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1.とある一日の始まりは……

 縁側のガラス戸をからりと開けると、抜けるような晴天が広がる。狭いながらも整えられた庭には、そろそろシーズンの終わりを告げる桜がちらほらと舞っている。


「んー、いい天気」

「おはよう、ねーちゃん」

『おはよう、祐希』

「おはよ、陽平、天狐様。今日も早いのね」


 植え込みの向こうからひょこっと姿を現したのは、弟の陽平。

 色抜きしたこともない真っ黒な髪と人なつこい笑顔がトレードマークの細マッチョ。幼い時から唯一やめなかった剣道のおかげで、もやしっ子にならずに済んだ。

 これでちゃんと愛想笑い出来れば彼女くらいすぐにできるんだろうけどなー。

 家族のわたしにしか見せないんだよねえ、笑顔。だから、トレードマークと言いながら、わたししか知らないの。もったいない。

 それから銀の毛並みが美しい、銀狐。

 サイズがとんでもなくでかくて、初めて会った時は狼だと思っちゃったのよね。

 もちろんしこたま怒られました。天狐と野狼を一緒くたにするとは何事かって。

 でも、仕方がないと思う。だって、人と同じサイズの狐がいるなんて思わないじゃない。

 しっぽが一本じゃないので気が付けって言われても、わかんないですよ、天狐様っ。

 あ、もちろん天狐様にもちゃんと名前はあるのよ? 番い以外には呼ばせてくれないから、わたしは天狐様と呼んでいる。天狐様の御使いとかは名前で呼んでもいいらしい。


『もちろん、我が愛しの許嫁の顔を見ねば一日が始まらんからの』


 すりりと体を寄せるのは、我が弟。……ええ、弟が天狐様の番だそうです。姉のわたしとしては複雑なんだけど、まあ、本人がそれでいいって言ってるからねえ……。


「さて、それじゃあ朝ごはんにしよっか」

『妾には新鮮な果物をたもれ』

「はいはい。陽平、お布団干しといて」

「了解」


 今日はいいお天気だし、きっとふかふかになるわね。

 縁側から引っ込むと、天狐様は土間を回って台所に先回りしていた。


『相変わらず陰気な場所よの』

「んー、まあ、昔のままだからね」


 わたしはぐるりと台所を見渡す。

 築百年を超えた古民家は、採光を考えてないから基本、暗いのよね。台所は北向きだし、流し台に面した窓は小さいし、水回りの水はけが悪いのか、ジメッとしてて床がふかふかになってる。

 本当は建て替えたかったらしいんだけれど。せめて、台所の床は直したいなあ……。

 天狐様の果物を冷やしつつ、朝食の献立を組み立てる。

 ここに来た時はろくに家事もできないし、近くに食べに行けるようなところはないし、どうなることかと思ったけれど。

 天狐様やみんなのおかげでなんとかやっていけてる。

 羽音が聞こえて、東の窓から赤ら顔がのぞき込んだ。近くの神社にお住いの、天狗様だ。わたしがここに来ることになった、きっかけでもある。


「おはようございます、八日坊(ようかぼう)様」

『おう、今朝も早いな、天狐の』

『当たり前じゃ。これ、表から入らぬか』

『面倒じゃ。構わんだろう』


 最初は構わんか、と一応わたしにお伺いを立てていた八日坊様も、最近はさっさと窓から入ってくる。

 まあ、一本下駄に泥などついてないからいいけど。


『主の番はどうした』

『布団を干しておるわ』

『わしに任せれば毎日干したてにしてやろうものを』


 後ろで賑やかに始まるいつもの話に、わたしははあ、とため息をつく。


 まず、弟はまだ天狐様の番じゃありません。成人まではおねーちゃんが保護者だからね。

 それに八日坊様のそれって『わしの嫁に来れば』がつくのよね。

 初めて聞いた時、そうとは知らずに頼んだら、あっという間に攫われて、もう少しでお嫁にいけなくなるところだったのよ。

 もう二度と引っかかってたまるもんですか。


「八日坊様も食べて行かれます?」


 一応お客さんが増えてもいいようにと、いつも少し多めに作ってあるお味噌汁をよそいながら振り返ると、なんだか険しい目をして天井をにらんでいる。

 天狐様も、威嚇をするように唸り声を上げた。今の今まで機嫌良さそうに揺らしていた尻尾も、ぶわりと膨らんでいて。


「どうかしたの?」

『……陽平はどこにおる』

「どこって、お布団干してるから庭に……」

『陽平っ!』


 真っ先に飛び出したのは天狐様だった。

 すぐに八日坊様が続き、わたしも火を止めて走り出す。

 台所から声をかければ聞こえる距離の庭で、何か起こるなんて普通は思わない。

 でも、あの二人がこれほど慌ててるということは、余程のこと。


 果たせるかな、玄関の向こう側は、とんでもないことになっていた。

 布団があちこちに散らばって、物干し台がひっくり返っている。

 その真ん中で、弟は日本刀を手に何かを踏みつけていた。


「陽平!」

「悪りぃ、ねーちゃん。布団ダメにしちまった」

「それはいいけど……」


 本当は良くない。よくないけどそんなことを言ってる場合じゃないっぽい。


「それ……」


 わたしが指差すと、弟は思い出したように刀を鞘に収めた。

 真っ黒な柄に桃色の鞘のそれは、鞘に収まったと同時に霧散した。桜の花びらが散る。


「うん、咄嗟に()()()()()()


 弟の手が空を掴むと、するりと消えたはずの桜の鞘が現れる。

 庭の桜を見上げれば、知らぬげに花びらを散らしている。


桜輝(おうき)を抜くほどじゃったか』

「八日坊様」


 声に気がついてようやく弟が八日坊様に頭を下げる。


「そうでもないけど急に上から来たから慌てちゃって。ごめん」


 弟の足元からくぐもった悲鳴が聞こえる。

 布団の下に隠れているっぽい。仕方なしに布団に手を出そうとしたら、八日坊様に止められた。


『陽平が()()を抜くほどの相手じゃ、お主では分が悪かろう』

「でも」

『そうれ』


 わたしの言葉をぶった切って、八日坊様は手にした扇を一振りして。

 ごうと風が吹いた。


『飛ばされるなよ、陽平』

「先に言えーーっ!」


 風に乗って布団と一緒に飛んでった弟の悲鳴と。


「ばか天狗ーーっ」


 わたしの怒号が同時に響き渡った。

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