし所だよね。

 って感じだと思う。

 思っていた。


 だけど書類上の婚約が決まってから、その年の冬にニコラス様は我が家にやってきた。

 寄宿学校の冬季休暇を利用して来たのだ。

 大きな花束を抱えて。

 ニコラス様は丁寧に挨拶してくれた後で、当時まだまだ背の小さかった私に視線を合わせるように屈んでくれた。


『僕からの求婚を待って書類を作るように父に頼んだのですが、間に合いませんでした。順序が逆になってしまった事を許してください。ティターニア・パーシー嬢。ニコラス・ウェイドからあなたに結婚を申し込みます』


 ……今思い出しても恥ずかしい!今でも時々思い出しては枕を殴ってるわ!だって私は男性と出会う機会なんてなかったのよ?!

 という感じで私はころっとニコラス様に落ちて。彼はなんとその年の冬季休暇を我がパーシー家で過ごしたのである。

 あれ、婚約者って相手の家に滞在していいものだっけ?あ、いいの?

 お父様とお母様がいいなら仕方ない。ウチの跡取りである弟だけがぶうぶう不貞腐れていたけれど。


 ニコラス様が通う寄宿学校はその名の通り貴族子息が寄宿舎に身を寄せて学ぶ学校で、雪の新年を迎える冬季と社交期にお休みがあって皆が実家に帰るのが通例らしい。

 だからその時しかお会いできないのだけど、その時はびっくりするくらい一緒に過ごしてくれた。

 そして今年、無事に学校を卒業したニコラス様は週に一度はウチにやって来る。ここ最近は三日とあけずにやって来る。


 ニコラス様は優しい。

 会うのが冬の季節が多かったせいもあるけど、いつでも私の体調を気遣ってくれて、好きなものは何か欲しいものはあるか行きたいところはあるかと訊ねてくれる。そんなに色々頂けませんと慌てたが、そんな時は私お気に入りのお店のクッキーをくれる。これのために私が自分で街の店舗に並んだことがなぜバレている。


 ニコラス様は甘い。

 寄宿学校は女子の口説き方とか教えるのかしら?確かに教養も学ぶでしょうけど、文武両道を目指してけっこう男所帯なヤンチャな印象だったのだけど。

 なんというかこう、あまい。私がクッキー食べていて、羊毛織の話をしていて、ふと気づくと視線が合う。合ってしまえば私は溶けてしまいそうになる。甘くて熱い。

 婚約者として節度持ってますから、そうそう触れあったりしませんけど。視線だけで笑顔だけで私の心臓ドキドキして壊れそう。


 彼が私の不貞を疑うとかましてや婚約破棄するなんて、想像もできない。

 だから不安なんだわ。

 ニコラス様がどうして私なんかに優しいのかわからなくて、あんな夢をみるのだ。

 だって。だってね。


「こんにちは、ティターニア。今日も可愛いね」


 大型犬が尻尾振ってご主人に駆け寄るみたいな、ぱあああって感じの、可愛らしコホン素敵な笑顔でやって来るこの方が、どうして私に優しいのかわからないんだもの。

 三日前にも来てくれたのに、今日も彼の片手に収まる小さな花束と流行りのショコラを持ったニコラス様は我が家のエントランスでぶんぶん尻尾を振っていた。

「いらっしゃいませ、ニコラス様。いつもありがとうございます。今日は食事もありますのでサロンにご案内しますね」

「今日も会えて嬉しいよ。今日のドレスは落ち着いた色だね、でも君の好きなクッキーにショコラをかけたみたいに甘い色だ。可愛い、似合ってる、そのショコラ食べてしまいたい」

 食べたいのは、お土産の!方ですよね?!

 やだもうやだもうこの方ほんっとーに心臓に悪いわ。アニーが背中でニヤニヤしてるわ。

 ゴアンナイシマスとカタコトの喋りでカクカク歩く私の斜め後ろで、ニコラス様はずっと笑ってらした。これは婚約者を可愛らしいと思ってくれているのか挙動不審を笑われているのかわからないわ。


