2.三毛猫は……
このまま桜輝を振り下ろせば真っ二つになるだろう場所。
なんでいきなり割り込んでくるのっ。
「あの、猫ちゃん、危ないからどいてくれる?」
恐る恐る声をかけてみたけれど、我関せずって感じでじっとこちらを見ている。
もう緊張感も何もありゃしない。
ちらりと八日坊様を見れば、眉間に深いシワ。そーとーご機嫌斜めよね。
仕方ない。
桜輝を散らすとわたしは三毛猫の前に膝をついた。できれば抱き上げて他所に逃がしたいけど、触らせてくれるかどうか。
そうっと手を差し伸べると、ふんすんと指先を嗅ぎまわる。なんだかくすぐったい。
「あのね」
『祐希、それは普通の猫ではないえ?』
え?
背後からの天狐様の声に目を見開くと、目の前の尻尾が揺れて割れた。……二つに。
「しっぽ、割れた……」
『猫又くらい、珍しくもないじゃろ?』
ちょっとしゃがれたおばあさんぽい声が聞こえる。
……えええ、いまの、この子?
「ほんとに、ねこまた?」
『これ、触るでないよ』
ちくっと爪が刺さった。どうやら無意識で頭撫でてたみたい。
河童さんが隣で『肝座ってるなあ』と感心していたけれど、そんなことよりっ!
「よく庭に来てたよね? もしかして他の子達も……?」
『ああ、そういうのもおるし、普通のもおるし。ま、さっきからダダ漏れの天狗の威圧でみんな散っちまったけどね』
そういえばと八日坊様に視線を向ければ、本気モードの威圧は解除されていた。
でも、猫又さんに向ける視線は厳しい。
『あのタイミングで邪魔をするとは……』
『ああでもしなきゃ、嬢ちゃんぶっ飛ばしてただろ。全く、何を拗ねてるんだか』
「……へ?」
拗ねる、という言葉に首をかしげる。
あれ、拗ねてたの?
どうしてなんで?
陽平が突っかかったから?
それとも儀式のことを嫌がったから?
ええー、わかんないー。
『無駄口が多いぞ』
『はん、猫の口を黙らせたかったら、それなりのモン寄越しな。……あんたの気に当てられて、外で人が倒れてんだよ』
「えええっ!」
この家の中のことはてっきり外に漏れないんだろうって思ってた。
そのための結界なんじゃないのかと。
でも、全部ダダ漏れなのっ?
「ダメじゃん!」
慌てて縁側から外に出ると、何かを通り抜けた感覚があった。
……あれ、今のが結界? いつもならこんなこと感じたことなかった。買い物に行く時も畑に水やりに行く時も、気にしたことなんてない。
なのに、どうして……?
沸騰してた頭がクリアになる。
そうだ、家から出るなとは言われてなかった。『一人で出るな』って……。
「ねーちゃんっ!」
風を切る音に我に帰る。どれくらいぼうっとしてたんだろう。
宵闇の月光の下、目の前には陽平がいて、桜輝が桃色の軌跡を残す。
その向こうには河童さんと天狐様がいて。闇に紛れた何かが蠢く。
『だから言うたであろう』
ふわりと目を覆い隠すように手が置かれる。
『桜輝がなければ外には出られぬ。言ったはずだが忘れたか?』
そうだ、言われた。
一人で家から出るな。誰かを連れて行け、と。
だから、陽平がいつもついてきてくれてたんだ。
庭に出るときだって、必ず誰かいた。
『お前はまだ自力では結界を張れん。この家の守りとていつまでも持つわけではない』
「……うん」
『もう時間がないのもわかっておろう』
「うん」
先代の……祖母が亡くなって、夏がくれば一年。祖母の力が残っているから、この家は守られてきた。
でも、もうじき消える。
『来週山に登る。それまで潔斎しておけ』
音が止んだ。手が外されて目を開ければ、三人がこちらを見ている。
彼らが対峙していたものはすでに消えていた。
陽平の目に驚きの色はない。……そっか、知らなかったのはわたしだけなんだね。
知らないところで彼らに守られてきたんだ。
「ごめん、ありがと」
八日坊様にそっと背を押されて庭に降りる。
陽平は手にしていた桜輝を散らすと、駆け寄ってきた。
「ほんと、生きた心地しなかったよ。……マジやめて。俺の寿命ぜってー縮んだ」
「うん、ごめん。忘れてた」
「忘れてたで済むかよ」
ごちん、と拳骨が落ちてきた。痛い。いや、マジ痛いんですけどっ!
「ち、ちょっとっ、手加減しなさいよっ! 仮にも女の子に対してっ!」
「女の子って歳かよっ! てかねーちゃんは痛い目しねぇと覚えないだろっ」
「なによそれっ、人をマゾみたいに言うなあっ」
拳を振り上げて追いかけるわたしと逃げる陽平。
そんないつもの日常が、いつまでも続くといいな。
……なんて珍しくおセンチに思ったりしたよ。
『ところで、外で伸びてる人のことなんだけど』
三毛猫さんの割り込みでハッと我に帰る。
そうだよ、すっかり忘れてた。どうしてこう、忘れっぽいんだろう。
『だから一人で行くなと言うておるに』
走り出したわたしの襟首を、天狐様がくわえる。
「まったく、仕様のない」
「うわっわっ」
気がつけば人型になった八日坊様がわたしの腕を掴んでいて、引きずられるように門の外に出る。
とっさに構えたけど、さっき縁側に降りた時のような感覚はなかった。
『ほれ、あそこに』
門を出て細い道を下れば、かろうじて車が二台すれ違える道に出る。
街灯に照らされて見えたものは。
「郵便屋さんっ!」
赤い自転車とともにバッタリと倒れている、ワイシャツ姿に紺色スラックスの男の人だった。





