1.形見
「空飛ぶうさぎが見てみたい!!」
そんな事を突如真剣な顔で言いだしたカナタに、俺は驚きながら聞き返した。
「...後頭部を全力で殴打されました?大丈夫?」
「大丈夫だし!至って正常だから!私は真剣に空飛ぶうさぎを見たいと思ってるのー!」
「歳いくつだっけ?」
「ピチピチの16歳ですけどなにか」
「7年は盛りすぎ、そんなにサバ読まなくたってカナタは若いし綺麗じゃないか」
「えっうれし」
「そうだな、確かこの近くに大学病院があったけど、一緒に行くか?」
「大学病院?なんで....って私の頭はどこも悪くないよ!?」
「そうか...それは気の毒に....」
「もう手遅れみたいに言うなっ!!」
軽い冗談だと笑う俺に、全くしょうがないといった表情で、わざとらしくため息をこぼすカナタ。そんな素振りも可愛らしい。
「いちいちケチつけるなんて、ゆかりはかわいいかわいい赤ちゃんなのかなー?」
「あぁ、ごめんごめん。俺が悪かった。俺はいちいちケチをつける赤ちゃんだ。すげー赤ちゃんだな。」
「そう、ゆかりはすごい赤ちゃんなの。
ほら綺麗なお姉さんですよーこっちにおいでー」
「行くかアホ。」
「またまたそんなこと言ってー、
恥ずかしがらないでいいのよ?うりうりー」
細めて笑うカナタのまぶたには白いラメがさりげなく煌めいている。
「とうとう頭が溶けてしまったんだな、、」
「溶けてないし!溶けるってなに!?」
「ボケるのかツッコむのかどっちかにしてくれ....
それでいったいどうしたんだ」
「やっと聞く気になったのね。あのね、うさぎって1羽2羽って数えるでしょ?それなのにうさぎは飛べないし羽も生えてないし、ちょっと可哀想だと思わない?思うでしょ?」
「そうだな。」
「そもそもなんで1羽2羽って数えるのかしら」
「うーん、昔のお偉いさんが兎を鵜と鷺だと勘違いして読んだんじゃない?」
「え?そうなの?知らなかったー!」
「適当に言っただけでした」
「えーー?!信じちゃったじゃん!」
「人を信じれるのは、カナタのいいところだ。」
「それは褒めてるのー?」
「褒めてるのさ」
ふふっ俺が笑うと、カナタも俺を見つめ幸せそうに頬を緩める。
「って、そういうことじゃないのよ!
とにかく、そんなうさぎさん達が報われる姿が見たいのよ!」
「なるほど、(カナタのぶっ飛んだ考え方はまさに)天才だな」
「そうでしょ?うさぎは天才なの」
「そっちじゃない」
鮮やかな夕焼け空の下、そんなたわいもない会話をしながら、2人はのんびり歩いていた。
俺の皮肉屋な言動とは裏腹に、目尻に皺を寄せて笑うカナタを見つめていると、あっという間に流れてしまった今日も悪くなかったなと思えてくるのだから不思議だ。
カナタは最近流行っているというオシャレな飲み物を口にしながら、世界で1番しあわせそうな顔をしている。
橙の空はどこか儚げで、焦燥感に頬を撫でられた俺はなんとなく、ショルダーバッグにつけたホタル石のストラップを触った。
これに触れると、少しだけ心がほっと、落ち着くような気がするのだ。
このストラップは、まだ幼かった頃、あの日にカナタから貰ったもので、2人でおそろいのものを身につけている。
そのせいだろうか、これがあるだけで、カナタが傍にいてくれるような気がして、自然と心が安らぐのだ。
ふとした時に触るのが癖になってしまい、こうしてカナタがとなりにいる時でも、不安を感じるとつい触ってしまうことがある。
幼少期から共に過ごしていたカナタは、俺にとってかけがえのない存在になっていた。
俺が5歳の時、父親が突然姿をくらまし、行方不明になった。
それから女手一つで家計を支える母親に、なぜ父が居なくなったのか、ちゃんとした理由を聞き出せずにいた10歳の時、今度は母親が交通事故で死亡した。
祖母や祖父は既に他界していて、身寄りの無かった俺は、遠い親戚の家族に引き取られた。
しかしそこで俺は家族たちから嫌われ、ひどい虐待を受けていた。
生徒思いの学校の先生が異変に気付いたことで虐待は発覚し、結局児童養護施設へ預けられるようになったことで自体は落ち着いた。