 彼が、どうして私に求婚してくれたのかわからない。

 婚約後にお父様に確認したけど、どうやらニコラス様自身が私を望んでくださったようで。

 何か気に入られることをしたかしら。私の方は初対面でころっとやられてしまったけれど、会ったこともなかった私をどうして知ったのかしら。

 私が18歳になったら結婚する。もうすぐ。なのに私はそれを聞けないでいる。


「ティターニアが好きだからなんだけど。うーん、いつになったら信じてくれるかなあ」


 違ったわね。正確には、聞いても理由を教えてはくれない。

 好きだと。

 優しく、まだ何も知らない子供に教えるように優しく、そう告げてくださるけど。

 どうしての問いに答えてもらったことがない。


 サロンでゆったりと食事をし、紅茶を運んでもらって、ニコラス様のカップにはブランデーを数滴。お土産に頂いたショコラを口に含むと甘くて苦くてやっぱり甘かった。

 テーブルを挟んで向かいに腰掛けるニコラス様は、困ったなと言いながらあまり困っていない顔をしていた。

 言葉を探すように、カップの向こうのどこかをみていたから、私はその隙にお顔をそっとじっくり拝見していた。


 とびきりの美形ではないけれど、整っていらっしゃるわよね。ハンサムだわ。

 彼は私のドレスをショコラ色と言ったが、実は彼の濃いブラウンの髪の色である。気づいてもらえないどころか別の方向からの攻撃を頂いてちょっとアレな気分になっていますティターニア17歳です。

 瞳はきらきら亜麻色で、それこそ私の好きなクッキーのような色だ。

 寄宿学校はスポーツも盛んにされるそうだから、けっこうがっしりしてらっしゃるかしら。比較対象がお父様と弟くらいしかいないのでなんとも言えないけど。でもウチの守衛さんとか王城で見たことのある騎士様はもっと分厚いお肉だったような。

 貴族の子息として鍛えてらっしゃる、くらいかしらね。


 お顔どころかテーブルから見える上半身やら紅茶のカップを持つ手やらを凝視していたら、ふと、ばちっと視線が合ってしまった。

 見ていたのがバレた。というか何という邪な視線で紳士を見ていたのかしら私。

 恥ずかしすぎて下を向こうとしたのに、視線が合ってすぐ、嬉しそうに微笑まれて動けなくなってしまった。私の婚約者が心臓に悪いです。


「なぁに?」

 あまーい!声があまーーい!!

「い、……いいえ。不躾に申し訳ざいません。ニコラス様に見惚れてました」

 もうどうしようもないので正直に申告した。何だこいつと思われるよりいいでしょう、婚約者に見惚れて何が悪い。

「そう?嬉しいな。でも僕の顔、拳闘の授業で鼻の骨折れてるから歪んでるよ」

「鼻の骨が折れたりするんですか?!」

「あれは授業ではあるんだけど、教えてくれるのは型とか布の巻き方であって、基本的には公開リンチなんだよね。上級生からとか、気に入らない奴とか、そういうのからガツーンとくるから授業のためにみんな鍛えるっていう」

 学校は、思ったよりもヤンチャでした。男の人って怖い。

 でもこれ深窓のご令嬢が聞いたら青ざめたり卒倒したりしないかしら、あら私もそうだった、でもすごいなー怖いなー男の人は違うなーくらいにしか思わないわ。怯えるのが正しい反応だったろうか。

 するとニコラス様は楽しそうに笑ってらした。


「ティターニアは怖がったり嫌がったりしないね」

「してますよ。あと、ニコラス様の心配もしてます」

「もう三年以上前だから治ってるよ」

「私にお会いするより前のお話ですね。歪んでいるなんて、ちっとも気づきませんでした。お会いした時からニコラス様はそのお顔ですもの。それにしても、ニコラス様の骨を折ったのはどなたですの?」

「はは、あくまで授業の一環だから恨みっこなしだ。だからこそ、こういう伝統が続くんだろうね。これは、二つ上にグッドフェロー公子がいただろう?あの方にやられた。思いっきり」

「まあ、グッドフェロー公子といえば、騎士団に入られた腕自慢ではないですか。え、それ本当に治ってますか?」

 大丈夫とニコラス様は笑ってらしたけど、なんてこと。

 では私がお会いしたらガツーンとやって差し上げますね!と宣言したものの。



 ニコラス様が寄宿学校を卒業されて、もうすぐ私たち結婚しますのご挨拶をあちこちでしなくてはいけない。

 その一つであるガーデンパーティーに私たちはやって来たのであるが。

 今朝も夢見が悪かった。うう、どうしてこんな日に。

 婚約者が優しすぎて不安になるアニーいわくマリッジブルーな悪夢は断片的で、場面はいくつかみるけれど大体二つのパターンに分けられる。


 一つが例の私の不貞(疑惑)で婚約破棄をされるやつで。

 もう一つは、無事に結婚式までたどり着いたのにその日に別れることになるという。

 嫌よそれ…婚約時代よりタチ悪いわ…

 どうして別れることになったのか、それは夢なのではっきりしないのだけど、花嫁衣装を着た私は嫌だと相手に向かって叫んでいる。

 そりゃあ結婚式当日に捨てられたらその後どうしようもない、参列者の方々に申し訳ないどころか思いっきり蔑まれるだろう。外を歩けないわ。式まできたのなら愛がなくても体面は大事にして欲しい。

