踊るコッペリア
「ディアナ、君との婚約を破棄させてもらう!」
そう告げられた少女は大きくため息をついて目の前にいる男女に冷めた目を向けた。
場所は公爵邸の庭園。細部まで美しく整えられ、見るものの心を魅了するであろう庭ではあるが、生憎と今はそれに意識を向けている者はいない。
「……理由を聞きしましょう、ジェイド」
「理由!? そんなものわかっているだろう! お前がマルグリットに嫌がらせをしていたことは知っているんだぞ!」
何だそれは。それが正直な気持ちだった。
婚約者の腕の中にいる女を自分は知らない。それなのに嫌がらせなんてできるわけがないだろう。
確かに自分の婚約者が他の女に入れ込んでいることは知っていた。けれど元より彼に対して好意どころか関心すら殆ど持っていなかったので、それをどうこうしようとは思わなかったし、実際しなかった。
だから、こんな馬鹿げた展開になる理由が一つも思いつかない。
「私はそんなことしていませんよ」
「嘘よ! ねえ、ジェイド。この人の話を信じないで。私、本当にこの人にいろいろされたんだから」
「ああ、勿論だ。いいか、俺はお前みたいな女とは絶対に結婚しないからな!」
その言葉に、ディアナはある疑問をぶつける。
「一つお聞きしますが、それはもうおじ様からの了解は得ているので?」
「っ! そ、それは……」
途端に狼狽するジェイドの様子に、これは父親に話しを通さず勝手にやっていることなのだと把握した。
政略結婚とは家と家の約束事だ。それを当人とはいえ一方的に破ることは許されない。この男も仮にも貴族の端くれならそれぐらいわからないのだろうか。
呆れると同時にホッとする。こんな馬鹿と結婚せずにすむのだから。
「ええ、わかりました。いいですよ。あなたとの婚約を破棄しましょう。私からも両親に伝えておきます」
「そ、そうか」
顔を緩ませる二人。きっとお互いに薔薇色の結婚生活を脳裏に描いているのだろう。
実に、おめでたいことである。
「ええ、ですからどうぞ結婚なり何なりお好きに。この家の事は私達でどうにかしますから」
「は?」
ディアナの言葉に二人はぽかんとした顔をする。
「何を言っているんだ、この家は俺達の物だぞ」
ディアナは美しい笑みを浮かべた。
「いいえ、ジェイド。あなたはこの家を継げないわ」
「馬鹿なこと言わないでください! この家にはジェイド以外に子供がいないのだから、ジェイドが継ぐしかないじゃありませんか!」
マルグリットは強く反発する。
それはそうだろう。せっかく大貴族の仲間入りできると思ったのに、それができないと言われたのだから。
けれど、これはもう決まったことだ。
「ジェイド。私はあなたのことなんてなんとも思ってないわ。だから婚約者を持つ身でありながら他の女にうつつを抜かしても、気にしなかった。だって、どうでもいいから。けれどね、おじ様はそうではなかったのよ」
「なに? どういうことだ?」
なんとも思っていない、どうでもいいと言い切られたジェイドは若干顔を歪ませながら問いかける。
「女に夢中になるあまりに、貴族としての責務や義務を怠るような奴に跡取りはまかせられないということよ」
ディアナは知らなかったが、どうやらジェイドはマルグリットに入れ込むあまり、いろいろとやらかしたらしい。
これには当主である彼の父も看過できず、次期当主を新たに選ぶことにしたのだ。
「だから一体、俺以外の誰が当主になるっていうんだ!?」
「それは僕だよ、ジェイド」
いつの間にか、四人目の人間がそこにいた。
「な、それはどういう意味だ、カイトっ!」
「そのままの意味さ。君は廃嫡となり晴れて自由の身。その子とただの平民として暮らしていくといい」
「なにを、馬鹿な……」
彼の登場で、これがただの与太話ではないことを理解したのかジェイドの顔色は悪くなった。
「いいじゃないか。君はその子さえいればいいんだろう? じゃあ、家督を継げないぐらい別にかまわないんじゃないのかい?」
「っ! ふざけるな! そんなことあるものか! 父上を問い詰めてやる!」
「ま、待ってよ、ジェイド!」
屋敷に戻るジェイドにその後を追いかけるマルグリット。騒々しい二人がいなくなり、庭には静寂が訪れる。
