8.儀式の日は……
「ねーちゃん、八日坊様来たよ」
「わかったー」
陽平の声に、机の上からトートバッグを取り上げる。
今日は山に登る日。二日間籠るとか言ってた気がするからお弁当を準備した。……まあ、使える食材で考えたら梅おにぎりぐらいしか思いつかなかったんだけど。
そもそも儀式で何するか聞いてないし、こんな格好でいいのかも知らないんだけど。
結局、三毛猫さんチョイスを一式買っちゃったんだよね。まともなスカートなんて何年ぶりだろう。こんなに頼りないもんだったっけ。なんつーか、すーすーする。
それでも短パンよりはマシだよね、と自分に言い聞かせてみる。虫には無力かもだけどね。
玄関に向かうと、天狐様と陽平がいた。
「ねーちゃん、気合入ってんな」
『馬子にも衣装じゃな』
ちょっとっ、天狐様ひどくない?
まあ、自分でも思ったけどさっ。改めて言われるとなんか腹立つ。
ちょっとだけプリプリしつつ靴突っかけて外に出れば、美男子モードの八日坊様が立っていた。
えっと、なんで人型? 今日は花杜に行くんだよね? 多分。
ていうかまたこの姿のままうちに来たでしょ。だからあれほどやめてくれって言ってんのに。
そう思いつつ前に立つけど、八日坊様の反応がない。
なんかまずかった? それともこの格好のせい? やっぱり相応しくなかったかな。いつもの服に着替えてこよう。
……と回れ右した途端、首根っこを掴まれた。
ぎゃあっ、襟首引っ張ったら破れるっチャック壊れるっ息できないっ!
「ち、ちょっとっ!」
「……時間だ」
ええっ、今日って出発時間決まってた? それなら先に言っといてよおっ!
てか、花杜に行くなら時間関係ないんじゃないのっ? って、マジ息苦しいってば!
ジタバタもがいていたら、ぐいと引っ張られて、足が地面から浮いた。
目の前……ううん、足の下で陽平がにこやかに手を振っているのが見える。天狐様の狐色の尻尾がふわりと広がっていて、その後ろにいつの間に来てたのか、三毛猫さんが尻尾を揺らしているのが見えて。
視界に桜の花びらが舞った気がして桜の方を見れば、ざわりと風に枝が揺れて、花びらがこっちに向かって散るのが見えた。
桜色に視界が埋め尽くされる中、一瞬だけ白い羽根が視界をよぎった気がした。
◇◇◇
『着いたぞ』
目の前を覆っていた桜の花びらはもうないのに、視界一杯に桜色が広がっている。
見渡す限りの桜。足元には散った花びら。頭上には左右の桜の木から伸びた枝が絡み合ってアーチになっているらしくて、木の幹以外は桜って状態。
何度見ても頭おかしくなりそうになる。……って、ここに来たのは二度目だけど。
聞いてたけどやっぱりここで儀式するんだ。
ぎゅっと握りしめて、そういえばトートバッグ持ってたことを思い出した。空を飛んだ気がするんだけど、落とさずに持ってこれたみたい。
振り向けば、擬態を解いた八日坊様が立っていた。赤ら顔に長い鼻、白い羽根。やっぱりさっき見たのは八日坊様の羽根だったんだね。
『こちらへ』
八日坊様の後ろの方に、赤い敷物が敷かれている。
ええと、緋毛氈っていうんだっけ。お茶の野立てで使うあれだよね。時代劇とかで見たことある。
そこには巫女さんの格好した人影があった。狐の面をつけてて尻尾も見えるから、もしかして天狐様の眷属かな。
八日坊様はさっさと緋毛氈に腰を落ち着ける。なんかこういうのって作法とかあるのかと思ったけど、八日坊様を見てる限りは気にしなくていいみたい。
躊躇してたらさっさと座れと手招きされてしまった。
八日坊様の指差す通り、真正面に腰を下ろす。正座はきついんだけど、足を崩すのは許してもらえなさそうな雰囲気なので大人しくしておく。
八日坊様との間に白木の盆が置かれた。見れば綺麗な青の杯が二つ、置かれている。
『清めの酒だ』
ここまで潔斎してきたのにお酒って、なんか矛盾する気もするんだけど、八日坊様がさっと杯を取り上げて飲み干してしまうから、わたしも慌てて杯を手に取った。
綺麗なガラスの杯だ。表面がつるりとしていて透き通る青。……何だか月の光を思い起こしたのはわたしだけだろうか。
じっくり観察していると視線を感じた。顔をあげれば八日坊様がこちらを見ている。巫女の人も。
えっと、さっさと飲めってことかな。
鼻を近づけても匂いのしない酒って珍しい。香りも含めて楽しむものだと思うんだけど、清めの酒だから違うのかな。
そんなことを思いながら、盃を飲み干して……。
「ただの水じゃん!」
しかも覚えのある味。水にも味があるって知ったのは、ここに引っ越してきてからだけど、これは間違いなくうちの井戸の水。
お酒って言うから期待してたのに!
