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私の母は無表情。

作者: ひよこの子

宜しければ、感想・評価お待ちしております。

 

「どうしてお母さんと結婚したの?」


「え?」


 お湯を沸かせようとヤカンに水を入れていた父が振り返る。その顔は驚きと困惑が入り混じった変なものになってしまっていた。


「だから、お父さんはどうしてお母さんと結婚したの?」


「え、ええと、それはっと、うわわッ」


 一杯になってしまったヤカンから水がごぽごぽと溢れ出す。慌てて父はヤカンを置いて蛇口を捻る。そんな父の様子を私はダイニングテーブルに肘をついて眺めていた。


「何してんのさ」


「いや、急に変なこと聞いてきたから。なに? お母さんと喧嘩でもした?」


「別に。してないけど」


「そう? あ、コーヒー飲む?」


「要らない」


 ヤカンをセットしたIHの電源を入れてから、コップにたっぷりの牛乳を注いでそれをレンジで温める。あのあと更に砂糖を三本も入れないと飲めないというのにどうして父はいつもコーヒーを飲むのだろう。もう諦めてコーヒー牛乳でも買ってくれば良いというのに。

 以前そのことを指摘すれば、これが良いんじゃないか。と理解出来ない返しをされたので放置していることではあるのだが。


「で?」


「え? あー、お母さんと結婚した理由? そりゃぁお父さんがお母さんのことを大好きだからだけど」


「そういうんじゃなくてさ」


「ぅ、ううん?」


 困ったな、と苦笑いで頭をかく父に無意識でため息が零れてしまう。


「お母さんってさ、無表情じゃん。こぅ、いつものべーっとしているっていうか」


「結構感情豊かだと思うけど」


「行動はね。でも、顔には出ないじゃん」


「それはまあ、……そうだね」


 そう。

 うちの母は御近所でも評判の無表情なのだ。その具合は、まるで漫画の世界の無表情キャラが飛び出してきたのかと思えるほどであり一時期母の笑顔を見たものは幸せになれる、と近所で噂になったことさえあった。

 とはいえ、感情がないわけではない。褒めるときはしっかり褒めてくれるし、怒る時はものすごく怖い。お笑い番組だって大好きで良く見ている。だが、どれもこれも感情が表に出ない。いつも淡々と話すのだ。怒られる時も怖いが、じーっと微動だにせずお笑い番組を見続けている姿を見るのはいまだに恐ろしさを感じてしまう。

 別に母のことが嫌いというわけではない。だが、それは私が母の娘で、母が私の母だからだ。生まれた時から愛情をもって育ててくれたことを知っているからであり、元々は赤の他人だった父がどこをもってして母に惚れたのかがどうしても分からない。

 だから、


「お父さんしか知らない何かがあるのかなって」


「なるほど……」


 私の説明を聞いて、父は天井を見上げてしまう。

 腕を組んで天井を見続けるのは、考え事をしているときの父の癖だ。


 ピーーーーーーッ!!


「おっとっと」


 沸騰を告げるヤカンの耳障りな音に慌てて父は電源を落としに走る。

 温めも完了していたコップをレンジから取り出して、お湯を注ごうとするのだが、ことんとヤカンを置いてしまう。


「よし、ちょっとここで待っていなさい」


 私の返事も聞かずに、台所を飛び出してしまう。扉が閉まる音が聞こえたので、父と母の寝室へ行ったのは間違いないのだが、なにかあったのだろうか。

 何かするでもなく手持ち無沙汰だったので、なんとなく父の用意していたコップにインスタントコーヒーの粉を入れて、そこからお湯を足していく。砂糖もぶち込んでスプーンでくるくる掻き混ぜていると、お中元でもらいそうな大きめのお煎餅の缶を両手で支えた父が戻ってきた。


