7.先代とは……
三毛猫はゆっくりと首を振る。二股に分かれた尻尾がくにくにと文字を描くみたいに先っぽだけ動いてる。
『その前さね』
その前。……っていうと、曽祖母。
体を起こして仏間の方にちらりと目をやる。ふすまは閉めているから見えないけど、仏壇の上にかけられた遺影は、とても良い笑顔だったっけ。
ええと、昭和? じゃない、それよりも前の生まれだったって聞いた。すっごい長生きした気の強い人だったんだって、誰かが言ってた。モガだったらしい。……ところで、モガってなんだっけ。
祖母とは正反対の性格だったとも聞いた。
そんな前からいたんだ、この三毛猫……猫又さん。
でも、ちょっと待って。
じゃあ、結界の効力は代替わりしても無効にならない?
今までの守巫女に出入りを許された妖は入り放題?
むむむ。
それって、微妙に嫌かも。
だって、結界内は安全圏だと思ってたのに、実は他にも入り放題の妖がいるんだよーんって、それ、安全って言えるの?
いやまあ、過去の守巫女が認めたくらいだから、悪い奴はいないのかもしれないけど。
でも、はっと目が覚めたら枕元に知らない妖が立ってたりしたら……悲鳴あげる自信あるわ。
やだ、そんなこと想像しただけでも寝るのが怖くなる。
……目覚めたら金髪の鬼が、なんて笑うに笑えない。夢なのか現実なのか、わからなくなっちゃう。
ぶるりと身を震わせていると、くっくと笑う声が聞こえた。
弧を描いた猫又さんの細い瞳を見ると、どうやら本気で笑ってるらしい。
『天狗には正面切って喧嘩売るくせに、怖がりじゃな』
なんかそれって、ただの考えなしって言ってない?
そりゃあさ、無謀なことしてるのはわかってるよ?
でも、あれは譲っちゃダメなことだもの。
陽平はわたしが守んないといけないのだもの。
むしゃくしゃしたからなんか気の利いた返しをしたかったんだけど、思いつかなくて、唇を尖らせた。
『安心おしよ。あたしらが入れるのもあと少しだ』
「それって」
先代の力が消えるまでってこと?
じっと細い瞳を見つめると、猫又さんは尻尾を揺らした。
『そういうことさね。……ま、代替わりの前に次代から許可を取り付ければ、代替わりしてもこうやって出入りできるのさ』
なるほど、それなら頷ける。あの鬼が来ても、入れなきゃいいわけよね。……まあ、夢だけど。
「じゃあ、猫又さんもわたしが招き入れなきゃ入れなくなるの?」
『お前さんが自分で結界を張れるようになればの』
「う……」
痛いところを。
じとっと見れば、猫又さんはにやりと笑う。やだっ、チェシャ猫がいたよ、こんなとこにっ。
『ま、あの天狗が見出したんなら心配はいらんじゃろ』
「だといいけど」
ふう、とため息をつく。
そりゃまあさ、一応いくつかは教わったよ?
桜輝の顕現のことのはとか、花杜の結界のこととか、花守社のこととか。
もちろん、花杜の由来も。
要となる守巫女がどれだけ重要かもね。
だからこそ、わたしはここにくることに決めたのだし、守巫女にだってなろうと思った。
それは、わたしでなきゃ出来ないことだから。
でも、これまで大したことは求められなかったし、本当にこれで良いのかも、自信がなかった。
だってさぁ、八日坊様は何にも話してくれないし、天狐様も八日坊様に遠慮してるのか、詳しくは教えてくれない。
毎朝のお勤めはもうそらでも言えるくらいになったけど、仏壇の前でお経読み上げるのが修行かって言われたら……微妙だよね。むしろあれは祖母の供養のためだと思うし。
写経も同じく祖母の供養でしょ? この間、なんかのテレビ番組でやってたし。
それともあれか、あまりの悪筆を矯正しようとか企んでる? 習字なんて小学校低学年の時にちらっとやったくらいで、そもそものお作法自体、すっかり忘れてたし。
でもまあ、日課も慣れてしまえばパーッとすませてしまえるので気にならなくなった。天狐様の神棚にお供えするのも、仏壇にお供えするのも、半年以上続けてきた今では、何も考えずに体が動いてる。
ああそうそう。風呂のルールが一つ増えたんだった。湯船に浸かる前に井戸水浴びなきゃならないんだよね。
これ、なんの意味があるのか分かってなかったけど、井戸水が霊水ならちょっと納得できる。
……まあ、冬場はマジ凍るかと思ったけど。
『で、お前さんは何してたんだい?』
身繕いを終えた三毛猫さんはその場で香箱を組んだ。
「んー、一応、なんというか、調べ物的な?」
『なんだい、はっきりしないねえ』
だって、ねえ?