残された二人は互いに近づいて手を取り合う。
「すまない、遅くなってしまったね」
「いいえ、いいのよ。気にしていないから」
「だけれど、あいつらからいろいろ言われたんじゃないかい?」
「ふふ、大丈夫。あんな連中の言葉で傷つくほどやわじゃないわ」
カイトはジェイドの従兄弟であり、新しい大貴族の跡取りであり、そしてディアナの新しい婚約者なのだ。
「式はいつになるのかしら」
「そうだね、引き継ぎがいろいろあるだろうから、来年になってしまうかもしれない。待たせることになってしまう」
「ううん、いいのよ。大事なことだもの、時間がかかるのはしょうがないわ。それにその分、準備がしっかりできるじゃない」
大好きな人となら待つ時間すら愛おしくなるのをディアナはカイトと出会って初めて知った。
以前なら、面倒くさいとしか思っていなかった結婚式も、今は待ち遠しくてたまらない。
「ディアナ、僕は君を世界中の誰よりも幸せな人生を歩ませると誓うよ」
「カイト……」
口づけを交わす瞬間、ディアナは彼と自分を結ばせてくれた二人に、ほんの少しだけ感謝した。
ディアナとの逢瀬を終え、執務室に戻ったカイトが使用人が入れた紅茶を堪能しているとドアがノックされた。
「どうぞ」
カイトの返事をすると音もなく静かに開かれ、ジェイドとマルグリットが室内に入る。
二人はカイトに近づくと跪いて頭を下げた。
「二人共、今までご苦労様。僕の我侭に付き合ってくれてありがとう」
「いいえ、これぐらい大したことはございません」
「そうです。私たちはカイト様の忠実な下僕なのですから」
さて、ネタばらしをしよう。
そもそも、ジェイドという青年は元より存在していない。
実はこの家では昔、まだ幼い長男が誘拐され殺されるという悲惨な事件があった。代わりに次男が跡取りとなり、犯人は見つけ出し処刑されたものの、同じ事が起こることを恐れた当主はその子が成長して当主に襲名するまで存在を隠し、代わりに先祖代々家に仕えている一族の子を身代わりとして表舞台へ立たせることにしたのだ。
その次男というのがカイトのことであり、身代わりというのがジェイドと呼ばれていた青年である。
ジェイドというのは彼の本名ではなく、そしてその横にいる娘の名前もマルグリットではない。彼女もまた、カイトの家に仕える家の娘だ。
カイトが当主になるにあたり、身代わりだったジェイドは消えなければいけない。当初は事故死したように見せかける手はずだったのだが、それをカイトは待ったをかけた。
できれば、婚約者である少女が喜ぶような演出をしたい、と。
結果は大成功。ディアナはジェイドたちが偽物であることに気づくこと無く、本来の婚約者であるカイトと無事、結ばれることになったのだ。
「きっと今後もこんな風にいろいろ演劇みたいなことを頼むと思うけど、よろしくね」
「おまかせください」
何の不満も見せず自分の我侭に付き合ってくれる彼らにカイトは心から感謝した。
カイトがこんな回りくどい真似をしようと思ったのはディアナの為だ。
人は誰しも承認欲求を持っている。他者から認められたい、評価されたい、褒められたい。
そう思わぬ人がいるとすれば、それは世捨て人か他人に全く関心を持たぬ者だろう。
彼女は普通の女性だ。だから当たり前のように承認欲求を抱いている。
ただ、承認欲求にはいくつか形があって、彼女は「物語の主人公」のようになりたいと思っていた。主人公のように波乱万丈で浪漫に満ち溢れた刺激的な出来事を欲していた。
トラブルに巻き込まれてはそれを華麗に解決したり、騒動が起きればなんやかんやで結果的にはおいしい思いをしたりなど、そんな夢と希望に満ちた非日常を望んでいたのだ。
好きな女性の願いを叶えたいと思うのは、男として当然ではないだろうか。
だから、これで終わらせる気は毛頭ない。
だって彼女は知ってしまったはずだ。
非日常の中心となり、自分にとって都合の悪い者は痛い目を見て、自分にとって都合の良い者からは慕われる。そんな快楽を。
(さて、次はどんな舞台を仕上げようかな)
ディアナの笑顔を思い浮かべ、カイトは頭を巡らせた。