「コーヒー」


「え? ああ、ありがとう。助かるよ」


 父の席にコップを置いて、私も自分の席へ戻る。どうせなので自分の分も入れれば良かっただろうか。まあ、いいか。


「で、何それ」


「結婚した直接の理由ではないんだけどね」


 嬉しそうに微笑みながら父は缶の蓋を開ける。パカッと小気味よい音を鳴らして開いた中には、大量の紙が入れられていた。


「なにこれ、メモ用紙?」


 手のひら以下サイズの正方形のその紙は、どこにでもありそうなメモ用紙である。その全てに小さな穴があけられており、いくつかの束として紐でくくられていた。


「これはね。お父さんの宝物なんだ」


「こんな紙切れが?」


 この人は何を言っているのだろうか。と、訝しみながらも一つの束を手に取り確認してみれば、


『今日は卵焼きが上手に焼けました』

『いつもお仕事お疲れ様です、愛しています』

『本日美容院に行ってきます。帰ったら感想を聞かせてください』

『今週末は子供たちがどちらも居ませんのでデートがしたいです』

『今日は遅くなるとのことですが、無理だけはしないように。辛ければ電話ください、駅まで迎えにいきます』


 パラパラとめくっていけば、その一つ一つ全てに異なるメッセージ。

 この文字は、母のもの。


「これ……」


「彼女が僕にお弁当を作ってくれるようになってから毎日ずっとこうして書いてくれているんだよ」


「……毎日?」


「毎日」


 缶を除き込めば、奥の方には変色してしまっているものもある。紙自体はどれもこれも色気のないメモ用紙ではあるが、これら全てをあの母が……。


「勿論、このメッセージだけが全てではないけども。お母さんは、少し分かりにくいところは確かにあるけど、うん、そうだね。僕は、彼女がとても魅力的な女性だと知っているよ」


「だから」


「うん、結婚したんだ。納得した?」


「う、」


「なにをしている」


「げっ」


「……うわ」


 にこにこと笑顔の父に頷くのは癪ではあるが、ここは素直に頷こうか。としたその時に、背後から聞こえてくる感情のこもっていない平坦な声。

 振り返りたくはないけれど、ここまで接近されていては逃げようもなく、私は大人しく壊れた機械のようにゆっくりと振り返る。


「なにをしている」


「……お母さん、居たんだ」


「居たら悪いか」


「あはは……、い、いやー特になにかしているとかじゃないんだけど、こうなんというか父と娘のハートフルな日曜日を演出しようかと思うところがあるわけでございましてですね」


 もはや敬語かどうかも理解しがたい言葉を発しながら父はテーブルに広げられた紙の束を缶へ急いでしまっていく。

 だが、それはもう母の視界に当然入っているわけであり、


「なにをしている」


 説明するまで釈放されることはなさそうだ。


「実は……」


 結局、事の次第を報告したあと私と父は母から淡々と説教を受け続けた。夕方頃に友人宅から帰ってきた弟がこんな時だけ空気を読んで自室へとすぐに引っ込みやがった。いつもはおなか減ったと五月蠅いくせになんて奴だ。

 罰として本日の夕飯は私が作ることになり、父は母の肩もみを命令されることになるのであった。



 ……。

 …。


 手渡されたお弁当。

 風呂敷で包まれたそれを小さく揺らせば、からんからんと中身が入っていない音がなる。

 その事実に小さな満足感を味わいながら、私は風呂敷を解いていく。


 はらり。


 零れ落ちた紙きれ。

 床に落ち切るまえに空中で素早くキャッチすれば、なんとも女の子受けしそうなファンシーで可愛いメモ用紙。


『今日も美味しかったです。いつもありがとう、愛しています。今度映画を見に行きませんか』


 意外と言えば失礼かもしれないが、直接文字を書く機会の減りつつある今そこそこの達筆でそれは書かれていた。

 一秒。二秒。三秒。

 可愛いメモ用紙に私は視線を落とし続ける。仮にも課長と呼ばれる立場の男が職場でこんなかわいいメモに手紙を書いているのはどうなのだろうか。しかも間違いなく後輩の女性にでも聞いたのだろう、可愛いメモ用紙が売っている店を。そんなファンシーな店におっさんが入って痛い目を向けられていないだろうか。


 言ったところで聞きはしないのは分かっているので口にはしない。それよりも、おなかをすかせた子どもたちが乱入してくる前に、私は台所の床下収納の扉を持ち上げ、そこに隠している缶を取り出す。

 ぱかり、と蓋を開ければそこには色取り取りのメモ用紙。


 律儀なあの男とは違う。

 紐を通して整理整頓なんかする気はない。ただ、そこに本日のメモも放り込み蓋を閉じる。


 私の宝物。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすくて、構成もきれいで、お話も素敵でした。
[良い点] 沸騰を告げるヤカン [一言] 感情豊か
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