自立するには幼く、ある程度状況を飲み込める年齢であったために、様々な苦悩を受け止めきれずに心身はひどく疲弊した。
しかし俺にはカナタがいた。
親同士が仲が良く、幼い頃からよく遊んでいたカナタだけが、その時俺に残された唯一の繋がりだったのだ。
その繋がりがあったからこそ、俺は今こうして幸せに暮らしている。
そしてこのストラップには、もう一つ重要な効力があると言われている。
身につけた人の願いを一つ、叶えてくれるのだ。
その石に俺たちは、これからも一緒で居られるように、という願いを込めたのだった。
しかし、願いが叶うことはなかった。
事故だった。
突然車道に飛び出して、猛スピードのトラックに引かれそうになった少女を見たカナタは、咄嗟にその少女を助けようとして、変わりに轢かれた。
頭をひどく打ち付け、ほとんど即死だった。
──あなただけでも....強く...生き..て──
急いで駆け寄った俺に、その言葉だけを残して、目の前で彼女は息を引き取った。
その日俺は、道路の真ん中で我を忘れてひたすら泣き叫んだ。
病院でカナタの死亡が確定した時には、涙も声も枯れて、何もできなくなっていた。
幸い少女は無傷だったが、彼女は僅か23歳という若さで空の彼方へ登ってしまった。
この自分を犠牲にした勇敢な行いは賞賛され、ニュースとして取り上げられたこともあった。
俺は、その現場に偶然居合わせた一般人として、当時は記者からの質問を受けることもあったが、当然俺の心はカナタを失った悲しみに加えてさらに傷口をえぐられるような思いだった。
多くの人々が彼女の他界に心を痛めたという。
彼女の美しく儚い最後に、俺はやり場の無い深い悲しみと虚無感を感じた。
あの時俺は、目の前でどくどくと鮮やかな血を流して倒れるカナタを抱き抱え、泣き叫ぶことしか出来なかった。
助けなければいけないのに、見るからに重傷を負って意識が無いカナタを前に、俺はなにも出来なかった。呆然とした。カナタが歩道から飛び出したとき、俺は突然の事態に驚き、ただ見ていることしか出来なかった。もし俺があの手をもっと強く握っていれば。もし俺の方が先に気付いて少女を助けていれば。こんな苦しい思いをしなくて済んだだろうに。後悔が後悔を呼んで、自己嫌悪、自己否定の渦に巻き込まれていく。
俺は、無能だ。
そして俺にとって最後の繋がりを失った。
これで俺は、完全に孤独になってしまった。
目の前でカナタを失った俺が、この世にいる意味なんて無い。俺の生に、突如として光が無くなった瞬間だった。
◆◆◆
あれから一年が経った。
俺はまだあの時の事故を引きずっていた。
目を閉じると今でも鮮明に当時のことを思い出す。
幼い頃からずっと一緒だったカナタの記憶が、俺の心を削り取るようになった。
心にぽっかりと空いた大きな穴はずっと埋まることなく、時が経つにつれて肥大化していく。
俺はカナタに依存していたのだと最近気が付いた。
生きる希望を失い、依存先を失い、何がしたいのか分からなくなった。
全てのものに興味が無くなり、色あせた世界に昔のような輝きが現れることはなくなった。
明暗しか無い世界で、最低限の立体感だけ把握して、あとは適当に放り投げる。
今見えているものだけなんとか見えればあとはいらない。むしろ暴力的に無視をする。
この世の全てが憎い。
俺からカナタを奪った世界が憎い。
そしてカナタを見殺しにした俺自身が1番憎い。
もちろんそんな人間がまともに働けるはずがなく、会社もクビになった。
今は週三で入れたバイトにだけ体を預けて暮らす日々。
あざやかなオレンジ色をした夕焼け空の元、呆然とあるいていた。
その危なげな橙は血の色を思わせる。
「クソッ!」
行き場の無い怒りが漏れる俺の視界に、ふと青緑の石が目にうつる。
カナタがつけていたストラップだ。
俺のストラップはあの日の騒動で落としてしまった。
代わりにカナタのストラップを形見として付けていた。
形見などをわざわざ肌身離さず身につけているからいつまでもカナタのことを忘れられないでいるのかもしれない。
このストラップのせいで…………?
