その声は誰にも届かない
王国の貴族とその子供たちが一同に集まる、王立学園の卒業披露パーティーでわたしは混乱の中、今の状況を必死に否定しようとしていた。
目の前で、尊敬するあの方が毅然と背を伸ばし立っている。
必死に首を横に振り、涙を流すわたしの事を誰もちゃんと見ようとしない。
それなのにわたしの名前だけが何度も呼ばれる。
(違うのに…、違うって言っているのに…)
「……残念だよ、エリー。いや、エリザベート。君との婚約は解消する」
エリザベート様の婚約者である、第四王子のレオン殿下がありもしない罪を並べた後にいう。
(なんで誰も聞いてくれないの!?)
「レオン殿下、違う。違うんです。エリザベート様は、何もしていないんです」
「いいんだよ。君は優しいからね。庇わなくても。ちゃんと私が知ってるから」
振り返ったレオン殿下は、これまで何度となく釈明した時と同じ様に返される。
わたしの声など聞こえない様に。
「違うんです。違う……」
「良いんだよ、そんなに泣かなくて。俺たちが守るから。大丈夫だ」
現宰相のアルハバート公爵のご長男、アルス様がそう言ってわたしの手を握ってくる。
「ほんとうに違うんです。エリザベート様は、わたしに何もしていらっしゃらないんです。わたしは何もされていないんです」
「ああ、そんなに目を赤くして。綺麗な目なのに可哀想な事になっているよ」
第一魔術師団の団長の御子息、カシオス様がそう言って頭を撫でてくる。
「こんなに震えて。もう俺たちが守ってやるから、怯えなくても良いんだ。本当の事を言っていいんだぞ。証拠も騎士団が集めた」
「そんなわけ無いです。ほんとうに何も……」
首を横に振っても、誰も聞いてくれない。
皆が同情の視線を向け、本来この場で庇われなければならないエリザベート様に敵意の視線を向けているのが、信じられない。
なぜ、立場も弱い男爵の庶子でしか無いわたしの方へ、哀れみと労りの視線を向けてくるのか。
(違うって言ってるのに…っ)
エリザベート様の瞳に、諦念が浮かぶ。
「かしこまりました。とても残念に思いますけれど、仕方ないことなのでしょう。それでは、ごきげんよう」
チラリとわたしを見たエリザベート様の視線に、申し訳なさのあまり身体が震える。
すると庇うようにレオン殿下の背中がそれを遮った。
(ああ、何ということを…)
頬を伝う涙は、いつまでも止まない。
「ミリィ、もう大丈夫だ」
「違うんです…」
「ああ、ほら泣き止んで」
殿下が優しく抱きしめてくださる。けれど、わたしの身体は恐怖に固まるだけだ。
「そんなに怯えなくても、もうこれであいつは手出しできないよ」
(違うのに……)
もう抗議の声を上げるのも虚しくて、わたしは唇を噛む。
「王宮に帰り、ミリィと婚約の正式な手続きもしなくてはね」
満面の笑顔でいう殿下に、わたしは戦くしかできない。
(ただの成り上がり男爵のしかも庶子で碌に教育されていない者をその地位に付けるつもりですか?)