 結婚前に不安になるのはお察ししますが、お嬢様の夢は悲惨ですねえ。とはもちろんアニーの言葉である。本当である。


「ティターニア。あまり顔色が良くないけれど、大丈夫?」

「だ、大丈夫です。ちょっと寝不足なだけです」

「睡眠は大事だよ。それが原因で倒れることだってあるんだから。今日は必要な挨拶だけしたら帰ろう、ね?」

 今日もニコラス様は優しい。しみる。

 だけど私はもうすぐニコラス様と結婚する。つまりモウス伯爵家に嫁ぐ。それはいずれ伯爵家を継ぐだろうニコラス様を支えて盛り立てて、おまけに元気な子供を授かるのが役目なのだ。子供ができないってだけで、体が弱いというだけで人生の先輩であるご夫人方には印象が悪い。

 それがたまたま体調の悪い日だったとしても、体調を整えられない、それを表に出すなんてと格好の餌食である。私がんばる。ニコラス様のために、そして私自身がそういうのに耐え忍ぶ性格をしていないので。

 お互いの平穏のために私、がんばります。


 とはいえいい天気である。ガーデンパーティー日和である。降り注ぐ日差しが目に痛いわあ。

 帽子のつばの下でこっそり目をこすっていたのを目ざとく見つけたニコラス様は、やっぱり帰ろうと言ってくださったけれど。

 ニコラス様のご学友だという方々につかまってしまった。

 もちろん私は初対面で、淑女の礼儀作法にのっとって挨拶をした。ただ挨拶を終えてしまえば基本的に会話は男女別でするものだ。ご学友たちは当然ニコラス様を男性の輪に連れて行こうとして、彼は珍しく本当に困った顔をしていた。

 大丈夫です。普段婚約者の甘い笑顔に溶けそうになる私です、日差しくらいで溶けたりしません。

 快く送り出す私の姿を見て、ご学友の一人が「わきまえてる女はいいな」と言っていた。いやそういうマナーですし、こういう方が多いのは聞いてますけど。言い方がハラタツ。

 やっぱりニコラス様は紳士だわ。あの方が特別優しいのだわ。


 なのに、どうして私は。


 飲み物でも頂こうと、芝生を踏みしめた途端だった。

 くん、とドレスの裾を引っ張られた気がして、それが結構な勢いだったのにすぐに負荷がなくなったものだから。私は後ろにふらついた反動で前のめりに転んだ。わあ、綺麗に刈った芝生でもそれは土から生えているのよ。

 怪我をするような転び方はしなかったが、膝をついて両手をついたのだから当然土で汚れる。やってしまった。だがしかし。犯人は立ち去らず楽しそうに私を見下ろしていた。

「あら。どうされましたの?」

 見てわかるでしょう。あなたに転ばされましたの。

 黄金にも近い黄色のドレスのご令嬢とその他数名は、遠巻きに無様だと笑うのでなく直接文句を言いたいらしい。ガーデンパーティー用のドレスなんて自分で踏む着丈でない、それを踏んづけるんだから、それなりに理由があってやったんでしょうね。


「よく見たら、ピースブロッサム伯爵令嬢ではありませんか」

「ではこの方がウェイド卿の婚約者ですの?」

「まあ、ご挨拶のパーティーでなんて失態でしょう。ウェイド様もお可哀想に」

「いいえきっとウェイド卿のことですから、承知なのでしょう。寛大な方ですわ」


 うーん、けっこうな直接話法。

 そして私はこの時初めて知った。ニコラス様、モテるのね。そりゃあ世の中の多くがさっきのハラタツ男みたいだったら、ニコラス様の優しさは貴重よね。ハンサムだしね。

 というか、転んだことよりもそこから立ち上がる姿の方が格好悪いわよね。ドレスかさばるしね。ご令嬢たちに反応もせず、よいしょよいしょと立ち上がった私の前で。

「お飲み物をどうぞ?」

 黄色いドレスのご令嬢が、紳士たちに用意されていたワインを飲ませてくれた。腹部あたりに思いっきり。

 赤いワイン。

 今日の私はどうしたってニコラス様のパートナーなので、こんな格好の私を連れて歩いたら彼の恥だ。彼女たちはニコラス様がお気に入りではないのだろうか。

 それとも、あなたの隣にはいられません!とか私一人が逃げ出せばいいと思ってやっているのだろうか。


 赤い、ワイン。


 その後で彼女たちはどうするのだろう。夜会でもないのでダンスで密着できるわけでもないし、楽しみたいだけなら彼に恥をかかせるような真似をせず堂々とアピールしに、行ったらいいのに。


(それはダメよ)