いや、ちがう。
そうやって責任を転嫁して、事実から目を背けようとしていた自分の未熟さに腹がたつ。
まだ俺は心のどこかで諦めていないのだ。このストラップをもっていればカナタにまた会えるのでは無いかと。
我ながら馬鹿な考えだと思う。
どんなに会いたいと願っても、もう会うことは出来ないんだ。
それでも、俺は…………
──カナタにもう一度だけ会いたい────
─その為なら、地獄だってなんだって行ってやる─
心の中で、なにかの枷が外れたようなきがした。
そして憎らしい自分に、今までにないほどの殺意が込見上げてくる。
朦朧とする意識の中で、知らない階段をコツコツと登る音だけが響く。
ああ、簡単なことじゃないか。
こんなに憎いなら
ころしてしまえばいいじゃないか────
しね──────
一瞬、青緑色の輝きが見えた気がした
◆◆◆
「ここは…………どこだ………?」
眼が覚めると、森に居た。
俺が寝ているところは、ちょうど芝生のようになっていて、なんだか気持ちいい。快晴な青空を見上げていると、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。あぁ快適。
……………のんびりしている場合じゃないな
一旦この状況を整理しなければ。
起き上がり辺りをよく見ると、生い茂った葉にはまだ朝露が残っており、湿っぽい水と土の匂いがかすかにする。気温は少し涼しい。午前中、それも日が昇りきっていない朝方だろうか。
遠くは霧がかっていてよく見えない。朝方という過程が正しければ、もうじきよくみえるようになるだろう。
俺がいる場所は、木々がひらけていて十分な光を確保しているが、森の奥には木が生い茂って薄暗くなっている場所もある。
俺は何故こんな所にいるんだ?
確かバイト帰りで………
そうだ、最後の記憶はバイトが終わって帰っている途中だった。
それも夕方。後の記憶が無い。
確か意識が途切れる寸前に何かあったような…………
だめだ、思い出せない
自分の所持品を確認すると、ジーパンのポケットにストラップが入っていた。財布や着替えなどを入れたリュックは無くなっていた。
それ以外には、ハンカチと、ティッシュ。
ほぼ身一つで森の中に放置されている状態。
頼みの綱であるスマホも無い。
取り敢えずやばいな
ここでじっとしていても埒が明かないと考えた俺は、居心地の良かったこの場所から離れ、人のいる場所を求めてとりあえず歩いてみることにした。
森の中を歩くというのは、なかなか新鮮だな。
俺は先程見つけた獣道を歩きながら、自然の美しさに感動していた。
高校の合宿以来の自然散策に懐かしさすら感じ、心を踊らせる。
ん?なんだ?
何か大きな生き物がこちらに近寄ってくる。草を踏みしめる音からして、相当大きな動物だろうか。
ここで野生動物と鉢合わせるのはまずい。
この獣道を使っている連中かもしれないと思い急いで草むらに潜り込もうとシダの葉を掻き分けたとき。
…………まじか
見事に鉢合わせた。
黒い巨体に赤い眼。頭に三本の角を生やし、腕にはゴツゴツとした骨の装甲のようなものが、鋭い爪の先に向かって付いている熊だ。
黒くてツノの生えたアオア◯ラのような奴だ。
どうする?
