プロローグ
液晶の中の美しい少女が無機質に語る。
笑顔もなく、ただ、透き通った声で淡々と。
とても上品な所作で椅子に座る彼女は、こちらを向いて画面外の俺に話しかけている。
彼女はもちろん二次元の存在などではない。画面に映った教会のような場所は妙に荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「【ゲーム】
と言えばあなたはどんなものを想像しますか?」
「ボードゲーム。テレビゲーム。などと言うように、ゲームという一つの単語にしても無数の物事、意味を内包しており、人によって受け止め方は異なるものです。」
「今回のあなた方のご自宅に届けられた物は、《Re:write》リライトと呼ばれている異世界探索ゲームです。」
「参加者を無作為に選び、配送しているため。ある日突然届いた巨大な荷物に驚かれた方も多いでしょう。」
「あなたたちはこれを拒む事も出来ますし、受け入れる事も出来ます。必要ないと考えられた方は、こちらの映像を見終わった後スタッフに申し付け下さい。」
「自宅にある洗濯機や、ベッドを優に超えるサイズの箱の中には、《コフィン》と呼ばれる巨大な棺桶型のゲーム機が入っています。」
「この、コフィンの中に入ってあなた達は別世界へと飛び立つのです。」
「自分の好きなように生き。好きな事をやる。
このゲームにはあなた達の人生を書き換える力が有ります。」
「そのまま、別世界で勝ち取った地位のまま第二の人生を謳歌するも良し。勝ち取った報酬を手に元の世界で贅沢に暮らすも良し。
手に入ったものは何でも持ち帰る事が可能です。」
「ただし、一度ゲームからログアウトすると二度とログインできないのでご注意下さい。」
「人生一度きりのやり直しのチャンス。
是非、生かすことが出来るように、また、心残りのないように真剣にお考え下さいませ。
あなた方の選択に、悔いが残らないようにお祈りいたします。」
そこまで話すと、無機質な少女は頭を丁寧に下げた。
そして頭を傾け、少し微笑む。
少女の見える景色がぼやけ、【Re:Write】の文字が浮き出てくる。
「でぇ?どうするっすか?」
液晶の裏から人懐っこい顔の作業スタッフがにこやかに顔を出した。
◆
つい10分前。
俺は、休日を朝からビールを飲みながらスナック菓子を食べ、特に興味があるでもない動画を何となく見ながら過ごしていた。
いつもと同じ休日。
特に何かあるわけでもなく、他人と関わりがあるわけでもない。
ただ、無為に時間だけが過ぎて行く。
そんな日常。
そんな時、唐突に呼び鈴が鳴る。
「…んだよ面倒くせぇな。」
時刻は現在10時。既に4本めのビールを開け終えたところだった。
缶を握り潰し、玄関前に適当に置いているビニール袋に放り投げる。
積み上げられた潰れたビール缶の山がガラガラと音を鳴らして崩れた。
「はいはーい。どちら様。」
玄関を開けていきなり目に入ってきたのは巨大なダンボール。
すごく大きい。横幅を見ても部屋に入るか怪しいレベルである。
何だこりゃ。俺何か頼んだっけ?いや、全然覚えてない。
箱には未来的なフォントで《Re:write》と書いてある。
リライト?なんか昔そんな曲が流行った気がするな意味は…、書き直し…か。
でも、最近どっかで聞いたことあるような…。
「ちょっと失礼するっすよー。
よいしょ!」
にこやかな笑顔で作業服の兄ちゃんがダンボールと扉の隙間からひょっこりと現れ、帽子を脱ぎながら話し出す。
「いやー、めでたい!めでたいっすよ!お兄さん!
おめでとうっす!」
一体何がめでたいのだろう。
先程から一人で酒を飲んで既に見知らぬ他人と話すテンションではない俺は、やたらとハイテンションな作業服の兄ちゃんのテンションについていけなかった。
「え?何が?」
「お兄さんも何処かで聞いたことあるでしょ?異世界探索ゲーム、Re:write!知らないんすか?」
言われてみれば聞いたことあるような気がする。
なんだか最近世間を賑わせている異世界探索ゲームだとか。
更衣室で着替える時にこの前後ろのロッカーのやつがテンション高めにとなりの奴に話してた気がするな。
それにしても異世界探索ゲームってなんだよ?
なんだか凄く頭の悪そうなワードだ。
「まずはコレを見てくださいっす!」
作業着のお兄さんはニカッと笑うとカバンから液晶タブレットを取り出した。
◆
映像が終わり、やたらと嬉しそうなお兄さんが話しかけてくる。
「でぇ、どうするっすか?どうするんっすか!?」
もちろんやるよね?やらないなんてありえない!って顔してるな。
興味が無いとなると嘘になる。
しかし、怪しい。怪しすぎる。
こんな大掛かりな事をやって彼らに何の得があるのだろう。それがわからない。
訝しげに作業服の兄ちゃんを見ていると、突然納得したような表情で作業を始めた。
「うんうん。そうっすよね!やらないわけがないっすよね!」
俺の意思に介せず、ダンボールを開けて作業を始めるお兄さん。
「いやいや、まだやるって言ってないだろ?何作業始めてるんだよ?」
「え?やらないんすか?