 赤い、あれは、花嫁衣装だ。


「——ああ、シード侯爵令嬢。こんなところにいらしたか」

 低い声がわりと近くでしたので、思わずびくっと体を震わせた。それまで、私が黙っているのをいいことに色々さえずっていたご令嬢方がぴたりと鳴きやんでいた。

 黄色いドレスのご令嬢のすぐ隣に、それはそれはお顔の整った男性が出現していた。突然だった。それとも私が呆然としていたからか。


 輝く黄金の髪、綺麗なお水を凍らせたような薄い青の瞳、とっても美形だけど鍛えられた体躯とその雰囲気のせいか非常に男性らしい色気。

 正気に戻った私は、なんだこれすごいなまるで美術館に飾られている彫刻のようだわそれにしては色気ダダ漏れだわと感心していた。


 そんな私の目の前で、彫刻男はワインをぶっかけてくれたご令嬢の手をとって自分の顎の高さまで持っていった。

 今では実際に唇をつけることはないけれど、わざと、ちゅって音をさせていて周囲のご令嬢がきゃーってなっていた。

 私だって内心はきゃーってなっていたわよ。ただどちら様よ彼は。

「お会いできると楽しみにしていたのに、なかなか出会えないから女神を呪うところだった」

「あ、あら。わたくしにですの?」

「もちろん。今日もお美しいが、おや、まるで私の髪色のようなドレスだ。私の隣を歩いて下さるということかな?」

「もちろんですわ!」

 え、お嬢さん。ニコラス様狙いじゃなかったの?

 拍子抜けした私をきれいさっぱりないものとして、彫刻男は黄色いドレスの腰を抱くようにしてエスコートした。近くない?あれご夫婦とかに許される距離じゃない?いいの?

 わああああという気分でそれを眺めていると、一瞬だけ、凍った青とぶつかった気がする。

 そのわずかで、どうしてか身震いした。

 転んで土まみれの上に赤ワインの染みばっちりな私を完全スルーしてくれたからかしら?

 だけど頭にくるというよりも、もしかして、ご令嬢を引き離してくれたのかしら?

 いやただの女好きかも。


 それにしたって赤いわ。どうしましょう。

 ああ、どうしよう。


「ティターニア!」

 ううんと考え込んでいると、とても慌てた声が名前を呼んでてくれた。

「ニコラス様。お話はもうよろしいのですか?」

「そんなのどうでもよくて… というか僕はオベロンが来てるから心配になって、と思ったのに。どうしたの、その格好は」

「ちょっと転びました」

「いや、ワインは男性のテーブルにしかないよね。故意的だよね。やっぱり帰ろう」

 気づかなくてごめん、守れなかったとニコラス様は大変気落ちした様子でしたが、本当に優しい。この方の恥になるのは怖いけど、怪我をしたわけでもないし、私自身はちっとも気にしていないのだ。


「申し訳ありません、ニコラス様。紳士のご歓談をさえぎらせた上に、このような姿で」

「ティターニア」

「秋の園遊会できっと挽回しますので、どうか」

 お許しくださるよう、お願いしたかったのだけど。

 目の前にさし出された手に言葉をつげなくなってしまった。

「そんなことはどうでもいい。僕は君の心配をしている、ティターニア。ドレスがそうなった件もあるし、……オベロンには会っていない?大丈夫?」

 エスコートのための手だ。本当に私のために帰ろうとしてくれている。


 なのに私は、いつも、この手をとるのをためらう。

 触れるのは怖い。

 だからパーティー以外でもニコラス様は手袋をしてくださってる。

 触れてしまえば何とかなるから、今までもエスコートの形はできていたけれど。

 どうしても怖い。

 ニコラス様だからか、男性みんなに対してそうなのか、はっきりはわからない。お父様と弟以外にまともに手をつないだことがないから。


 ニコラス様はこんなに優しいのに、触れるのが怖いとか失礼極まりないわ。

 あの彫刻男は簡単に女性の腰に手を回していたけど。

「無理はしなくていい。でも、今日は帰ろう」

「……はい」

 大型犬がしょぼくれて耳も尻尾も垂れている幻が見えたので、私は意を決してえいっと彼の手をつかんだ。淑女の所作ではなかったけれど、喜んでくれた。


「ところでニコラス様。そのオベロン、様?がどうして心配になりますの?」

「ああ、いや。どうにも僕が嫌われているみたいだから、婚約者のティターニアに何かするかもって」

「嫌われる?ニコラス様が?」

「生理的に好かないと言われてしまえばそれまでだ。オベロン・ミッドサマー。ほら、僕の鼻を折ってくれたグッドフェロー公子だ」

 ええと。

「もしかして、黄金の髪にアイスブルーの瞳をした、彫刻のように美形な男性です?」

「……会ったこと、ないよね?」

「大変です。私あの方にガツーンとしてやるどころか見逃しましたわ!」



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