未来の重苦しさに逃げ出したい。なのに、…
「可愛いミリィ。大丈夫、全ての恐怖から君を私が守るから…」
そう笑う殿下が、その後ろにいる名立たる高位の貴族の御子息様たちが、その盲目なまでに自分の見たい姿をわたしに重ねて、それ以外を否定するその姿こそが
「こわい……」
「大丈夫。さあ、行こう」
手を引かれて歩く。
ただの男爵令嬢のわたしには、この手を振り払うことさえ不敬にあたり、ともすれば死罪になる為に出来ない。
優しく促す殿下が、周囲を守るように歩く殿方達が……わたしを絶望へと導いていく。
「よくやった」
太りすぎて溶けかけた顔の男が、脂肪に潰れた顔で笑う。
「これで我が男爵家も安泰だな。お前に金をかけたかいがあるってもんだ」
下卑た笑いを浮かべる姿に、わたしはこみ上げる怒りを抑えきれずに睨みつける。
「なんだっ、その顔はっ!」
怒鳴られると、反射で身体がすくむ。
勝手に母からわたしを奪い、碌に教育も受けさせず、ただ殿下たちとつなぎを取りたいからと学園へ放り込んだ男。
一度だって父だと思ったことなんてない。
「男を繋ぎ止めるのには、やっぱアレだな。よし、今夜は俺の部屋に来い」
「っ、何を…」
「いいのか? 逆らえば、お前の母親がどうなるのか分かっているだろう?」
猫なで声で言う男が下卑た笑いを漏らす。
「最後まではやらないさ。嫁ぐのに純潔の証が無くちゃ、問題だからな。だが、いくらでもやりようはある。男ってもんがどうすれば喜ぶか、教え込むだけだ」
つま先から頭のてっぺんまで氷付いたようになるわたしをみて、男が醜怪な顔をさらに歪ませて笑う。
「今日からみっちり仕込んでやる。いいな?」
何をされるかわからないが、その笑みに本能的な怖気が走る。
首を横に振れば、鞭が飛ぶ。
首を縦に振れば、この男に囚われる。
(助けて……誰か、助けて……)
「ミリィ、君は最高だね。いつまでも抱いていたいよ……」
殿下からティアラを受け取った翌朝、ベッドの中で笑うその顔に、父と名乗るあの男の顔が重なり吐き気を催す。
けれど何も出来ない。
「正妃に出来なかったことだけが、悔やまれるけど…それでも私の愛は君だけのものだ」
そう笑う殿下が、三つ離れた国の姫を迎えるのが来年に決まった。
「喉が渇いただろう?」
差し出されるお茶の香りに、涙が浮かぶ。
それは堕胎薬の香りを滲ませたお茶。……わたしは子供を産むことを許されない。
「やっぱり君が最高だ。あの女は、ただ寝てるだけでつまらない。ああ、可愛いよミリィ」
殿下が……いえ、陛下が笑う。
わたしはもう固まったように顔に張り付いた笑みを返して、そして何も考えずに教え込まれた行為を返す。
(助けて……助けて……、誰か……)
昔よりもさらに醜悪になり、わたしの立場を自分の功績のように誇り、王宮を我が物顔で歩く男が、床に這いつくばってつばを飛ばしていた。
その首が飛んだのだろう、広場から歓声が聞こえた。
隣国から攻め込まれ、今は罪人として処刑のとりを飾る時を待つばかり。
「前王や兄王子たちを殺し、正妃を毒殺し、王をその良いように操り、国を混乱させた結果がこのざまだ。身の程をわきまえ、平凡に過ごしていれば良かったものを」
隣国の……、いえ今は占領されたので隣国だったが正確でしょう。騎士団長がそう言う。
陛下は戦後処理の為に未だ生かされている。けれどわたしに続くのは明日か、明後日か、そう遠く無いだろう。
「次だ。みっともなく騒ぐなよ。お前の父親みたいにな」
「あの人を父だと思ったことはありません」
「は、親が親なら子も子もだな」
(ああ、この人も……)
ゆっくりと石を投げられながら民衆の間を歩き、最後の階段を上り、処刑台にあがる。
正面のテラスに見届ける為に、隣国の……いえ、もうこの国の王族たちが並ぶ。
その中に、あの日罪に問われた、あの方がいらっしゃった。
(ああ、綺麗。あの方が元気で良かった……)
視線が合った気がした。
そっと微笑まれる。
(ああ、そうか……)
わたしは自分の罪状が読み上げられて行くのを聞きながら、密やかに笑う。
わたしの誰にも届かなかった声を、唯一聞いてくださったのが……あのお方なのだと知って。
最後の言葉を求められて
「エリザベート王妃様に……ありがとうございます、と」
「最後まで皮肉か。っく、悪の女王としては相応しいか」
(この地獄から救ってくださって、ほんとうに――)
首を断ち切る刃が落ちる音を最後に聞きながら、わたしは心からのお礼を呟いた。
広場には歓声が鳴り響いていた……。
「ざまぁ」
ポツリと麗しい微笑みを浮かべた唇から零れた呟きは、隣に並ぶ王にも届かずに民衆の歓声の中に消えて行った。
ありがとうございました。