朝から酒飲んでるあたりお兄さん暇なんでしょ?」
図星をつかれた。
しかも朝からってところが妙に痛い。
確かに、やる事があればこんな朝から酒なんて飲んでいない。
「ま、まぁ、そうだけどさ。」
「じゃ!決まりっすね!」
少し苦々しい顔でそう言うと、お兄さんはニッコリと笑い、ダンボールを解体し始めた。
ダンボールの中には棺桶に酷似している大きな箱が入っていた。
「《………》」
ボソリとお兄さんが棺桶に右手をかざして呟くと、その棺桶に異変が起こる。
棺桶が光を帯び、みるみるうちに小さくなって行くのだ。
「え?何これ?」
初めて見る光景だった。物がその形を保ったまま体積だけを変えるなんて話聞いたことがない。重そうだった棺桶は作業員のお兄さんの手のひらサイズまで小さくなった。
化学の力ってすげー。
そんなことを呆然と考えていると、お兄さんから妙な言葉が飛び出す。
「何って?魔法っすけど?」
ひょいと手のひらに棺桶を乗せながらお兄さんは見ての通りだとでも言いたそうな顔で言う。
「何言ってんの?頭大丈夫?」
「心外っすねぇ。
これは俺がリライトで手に入れた力っすよ。さっきお兄さんも創造主様から聞いたでしょ?
実は俺、もう帰ってきた人間なんす。」
「俺は《縮小》と《拡大》の魔法が使えるんすよ。
だから作業も一瞬!縮めて置いて拡大化!
これでオッケーっす!」
「ま、マジか…?」
本来なら馬鹿げていると笑う所だろう。
しかし、今回はわけが違う。
百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。
こんなものを見せられてしまっては信じるしかない。
『人生一度きりのやり直しのチャンス。
是非、生かすことが出来るように、また、心残りのないように真剣にお考え下さいませ。』
少女が映像で話していた事を思い出す。
ここ数年俺は同じ生活を続けている
仕事に行き、休みは酒を飲む。
毎日毎日同じことの繰り返しだ。
気がつけば年齢は26歳。
何かを変えたいと望みながらも、何もせずに生きてきた。
別に生活に困っているわけでもない。何かに悩んでいるわけでもない。
ただ、漠然とした将来の不安が、歩いた道の後ろの方から付き纏ってきている。そんな気がしていた。
「決まりっすね。じゃあ、部屋の真ん中にスペースを用意して下さいっす!拡大した時に下に物があると潰れちゃいますからね。」
俺は早急に部屋の物を端に寄せた。
「うん。これだけスペースがあればオッケーっす。
では…。《拡大化》」
床に置いた棺桶は光を帯び、みるみる大きくなって行く。
そして、人間1人はいるのにも問題なさそうなサイズになった。
「しかし棺桶って、縁起悪いな。なんか死にに行くみたいじゃないか。」
「え?ギクっ!そ、そんなことないっすよー。安全、安心をモットーにしておりますっす!」
露骨に同様するお兄さん。
「へ?なにその反応?もしかしてマジで死ぬ的な奴?」
「いやいやいやいや!そんな事ないっすよぉ!こんな頭悪そうな俺ですらかえって来れたんすよ?お兄さんにできないと思います?」
「なんか隠してそうだな…。ま、いいや、ダメならすぐ戻って来れば良んだし。」
「そう!そうっすよ!その通りっす!」
なんかうまく乗せられたような気がしなくもないが、部屋に置かれた巨大なコフィンを見て、俺の心は否応もなく高まった。
なんだろう巨大なロボットのコックピットに乗り込むようなあの感覚に近い。
もちろん乗ったことなんてないけど。
「時代はここまで進化したか。」
「あとは入るだけっす!」
準備が完了したようで、お兄さんは簡単なペラ一枚の説明書を手渡すと部屋から出て行った。
「なになに?猿でも分かるゲームの始め方。中に入って赤いスイッチを押すだけ?」
なんだこれ?バカにしてんのか?これは別に口頭でも良かったのでは…?
「まぁいいや、幸いにも今はゴールデンウィークだし、とりあえずやってみるか。」
俺はコフィンの中に入り、赤いボタンを押した。
両開きの扉が締まり真っ暗になる。
酒も飲んでいるせいで睡魔が襲ってくる。
「眠いな…。」
それからしばらく経って、俺の意識は、この世から消えた。