そう思って八日坊様に視線を向けると、不意に恐怖に襲われた。
どうしてだろう。
……目の前に座っているだけなのに、八日坊様がとても怖い。
全身の毛が逆立っているのがわかる。心臓が掴まれたみたいに苦しくて痛い。心臓だけじゃない、わたしの心も体も恐怖に鷲掴みされてる。
怖いこわいコワイ……。
どうしてこんな存在を怖くないと思えていたのだろう。どうしてこれに勝てるなんて思えたのだろう。陽平をこれから守るなんて言えたのだろう。
だというのに、天狗から視線を逸らせない。
こわいはずなのに。
逃げたくてたまらないはずなのに。
逃げられない。
……違う。逃げたくない。
激しく鼓動を打つ心臓に震える手を当てる。
目を閉じたくなる。でも、閉じたら負けだ。……負けられない。負けたくない。
これは、わたしが選んだことだから。
わたしにしかできないことだから。
……逃げたいよ。
本音を言えば。
どうしてわたしなんだって。
他の人じゃどうしてダメなんだって。
でも、あの時。
天狗が言ったから。
『人間との関係を壊したくない』と言ったから。
わたしはこれを受け入れる。
そう決めたから。
わたしはここにいる。
ここを守るために。
そう決心すれば、もう怖くはなかった。
するりとわたしの中から何かが溢れ出す。それはわたしを中心にどんどん球状に膨らんでいく。
八日坊様から放出される力を感じて目を閉じる。広がっていくわたしの何かが八日坊様を飲み込み、八日坊様の力を飲み込み、狐面の巫女を飲み込み、周囲の桜も飲み込んで。
どんどん広がっていくわたしの何か。
『祐希』
名を呼ばれて目を開けば、八日坊様が目を閉じる前と変わらず静かに座っている。
八日坊様の目がわたしを見つめている。内側すら見透かされてるみたいな真っ直ぐな視線。
人型を取ってる時の細身の体躯とは違い、がっしりとして分厚い天狗の姿の八日坊様は、本来の姿であるだけで普通の人なら圧倒されるだろう。
けれど、わたしの何かに溶け込んだ八日坊様の力は……ううん、違うな。
わたしの何かが溶け込んだ八日坊様の力は、変わらずわたしに向けられているというのに、恐怖は湧いてこなかった。
もう怖くない。
あれほど怖かったのが嘘のようだ。
「八日坊様」
『……儀式は成った』
八日坊様は、両膝に置いていた手をゆっくりと緋毛氈につくと、体を前に倒した。
『花杜の次代守巫女の誕生を、心より寿ぐ』
八日坊様が、両手をついてわたしに頭を下げている。
『花杜の次代守巫女の誕生、しかと見届けました』
後ろに控えていた狐面の巫女も、同じように言葉を紡ぐと頭を下げた。
……え、これで終わり?
場の雰囲気も何もかも忘れてついそんなことを考えても、仕方ないと思わない?