やばい。
まずこんな馬鹿げた奴が今の日本に居るのか?
ドッキリか何かか?
いやその可能性を考えるのはそうじゃなかった時に取り返しがつかないのでやめておこう。
熊っぽい見た目ではあるから、大きい音を出せばどこかに行ってくれるだろうか。
いや流石に目の前に現れた状況では通用しないだろう。
というかア◯アシラといえば序盤中の序盤に出てくる雑魚モンスターとして扱われることが多いが、実際目にしてみるとバケモノだわこれ。
これはダメだわ。
よくハ○ターの皆さんは毎回こんな奴等相手に狩りとか出来るわ。
まじで尊敬に値するわ。
俺には成すすべがない。
という事で俺がとった行動は。
「うをおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!!」
▶︎逃げる
ヤツとエンカウントしてからここまで約1秒。
生命の危機を本能的に感じてしまった俺は必死で逃げる!
するとヤツはグオオオオオと雄叫びあげながらこちらにむかってくるではないか!
超怖ええええええええええええええええぇ!
背後で木々をなぎ倒す音が聞こえる。
木の根っこに足を奪われたりしながらも、俺は無我夢中で走った。
これはやべえぞ!
どうすんだこれ!
振り返るとヤツはものすごい形相で迫ってくる。
どんな精神で獲物を追いかけてるんだ。
殺意剥き出しじゃねえか。
普通ライオンでもあんなに殺意飛ばしてこねえよ。
殺意ガンガンで迫ってくるとか狩りとしてどうなのよ。
そういえば昔、飼い犬とハムスターを対面させたことがあったが、犬が当然のごとくハムスターを噛み殺そうとしたもんだからめちゃくちゃ焦った記憶がある。
犬からしたらハムスターはただの餌なんだろうか。だから殺意が無いというのも怖いという話なのだが....
気を落ち着かせるためにそんなことを考えながらしばらくヤツと追いかけっこを続けてきたが、さすがに疲れてきた。
徐々に俺の走るスピードも落ちて来ているが、ヤツはまだ追ってくる。
喉をゼエゼエ鳴らし、残りの体力を振り絞って逃げ続ける。
「うぉあっ!!」
運悪く前方に倒れていた木に足を取られ、全力で前に転んでしまった。
一回転して地面に頭を強く打ち付ける。
「....いってぇ........!!」
足を挫いてしまった。
さらに意識が朦朧としてきた。
枝をかき分けて進んだ時に体中に小さな切り傷を負っていたせいか、ヒリヒリした痛みを感じる。
この痛みがかろうじて今の一撃で意識が飛んでしまうのを引き止める役目になったのが不幸中の幸いと言えようか。
それでも視界は揺らめき、目の前が緑色になっていく段階で、俺は目の前に迫ったヤツを捉える。
これは.......詰んだ........
短い人生だったな
これでようやくカナタのいる場所まで行ける......
四つん這いから二足歩行に立ち上がったアオ〇シラが、鋭い爪を振り上げる
その時だった。
「上位種のブラックホーングリズリーですね。なんとか間に合いました。」
「...え.......?」
「安心してくださいご主人様。ご主人様の命は.....僕が守りますっ!!」
一閃。
目の前に突然現れた彼女は、美しい剣筋で刀を振るったら最後、目の前には鮮やかな朱色の花が咲いていた。
ドサリ、と巨体が沈む音が聞こえる。
「お怪我はありませんか?ご主人様。
.......随分と派手に転びましたね。ふふっ」
振り返った銀髪のショートカット美少女は、そういって俺に親しげな笑みを向けたが、その時既に俺は意識を失っていた。
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