儀式にどんな服着ていけばいいか悩んでいたとか、人に話すのはちょっと恥ずかしい。
あ、人じゃないんだったっけ。
「いや、儀式ってどんな感じなのかなーとか」
『そりゃ天狗に聞くのが正解さね』
「そりゃそうだけど……聞きにくいっていうか」
『なんだい、服装のことで悩んでたのかい』
「え、ちょっとっ」
気がつけば、スマートフォンを覗き込まれてた。どころか、二股の尻尾が器用に画面をめくっていく。
『ふむ、まあこの白いワンピースでいいんじゃないかねえ?』
ぐい、とこっちに押しやられたスマートフォンには、さっきまで見ていたシンプルな白いワンピが表示されていた。
立襟で襟元からまっすぐ裾まで木のボタンが並んでいて、腰の部分は白い幅広のリボンが巻かれている。
裾の長さも長すぎず、タイトじゃないから動きやすそう。
これと合わせて白いサンダル履いて、白リボンの麦わら帽子かぶれば、そのまま浜辺デートだって出来そうなくらい……。
いやいやいや!
デート服探してんじゃないのよっ!
『ま、好きにしたらいいさね。先代は白い着物だったと思うけどねえ』
「えっ」
『白無垢ってやつさね。先代も本土からの嫁入りでねえ、船で花嫁上陸して、花嫁行列仕立ててやってきたのさ。で、祝言あげるよりも前に儀式に赴いたのさ』
「ええっ?」
どう言うこと?
花嫁行列もちょっと気になるけど、それより祝言の前に儀式って。
そんなに急ぐ理由がわからない。
それに曽祖母は花杜のことを知ってて嫁いできたんだ。いや、むしろ守巫女になるために嫁いできた?
そういえば、そんな話を誰かがしてたような……。
『ちなみに今代は普段着のままだったよ。だから別に何着てたって構いやしないってこった』
「そっか。……ありがと」
いいってことよ、と三毛猫さんの二股尻尾がくにくに躍る。
「そうだ、三毛猫さん。聞きたいことがあるんだけど」
『……あたしにもちゃんと名前があるんだけどね』
まあいいか、と呟いて三毛猫さんはこっちに耳を向けてくれた。
「儀式ってどんなことをするの」
『そりゃ言えないねえ』
即座に返された。
……うん、きっとそう言われると思ったんだよね。分かってた。でも、ちょっとだけでもヒントが欲しいんだよう。
『……と、もったいぶってやりたいとこだけど、あたしは見送っただけだからねえ。先代も今代も。あたしらみたいな木っ端妖怪が立ち入れないところなのさ。花杜は』
と言うことは、花杜でやるんだ。やっぱり。
以前一度だけ、八日坊様に直接連れて行かれた。最初の……あの日。
狂い咲きの桜が夜だというのに光ってたのは記憶にある。
今回は、二日かかると言ってたけど、やはり夜にやるのだろうか。
『まあ、気楽にやんな』
ぽむぽむと二股尻尾がスマートフォンを握るわたしの手の甲を軽く撫でていく。
気負ってるつもりはなかったけど、祖母や曽祖母のこと、気にしすぎてるのかもしれない。
「ありがと、三毛猫さん」
『お礼は釜揚げしらすでいいよ』
くにくにと尻尾を揺らして三毛猫さんは出て行った。
おねだりだけはバッチリするんだから、まったくもう。
陽平にメッセージで追加の買い物リストを送りながら、塀をひょいと乗り越えて消えていく三毛猫さんを見送った。





